えっ、異世界転移を始めたら戦闘ができるようになって彼女もできて冒険者活動も上手くいくようになるんですか!?
どうしよう……思ったより点数が悪い。
高校に入学して最初の中間テスト。中学の復習みたいな問題が多くて、正直いい点が取れたと思っていた。だけど、結果は平均68点。英語はスペルミスが結構あって、数学は忘れていたり間違えて覚えていたりした数式が多かった。
散々な結果に追い打ちをかけるように先生が口を開く。
「いいか、今回のテストで点数が悪かった人は気を付けろ。入学して数か月だが、もう受験に向けて学力の差はついてきてるぞ! これからテストはどんどん難しくなるし、苦手科目もできてくる。そうならないよう、できなかったところは家に帰ってしっかりと復習するように!」
自分のことを言われているようで気が重くなる。はあ、とため息が漏れる。正直勉強するの面倒くさいんだよな。もういいや、早く放課後にならないかな。
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待ちに待った放課後。楽しみな部活。そのはずだったのに——
「くそっ」
今日は1年生同士でちょっとした試合があった。今まで練習してきた中で結構上手くできていた自信があったのでかっこいいところを見せようと臨んだのに、いざ試合が始まると練習のようには動けなかった。
中学の頃からやっていたやつより下手なのは仕方ないと思うが、同じく高校から始めたやつより動けなかったのはショックだった。
できるやつとの差を見せつけられたようで気が重くなる。はあ、とまたため息が漏れる。
どうしよう、こんなので高校生活やっていけるんだろうか。
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足取り重い帰路を晩御飯について考えることで乗り越え、家の玄関に入る。いつもはそのまま自室に行くけど、今日は何か飲みたかったのでリビングに向かうことにした。さて冷蔵庫にいい感じのものがあったっけとカバンを階段近くに放ってリビングに入ると、食卓の上に6冊ほどの漫画が置いてあった。
「なんだこれ? 『冴えない高校生の俺でも異世界転移で最強冒険者&ハーレムに!』って……ああ、異世界ものの漫画か」
家族の誰かが買ったのだろうか。まあいいや、ちょうど何かで気を紛らわせて学校のことを忘れたかったところだ。冷蔵庫にあったオレンジジュースをコップに注ぎ、漫画を手に椅子に座る。家族はもうしばらく帰ってこないだろうしカバンは放置で良いか。
「へー、主人公は勉強も部活も上手くいかなくて学校でいじめられているのか」
読み始めると、普通の男子高校生(個人的に見た目かっこいいと思うが)の悲しい生活から始まった。自分はいじめられていないが、勉強も部活も上手くいかないのはなんだか自分を見ているような気がしてくる。
漫画のストーリーはこうだ。その主人公は突然足元が光って異世界へ行き、そこで出会ったヒロインである美少女の冒険者パーティーに加入する。パーティーメンバーに助けられながら現代知識を使って魔法を極めると迷宮を攻略し、周りから驚かれヒロインからは尊敬される。ヒロインとなんかいい感じの雰囲気を出したところで漫画は終わっていた。なお、予告によると次巻は大貴族の令嬢を助けたり竜を倒したりするらしい。原作の小説も紹介されていた。
「あーあ。いいなあ。俺も異世界に行ったらこんな風になれるのかな」
自分も学校やネットでそこそこの知識は仕入れているし、異世界でならこの主人公みたいに活躍できる気がする。漫画の主人公への羨ましさと漫画を読んだ後の謎の勢いでそのまま手を上にかざして叫ぶ。
「うおおおおお! 俺、異世界に行きたい!」
(1人でできるの?)
「大丈夫だって、異世界なら魔法が使えるし現代知識は有効だし……って誰だ!?」
(そうなんだ。なら——)
突然足元が光る。体がふわりと浮く。
嘘、これってもしかして、
「マジで!? 異世界転移!?」
驚くのもつかの間、急に視界が暗転し、そのまま気を失った。
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瞼に光を感じた。
目が覚めると、何かの布を敷物に木陰に寝かされていた。
おそらく意識を失って草原に倒れていた俺を美少女が助けてくれたのだろう。ありがたい。
近くでパンのようなにおいとガサゴソと物音がした。この音はもしかして食事の準備だろうか。
そうだ、助けてくれたのだからお礼を言うべきだろう。
美少女に助けてくれたお礼を言うべく、横になっていた体を起こして人の気配がする方へ体を向ける。
確かこういうのは最初の印象が大事だと聞いたことがある。寝ぼけた顔じゃなくてキリッとした表情で「助けていただいてありがとうございます」と丁寧にいこう。
いやいや、いきなりこれは冷静すぎるだろうか。起きていきなり状況を把握しているのは不審かもしれない。もっと戸惑った感じで「うーん……あれ? こ、ここは……?」とか言った方がいいかもしれない。いやいや考えすぎか? でも保護欲を誘うみたいな効果も——
「おう坊主!! 気が付いたか!!!! とりあえず飯でもどうだ!!!!!!!!」
「おい馬鹿、うるさ過ぎるぞ! 申し訳ございません、こいつは田舎の出で教養がないもので……」
「えっと、すみませんです。お家名はどっちでますか」
「これこら、一度にしゃべると混乱するだろ」
美少女がおっさんになった。わあ、みんな顔が厳つくて体がデカくてムキムキだあ。
俺は再び気を失った。
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再び意識を取り戻してから何とか自分を落ち着かせて話を聞いた。
俺はどうやら町の近くの草原で気を失っていたらしい。そんな俺を助けてくれたのはその街でハンターをしているというおっさん4人。どうも俺のことを貴族の子どもだと思っているようでいろいろと気を使ってくれた。
美少女でないことに思うところはあるが助けてくれたことはありがたい。聞くとハンターは凶暴な魔法を使う獣、つまり魔物を倒すことを仕事にしているという。これは漫画に出てきた冒険者に違いない。
そう考えた俺は必死におっさんたちに頼み込み、なんとか俺もその町でハンターとして働かせてもらえることになった。というかおっさんたちのパーティーに見習いとして入れてもらえることになった。
おっさんたちの顔の怖さと貴族じゃないとバレた時の怖さから貴族じゃないことを言い出せなかったけど、おっさんたちはなんか同情してめっちゃ優しくしてくれた。それはもうお前の面倒を見るのは俺たちに任せろって感じだった。
もしかしてハンターになりたいという熱意を見せたのが好印象だったのだろうか。
出会った冒険者パーティーは美少女ではなかったけど、こうして俺は冒険者としての輝かしいスタートを切ったのであった。
「ところでお前の名前は何ていうんだ?」
「太郎っていいます!」
「そうか!! よろしくな!!!!」
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そう、これは漫画の主人公のような、俺の輝かしい異世界生活。
「うーん、お前体力無いな。町まで歩いただけなんだけどな。何? 道が歩きにくい? そうか? だいぶいい道だと思うぞ。それともやっぱ王都とかの道はもっとすげーのか? ……はーそりゃすごい。まあ体力なんてな、動いてりゃそのうち付くもんさ」
「魔法ですか? 私が使えるので教えますよ。私の他に魔法が使える者がいると助かりますしね。いいですか、まずは魔力を動かす訓練を毎日……そうですね、1刻ほどやりましょう。これを3年続けてですね——え? はい、3年です。普通はこれくらいですよ。それにこの訓練はまだ入り口、そこから先が長いんですから」
「臭い? 気にしたことなかったなあ。川に行くのも面倒だし体を拭くのじゃダメなのかな。でも僕らはきれいな方だと思うんだけどな。あいつが魔法で水を出せるから頻繁に拭いてるし。そうそう、3日に一度は拭いてるよ。毎日? そこまではちょっと……やっぱり貴族は違うなあ」
「いきなり狩りに連れていくのは危ないからなあ。まずは狩りのやり方を教えていくことにしようか。罠の張り方、足跡の見つけ方、食べられる植物なんかも知っておくといいぞ。ああそうだ、歩き方も教えないとな。なあに大丈夫、大丈夫。儂らはいろいろと経験しているからな」
そう、輝かしい……
「魔物と戦うこと? ほとんどしないな。お前もハンターとして生きるなら知っておいた方がいいが、獣は強い。正面から戦わなくて済むならそれに越したことはないぞ。ハンターの中には一部、正面から戦うことを好むやつもいるにはいるが、そいつらが長生きした話は聞いたことが無いしな。」
「すごい! ここまで早く魔力の操作ができるようになる人はなかなかいませんよ。これは次を教えてもいいでしょうね。良いですか、魔法で重要なのは正確さです。種火を出す魔法も、魔力の操作を少しでも誤れば大火となって人を傷つけます。冷静に、集中して、操作を誤らないように気を付けなければいけません。この修行ですか? そうですね、普通数十年はかけますね」
「獣の解体は家畜とは違うからね、殺すだけなら放っておいてもいいけどさ。大事なのは手早く欲しいところだけを切り出すこと。まあこの辺りはまだ安全な方だからさ、気を抜くなとは言わないけどそんなに焦らなくていいよ。最初だから魔石取り出しからやってみようか。これが一番多い依頼だしね。」
「やっぱり緊張してるなあ。まあ町の外で寝るのは初めてなんだから、そんなものだよ。依頼としては多くないけど町の外で寝ないといけないこともある、しっかり経験しておくといい。そら、薪の為の枝を拾ってこようか。ついでに薪にとっておきのものも教えてやろう」
か、輝かしい……?
なんだろう、思っていたのと違う……もう、嫌だ。帰りたい。
おっさんたちがすごくよくしてくれていることは分かるしありがたいけど、本音のところ疲れるし面倒だし楽しみはないし良いことは1つもない。美少女と出会えないことはこの際もういいけど、いろいろとあまりにも大変すぎる。
漫画では何の苦労もなかった。修行をするという文字と絵だけで修行できたし、魔物を倒す描写だけで倒すことができていた。魔法だって、自分が何もしなくても主人公は魔法を使っていた。でも、現実は違う。修行をするのは自分だ。体力をつける走り込みも、魔力操作の訓練も、罠の張り方を覚えることもどれもこれも“自分が”やらないといけない。漫画で主人公がやっていたことも、いざ自分がやるのは面倒くさい。漫画みたいに「できるようになった」という描写でできるようになれば苦労はしない。
薪にする枝を拾いながらこっそり悪態をつく。
「魔法も大したものじゃなかったし……」
漫画では主人公が何の気なしに使っていた魔法もまるで違う。魔力の操作は針の穴に糸を通すようだし、魔力を消費することもだいぶ疲れる。正直ライターで火をつけた方が楽だし速いし負担もない。
いやまあ、ちょっと考えただけで火が出たり水が出たりすると危ないし多少のハードルはあってしかるべきなのかもしれないけど、もっと簡単にはできないものか。
考えればほとんどのことがそうだ。漫画では主人公が全部やってくれた。修行するのも、敵を倒すのも、長い距離を歩くのも、周りを警戒することも全部自分はしなくてよかった。主人公が現代知識を生かすシーンもそうだ。現代知識をどう生かせるかを考えるのは主人公で、自分は何も考えなくていい。というか、そもそも生かせそうな場面がやってこない。
体を清潔にするくらいは生かせるけど、複雑な計算をする場面はないし、地球の物理法則を披露する機会もない。仮にすごく強い魔法が使えたとしても竜は襲ってこないし、魔族もいるにはいるらしいけど現れないし、魔物は大群を作らない。町の危機なんてそうそう起こらない。
何より一番嫌なことは、大変で面倒なことは多いのに娯楽がとにかくないことだ。
ゲームも本も音楽もネットもスポーツも美味しい料理も何もない。昔処刑が娯楽として見物されていたと聞いたときは何て酷いと思ったが、それも今ならわかる気がする。それほどまでに娯楽が無い。普段の会話がもはや娯楽で、吟遊詩人が町に来たときは久しぶりのまともな娯楽で泣いたほどだ。
とどのつまり、異世界で成功する人はそういう苦労がもともとできる人で、異世界に行かなくても成功する気がする。異世界に行ったとしても、魔法が使えるようになったとしても自分が頑張らなければ意味がない。知識を生かすにしても、生かすために努力するのは結局自分だ。
「もう嫌だ……帰りたい」
(しょうがないなあ)
「誰だ——ってこの声は!」
突然足元が光る。体がふわりと浮く。
急に視界が暗転すると、俺はそのまま気を失った。
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目が覚めると椅子の上にいた。
異世界で伸びたひげもついた筋肉もコップに入ったオレンジジュースの量も何もかもが異世界に行く前のままだ。
「まあ、あれだ。漫画は漫画ってことだな」
こういう漫画は異世界が良いものと宣伝しているようなものなのだろう。
美味しいオレンジジュースを呷ると漫画を元の位置に戻し——元の位置どこだっけ——漫画を適当な位置に置くと、リビングを出て自室に向かう。階段近くのカバンを拾い肩にかけると、ふっと異世界に行く前の記憶が戻ってきた。
「……」
上手くいかない勉強と部活。でもまあ、あれだ。
「テスト見直しして、部活は優しそうな先輩に話してみるか」
好きな曲が聞けて面白いゲームができるならちょっと頑張ってみよう。