ゴブリン狩り3
影が雨の降る森を木々の間を縫うように疾走していた。機械のように無機質な目で影は最大限の視界を確保する。視界に入った人影は相手が気づく前に喉を掻っ切り、効率だけを求めた合理的な動きで影――クルトはゴブリンを確実に仕留めていく。
「右に二匹、左に三匹、正面に五匹」
冷静に木々の隙間から一瞬見える敵影を正確に数え、脳内でシミュレーション。そうして影は音を消して暗殺を決行する。
森に入って数十分。クルトの殺したゴブリンの数は数えきれないほどに増えていた。
「正面二匹」
一切、切れ味の落ちない短剣を構え、雨音で足音を消し、背後に回ると同時に双頭を刎ねる。薄暗い雨天の森は既にクルトの独壇場だった。
視認することも難しい雨の中、近づく音もかき消され、仮に接近に気づいたとしてもほど同時に首が飛ぶ。敵が侵入していることに気が付かないままゴブリンは着々と数を減らしていく。
「何、あの影?」
正面に立っていたゴブリンを刹那のうちに処分したクルトはその奥にある巨大な動く影を発見した。巨影が動くたびに微かな揺れがクルトの足を襲う。
――あれも、危険分子。敵。僕が、倒さなきゃならない対象......
クルトは即座に屈み、数回の跳躍でその巨体の前に躍り出る。
黒く艶のある筋肉と腰に巻き付けた獣皮、醜悪な顔と体格に見合った巨大な棍棒。
キングゴブリンだとクルトは直感する。
「僕が、やるんだ」
決意を胸に短剣を強く握り、足を前後に開いた瞬間、クルトの腹をキングゴブリンの足が高速で撃ち抜いた。
一瞬の抵抗もできずにクルトは後方の木に叩きつけられる。
「ゴホッ、ゴホッ」
衝撃が背中から突き抜け、全身に行き渡る。
圧倒的な力の差は戦闘が始まる前からクルトの眼前に暗闇を灯す。
「ニンゲン、オマエカ? ワレノナカマヲコロシテマワッテイルノハ」
多少拙い、けれどもはっきりとした人語をキングゴブリンは発した。その問いかけをはっきりと聞いたクルトは歯を食いしばり、痛みに自由を失いかけている体を奮わせる。
「そうだ。だからお前も、殺す」
そう言うや否やクルトは木の影に隠れる。
数瞬遅れてキングゴブリンの棍棒がクルトの隠れた木を破砕するが、そこにクルトの姿は無い。
「ニッ!?」
隠れた場所に敵が居ない。それをキングゴブリンが理解した瞬間、クルトが背後の木陰から飛び出した。
スピードの乗った重く鋭い一撃はキングゴブリンの硬い筋肉を貫通し、内部の筋繊維を強引に引き裂く。
「ニンゲンッ!」
脚を抉られたキングゴブリンは軽くよろけながらも正面の木に隠れたクルトを見逃さない。
崩れた体勢から鍛え上げられた筋肉を酷使し、特大の叩きつけを正面の木にぶつけた。
木片が飛散し、土砂がキングゴブリンの頭に大量に降り注ぐ。
(行ける!)
大技を放ち隙だらけの背中を見てクルトは躊躇無く敵の攻撃エリアに突撃した。
制服のボタンを全て外し、服の裏側に隠された短剣を解放する。
計20本にも及ぶナイフがクルトの手によって投擲される。
「ヤハリ、ナ」
容易に人を殺す凶器が降ってくるのを感じながらキングゴブリンは棍棒を握り直した。
キングゴブリンの体が徐々に縮んでいく。
「そんなので防げるか!」
キングゴブリンの行動を最小限の被害に抑えるための行動だととったクルトは両手に握る短剣を逆手に持ち変える。
眼下に迫るキングゴブリンの黒い肌。鈍く光る小さな刃。勢いの乗った双牙が黒い肌に突き刺さる──
ゴッ!
ことは無かった。
キングゴブリンの振り回した棍棒が落下中のクルトを捉え、野球選手の打つライナーのように高速でクルトを吹き飛ばす。
「クリーン、ヒット」
グヒヒと汚い笑みを浮かべながらキングゴブリンはクルトを吹き飛ばした方──学校の方へと歩き始めた。
ガァン!という強烈な衝突音に死んだような表情をしていた生徒たちの瞳に一つの感情が浮かび上がる。皆一斉に職員室の前でぴったりと肌がくっつくほどに近づき音のなったほうへと視線を向けた。
「なんの、音だ......?」
ラーガには今の音にどうしようもなく嫌な予感がしてたまらなかった。ついっさっきまで隣にいたはずのクルトがいない。そんな非日常だからこそ余計に嫌な妄想が彼の脳内を埋め尽くす。
ラーガは居ても立ってもいられなくなり、剣を持って立ち上がった。
瞳の奥の怯えは消えていない。だが、その怯えは自分の死を恐れての怯えではない。
クルトを、仲間を失うかもしれない。そんな怯えだ。
異様に校舎が歪んだ部分。そのすぐ横に設置されている窓を殴り割り、外の光景をラーガは見る。
へこんだ校舎の中心に親友のクルトがボロボロの状態でめり込んでいた。
「お前、そこで何を――」
クルトの姿を確認し、すぐに校舎内に引き込もうとラーガは試みる。だが、それを実行するには一足遅かった。
「ニンゲン、フタリメ」
醜悪な笑みを浮かべたキングゴブリンが森の奥から姿を現した。足元に数十もの武装したゴブリンを従えたその姿はまさしく王の名を冠するにふさわしい圧を放っている。
「キング、ゴブリン......だと!? クルト、お前まさか、こんな奴と戦っていたのか!?」
ラーガはキングゴブリンに向けていた視線をクルトのいた場所へと向け直す。だが、そこにクルトの姿は無い。慌ててラーガが下を見れば、そこに血塗れのクルトが両手に短剣をもって立っていた。
「僕が、やるんだ。僕しか、今はできないんだ」
呪詛のように呟き、クルトはキングゴブリンの下へとゆっくり歩いていく。
「お前らは許さない。仲間を殺したこと、友人を傷つけたこと。お前らのしたことすべてに後悔しながらあの世に行け!」
彼我の距離が10ⅿまで詰まった時、クルトは短剣をキングゴブリンに向け、吼えた。
その言葉にざわつくゴブリンをキングゴブリンが宥め、巨大な棍棒を肩に担ぐ。
「モトハトイエバ、ニンゲンガカッテニセメテキタトイウノニ。ニンゲンハ、ワガママダナ」
呆れたとでも言いたげな表情でキングゴブリンは顔を振る。
二人ともそれ以上の会話は不要なのかそれ以降言葉を発するような空気は払拭された。
雨に濡れた冷たい風が吹き抜けていく。