#16 ルーン
塔は、ルーン文字を意味するように、壁面にルーンを描いていた。
それが、円を描いた螺旋状の階段を作るかのように、ほんのり碧くなっている結界が張られた空の天辺に届くかの勢いで聳えていた。
「これが、塔。これを如何すれば良い。上るれと云う事なのであろうか」
私は、この先の事までは判らない。それに、此処には、グリーズコートの人間が一人も存在しないのである。拍子抜けと云うのもあるが、それでも闘わなくて済むのは良いことだろう。
「この階段は、天まで続いているのでしょうか。上らなければ判りませんが、上ってみますか?もしかすると、罠かもしれませんが……」
アーイシャもこれに関しては、全くお手上げと云いたげである。だから、この先に行くべきかどうか。それを皆に問いかけたのだろう。
「そやなぁ〜此処にずっとおっても意味無いし、少し休んでから、上らんか?この先に何があろうと、儂は問題ないわ」
ルシードは、自らの力を過信しているのか、上ろうと提案した。
「……確かに此処は、人っ子一人、いないね。休む事は僕も賛成!」
双子のエドも考えは同じのようだ。
「どっちでも良いわよ。上るの上らないのは!とにかく休ませて〜あたしもう、頭クラクラ〜」
これは、ミネルバの勝手な意見だったが、休みたいと云うのは一致しているようだ。
「ミネルバ、疲れたんだね。お疲れさん。ボクも、休みたいな。とにかく……その後考えても良いと想うけど?」
リケルは、口実をつけつつも、休む事に賛成した。そして、
「ユエ。この先の事は、お前にも判らないと云うんだよな。う〜ん……じゃあ、皆の意見で此処は休む事にしよう。オレも一休みしたい。その後考えよう」
多数決を採る事もなく、意見は一致した。そして私達は、塔から少し離れた大きな樫
の木の下まで移動した。それは休むには、この場所が良いだろうという意見を取り入れたためである。
「ユエ……お前、他に何か知っている事は無いか?グリーズコートの事で……此処がどういう場所なのか?とか……」
一休みする前に、ヤンは私に問いかけた。それは、この先の事も考えての事だろう。でも私が知っていることと云えば、このグリーズコートの塔が、中枢部と云う事だけである。
否、何かあった気がする?何だ。グリーズコート。それに纏わる何か……それが有った気がする。それは、ラスキンハートとは違う何かだった筈。
「あ〜こういう時、神様でも居て導いてくれたら良いのにな〜そしたら、この先の事が判るのに〜!」
困った時の神頼み。そう云いたいらしい。私だってそうしたい気分だ。
神……?そうだ、神だ。
「ヤン。想い出した。何故この事に気がつかなかったんだ、私は……この塔には、神が居るのだ」
私は、慌ててしまったので、ヤンには判らない云い回しをしてしまった。
「あん?神がいる?それって何云ってるのか判らないぞ、ユエ……」
確かに判らないだろう。ラスキンハートで育った者ならば。特にヤンは、神の存在を支持しない派だ。
「つまり、神の存在自体、このグリーズコートには有ると云う事だ。ラスキンハートは、偶像として扱っているが、グリーズコートは、神を絶対的に信じている。そこが先ず違う点。
そして、その神は、実在する。獣神は、この塔の上に!」
此処まで云って、私は、絶望した。それは、闘う事すら出来ないモノだからだ。闘えないというのは、存在を否定する意味では無い。力が違うと云いたいのである。
「うむむ?お前は、この塔の上まで上ると、グリーズコートの連中が崇拝している神が居るとそう云うのか?まさか……もし居ても、オレ達の手に負えないじゃないか。相手は神だぞ?」
そうなのだ。なら、如何すれば良い?神の存在を消す。それが出来ないなら、消してしまえる物。それは、この塔自体では無いのか。
でも、それは、壊して良い物であろうか?そう、私達のしなければならない事。それは一体……
「塔を壊す……」
その話に耳を傾けていた者がいた。それは、アーイシャであった。
隣近所で、男女を問わず横になっているから、私達の声で目を醒ましたのかも知れない。
「アーイシャ、目が醒めたのか?」
ヤンは、済まないと云いた気にアーイシャを見ていた。それより、もっと気にする事があるだろう。私は云いたかったが止めて置いた。
「それは良い。気にしなくても……それより、
話を続けなければならない。ユエさんの云う事が本当であれば、此処を破壊すると云う事が先決ではないだろうか?わたくしはそう想うのですが」
それは考えた。私も。
でもそれが可能なのか?疑問である。只でさえ、この塔は魔法文字を刻んで護られている。それが出来るのであろうかと云うことだ。
「破壊するのは、ルシードにやらせれば良いじゃないか。無理だとは思えないが……」
ヤン。それは安易過ぎる。魔法に対して、素手で対抗できるとは限らない。特にこの塔は、かなり強烈な魔法を感じる。
「ユエさん。この塔を壊すことは出来ますか?」
アーイシャも、そこを危惧しているようだった。だから私は云った。
「これだけのルーン文字を多用していると云うことは、それだけ強い魔法がこの塔を護っていると考えられる。それに、素手でと云うにはかなり難易ではないだろうか」
そうだ。だから私はそう云った。
「フム。ならば、やはり魔法には魔法と云うことになりますね」
此処で、またあの竪琴を使おうというのであろうか?私は、それは余りにお粗末だと想った。力が違い過ぎるからである。
「ユエさん。魔法は使えますか?」
それは、私に魔法を使えと云うのか。それは、祖母より禁じられている。あの手紙から私はそう学んだ。
「使えるが、使う訳にはいかない。亡き祖母からの命だ」
そう、だから私はそう云った。
「フム……」
そこでアーイシャは考え込んだ。
「ユエ。何かお婆さんからの書き置きがあったのか?それなら、使わない方が良い。他に何か手を考えよう!」
ヤンは、私とアーイシャの話を聴きそして、納得したようである。が、アーイシャは、その話に未だ納得し切れていないようだった。
「私は剣を振るのみ。それ以外出来ない。攻撃するための魔法は、私自身を破滅へと追い込みます。闇。負の力が注ぎ込まれる事になると……」
その言葉が、アーイシャに興味を持たせてしまった。
「でも、世界は変わるのでしょう?何が起こるか、それは判らない。でも、禁じられているモノを紐解く事は或る意味、真理に近づく」
そう云いかけている所で、ヤンが、
「アーイシャ!ユエに危険が及ぶ事はさせたくない!例え、アーイシャの命でも、オレは賛成できん!」
猛反発をした。それは、仲間として云っている言葉だ。でも、アーイシャの興味はそのままである。彼女の探究心は底が無いようだ。
「では、魔法を使うのではなく、ユエさん。貴方があの竪琴を弾くのです。それくらいは大丈夫なのではないでしょうか」
竪琴を弾く。それくらいなら大丈夫ではなかろうかと云いたげだった。でも、あの竪琴自体にルーン文字は刻まれている。私は迷った。
「ユエ……どうだ?それは大丈夫なものなのか?俺には判断しかねる」
ヤンは心配げだった。それは、魔法を知らない者の言葉だった。
「判りました。では、この休息の後、試してみましょう」
私は、軽くそう応えた。それが、私と云う存在を変える。そうなるとも知らずに……
オレは、休息しているにもかかわらず、眠りに就けなかった。それは、ユエの事が気になったからである。
本当に大丈夫なのか?
アーイシャは、今回間違った選択をユエに突きつけてしまったのではないだろうか。それが気になって仕方がない。でも、きっと、ユエはあの竪琴を弾くだろう。そう考えると、真っ暗闇のこのグリーズコートが恐ろしい物に感じられた。
ルーン文字を刻んだ塔。それは、この大木の奥で赤く光り輝いている。それが、また業火の炎のように感じられた。
あの夜のように。
オレ達は、あの日両親から離れ、逃げおおせた。でも、その途中振り返った先には、燃え盛る炎のタナーシャの村が見えた。
そして、オレ達はそれを恐れ憎み、復讐の誓いを立てた。そして、今この場所に居る。
だから、仲間と云う者への信頼は厚い。だけど、今回は……
そんな事が頭を駆けずり回る。そして、結局一睡も出来ずにオレは、仲間達の目覚めを待ったのである。
「エド、その竪琴を貸しなさい」
皆が起き準備が出来た。アーイシャは、エドから、竪琴を預かる。オレは、その行動を目で追うしか出来なかった。
竪琴の話。ユエの話。昨日の話。それらを纏めてアーイシャは語った。そして、その事を皆了解し、この試しの儀式は始まったのである。
「はい。ユエさん。では弾いてみて下さい」
そして終に、ユエの手にその竪琴は委ねられた。それをオレは、ただ傍観視するしかなかった。
ユエはそれを取り上げて、一呼吸置くと、弦を鳴らした。それは、綺麗な戦慄を描き響き渡った。
そして、塔のルーン文字と共鳴したのである。赤く光っているルーン文字は、次第に蒼色に下から順に変化して行った。それをオレ達は眺めた。
そして、それがオレ達の目で追えないほど上空までたどり着いた時、異変が起きたのである。
上空から、赤い稲妻がズドンと、ユエ目掛けて落ちたのであった。それは、音だけでなく、周りの木々をも揺るがした。そして、声が聴こえて来たのである。
『汝、太古の契約により、我が身と同化すべし。我が名は獣心。我が眠りを妨げた愚か者よ。その報い、今、我が身の代償として贖え!』
その光は、ユエを取り込むと、ス〜ッと、赤い炎と化して上空へと連れ去ろうとした。
「ヤン……」
ユエが、オレを呼んだ。だからオレはそれを止めようと、手を差し伸べた。しかし、炎は本物。熱くてユエが助けを求めて差し出したその腕を取る事は出来なかった。そう、心配していた事が、現実となってしまった。
「ユエ―――――!」
オレは叫んだが、ドンドンと天空に昇って行くユエをオレは止めることは出来ない。そして、終にユエの姿は消え、落ちてきたのは竪琴のみ。また、辺りは、赤いルーン文字の光のみを残した。
オレは立ち上がることすら出来ず、地面に膝を着き見上げたまま放心状態になる。皆はその様子を呆然と見ていた。
どれだけ時間が過ぎたであろう。オレの肩に手が置かれるまで、この状態は続いた。
「ヤン……これから如何しますか?」
如何する?その言葉は、アーイシャのものだった。
「!」
オレは、考える前に、アーイシャの頬を平手で叩いてしまっていた。
「ちょっ……待てや!落ち着けヤン!」
それを止めたのは、ルシードであった。ここで仲間割れをしてるより、先を考えろと云いたいのだろう。だけど、今の自分は考える事などできない。ユエがいないこの状況で、何を考えろと?オレの不始末だ。アーイシャの考えを押し通してしまったばかりに、ユエが……
「何を落ち着けと?仲間が、ユエがあんな事になって、落ち着けられるのか?」
オレは空笑いしてしまった。頭が空白だ。
「ベンジャミン!しっかりしてよ。未だ何とかなるかも知れない。ね。アーイシャ?」
ミネルバも流石にこの状況では、ユエの事が心配なのであろう。自分の意見より、如何するかを考えたいとそう云っている。
判っている。だけど、今のオレには何も考えられないんだ。身体に重く圧し掛かる重圧。それは、自分が犯した不始末であり、罪である。
「ミネルバの云うとおりですよ。ヤン。未だ手は有ります」
叩かれた頬をそのままに、アーイシャは次を考えているらしい。冷静な所が、余計苛立たせる。今の自分を抑えられずに怒りが沸々滾る。
「何が有るって云うんだ……アーイシャ……相手は、神なのだぞ……」
オレは、自棄になっていた。手などないだろう。
「ヤン。気持ちは判るけど、アーイシャに任せようぜ……」
エドは、竪琴を貸してしまった事に重荷を背負っている分、少し躊躇いがちに云った。
「そうですよ。考えましょう。リーダーでしょう?ヤンは!」
リケルも、気持ちを切り替えている。変えられないのは、オレだけなのかも知れない。
「聴きなさい。これは聖戦。神であろうとなかろうと、命を懸けてそれを全うするのが、わたくし達の目的になったはずです。ヤンが、この状態のままであるなら、わたくしが皆のリーダーとなります。それで良いのですか」
静かに、アーイシャは仕切ろうとした。
「いや、オレがリーダーだ。これ以上犠牲を増やす手伝いなどしたくない!」
オレは、今はこんなことしか云えなかった。
「では、ユエを助けに行くのですね?」
助ける?ユエは生きていると?
「同化したということです。なら、未だユエの精神は、獣心の中にあるという事になります」
アーイシャは淡々と云った。いつでも客観視しているアーイシャは、この先の事をもう考えていた。オレは、それを聴き、未だ何とかなる可能性に、ゆっくり立ち上がった。
「アーイシャ。この後は如何すれば良い……」
オレは声を抑えて問うた。此処から先は、死をも齎すことに成るかもしれない。
「この塔を上って、獣神を討ちに行きます。異存のある者は?」
このアーイシャの問いかけに、反対の意見は出なかった。
「リーダーのヤン。後は貴方の想うように」
オレは、これ以上犠牲は出したくないと想っていても、やはり闘う事しか出来ない事が骨身に沁みた。それが、オレ達のやるべきことなのだと……改めて悟ったのである。
「これから、ユエの奪還と、聖戦の狼煙を上げる。着いて来たい者だけで良い。オレはこの塔を上る。その先に何があろうとも、オレは保障できない。生きて還る事が出来る者だけ、オレに続け。以上だ!」
オレはそう云うと、塔の階段へと向かい、そして一歩その階段に踏み入れる。それは、
これから先の苦難への一歩だった。