#18 聖戦
痛い……
その感覚が、私の身に感じられた。さっきまで全く意識が無かったのに、この痛みで意識が戻った。取り込まれたはず。なのに、何故こんな事が?
私は、目を見開く。すると、暗闇にボ〜ッと浮かんでくる映像。その先には、アーイシャが血を吹き倒れているのが目に入った。
手を見る。それは、剣を持って居る私。そして、その剣は赤く血塗られていた。
この私が、アーイシャを切った?
私は、発狂しそうだった。何なのだこれは。
だけど、体の自由が利かない。意識はあるが、体を乗っ取られている。その状況に変わりは無かった。
如何すれば良いのだ?私はこの状況下、ただ、傍監視しているしか出来ない。せめて、意識どおりに身体を動かせられれば……
そんな時に、体が四つに分断された。でも、私の意識は一つ。そして、その相手は、ヤンだった。
『ヤン、私を切れ!そうすれば、この体から開放される。切ってくれ!』
そう叫びたい。だけど、言葉は口から出ない。獣神の念が私を押さえ付ける。この者を切れと……
エドは間合いを取り、槍を構えると、細かくそれを突いていた。その俊敏さは獣神を追い詰める。火山口へとズンズンと。
そして、終に剣を槍の先で封じ込める事に成功した。獣神は、何も出来ずに、そのまま火山口から下へと落ちて行った。
『熱い!』
私の体は燃える様な熱を感じた。それは、エドが、私の分身を火山口へと突き落とした知らせだった。
身を焼く痛みだったが、それでも、一人の私は死んだのだ。後は三人。目の前に居るヤンを相手に私は成す術なく考えていた。
獣神スカアハは意識を四つに分断している。もしかすると、あとの二人を消せたなら何か状況が変わるのかもしれないと。仄かなる願いを感じずにいられなかった。
ルシードは、間合いを縫って剣を避け、拳を獣神に向けて突く。それは、力の入るタイミングと、そしてリズムを上手く分けていた。
そして、上手く剣をすり抜け、それを弾くとその剣を取り上げて、獣神の胸元に突き刺した。そして、とどめとして、火山口へと放り込んだのである。
『うっ……』
また一つの私が殺された。今度はルシードだ。胸に大きな痛みを感じ。そして、焼け爛れる感覚。それは今の私の罪を洗い流してくれた。痛みなどより、今のこの状況下が私にとっての痛みである。早く私を、この状況を終わらせて欲しい……
ヤンとの対決は、未だ終わらない。私はヤンとの剣での試合で勝った試しが無いと云うのに、この獣神スカアハの思念はヤンを上回る。
これが成熟した私の力だと云うのか?私は、空恐ろしい気分になる。もし、何も知らずにラスキンハートで生活していたら……私はどうなっていただろう?力の制御が出来ていただろうか……それを考えると、途方も無く怖かった。
ミネルバは、笛を吹き大量の鼠を操り、獣神スカアハの体を食い尽くすよう命令を出していた。
それは、剣を振る獣神スカアハの動きを封じ込め、ガリガリとその体を貪った。獣神スカアハは、それから逃げようと試みたが、獣神スカアハの体を這いずる鼠は容赦ない。
今こそ美味しい食事をしなければと想っているかのような勢いで、ガリガリと食い尽くす。それは、骨になるまで続いき、その骨を、ミネルバは火山口へと放り投げてしまったのである。
「うあっ〜!」
体中が痛い。駆けずる小動物の感触と、かじり取られる肉片。それを体に感じた。痛い。痛い。痛い。
だけど、これは、全て自分の強いられた宿命。祖母の書置きを無視した自分への罰。そして、三人目の私は死んだ。後は、この私だけ。
ヤン。お願いだ。もう終わりにしてくれ……
そう想った時、口から言葉が出た。それは、獣神スカアハの力が弱まった瞬間だったのかも知れない。
「終わりにしてくれ……」
オレは、剣を切りつけながら、その言葉を聴いた。
確かにそれは、獣神の口から漏れたモノであった。瞳がユエのものに変わっていた。
「ユエなのか?」
オレは剣を止めた。ユエ?気がついたのか?少しでも良い。話が出来る状態なら、話してくれとそう願う。
「切れ……私を。今なら、制御が可能だ!」
獣神スカアハは、力をもう一度使おうとしている。そんな事はさせられない。いや、させない。
私は、云った。切れと。今なら間に合う!
「待て、切れってお前……」
オレは、意識の有るユエに剣を向ける事なんて出来ないんだ。話を……
「早く!今なら間に合う、切るんだ!そうしたら私は解放される!良いから切れ!あ……不味い……もう力が……」
獣神スカアハは、再び私を閉じ込めようとした。その力はやはり神のものだ。抗えない。だけど、今なら……気付いてくれ私が云いたい事に!
「ヤン!」
「ユエ――――――!」
オレは、ユエの云いたい事が何なのか、理解する間無く、勝手に体が動いた。
そして、獣神スカアハの頭から足に向って剣を振り下ろした。
獣神スカアハは、真っ二つに切り裂かれた。その瞬間、確かにユエの顔は笑っていた。それは、ありがとうと云いたそうな満面の微笑だった。
オレが願っていた一番のユエの微笑みを、こんな形で見るなんて想っても無かった。そう、こんな最悪な形で。それも、オレが殺す瞬間だなんて……
オレは、振り下ろした剣を、そのまま握っていられなかった。そして地面に剣がカランカランと虚しく転がった。
その剣は、真っ赤な血で汚れていた。
アーイシャが弓を放った時流したあの緑色では無い。赤い血。それは確かに人間の物であった。
「うわ〜〜〜〜〜!」
オレがユエを殺した。無抵抗なユエを!オレは地面を血が滲むまで拳で叩き付けた。
「はあはっはアハ」
罪とはこんなものなのか?ユエは、こんな物を抱えて、今まで生きてきたのか?
地面に突っ伏して、オレは笑いとも泣いているとも云えない感情で、錯乱していた。
こんな事が、聖戦であるものか!誰か……オレを助けてくれ……
心の中が腐った血で溢れている。錆付いた血の味。それが、心に焼きつく。立てない。
これから如何すれば良い。オレは、もう、生きていても意味が無い。仲間をこの手に掛けてしまった……
オレは死すべきだ。死んで、ユエに謝らないと!
護るべき者があればこその騎士。それが、もう、騎士なんて呼べない者になってしまった。オレは、只の人殺しだ!
転がっている剣を手にし、オレはそれを、胸に当てた。
「まて!ヤン!」
周りで、エドが叫んでいる。止めてくれるな。オレは……もう……
すると、視界が、変わった。七色に光る光が、辺りを取り巻いた。そして、上も下も無い空間へと飛ばされたのである。
オレは、何ごとが起きたのだと、ゆっくりと首を擡げた。すると、視線の先に、ボーっと裸体の人影が見えた。
「……誰?」
オレはまだ死んでは居ないはず。黄泉の(グ)国からのお迎えなど来るはずが無い。ならこの先に居るのは誰だ?
後ろを振り返るが、ミネルバ、エド、ルシード、リケル、アーイシャは居る。
じゃあ、一体誰なんだ?
俺は目を凝らして見た。長い髪をした、女性。シルエットだからハッキリしないが見知った者では無さそうだ。
獣神の本当の姿なのか?闘いはまだ終わってないのか?オレは、沸き立つ怒りを感じていた。ユエを犠牲にしてまでまだこの戦いは続くのか。
しかし、
「ヤン?」
その者はオレの渾名を呼んだ。オレを見知っている者。なのか……?でもこの声には聴き覚えなど無い。一体誰だと云うんだ。
光の中そのシルエットはこちらに近づいてくる。フウっとその裸体は騎士の制服を纏った。そして、目の前にたどり着いた時、オレは、涙が零れ落ちた。
「ユ……エ。なのか?」
そう、女性の姿、声をしていたが、それは、確かにユエであった。
このオレが見間違えるはずが無い。赤い髪に、オッドアイ。そして、あの時見せた微笑。それがそのままそこに有った。
「ユエ!」
オレは、オレより小柄になったユエを抱き寄せていた。そして、想いっきり泣いた。生きていた。ユエが!
それがどれほど嬉しかったか。云い表す事が困難なほど。だけど、本当に、安堵した。
そんな抱き合っているオレ達に、茶々を入れるのがミネルバである。
「ちょっと!あたしのベンジャミンに触れないでよ!あんたやっぱり、女だったのね!騙すなんて卑怯よ!」
ユエからオレを引き離した。ミネルバのやりそうなことだ。こんな対面に水を差すなどとは。
「それより、どうしてあんた生きてるのよ?死んだんじゃ無いの?」
本当は、ホッとしてるくせに、まあ、云う事は云う子だ。
『それに関しては、私から説明しましょう!』
突然、声がこの空間に広がった。そして、オレ達の足元に、これまでのアイーラの歴史の映像が流れたのである。
それは、オレ達が生まれるよりももっと以前の映像だった。
そしてオレ達は、その映像に見入った。
『元々、グリーズコートは、変化を求める種族意識を高める為に集めました。それに対し、ラスキンハートは、不変を求める種族。けれど、それを統合しようと云う計画が進められました。それが、ベンジャミン・フリント。あなた方がよく知る、このユエの誕生でした』
オレ達は、何処からとも無く聴こえて来る透き通った女性らしいこの声に耳を傾けた。
計画。と云う事は、仕組まれた事だったと云う事なのか?
「ちょっと待て!ユエはそんなん知らんようなそぶりやったで!それよりあんた誰や!」
ルシードは息巻いた。そりゃそうだろう。こんなことで、苦労したなんて考えたくも無い。
『我は、獣神。聖戦。あなた達はそれを望んだでしょう。だから、我もそれに賛同した。但し、それだけの力があるかどうか、試したのみ。ラスキンハートの神、気神は、元々、我の恋人。しかし神とて、考え方が一緒とは限らない。気神ルーグは、後は我に任せたと、勝手にこの持ち場を離れた。本当に勝手な事でした』
オレ達の神が、そんな事を云ったのかと、首を捻りたくなったが、偶像とされている神であることは確かだ。その点に関しては、何も云えない。
『そして、グリーズコートは結界を張り、先ず、この地を封鎖した。それは、我等の進化していく様を見せるつもりが無かったからです。ラスキンハートは、此処よりも遙かに文明が遅れている。それは、変化を求める心が少なかったかなのです。それとは相反するグリーズコートは、進化を遂げた。魔法。それは、この地を活性化させた』
確かに、魔法は凄いと想う。
このグリーズコートに来てからの世界観は、ラスキンハートとはまるで異なり、変化に富んでいた。それは認めよう。
だけど、それが世界を支えると云う考え方は間違っているとオレは想う。
『魔法が、嫌いなのですか?それでも良いでしょう。ですが、この地アイーラは、元々魔法を使う土地だった。それは心して置いて下さい』
オレの考えを読んだのだろう。神には筒抜けだ。オレは苦笑いをした。
「話は変わりますが、この後、アイーラを、如何するおつもりなのですか?」
アーイシャは問いかけた。この光で、アーイシャの傷口が見る見る癒えて行ったかのようだった。
『この地、グリーズコートをラスキンハートにも譲る事にします。結界を解いて。その事により、何が起こるか?この我にも判らない。我も、この地を離れ、気神と同じ、他の地へと移ろうと想う。此処に長く居すぎた為に、我も老いた。少し休みたい』
それは、もう魔法が使えないと云う事なのか?だから、さっき、心して置けと云ったのであろうか。なら、このアイーラは、どうなるのだろう?
『これから先の事は、お前達の手に掛かっている。そう、聖戦は果たされた。そして、グリーズコートとラスキンハートの間の子供も居る』
まるで時が熟したかの様なことを云う。
「で、なんで、ユエは女なのさ!可笑しいじゃん!」
ここで、また怒っているのはミネルバだった。そんな事で怒らなくても良いと想うが……
『グリーズコートの子供は、変化に富んでいてな。生まれてから十五歳になると、性別が逆転する。そう云うことなのだ。だが、混血であったユエは、まだ成熟仕切れて居なかった。それを促進したのが、我と接触した事。それだけだ。さて、我は疲れた。休むとしよう……』
そう言った獣神は、もう何を問い掛けても返事は無かった。
後の事は、全てオレ達に託したと云う事なのだろう。
そしてオレ達は、再び塔のあの踊り場に戻された。有ったはずのあのルーンはもう無い。この先にあるのは、只の階段であった。