捕虫器の虫
これは、山小屋に友人同士で泊まりにやって来た、ある若者たちの話。
「あれだ。あそこが、僕たちが今夜泊まる山小屋だよ。」
「あら、素敵なロッジじゃない。」
「麓の町からそんなに遠くなくて良かったよ。」
地方の山。
そこにある山小屋に、その若者たち男女数人が入っていく。
その若者たちは仲の良い友人同士で、
今日は皆で山小屋に泊まろうと、
こうして地方の山までやって来たのだった。
その若者たちは山小屋に着いて、ほっと一息。
持ち込んだ食材や宿泊のための荷物を荷解きしていく。
そうして山小屋の中で作業をしていると、やがて、
その若者たちの中の一人、若い女が悲鳴を上げた。
「きゃっ!虫!
この山小屋の中、虫がいるじゃないの。
私、虫が苦手なのよ。」
その若い女が指す先、テーブルの上には何かの甲虫が止まっていた。
別の若い男が、甲虫を指で摘んで言う。
「そんなに嫌わなくたって良いじゃないか。
これは害虫じゃないよ。」
他の若者たちも話に加わってくる。
「田舎は虫が多いけど、益虫も多いのよね。
都会は虫が少ないけど、害虫の割合が多いの。
そっちの方が考えものだと思うわ。」
「そうそう。
コンビニとかによくある殺虫器や捕虫器って、
害虫以外も結構掛かってるんだよな。
かわいそうに。」
「あたし、それ見たことある。
ビリッ!って電気で虫を殺す機械よね。
無差別に虫を殺していたら、無警戒な虫から減っちゃうわよねぇ。」
「そういえば、この山の麓の町には、
殺虫器や捕虫器の工場があるんだったか。
町の名産品らしいよ。
それだけじゃなんだってんで、
観光地としても売り出すことにしたんだとか。
だから、この山小屋も安く泊まれるんだ。」
「・・・ねえ。
あれ、今話してた捕虫器じゃない?」
若い女が山小屋の窓の辺りを指差して言う。
そこには、青白い光を放つ電灯のようなものが設置されていた。
若い男が背伸びをして中を覗き込んで、それから顔を顰める。
「確かにこれは電撃殺虫器だ。
でも、掛かって死んでるのは害虫じゃないなぁ。
蛾や他の無害な虫ばっかりだ。
なんて酷い。」
「なあ、あっちにあるのは捕虫器じゃないか。」
今度は若い男が床の隅を指して言う。
そこには、小さな檻のついた箱の様なものが設置されていた。
檻の中には何かの小動物が入っているのが見える。
殺虫器を覗き込んでいた若い男が、今度は屈み込んで捕虫器を覗いて言った。
「これ、捕虫器って言うか鼠取りじゃないかな。
でも中に入ってるのは鼠じゃないぞ。
これはリスかな。
檻の中に接着剤みたいなのが塗ってあって、
手足が貼り付いて動けなくなってるんだ。」
その山小屋に設置されている、町自慢の殺虫器や捕虫器には、
害虫や害獣とは無関係で無害な生き物たちが犠牲になっていた。
気の毒に思った若者たちは、口々に言う。
「巻き添えで殺されるなんて、かわいそうな話だな。」
「何とか助けてあげられないかしら。」
「うーん、そうだなぁ。
何かの粉と油があれば、接着剤は剥がせると思うんだけど。
粉で接着剤の粘着力を抑えて、油で溶かして剥がせるんだよ。」
「こっちの電撃殺虫器、だったかしら。
電源を切っておくことはできないかしら。」
「私、虫は苦手なんだけど、
山小屋にいる間だけは我慢しても良いわ。
害虫でもない虫を無差別に殺して、
残ったのが害虫ばっかりになったら困るものね。」
「よしきた。
じゃあ早速やってみようか。
みんなも手伝ってくれ。」
そうしてその若者たちは、
殺虫器の電源を切って、近くに寄っていた蛾などの虫を追い払い、
捕虫器の檻の中に捕まっていた小動物は、
食事用に用意した小麦粉と食用油を使って接着剤から剥がしてやった。
山小屋の外に逃がしてやると、虫と小動物は一度振り返って、
それから嬉しそうに山の中に戻っていったのだった。
そんなこんながあって。
荷解きを無事終えた若者たちは、山小屋でお茶を入れて休憩をしていた。
到着が遅れたこともあって、そうこうしている間に外では日が傾いて、
やがて山小屋の外は薄暗い夜の闇に覆われていった。
すると、若者の一人が、
皆に意地悪そうな笑顔を向けて口を開いた。
「みんな、ちょっと外に出てみないか。
行ってみたい場所があるんだよ。」
その言葉に、若い女が迷惑そうな表情になって応える。
「外はもう暗いわよ。
遠くに行くのは明日にしましょうよ。」
「まあまあ、そう言わないでくれよ。
実はさ、この近所に廃墟になった山小屋があるらしいんだよ。
俺、廃墟が好きでさ、写真を撮っておきたいんだ。」
廃墟と聞いて、若い女がますます顔を顰める。
「それ、私も噂で聞いたわ。
廃墟の山小屋で行方不明になった人がいるって。
危ないから近付かない方が良いと思うわ。」
しかし、別の若い女は嬉しそうに手を合わせて言った。
「あたしも廃墟大好き!
夜に撮る廃墟の写真って、得も言われぬ雰囲気があるのよ。
ちょっと行ってみましょうよ。
行方不明者が出てるって言っても、その廃墟が原因とは限らないでしょう?
こうしてすぐ近所の山小屋を貸し出ししてるくらいなんですもの。
きっとただの噂よ。
もしも危ないことがあったら、すぐに引き上げれば大丈夫。
ね、お願い!」
各々の意思を確認してみると、意外にもその若者たちの中では、
廃墟の山小屋に行きたいという人数の方が多かった。
廃墟巡りや、季節外れの肝試しも良いだろうということだった。
結局、その若者たちは全員で、
近所にあるという廃墟の山小屋へ向かうことになった。
山小屋から歩いて10分ほど。
鬱蒼と茂る森の中に、廃墟の山小屋はひっそりと佇んでいた。
外見上はその若者たちが泊まる山小屋と大差無い。
廃墟という評判とは違って、
窓ガラスが割れたり壁に穴が空いたりはしていない。
しかし、
どこにも明かりが灯されていない上、玄関の鍵が掛かっていないところが、
自らを廃墟だと主張しているかのようだった。
「よし、開けるぞ。」
「ええ、気を付けてね。」
その若者たちは、おっかなびっくり玄関の扉を開けて中に入る。
明かりを点けようとスイッチに手を伸ばしたが、
電気が来ていないのか、明かりは点かなかった。
仕方がなく、明かりを点けるのは諦めて、
窓から差し込む月明かりの暗がりの中、
その若者たちは靴のままで廃墟の山小屋の奥へと進んでいく。
その廃墟の山小屋は、中もその若者たちが泊まっている山小屋と大差なかった。
台所と食堂が繋がった部屋を抜け、いくつかある個室の中を覗いていく。
「・・・中は思ったより荒れてないな。
建物自体は古くてボロボロだけど。」
「ああ。
ちょっと散らかってはいるけど、生活感があるよ。」
「こっちを見て。
化粧品が置いてあるわ。
誰かが使っていたのかしら。」
「こっちには食器やナイフフォークがあるぞ。
最近まで誰かが生活してたのかも。」
「生活感は残されてる。
でも、人の姿はない。
やっぱり、この廃墟の山小屋で人が行方不明になったのよ。
私、怖いわ。」
廃墟の山小屋に残された生活感に、その若者たちが慄いていた、その時。
何やら玄関から物音がした。
玄関の扉を開けようとしている、そんな気配がする。
その物音を耳にして、その若者たちは顔を見合わせた。
「まずい、誰か来たぞ。」
「ここ、廃墟なんだから空き家じゃなかったの?」
「分からないよ。
とにかく、どこかに隠れよう。
黙って建物に入ったなんて知れたら、下手したら警察沙汰だ。」
「こっちに大きいクローゼットがあるぞ。
みんなでこの中に入ろう。」
その若者たちは、迫りくる人の気配から身を隠そうと、
押し合いへし合い大きな押入れの中に入って扉を閉じた。
その若者たちが押入れに入ったすぐ後。
玄関の扉が開けられて、どかどかと複数の足音が入ってきた。
真っ暗な押入れの中で、その若者たちは目を閉じて聞き耳を立てている。
どうか見つかりませんように。
中には手を合わせている者までいる。
息を潜めて外の様子を伺っていると、
複数の足音は玄関を潜り、すぐそこの部屋までやってきたようだ。
何やら話し声が聞こえてくる。
「どうだ?何か掛かってるか。」
「いや、何もいないみたいだ。」
「それは妙だな。
確かに何かが入ったように見えたんだが。」
「人間は性懲りもなく、次から次へとやってくるものだからな。
おかげで実験用生物には事欠かないわけだが。」
「しかし、こう暗くてはよく分からないな。
明かりを使って、それが原因で他の獲物を逃すのは面倒だな。
仕方がない、朝になって明るくなってから改めて探そう。」
「そうだな。
俺たちまで掛かるのは嫌だからな。」
「もしも中に入ったのなら、どうせ逃げられはしないさ。」
聞こえているのは男たちの声のようだ。
外で話している男たちは、
押入れの中で息を潜めているその若者たちの存在には気が付かなかったようで、
やがて足音と共に廃墟の山小屋から去っていった。
足音が遠のいて聞こえなくなったのを確認してから、
その若者たちは押入れの中で脱力したのだった。
廃墟の山小屋を探索中に、不意に現れた男たち。
その若者たちは、真っ暗な押し入れの中で身を潜めて、
それを何とかやりすごすことができた。
押入れの中で脱力して、
ある者は押入れの中の壁にもたれかかり、またある者はぺたりと尻もちを突いた。
誰からともなく小声で確認する。
「・・・行った?」
「ああ。
物音は聞こえなくなったし、もう大丈夫だ。」
「びっくりした。
廃墟のはずが、人が入ってくるんだもの。
やっぱり噂なんていい加減なものね。」
「そうだね。
きっとこの山小屋は、何かの事情で使われてないだけで、
廃墟というわけでは無いんだろう。」
「そうと分かれば、長居しない方が良いな。
あいつらが戻ってくる前に、さっさとここを出よう。」
その若者たちは立ち上がろうとして、我が身の異変に気が付く。
「・・・何だこれ。」
「足が動かないぞ。」
「あたし、おしりが床にくっついちゃった。」
「これ、接着剤か?
このクローゼット中の床や壁に、接着剤が塗ってある。」
「何よ、これ。
これじゃまるで捕虫器じゃない!」
その若者たちが気が付いた通り。
押入れの中の床や壁には、
鳥黐と呼ばれるゴム状の接着剤が塗られていた。
真っ暗な押し入れの中で、それと気が付かなかったその若者たちは、
足を踏み入れた靴の裏や、壁に突いた手などが貼り付いてしまったのだった。
鳥黐の粘着力は粘り強く、瞬間接着剤のように固まったりはしないが、
ゴムを巻きつけられたかのように動きを制限されてしまう。
それはまるで、捕虫器に掛かった虫や小動物のようだった。
その若者たちは助けを求めてお互いに声をかけ合う。
「誰か、動ける奴はいないか。
とにかく、クローゼットのドアを開けてくれ。
こう暗くっちゃ、動くのも難しい。」
「俺、ドアの近くだからやってみる。」
若い男が返事をした直後、押し入れの扉が開けられた。
廃墟の山小屋の中に明かりは無いが、窓から月明かりが降り注いでいる。
月明かりに照らされて、状況が明らかになった。
その若者たちは押入れの中で、
男女入り乱れて妙な体勢で絡まるようにして、
鳥黐に体の自由を奪われていた。
その様はまるで、如何わしい行為をしているよう。
扉を開けた若い男が思わず吹き出してしまい、
押入れの中の面々からは非難の声があがった。
「ちょっと!
笑ってないで何とかしてよ。」
「お前、その位置からなら、
靴を脱げばクローゼットから出られるよな?
接着剤を剥がすものを探してくれ。
俺たちの位置からじゃ、靴を脱いでも足が届かないんだ。」
仲間の無様を笑ってしまった手前、その若い男は快く引き受ける。
「ああ、分かったよ。
でも接着剤を剥がすものって、何を探せば良いんだ。」
「さっき山小屋で俺がやって見せただろう?
何でもいいから粉と油を探してくれ。」
「向こうに化粧品があったわ。
その中に、粉と油の代わりになるものがあるんじゃないかしら。」
その若い男は言われた通りに化粧品を漁る。
すると、何かの粉が入った容器と、
油っぽい液体が入った瓶が見つかった。
古いものらしく匂いは良くないが、接着剤を剥がす程度なら毒にはならなそうだ。
早速、それらを使って鳥黐を剥がしていく。
ありがたいことに量はたっぷりあるので、全員を救出することができた。
そうしてその若者たちは、
鳥黐の押入れからなんとか脱出することができたのだった。
鳥黐の押入れから脱出することができたその若者たち。
しかし、まだ完全に自由を取り戻せたわけではないようだ。
外へ出ようと玄関へ向かったその若者たちは、玄関の扉を触って呆然とした。
「おい。
この玄関、内側から開けられないぞ。」
「何だって。」
「これを見ろ。
玄関のドアの内側にはドアノブが無いんだ。
他に指が引っかかるところもないし、押してもびくともしない。」
「そんな!
じゃあ私たち、ここに閉じ込められちゃったの?
それじゃあまるで、この廃墟の山小屋そのものが捕虫器みたいじゃない。」
手足にくっつく鳥黐からは逃れられても、
この廃墟の山小屋からは出ることができない。
それではまるで、檻のついた捕虫器に捕らえられた小動物のようなもの。
その若者たちは慌てて廃墟の山小屋の中で出口を探す。
しかし、他に逃げ道は見当たらない。
「だめだ。
勝手口も無いし、玄関以外に外に出られるドアは無いぞ。」
「窓は?
窓を開けて外に出ましょうよ。」
「それがこの窓、嵌め殺しになっていて開かないんだ。
窓ガラスを割ろうにも、異常に固くてびくともしない。」
「道具を使って窓ガラスを割ったら?」
「それが、よく見るとこの山小屋、椅子やなんかの家具が無いんだ。
机やベッドは床に据え付けられていて、ちょっとやそっとじゃ外れないぞ。」
玄関の扉は内側からは開かず、裏口など他の出口もない。
窓は特殊なガラスなのか、道具も無く素手では割れそうもない。
その若者たちの顔が青いのは、果たして月明かりのせいだけだろうか。
逃げ道を失って、泡を食っている。
「俺たち、ここから出られないのか。」
「このまま捕まっちゃったら、私たちどうなるのかしら。」
「そんなことより、もしも助けが来なかったらどうする。」
顔面蒼白で立ち尽くすその若者たち。
それから誰も何も言えず、時計の針が進んでいく。
すると、しばらくして。
静まり返った廃墟の山小屋に、小さな物音が聞こえ始めた。
風が吹き荒ぶような風音と、何かがパチパチと当たる物音がする。
その若者たちの一人が物音に気が付いて、キョロキョロと辺りを見渡す。
どうやらその物音は、窓の外から聞こえているようだ。
窓に額を付けるようにして覗き込む。
すると、廃墟の山小屋の外、
月明かりの下に、大量の虫が飛んでいるのが見えたのだった。
飛んでいるのが虫だと気が付いたのは、しばらく目を凝らしてからのこと。
甲虫だの羽虫だのが群れを成して大量に飛び回っているその姿は、
空中を大量の綿が舞っているのかと錯覚するほどだった。
しかし、その虫が飛び回る羽音と、時折窓に当たる音が、
物音の正体が虫だと気が付かせた。
それだけではなく。
よく見ると、リスなどの小動物たちまでもが、
窓の外から窓枠にカリカリと齧りついているのだった。
その若者たちは、一人また一人とそれに気が付いて、
窓の近くに集まって頭を寄せ合った。
「外を飛んでるのは虫か?」
「そうだ。虫が大量に飛んでるぞ。
いくら自然が多い山の中だからって、こんなに集まるものなのか。」
「どうかしら。
よくある虫の大量発生って、
同じ種類の虫で飛び回ると思うのだけれど。
これは違う種類の虫が混ざってるものね。」
その若い女の指摘した通り。
廃墟の山小屋の外で飛び回っている虫たちは、
各々で種類の違う虫たちが大量に飛び回っていた。
その虫たちが、光も無いのに窓に体当たりをしている。
またその下では、小動物たちが窓の枠を外からカリカリと齧っている。
もちろん、そんなことをしても窓はびくともしない。
しかし虫たちと小動物たちはそれを止めない。
それを見て、その若者たちの一人が何か閃いたようだ。
指を鳴らして他の若者たちに向かって言う。
「そうか、分かった!
窓ガラスが割れないのなら、窓枠を壊せば良いんだ!
窓ガラスが丈夫だったから気が付かなかったけど、
窓枠は建物と同じく古くなってるはずだ。
窓ガラスが割れないからって諦めるのは早い。
壊すのは窓枠だけでいいんだ。」
「そうか!
それなら、食堂にあったナイフフォークが使えるかも知れない。
窓ガラスを割るには足りないけど、窓枠なら継ぎ目に差し込めるかも。」
「そうだ、良いぞ。
俺たちは動物じゃない、人間なんだ。
人間には知恵がある。
こんな罠、破って外に出てやるぞ。」
虫たちと小動物たちに導かれて、その若者たちは行動を開始した。
台所にあった古いナイフフォークを持ち出し、窓枠に突き立てる。
何度も何度も繰り返すと、窓ガラスと窓枠がズレるようになった。
続けて窓枠をナイフフォークで突いて壊し、窓ガラスを外す。
そうして、人が一人通れるほどの穴を開けて、
まず若い男が一人、廃墟の山小屋の外に抜け出す。
それから、後から外に出ようとする若い女の手を取って手伝う。
そうしてその若者たちは、一人また一人と窓穴を通り抜け、
やがて全員が廃墟の山小屋から脱出することができたのだった。
月明かりの山の中。
廃墟の山小屋から脱出し終わったその若者たち。
まだ周囲には虫たちや小動物たちが遠巻きにしている。
しかし、その若者たちはお礼を言う余裕もなく、
脱力して地面の草むらに座り込んでしまった。
「私たち、助かったのよね?」
「ああ、もう大丈夫だ。
さっきの奴らは、朝までは来ないだろう。
それまでにここから逃げよう。」
「誰かにこの廃墟の山小屋のことを知らせなくて良いのかな。
もしかしたら、行方不明者って・・・」
この廃墟の山小屋で起こっているかもしれない事を想像して身震い一つ。
若い女が頭を左右に振って応える。
「この廃墟の山小屋が何なのか知らないけど、私はもう関わりたくないわ。
それに、何て言って説明したらいいの。
人を捕まえるための大きな捕虫器があるって?
信じてくれるわけがないわ。
行方不明者がどこでどうしたか、証拠も無いんだもの。」
「あるいは、麓の町の人たちもグルかもしれないしな。
警察に駆け込んだ途端、俺たちが逆に捕まるかも知れない。
遠くで通報するにしても、まずはここから逃げたほうが良い。」
そう話すその若者たちの頭の中には、この山に来た時のことが浮かんでいた。
麓の町の名産品、それは殺虫器や捕虫器。
この廃墟の山小屋の構造、目的、
それを考慮すると、ここで起こったことが町ぐるみであることは、
十分に考えられることだった。
とにかく、早くこの場を離れた方が良い。
その若者たちは、疲れた体に鞭を打って立ち上がった。
山小屋に置きっぱなしの荷物を回収するため、
その若者たちが泊まるはずだった山小屋を目指して、
廃墟の山小屋から離れていく。
すると、
来る時には気が付かなかったが、廃墟の山小屋の頭上の山肌に、
大きな立て看板が設置されているのに気が付いた。
月明かりに照らされた立て看板の内容が思わず目に入って、
その若者たちは目を背けることが出来なかった。
立て看板に書かれていたこと、それは。
「当町自慢の殺虫器と捕虫器。
どんな生き物であろうと確実に捕獲、駆除します。」
看板の中では、町の人間らしき男が満面の笑みを浮かべて、
そんな台詞を並べていたのだった。
立て看板に書かれていることの真意を理解して、若い女が身を震わせる
「これって、そういう意味よね。
この廃墟の山小屋は、人間を・・・。
もしも逃げる方法が見つけられなかったら、
私たちどうなっていたのかしら。」
「それもこれも、虫たちと動物たちのおかげだな。
俺たちだけじゃ、脱出することはできなかったかもしれない。」
「あたしたち、この山の虫たちと動物たちに感謝しないとね。」
そんなその若者たちの感謝の言葉が理解できたのか、
周囲にいた虫たちや小動物たちは嬉しそうに飛び回っていた。
その中に、
足に溶けかけた接着剤が付いたリスや、
羽根が焦げかかった蛾の姿があったことに、
その若者たちは誰も気が付かなかったのだった。
終わり。
季節はもうすっかり秋ですが、秋はまだ意外と虫が多い季節なので、
虫と廃墟をテーマにこの話を書きました。
その場にいるだけで害虫として殺されてしまう虫たちがかわいそうなので、
虫も人間も両方ともが救われるような話にしようと思いました。
お読み頂きありがとうございました。