#3 入学式
「おかあさ〜ん!」
それは、炎渦巻く火の粉が飛び散る家の中での出来事。五歳の私は、その中で涙を流しながら叫んでいた。何故こんな事になったのであろうか?それは語ることが出来ないことである。
「お前は逃げなさい。あたしは、もう、動けないから」
そう、母は、箪笥の下敷きとなり、動ける状態ではなかった。こうなったのも、私を、倒れてくる箪笥から救おうとして逆に下敷きになった為であった。
「そんなこと出来ないよ。今これ退けるから。ちょっと我慢して!」
私は、小さい身体で、その大きな箪笥に挑んだ。しかし、箪笥はびくともしない。次第に、苦い煙が充満し、私は、ゲホゲホと咳き込み始めた。苦しい。目が霞む。
「もう良いから、お逃げなさい。ベンジャミン……」
母は、朦朧としているのか、視線がうつろで、もう私の姿をその瞳に映しているようには感じられなかった。
「嫌だ。お母さん!しっかりして!」
私は叫ぶしか出来ない、無力な子供だった。そんな時、外からの助けが現れた。
「まだ生きているぞ。早く助けろ!」
それは、近所のマキムさんの声であった。
「ベンジャミンか。良かった。お前無事だったのか。レイラは?」
そう、レイラとは母の名前である。
「お母さんが、箪笥の下敷きに。ゲホゲホ」
そう云って、私は母を助けてと縋った。しかし、天井の柱が火の勢いで崩れ落ち始め、母を助けるどころではなくなったのである。否、もう助けられない状態だった。
「もう無理だ。ベンジャミンだけでも助けて出るぞ」
マキムさんは、その奥に居る者に言付け、私を抱きかかえると、直ぐ様外へと駆け出した。
私の記憶はそこで途切れている。母は、こうして、天に召されてしまった。
気神の計らいか。それとも、黄泉の(メ)国へ先に遣わされたのか。そんなことは判らない。
だけど、もうこの現世には存在していない事だけは事実だ。
気がついた時、サンフラワーだった私の髪の色はあの炎のように真っ赤に染まり、アッシュグレイであったはずの瞳の片方が、ルビー色に変わっていた。まるで、この火災事件が、私の罪であるかのごとく。
そこで、私は目を醒ました。
気付けば、低い天井。騎士養成所の寮の二段ベッドの下で寝ているわけだ。
なんと昔の事が夢として出てきたものだ。片時も忘れる事が出来ない事なのに、それでも夢として出てきたのは、きっと、この二段ベッドの上で寝ているだろう者の名前を昨夜聴いたからであろう。
同じ名を持つ者。それなのに、自分とは全く違う性格。そして目指すものが同じ。
それが多分今の自分に大きな衝撃を与えたのではなかろうか。
もしかしたら、大きく自分を変えられるかも知れない。と云う一縷の望みがその先に見い出せるかも。と、心の何処かで感じたのかもしれない。
まだ、朝日がこの地上に昇り切らないそんな時間帯。私は騎士養成所の白くて動きやすい制服を身に纏い、先に講堂へと足を運んだ。
「もう、朝かよ〜おい!お前、起きてるか?」
もう一人のベンジャミン・フリントは朝日の光に反応して起きたは良いが、物音一つしないこの部屋に疑問を持ち、下段のベッドを見下ろした。が、そこに人影は無かった。
「あんにゃろ、勝手に行動しやがった!」
と云うのも、騎士養成所でのルールとしては、二人一組での行動を義務化されているわけだ。
それなのに、居ないと云うのはどうだろう?規則違反として罰せられるぞ!何て胡坐をかいてブツブツ云ってみる。
しかし、部屋の外の廊下から、人の出入りの物音が激しくなり、遅刻すると感じたオレは、ベッドから飛び降りて仕度をし、朝飯を食べに一階の乱雑な大衆食堂へと駆け込んだわけだ。
後で叱られても、オレは悪くないからな!の言葉を胸に抱いて。
入学式は、食後直に行われる形となった。クラスは一クラスのみの新入生で構成され
ている。クラスは三十人余り。男子も女子も関係なく、一クラスに纏められていた。
この講堂は、常に磨かれているのであろうか?気神の神体を前方に設え、常にその教えを忘れんがための気配りをされている。まあ、判らんでもないが、気神はそれを望んでいるのか?とオレは問いたくなる。
気神は太古のアイルランドの魔神で、口伝では闘神でもあり英雄とも謳われる神だ。それでも、口伝でそう云われているだけであって、実際の事など太古の事で、オレにとってはそこまで重要では無いのだが。それは、今祀っている気神の穏やかな神と云う特長と全く違うからでも有る。
それでも、この民族はそれを讃えるのが必然。だから、オレ一人の意見が通るわけが無い。判っているから、心に秘めておく。
そんな中、直後ろに、朝居なかったあの赤頭がこの講堂に足を運び坐った。
「おい、お前!何処に行ってたんだよ!勝手に動かれるとオレが困るってんだ!」
オレはなるべく声を抑えてそう云った。
「用事があった。只それだけだ」
何とやりづらい奴だろう。オレはムッとしたが、その直後、式が始まった。
式は肩が凝るほど格式だけを重んじていた。オレは途中眠くなり、思わずウトウトして
しまった。そして、ガクンと頭を垂れた時に、今回の最高成績で入学したと云われる、代表挨拶が始まった。
皆が一斉にそちらに眼を向ける時である。そんな中オレは、まだ眠りの狭間に居たが、
或る単語に反応し、席を思わず立ってしまったのである。
「新騎士養成所生代表、ベンジャミン・フリント」
自分の名前を呼ばれたからであった。
周りはざわめく。それもそうだろう、静かなこの講堂に、二人も立ち上がったのだから。
「な……」
オレは周りを見渡した。皆がこちらを見ている。いや、こちらと云うのは、オレの背後の赤頭だった。そいつは講談へと足を運び始めた。
オレは一瞬呆然としたが、横の黒髪の男が、
「おい、坐れって!」
と云ったので、ハッと我に返り慌てて席に腰を下ろした。
所々でクスクス笑い声が聴こえてきた。そりゃそうだろう。代表であるならば、先に言葉添えが騎士養成所からある筈なのだから。
それなのに、立ち上がったと云う事は、寝ていて同じ名前に反応したと取られても仕方ない。大失態だ。
オレは、耳まで熱くなり恥ずかしくて俯いていた。が、さっき坐れと云った少年が、
「ま、同じ名前なんて、そう無いからさ。気にするなよな?」
何て云っている。そいつの云う通りかも。と想えれば良いが、オレは昨夜あの『明日判る』と云った言葉が頭を駆けずり回って、イライラしてきた。初めから恥を掻かすつもりだったのかと。
でも、あいつは皮肉っぽくそう云った訳では無かった。表情が無いからそう読み取れないだけかも知れないが、悪気が有ったとはどうしても考えられない。そこまで考えて、もう一人のベンジャミン・フリントという人物が気になり始めた。この事件が多分オレ達の初めての接触となったのである。