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花の守り人

作者: 遠夜

━━━遠い昔、“楽園”の名を冠していたこの大陸しまには、かつて滅びたとされる古き民の末裔が今尚ひっそりと息づいている。


人間よりも遥かに長い時を、終生変わらぬ美しい姿で生きる彼等のことを、世の人々は憧憬と羨望を以てこう称した。


『花幻の民』と。






とある小国で、好事家の貴族が世にも珍しい『解語之花ものいうはな』を手に入れた、という噂が巷に流れた。


“花”は女性を示す隠語。有り体に言って好色家の助平親父が金で見目の良い女を買い上げた、というような話。


貴族は初めその“花”をどこに行くにも連れ歩き、大層自慢気に周囲に見せびらかしていたが、しばらくするとそれをパタリと止めて、女を邸から一歩も外に出さなくなった。


女の姿を一目見た途端、懸想をする男が後を絶たなかったため、女の所有者である貴族が悋気を抱いたらしい━━━。

世間ではもっぱらその様に囁かれたが、実のところを知る者はいない。




ある夏の夕刻、その貴族に呼ばれて一人の薬師が邸を訪れた。


なるべく人目につかぬようにとの指示を受け、裏口からひっそりと邸内に招き入れられた薬師は、人気の無い離れに通された。



「お呼びと伺い、参りました」


「━━挨拶はいらぬ。被り物を取って顔を見せろ。・・・なるほど、私の要望通り女の薬師だな」


その貴族の男は薬師の名を尋ねもせず、自分の名を名乗ることもしなかった。

薬師も余計な詮索はしなかった。


深緑色のローブの上に羽織ったケープの下から現れた薬師の顔が若い女だったので、男はほんの一瞬意外そうに眉を動かしたが、反応はそれだけだった。

『腕の良い女薬師をべ』と家令に指示を出したため、もっと年嵩の者が来ると思っていたのだ。


女はそれなりに整った容姿をしていたが、灰色の髪がまるで本物の老女のようで、自分の好みから外れている薬師の女に対して、男は欠片も興味を示さずに本題に入った。


「お前に診て貰いたい者がいる・・・“━━━━”」


男が女性の名らしきものを口にしながら寝台の薄い紗のとばりを捲り上げると、奥の方に伏せっている女性の姿があり、しかもその女性はかなり衰弱しているようだった。


「失礼します」


薬師は“患者”の様子を診るために寝台に身を寄せ━━━、その容貌を目にして思わず息を呑んだ。



白磁の肌に輝石の瞳。風に手折られそうなまでに儚げな、まさに花の風情という言葉が似合いの容姿。

そして特筆すべきは、人間ヒトに有り得ぬ色彩をまとったその髪。

女性の髪はリラの花のような淡い薄紫をしていた。



「“花幻の民”・・・」



薬師の目が驚きに見開かれる。


「ほう、知っていたか」


問われるまでもなくそれは、『お伽噺』の中のものとして誰もが知る存在だ。


━━神話に曰く、花幻の民は“原初はじめ人間ヒト”であり、民は“花を模して創られた”と云う。


真偽の程はともかく、そうだと言われればそうかもしれないと思える程度には、目の前の女性は神話の中の存在を体現していた。

ただその場に無言で佇んでいるだけでも、匂い立つような存在感がある。


━━━といより、実際に香っている。

花の蜜のような、売れた果実のような、甘い蠱惑的な香りがする。



「・・この体香はいつからですか?」


薬師のこの問いに男は、女性を身請けした当初からだと答え、苦いものを飲み込んだような表情になった。


初めは微かに香る程度だったのだが、日毎に香りが強まってゆき、それが次第に異性を惹き付けるようになっていったのだという。


当初は稀なる佳人を己の所有物として他人に見せびらかし悦に浸っていた男も、時間が経つにつれて周囲の男達の女性を見る目に強い熱がこもり始め、次から次へと起きるいざこざに辟易して、その後は女性の外出へ同伴を止めて邸に留め置くことにしたらしい。


━━━そしてそれから間もなく、女性は原因不明の体調不良で床に着いた。



「幾人か医者にも診せたが役に立たなかった。患者と対面させると皆腑抜けたようになって、まともに診察もできぬ有様でな」


この世で“医者”といえばまず男。

この香りが異性に作用するものならば、医者も例外ではなかったということだろう。

なるほどそれでは女手が要るわけだ。




「ではこれから診察を行いますので、殿方は部屋の外へ」


やんわりと、それでいて有無を言わさぬ口調で男を部屋から締め出した薬師は、そこで改めて患者の容態を窺った。


女性は衰弱してはいるものの意識ははっきりしているようで、見知らぬ人間を警戒するように、無言で薬師の方をじっと見据えている。


その身体は華奢を通り越して、今にも折れそうなほどにか細く、そよ風に晒されただけでも儚く散ってしまいそうな雰囲気だ。



「可哀想に・・。大地から切り離されて生きられる花など有りはしないのに」


自分の痩せ細った手が温かい掌に包まれる感覚に、女性はぼんやりと驚きの表情を浮かべる。


初めて会った見ず知らずの相手から、労るような眼差しを向けられていることに、戸惑いを感じてもいるようだ。


「こんな風も光も通らない、石造りの館に押し込められてハヤミミが弱らないわけがない。━━もう幻術を纏うほどの余力もないんだね」


「・・・っ、」


薬師が続けたその言葉に、女性の目が『信じられない』とでも言いたげに、より一層大きく見開かれた。


『花幻の民』という呼称は人間が勝手につけた呼称で、自らそう名乗ることはない。


風を読み、水を探り、いち早く万象の変化を掴み取る先見の才を指して、自らを“ハヤミミ”と称するのが常だ。



「自分の群れからはぐれたんだね。苦労しただろう・・・見つけるのが遅れてすまない。よく頑張ったね」


「“花守り”・・・?」


消え入りそうな小さな声でのこの問いに、薬師は「是」と頷きで答える。


「きよらなる花の乙女よ、真実まことの名を」


女性のスミレの眼に涙があふれ、花の唇から言葉はこぼれ落ちた。


「・・・“シラー”」


「涼やかな響きの名だね。君によく似合ってる。━━━

私は花の守護を担う者。同胞はらからの名、確かに預かった。君はもう私の庇護下にある」


そう宣言すると薬師は、「応急処置」だと言って女性の顔を自分の掌で包み込むと、その額にそっと自分の唇を寄せた。

接触による魔力の受け渡しで、一時的に生命力を上げるためだ。


「・・・温かい」


「幾分顔色が良くなったようだ。シラー、少し話をしようか」


「ええ、でも・・・あなたの幻術も解けてしまっているわ」


「おや?しまった」


魔力の同調を行ったことで、自らに掛けていた目眩ましの術が消え、薬師は本来の姿に還ってしまっていた。


白髪のような灰色の髪が淡紅色に変じ、ありふれた鳶色の眼は硬質な煌めきを放つ緑の輝石に。

顔貌かおかたちはそのままでありながら、存在感そのものが全く異なる生き物に変じていた。


━━━目の前にいる女性シラーと同じ生き物に。


花のかんばせというに相応しい美貌を縁取る髪の色は、赤毛というには些か華やか過ぎる色合いで、これもまた人間には有り得ない色彩だった。

紫がかった炎の色とでもいうのが一番近いだろうか。


「火炎木の花色・・・とても綺麗。いつもは隠しているの?」


「目立つからね。シラーも人間の群れに紛れる際には、幻術で姿を変えていたんだろう?」


「ええ。だけど奴隷狩りに遭って何日も牢に閉じ込められたら、魔力が尽きてしまって・・・」


獣を祖とする人間と異なり、花を模して創られたハヤミミは、大地が生命力の源であると同時に、魔力の供給源でもある。

幾日も大地に触れずにいればそうなって当然だ。


平素は目立つ容姿を隠すため、幻術で周囲に溶け込む姿形を装っているのだが、シラーを捉えた連中はさぞかし驚いたに違いない。


ただの人間と思って捕らえた女が、いつの間にか『幻』と呼ばれる希少種に変じたのだ。

石塊いしくれが黄金に化けたも同然だ。


「シラー、君は種子を孕んでいるね?体香に萌芽の兆候が現れている」


「・・ええ。もうあまり時間が無いの。私はじきにこの姿を保てなくなってしまう。このままでは━━━・・」


「大丈夫。枯れさせたりしない」



人間ヒトの世で花幻の民が『幻』とされている理由は、種としての脆弱さにある。


短命ながら繁殖力に優れ、怪我や病にもそれなりに耐えうる獣を祖とする人間ヒトに比べ、ハヤミミは穢れに対しての耐性が弱く、些細な怪我でさえ命取りになりかねない。


豊富な魔力を有し、それなりに長い寿命であるにも拘わらず、その繊弱さゆえにあらゆる闘争を回避することで、これまでどうにか細々と永らえてきたのだ。


しかし何事にも例外は存在するもので、虚弱を絵に描いたようなハヤミミの中にも、稀に突出して生命力の強い個体が出現することがあり、それらは長じて群れを守護する花守りとなる。


“無色”と呼ばれるハヤミミがそれで、群れからはぐれた同族を保護するのもまた大事な役割のひとつだ。




「君をここから連れ出すのに『やや強引だけど手っ取り早い方法』と『穏便だけど準備に手間がかかる方法』の二通りがあるんだけど、どっちがいい?」


「なるべく穏便にお願いしたいけど・・・私もう保たないかもしれない」


「了解。じゃあ、ちょっと騒がしくなるけど、君に危険はないから安心して」


そう言うと、花守りは窓の外を指差した。


「見ててごらん」


その言葉に促され、すっかり暗くなった窓の外の景色に目を向けたシラーは、突如として夜空に浮かび上がった光の束に目を奪われた。


それは“極光”と呼ばれるもので、本来極北の大地でしか見られないはずの現象が目の前に出現していた。


「綺麗・・」


「単なる狼煙代わりだけど、見応えあるだろう?」


夜しか使えないけどね、と花守りが笑う。

ゆらゆらと揺らめく光の帯は幾重にも連なり、夜空に道を描いている。


「今回はちょっとした緊急事態だから、知り合いに協力要請したんだ。すぐに来るよ」


「・・・?」


「━━━と、その前に。邪魔が入らないようにしておこうか」


この部屋の扉の向こうには先程の男が待機している。

診察を理由に早々に部屋から追い出したものの、あまり長々と部屋にこもっていれば、いずれ痺れを切らして踏み込んで来るであろうことは容易に想像がつく。


花守りは懐から水晶の欠片を取り出すと扉の前に置き、何かを口の中で小さく唱えた。


「━━これでよし。少し空間を弄ったから、しばらくの間向こう側からは誰も入ってこられないよ」


一般的に回避能力に全振りされているハヤミミの魔力は、幻術や空間操作の方面に特化している場合が多く、その能力ちからは全て己の身を守る為に振るわれる。


その反面、直接他者を害する術を一切持たない彼等は、力尽くで捕らわれてしまえば抗うこともできず、ゆるやかに枯れる未来しか残されていない。


たとえそこに“愛”があろうと無かろうと。




「おい薬師、いつまで診察に時間をかけるつもり━━━なに!?これはいったいどういうことだ!」


案の定細工が終わった直後、隣の部屋に控えていた貴族が苛々と声を上げながら寝室の扉を開け放ち、中に足を踏み入れかけ━━━慌てて引っ込めた。


扉を潜り抜けようと踏み込んだ自分の足が()()()ためだ。

痛みも何も感じなかったが、自分の身体の一部がスッパリと切り落とされたような光景に肝を潰して身を引いてみれば、目の錯覚であったかのように足はちゃんと自分の胴体に付いている。

そしてそれは何度試みても同じだった。


「何の手妻だ!」と男はしばらく喚き立て、ややあって部屋の中に視線を移し、そこでようやく室内の異変に気付いた。


「お、お前は誰だ・・!先程の薬師ではないな!?」


すっかり見た目の変わった“薬師”を見て、同一人物とは思わなかったようだ。


「いいや?同じ人物(にんげん)さ。そちらの眼にどう見えているかは知らないがね。━━同族が世話になったとだけ言っとこうか」


「ど・・同族、だと・・・?まさか・・まさかお前も━━━」


蝋燭の明かりのみの薄暗い室内では、鮮やかな淡紅色の髪色もくすんで見えていたらしく、男は改めてまじまじとその容貌を舐めるように観察した。


「悪いが彼女は連れ帰らせてもらうよ。このままでは生命に関わるからね」


「・・なんだと?その女は、私の所有物ものだ!勝手な真似をするな!」


「自分の所有物だから、目の前で死ねと━━━?」


暗がりの中に薬師の底冷えのするような声音が響いた。


「人を金銭カネで買うような人種にしては、彼女に暴力を振るった形跡もないし、意図的に苦痛を与えていた風でもないから、まだマシな人間なんだろうけど・・・。“花”は手折られた時点で枯れる未来しか残されていないんだよ」


「その女・・その女は・・いずれ私の子を生ませるために!大枚はたいてやっと手に入れたのだぞ!!」


「━━ハァ?無駄なこと考えるね。お前達が言うところの『花幻の民』は、獣のまぐわいでは子を成さない。何度肌を重ねようが無駄なこと」


「なっ・・・」


男の表情が驚きに染まる。


知らなくても仕方のないことだけど、と薬師は続けた。


花幻の民を前にして、その美しさに魅入られずに済む人間はそうはいない。

どうにか手中に納めて囲った後は、皆同じことを考えるものだ。


不老の美の源を、己が血脈にと。


「君、この男に何か言いたいことある━━━?」


薬師が後ろに庇っていた女性を振り返ると、男は何故か希望を見出したような面持ちで叫び始めた。


「私のもとに残ると言え、ヴィオレッタ!今まで私がどれだけお前のために贅を尽くしたか━━━!お前が身に纏う衣装も!宝石も!全て私が買い与えてやったものだ!このままここに留まれば、もっと好きなだけ贅沢をさせてやる!言ってみろ、何が望みだ!」


男はシラーを“ヴィオレッタ”と呼んだ。

男に真名を明かさなかったということは、彼女が男に微塵も心をゆるしていなかった証だった。


更に何かを言い募ろうとする男の言葉を、静かな声が遮った。



「先立った夫との約束があるから、私はここで枯れるわけにはいかないの。━━だからこの人と行くわ」



「なっ・・何故だ、私があれほど可愛がってやったというのに━━━」


何故もクソもあるか、とやたら下品な科白せりふが美貌の薬師の口から漏れたが、それを指摘する者はこの場にはいない。

二人の関係はけして対等などではなく、最初から最後まで所有者と所有物でしかなかった。



魔術で扉に細工を施され、文字通り手も足も出せずに立ち尽くしていた男だが、しばらくすると邸の使用人を呼び集め、部屋の出入り口や寝室の窓の下を見張るように指示を出した。


薬師達のいる離れの寝室は二階にあり、扉を使えなくしてしまっている以上、外に逃げようとするなら脱出口は窓しかない。

普通に考えれば袋の鼠でしかない状況だ。


「お前たちがどういうつもりかは知らぬが、逃げ場などないわ。表は邸の男達が大勢見張っている。考えを改めるなら早い方が良いぞ?今ならまだ赦してやろう。・・・そうだな、先程からの愚かな言動を謝罪すれば、今度は二人まとめて面倒をみてやる」


形勢逆転でもしたかのように、強気の発言をする男の頭の中は、思い掛けず懐に飛び込んできた二人目の玩具の事で占められていた。


最初は地味で目立たないと思っていたが、あれならば充分鑑賞に耐え得る。

捕らえて躾け直せばいずれ従順になるはず━━━と、己に都合良い考えで。



しかし、男の話は途中から二人の耳には入っていなかった。

何やら急激に近付いてきた雷鳴に、掻き消されてしまったためだ。


シラーの耳許に顔を寄せた花守りが「迎えが来た」と囁くのと同時に、離れの館を“ズシン”という大きな音と激しい揺れが襲い、窓の外のあちこちでこの世の終わりのような悲鳴が響き渡った。


「い、いったい、何が起きたと・・・!?」


尋常でない雰囲気に男は狼狽うろたえ、寝室の扉の前で忙しなく視線を辺りに泳がせた。


「じゃあ行こうか」


薬師はシラーの返事を待たずにその身体をヒョイ抱き上げると、窓辺に向かってスタスタ歩き出した。

ただこの寝室の窓には御丁寧に鉄格子が嵌められていて、そこから出入りするのは無理に思えた。


“どうするの?”と目で問うシラーに、花守りが笑みを浮かべて独り言のように「ここだ」と呟いた、次の瞬間。



建物の天井部分が消えた。



バキバキという大きな音を立てて、まるで積み木の玩具おもちゃを崩すように屋根がもぎ取られ、天井が在ったはずの場所に、一瞬にして星空が出現。

まるで見えない巨人の手によって砕かれたかのようだった。


実際は、暗闇のせいで人間の眼に見えにくかっただけで、ちゃんと実体もあれば『巨人』でもなかったが。


人間より遥かに鋭敏な五感を備えたハヤミミの眼は、暗がりの中でもその“来訪者”の姿をしっかりと捉えていた。


『幻の民』と呼ばれるハヤミミよりも、更なる“幻”とされる存在の、威風堂々たるその偉容を。


焔のような深紅の鱗に黄金の双眸。

人の世では半ば伝説と化して久しい、竜種ドラグーンの一柱がそこに。



深紅あかい・・竜・・」


花守りの腕に抱かれた“花”が夢見るように呟く。


『 お主からの呼び出しとは珍しいのぅ。如何した? 』


「突然すまない。ちょっと緊急事態なんだ。私達を人気の無い場所まで運んで貰えないだろうか」


『 お安い御用 』


回りくどいやり取りは一切無しだった。

深紅の竜は手を伸ばして二人の身体を慎重に掴むと、そのまま空高く羽ばたいた。


半壊した貴族の邸の周囲では、人間が右往左往しながら何かを叫んでいたが、もはやどうでもいいことだ。




暗闇にゆらゆらと揺らめく光の波間を、深紅の竜が泳ぐように飛ぶ。


そしてその竜のには二輪の花が━━━━。



「シラー、君が根を下ろすのにどこか希望する土地はあるかい?かつての仲間の群れがいる場所がわかれば一番良いんだろうけど・・」


「・・・わからない。私達は常に移動を繰り返していて、ひとつ所に長居をすることがなかったし。・・・夫も、とうの昔に枯れてしまった・・・」


「━━━━━、」


寄る辺のない身の上なのだと、その表情が語っていた。


「あなたにお願いがあるの。私が大地に根付いた後・・・生まれてくる子を見守ってあげてほしいの・・・お願いよ・・・」


「━━それは、勿論」


人間ヒトに囚われ、長い期間大地に触れずに過ごしたシラーは、その間生命力の殆どを体内の種子に注ぎ続け、結果として彼女の寿命は大幅に削られることになってしまった。


本来の姿に還り大地に根を下ろせば、弱り切った彼女の身体では“蕾”を芽吹かせるのが精一杯で、再び人のカタチに戻ることは叶わないだろう。



けれど花守りは、安易な慰めの言葉を口にすることなく、こう続けた。


「じゃあ、シラー。君にこれといって特別な要望がなければ、私のとっておきの場所に案内しよう」


「・・・、とっておき・・の場所?」


「うん。見渡す限りの草の海で何もない所だけど、一年中良い風が吹く。

春先の雪解けの土の香り、夏の草の波間に揺れる小さな花。秋になれば一斉に虫が鳴いて、枯れ葉が舞う。そして冬は雪で世界が白く染まる」


「素敵ね・・」


「私の仲間が拓いた里だ。━━今はもう誰もいないけど、皆同じ丘に眠っているよ」


「・・・あなたも、独りだったの━━・・?」


「群れのハヤミミは私一人になってしまったけど、里には色んな種族が棲みついてて、今は結構賑やかだよ。()()を過ごすにはもってこいの場所さ」



それから━━月が東の空から中天に移る頃合いまで深紅い竜は空を飛び続け、丘陵地帯の只中にある小高い丘の上に降り立った。


『 この辺りで問題なかろう? 』


「ありがとう、助かったよ」


竜の掌から柔らかい草の上にそっと降ろされた二人は、ここでようやく自分達の足で地面を踏みしめた。

シラーにいたっては本当に久方振りに振れた自然で、『なんだか生き返った心地がするわ』と嬉しそうに笑みを浮かべ、草の香りの風を胸いっぱいに深く吸い込んだ。


「丘の下に見える集落がハヤミミの隠れ里だよ。━━といっても、ハヤミミはもう私一人だけどね。他の住人達も皆穏やかな気質だから、子供が育つには悪くない環境だと思うよ」


「そうね・・・、ここなら私も安心して眠れそう。・・・ああ、もう、身体が━━━━━」



これまで気力でどうにか抑えていたものが、一気に解き放たれるように、変化は急激に始まった。


薄紫色の髪が地につくほど長くなり、まず手足の硬質化が顕れた。

足が根に変じ、身体のあちこちから、蔓や枝葉が伸びたかと思うと、それらはシラーの身体全体を覆い尽くし、遂には一つの大きな蕾と化した。

薄紫の花弁をした、━━それは美しい蕾に。



「間に合ったね。とても綺麗な花繭だ」



原初の人(ハヤミミ)は花から創られた。

『美しく清らかであれ』という天主の望みのままに。


彼女シラーはこれから数年の間、次代を生み出すためにこの花繭の中で、胎内の種子に生命を注ぎ続ける。


殆どのハヤミミにとって出産は生涯一度きりのため、母親は子を誕生させるために全身全霊を尽くす。

胎内に沢山の種子を抱える者ほど、必要となる力も多く花繭にこもる期間が長引くが、本来は伴侶の魔力譲渡による支援が受けられるはずなのだ。


伴侶を失い、群れの仲間の見守りもない状況での繭籠まゆごもりは、監禁同然で囚われ命数を擦り減らしているシラーにとって、文字通り命懸けの大仕事となるだろう。


だからこその、この場所だ━━━。



「まだ私の声が聴こえているかい、シラー」


花繭にそっと手を触れ、種子の育成のために休眠状態に入りつつある花に声を掛ける。


「この里の中に君を脅かすものは何もない。・・・だから安心して眠るといい。七つの丘の内側は私が護るべき場所、今日から君も私の群れの一員だ」


花守りの語り掛ける言葉に、薄紫の花弁がふるりと震える。


『 嬉しい・・・ありがとう・・・。でも私、まだ大事なことをいていなかったわ』


「うん?何かな」


『あなたの、名前』


「名前━━━?あー・・、これはうっかりしたな」


よく思い返せばシラーには“花守り”としか呼び掛けられた覚えがない。

名乗っていないなら当たり前だ。



「私はフューシャ。同族に名を呼んで貰うのはいつぶりだろう。━━━風音の里サザナミにようこそシラー、君を歓迎するよ」



“フューシャ”と名前を繰り返し呟きながら、クスクスとあどけない子供のように笑うシラーの声が、夜の静寂しじまに木霊する。



「耳を澄ませていてごらん、シラー。間もなく“夜明けの歌”が聴こえる━━━」


朝陽が地表に投げ掛ける最初の一閃で、大地に光の弾ける音が降り注ぐ。

幾千億の夜明けに繰り返されてきた光の合唱コーラス


そしてどれほど世界が移ろうとも、この丘に変わらず風は吹くだろう。

やがてそう遠くない未来に、一つの“種”が消え去った後も。



日の光を浴びて朝露に濡れ光る花繭は、今はもう深い眠りの淵に沈んで、語り掛ける花守りの声に応えることはなかった。

ただ繭に触れた掌に、微かな鼓動のような響きが伝わるのみ。


それを感じ取った瞬間、花守りが思わず浮かべた花がほころぶような笑みは、この場でそれを眼にする者がいたなら、瞼に焼き付いて一生忘れられなくなるほどの、それは艶やかな笑みだった。



「“無色”のハヤミミは頑丈で長生きが取り柄といっても、私ももう大概長生きしてると思うんだけどなぁ。私がこの丘で眠れるのはいったいいつになるのやら━━━━」


そう言ってやれやれと肩を竦める花守りの表情に、悲壮さは欠片も見当たらない。


生きるのに少しばかり飽いてはいても、己の置かれた立場を特に悲観も絶望もしていないらしい。

そういう意味でも、“無色”のハヤミミは頑丈タフだった。



━━━この先しばらくはやることが色々ある。

久々に忙しくなりそうだ、と花守りは心の内で数年後の未来を思い描いた。





“━━━ある夏の晩。

とある小国の貴族の邸を竜が襲い、一人の女を連れ去った”


一時期巷にそんな眉唾ものの噂が流れたが、酔っ払いの戯言よりも荒唐無稽な内容に、人々は呆れ笑い飛ばした。



『女に逃げられた言い訳にしては、突拍子も無さ過ぎる』と。


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