酔った新郎に「こんな地味で面白くない女と結婚したくなかった」って言われた新婦の話、聞きます?
「三日ぶり~」
メイドに案内されて、一人の令嬢が花盛りの庭へやって来た。
庭園の四阿でレース編みをしていたこの家の令嬢は、顔をあげて客人を確認するとパッと表情を綻ばせて立ち上がる。
「いらっしゃいコレット! 結婚式挙げたばかりでうちに来ちゃって大丈夫だったの?」
「大丈夫なのよこれがまた。あ、メラニーこれお土産」
コレットと呼ばれた令嬢、もとい婦人は手に持っていた化粧箱を差し出す。「なあに?」「最近評判のメゾンのショコラ」「嬉しい!」などとキャイキャイしながら二人ともベンチに座る。
二人は女学校を卒業したばかりの同窓生で、かつ三日前に行われたコレットの結婚式にメラニーも参加していた、という状況である。
「それで」
メラニーは声を低くして身を乗り出した。
「新婚真っ最中のはずのあなたがこんなところに出歩いてるってどういうことなのコレット。たしかに結婚式での新郎は勧められるお酒も断れない、やわやわな人だとは思ったけど」
「いいとこ突いてくるわね、さすがメラニー。その新郎のフェルナンがね、式でぐでんぐでんに酔っ払っちゃって」
「え、夜が致せなかったとかそういう方向?」
「げっひん! そんな話だったらわざわざあなたのところに話を聞いてもらいに来たりしないわよ、あなたお嫁入り前のお嬢さんなんだからね!?」
「あら失敬失敬」
「まあ実際致してないんだけどそれはさておいて」
「コーレットぉー?」
「ゴメンゴメン、でね、ぐでんぐでんでべろんべろんな酔っ払いを介抱しようと思って水を持って行ったのよ。そしたら」
「そしたら?」
「『こんな地味で面白くない女と結婚したくなかった』って言われちゃった」
肩をすくめながらぺろりと告白するコレット。てへ、とでも言い出しそうな様子である。そしてそれを聞いたメラニーは。
「……はァーーー!?」
庭園に大きな声を響かせたのである。
「ふざけたことを言ってくれちゃってるじゃないのよ下戸め。よくも我がスミレ組のアイドルを馬鹿にしてくれたわね」
ブラウンの髪に琥珀色の瞳、小柄でちょこまかしたコレットはリスのようだと女学校時代のクラスメイトには大人気だったのだ。
ただ、往々にして女子ウケと男子ウケの間に大きな川が流れていることもあるわけで。
「いいのよ、派手じゃないのはたしかなんだし」
「よくない」
メラニーはまだグルグルうなって怒っている。
「怒ってくれてありがと、メラニー。でね、私も考えたのよ。『面白い女』ってどんな女性? って。そこで思い出したのが学生時代、あなたが貸してくれた小説よ! モテモテヒーローに興味のなかったヒロインに、ヒーローが言う常套句があるじゃない!?」
「まさか」
「『フッ、面白ェ女だな……』」
髪をかき上げながらコレットはメラニーに流し目をよこす。
ただし、コレットは流し目だと思っているが実際には半目になっているだけなので結果的にただの目つきの悪い人になっている。
「でもねえ」
コレットは腕を組み難しい顔になる。
「『面白ェ女』は顔も財力もハイスペックな殿方のみに許された台詞だと思うのよ。その点、フェルナンはどちらもパッとしないから……」
「うわあ容赦ない」
「『地味で面白くない女』にはお似合いよ。それに今さら興味ないふりして無視するのも面倒なのよね。で、違う方向の『面白い女』を模索したの」
「流れが早い。あっという間に方向転換」
「ん。それで次に、予測のつかない突飛な行動をとるのはどうかしらという考えに至ったのね」
「不思議ちゃん作戦か」
「日常にひそむ驚きっていうのも『面白い』範疇なんじゃないかと思って」
「ちなみにどんな驚きをひそませるおつもりで?」
「階段で突き落としてみたり、花瓶を頭上から落としてみたり?」
「それダメなやつ! そしてなんで落としてばかり」
「そうなのよねえ。サプライズの才能がないあたりがたしかに私には面白みが足りない……」
「いやいやいやいや」
「それにこれは実行に移すと怒られそうだし」
「怒るっていうか捕まるからね?」
「もーーーー面倒くさい!」
「コレットぉ……」
メラニーは言葉に詰まった。結婚どころか婚約者もいないメラニーなので、言葉を選びあぐねている。
コレットは特に気の利いた言葉を求めていたわけでもなかったようで、そんなメラニーににこりと笑いかけると改まって背筋を伸ばした。
「というわけで」
どこかスッキリした顔つきである。ひとしきり喋って落ち着いたのか。
「フェルナン周りのことを考えるのが心底面倒になっちゃったから、これはこれからの人生を共に歩むのは困難だなと悟りまして結婚を白紙に致しました次第です」
「えっ」
えええええええええーーーー!!!!
再度庭園にメラニーの声が響き渡った。
おそらくこの後メラニーには家の者からのお説教が待っている。
「結婚を白紙にってそんなことできるの!?」
「ふふふ、結婚の成立とは何によって完了すると思うメラニー?」
「んんん? 両者の合意? だけじゃないな、事実婚は含まれるのコレット?」
「含まれません」
「じゃあ書類の提出ね! ……え、まさか」
メラニーはコレットをまじまじと見つめる。
こう見えてコレットは乗馬が得意なのである。中でも遠駆けを好み、二つ三つ街をまたいだ先へも平気で行ってしまう。
「帝都に向かって婚姻届を運んでいる伝令さんを襲って書類を取り返した……?」
べしりとメラニーの肩をコレットははたいた。
「私をなんだと思っているのよ! そんなことしたら今頃ゴシップ紙のトップを私が飾っているわよ! メラニーはそんな紙面を見たの?」
「ごめん、うちゴシップ紙はとってない……」
「あ、ごめん。答えはね」
そういってコレットはドレスの隠しポケットをごそごそしだした。思ったよりも大きなものが出てくる。紅色の染料で型染めされた羊皮紙。偽造防止のため複雑な植物文様を施されたそれは。
「忙しくて後回しにしていた婚姻届の提出をとりやめた、でしたー!」
婚姻届だった。
わざわざ広げて見せてくれたが、サインもされていれば但し書き欄も全て埋まっている。本物だ。
「婚礼って思ったよりもやることが多いのね? 私もフェルナンもそれぞれの家族たちもいっぱいいっぱいで、記入し終えた婚姻届が私の手元にたまたま残っていてもだーれも気がついていなかったの!」
ドヤ顔でくるくると巻き戻しながらコレットは言う。
「じゃあ出さなければ簡単にご破算じゃない? って」
「簡単かなあ〜」
「知ったことじゃないわ。フェルナンだってしたくもない結婚をしなくてもいいし刺激的な非日常をしばらく堪能できて満足でしょ」
「あー怒ってはいるのねコレット」
「当然でしょ。でも私が怒っているのとよそ様にご迷惑をおかけしてふんぞり返ってていいのかっていうのは別問題だから」
スッと姿勢を正すコレット。
「お忙しい中参列していただいた結婚式でしたが、かような次第で無駄になってしまいました。申し訳ありません」
深く頭を下げて謝罪され、メラニーはあたふたしてしまう。
「ぜんぜん、全然迷惑なんかじゃなかったから! お式は綺麗なコレットも見られて目に楽しかったし、テーブルのご馳走も美味しかったし私は全く!」
「ありがとう、ご馳走はフェルナンのお家の手配よ。ともあれなんとなくで結婚を決めるものじゃないわねえ。実はこの後も謝罪行脚なの」
「おつかれさま……」
「ありがとう! それじゃあ慌ただしいけどお暇するね。さっき渡した化粧箱に百貨店の商品券が入ってるから使って。じゃあまたね!」
朗らかな笑顔を残してコレットは帰っていった。
「『面白くない女』ねえ……」
コレットのあれが面白くない人の所業だというならば、世の中は収拾のつかないハイパートンチキな人だらけということになってしまいそうだ。
女学校時代からコレットはリトルトンチキではあったので、それに気づいていなかったフェルナンはコレットとの対話が圧倒的に足りなかったのであろうし、コレットはコレットでずっと猫をかぶってはいたのだと思う。
お酒にのまれなければフェルナンだって、ゆっくりとコレットの味わい深い性格を理解していき、関係も愛情も深めていけたかもしれないのに。
お酒を飲んで、未来というミルクをこぼしちゃったのか……お酒は怖いな。メラニーはため息をついた。
ところでコレットが乗って行った馬車の馭者さん、あれ、フェルナンじゃなかったかなあ。私たちがおしゃべりしている間も、従者よろしく黙ってずっと控えていたけど。
「がんばれ〜」
こぼれたミルクは戻らないけれど、また注ぐことはできるのだ。