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8/13

小針

 この日、初夏の陽射は、真夏、と言っても差支えないほど、強くなった。陽射しの中を、十分でも歩こうものなら、額には、拭っても湧き出す汗の玉が生じる。

 火を使う屋台の主人などは、気温とも相まって、熱気で、とめどない汗を流している。

 藤井圭吾の戸惑いは、しかし、暑気に因るものでは無かった。

 ――いったい、どうしちゃったっての!? なんでこんなにお客さんが?

 戸惑いは、それであった。

 この頃、一向に客の来ない寿司屋台をたたんで、何か他のいい商売がないか、本気で考えていた矢先の事である。

 椿事(ちんじ)出来(しゅったい)と言っても過ぎることは無い。

 今日も大した稼ぎにはならないだろうな、と半ば諦めつつ、屋台を開いたところ、若い女を中心に、続々と、注文が入ったのであった。これは、昨日、颯爽たるシャノン・ブランドフォードの華麗な姿を目撃して、見惚れていた女たちであった。

 開いてから、ものの二時間で、完売した。

 忙殺時が過ぎて、仕舞いの気力も湧かぬまま、圭吾は床几に座って、茫然としていた。

「今日なら頼めるかな?」

 そこへ、にこにこ顔で声を掛けたのは、昨日、注文を断られた、大垣源十郎であった。

「すいません。なんでか知らないんですけど、今日はもう、全部売り切れで……」

 心から、申し訳無い気持ちで圭吾が言うと、源十郎の嘆きは、深かった。

「昨日ならず今日までも……いや、売り切れならば、仕方が無い……」

 天を仰いだ源十郎であった。

「お好みを仰って下されば、明日、お客さんの分は、取って置きますけど?」

 圭吾の申し出に、うって変わって、源十郎の表情が、ぱぁっと、明るいものになった。

「まことか!? それは嬉しい! 地獄で仏に会うとは、この事だな!」

「そんな大袈裟な」

 圭吾は苦笑したが、やはり、そこは板前、素直に嬉しく思った。


 コゼットの家から目と鼻の先にある川べりの、大石に、黒羽二重の痩身は腰掛け、川面を、虚無の双眸に映していた。左脇に刀を置き、右脇には、釣竿を立て掛けていたが、魚籠には、魚一匹入っていない。

 全くの、虚脱状態であった。事実、今、この男の胸の裡に、(うか)び上がるものがあるとすれば、それは、無、であった。

 もし、討とうとする者があるとすれば、その目的は、易々と、達成出来るかに見える。

 だが――。

 完全なる無意識の中にあって、しかし、僅かでも、神経に触れる何かがあれば、即座に、それに備える事の出来る四肢と頭脳を、この死神心剣という男は、具備しているのであった。

 その証拠に、遠く、背後に、近付いてくる人の気配を、心剣はすでに悟っていた。もとより、首も回さぬ。

 跫音(あしおと)に、一流武芸者独特の、隙の無い歩き方を、感じ取ってなお、心剣の座姿は、なんらの変化も見せなかった。

「釣果は、いかがでござる?」

 三尺の間を置いて、心剣の右隣に立った、大垣源十郎は、答えも待たず、魚籠を覗き込んだ。

「ふーむ。芳しくない様でござるなぁ」

「針に付ける餌を、何にするかと思案しているうちに、面倒になって、なにも付けずに糸を垂らしている、という次第だ」

 きらきらと、陽光を煌めかせる川面を、凝眸(みつ)めたまま、心剣はそう答えた。

「ははあ、成程、かからぬ訳だ」

「もっとも、偶にしてかかることもある」

「貴公は、その偶然を待っておられるのかな?」

「待った甲斐があった、と言える。魚の代わりに――」

 と、心剣は、ようやく、源十郎を見遣った。

「あんたという敵が釣れた」

 冷笑を()く心剣に、源十郎も、相好を崩したものであった。

「はははっ。ここで、死神氏の姿を見つけた時から、もしや、とは考えており申したが、不死身の男とは、やはり、貴公の事でござったか」

「わたしは別に、死んだことが無いだけで、不死身と言う訳では無かろう」

 言って、刀を掴んで立ち上がるや、源十郎に背を向けて、静かな足取りを見せた。源十郎からおよそ一間を離れて、心剣は振り向いた。刀は、すでに腰に帯びている。心剣の左親指は、刀の鍔に架かっていた。

「……」

 心剣と、おのれのあいだに生れた距離に、その意味を汲み取ったか、源十郎の顔付きが引き締まった。

 この距離は、互いに差料を抜き合わせて、(しお)()いを極めるに必要充分の距離であった。

「待たれい、死神氏――」

 源十郎は、一歩を退った。源十郎に、闘う意思が無いことの表れであった。

「折角、敵同士となったのだ。それに、立ち合いは、そちらの所望でもあったはずだが?」

 心剣は皮肉を飛ばした。

「左様。貴公とは、立ち合うてみとうござる。ござるが、もしここで立ち合えば、貴公か拙者か、どちらかが、幽明(ゆうめい)(さかい)を異に致す事と相成ろうと存ずる」

「腰の二刀は、結論その為の物だと、こちらは昨日、そちらの口から聞いている」

「はは……やられ申した。その(でん)でゆけば、死神氏、本日は、拙者を斬りたい――、そう思われておいでか?」

 源十郎の問いに、心剣は、すぐには、答えられなかった。ついさっきまで、その心算(つもり)ではあった。だが、言われて、何故か、その気が急速に失せたのであった。(あるい)は、源十郎と自身を比べて、劣等の意識が働いた、と言えるかも知れなかった。

 心剣が人を斬るのは、自分がどこかで無残な野垂れ死にをするのを、期待しての事であった。その為に、自ら死地に挑みつつも、より壮絶な、おのれに相応(ふさわ)しい、更なる死地を求めて、自らの身を守る、という、この矛盾があった。殺人の業念を、背負えば背負うほど、最終的な自分の末路が、(むご)たらしいものになるだろう予感と期待があった。

 心剣の思う所、しかるに大垣源十郎この男に、その矛盾は無い。この男の殺人は、止むに止まれての事に限られていよう。であるならば、この男に、無為の殺人の衝動など、起こりようべくもない筈なのだ。

 ()わば、本能と理性の衝突であった。この両者の対峙に、()じるべきは当然、心剣であった。

「訪問の理由を、訊くことにしよう」

 心剣は、左手を、刀から外した。源十郎がホッとしたように、一つ大きく頷いてから、もう一度、今度は軽く頷いた。

「一つは、あの家の者を、拙者のあるじが引見したく。もう一つは、……死神氏、仕官をする気はござらんか」

「仕官?」

「左様。イザベル様――拙者の御主(おしゅう)様でござるが、貴公の事が御気に召されたようなのだ」

「わたしにあるじ持ちとなれ、と申されるのか」

「拙者はこの二つの儀を仰せつかった」

 冷たい視線を、源十郎に呉れて、心剣は静かに答えた。

「止して貰おうか。わたしは誰かに使われるなど、真っ平御免だ」

「イザベル様は、あるじと仰ぐには、申し分の無い御方でござる」

 心剣の冷眼を受けてなお、源十郎はにことしていた。

「しつこい。断った筈だ。誰に仕える気も無い。ましてや、女になど」

「何度でも、お願いいたす。あるじのお心に叶うよう努力するのが、家臣の務めでござるからな。これに関しては()げて頂きたい」

 ここで、源十郎が、明るい笑顔を見せて、

「と、申し上げておけば、貴公が(つい)にがえんじずとも、拙者の家臣としての名分が立ち申すな」

 本心をあっさりと吐いた。心剣が勧誘に応じないことは、解っていたものであろう。

向後(こうご)も、形だけは誘わせて頂く。貴公にはご面倒でも、その度にお断り下され」

「面倒事が、わたしが最も(にく)むところなのだが……」

 言いつつも、心剣は苦笑していた。いつか、それもそう遠くない内に、お互い(いず)れかが(たお)れる……この予感がありつつも、その(とき)までは、そんな、茶番めいたやり取りを続けるのも悪くない、という思いが、心剣の胸を(かす)めたのであった。

「さて……」

 源十郎が首を回し、コゼットとジャンの家を見た。

「あの家の者に会うに、貴公の諒解が必要でござろうか」

 皮肉めいていたが、不思議と、腹は立たぬ。

「あんたには残念だが、必要だ」

「左様か。して、如何かな?」

「断る」

 源十郎が、すっかり打ち解けたような顔で、拒絶の理由を問うた。心剣は答える。

「あんたのあるじの魂胆がわからぬ。それに、あの家の者も、あんたのあるじに会いたくないと来ている」

「イザベル様の御心が奈辺にあるか、それは拙者にも解らぬ」

「ふん――。それでいて、股肱(ここう)づらか」

「ははは……。面目次第もござらん」

 心剣は静かに、竿と魚籠を、左手(ゆんで)に拾い上げた。

「魂胆が穏便なものであるのなら、考えぬでもないが」

「まことでござるか?」

 源十郎が嬉しそうな声を上げた。

「が、あるじがあんたに聞かせるものは、多分に、偽りであろう。心意を汲むのも、家臣の仕事だろう。――言っておく。あの家の者が欲しければ、どんな手を使っても、わたしから奪う事だ。こちらは、いつ襲われても、一向に構わぬ」

 言い放って、心剣は、源十郎に背を向け、離れて行った。

源十郎は取り残されるに任せるまま、心剣の後ろ姿を眺めていたが、家に入るのを見届けておいて、無言の溜息と共に、小さく、頭を振ったものであった。


「ほほほ、小面(こつら)憎き事を――」

 源十郎から、一切の報告を聞いているあいだ、イザベル・カペーは何も言わなかったが、最後に、そう笑った。

「イザベル様、お心の内を、そろそろ、拝聴させて頂きたく存じます」

 ややの逡巡が、源十郎に在ったが、心剣の言うように、これは、聞かせて貰わなければ、どうしようもなかった。

 イザベルは、天が、特別に配慮吟味したかと思われる、完璧な美貌を、持ち合わせている。その切れ長の瞳が、わずかに細められ、朱唇は、緩やかに口角を上げた。

「よかろ。ふふ、偽りなど聞かせぬぞえ。――そもじを遣わせた家の者、他でも無い。魔法使いじゃ」

 源十郎は、疑問を覚えた。魔法使いの存在は、知っていた。そもそも、彼の目の前に居る絶世の美女も、魔法を使う。そしてどこの貴族でも、大抵数人は家来として養っているし、市井に出れば、その魔法の力が、仕事に役立つ。それなのに、今日訪ねて行った魔法使いの住まいは、見るからに、貧しいものであった。

「それも、ただの魔法使いでは無いぞえ。回復の魔法を()くするのじゃ」

「回復の魔法……」

 魔法を、自分にも出来ぬかと、一時期調べたことのある、源十郎であった。残念ながら、おのれに魔力が備わっていないのが分かって、諦めたが、おかげで、魔法について無学では無かった。

「成程、確かに珍しゅうございますが、その者を呼び寄せて、なんとあそばすのでしょう」

「分からぬかえ?」

「一向に――」

「回復魔法でわらわの美しさを、保持するのじゃ」

 イザベルは、さも当然として、言ってのけた。これには、源十郎も、肚裡(とり)で大きく呆れるばかりであった。

「なにせ、回復の魔法じゃ。わらわの望みもきっと、為し得ようて。人を回復するのに比べれば、わらわの若さを保つぐらい、簡単であろう」

 イザベルはうっとりとした表情であった。それを、内心の呆れなどおくびにも出さず、源十郎は見守った。

 ――ふーむ……微笑ましくも女性らしい、罪な御望みではあられるが、果たして、死神氏がこれを聞いて、どう思われるか……。いやはや。

「それにしても、死神心剣と申したかえな、その邪魔者は」

 微笑を佩びたまま、イザベルが呟くように言った。

「そもじは、どう思うな? そ奴、わらわの家来にいつかは、なると思うかえ」

「おそらくは、なりますまいか、と」

「じゃとすれば、やはり、邪魔でしかないの」

「畏れながら、イザベル様のお心をお話しすれば、魔法使いだけでも――」

「源十郎」

 イザベルに遮られて、仕方なく、源十郎は口をつぐんだ。さらに、イザベルの顔に、何やら不穏めいた気色を感じては、彼女が何を言うか、源十郎は待たねばならなかった。

「そ奴の言葉通りにしてやろうではないか」

「お戯れを……」

「戯れでは無いわえ。いつ襲っても構わぬと、そ奴は申したのであろ? ならば、襲ってやろうではないかえなぁ」

 源十郎に、薄く微笑んでのち、イザベルは、執事を呼んだ。


 心剣の前に、シャノン・ブランドフォードが姿を見せたのは、夕暮れがさし迫る時分の事であった。

「差し入れを持って来ました。圭吾さんの料理と、心剣さんに頼まれていた、お酒です」

 今、コゼットの家には、この二人だけの姿のみがあった。コゼットとジャンは、万が一の事を考えて、昨晩のうちに、ブランドフォード家の屋敷に身を隠していた。シャノンの存在を、向こうは知らぬから、というコルネリウス・スピレイン老人の考えによるものであった。

 心剣は、料理には手を付けず、酒だけを舐め始めた。一向に、料理には手を伸ばそうとしない心剣を、シャノンが心配した。

「酔うのでは」

「その為に、呑んでいる」

 シャノンは困惑するほか無かった。酒は、心剣の希望した、かなり度の強い、蒸留酒であった。

 やがて、かなりの時間を、二人は、会話少なく、過ごした。この頃になって、ようやく、心剣は料理を食らっていた。

「ジャンは……戸惑ったろうな」

 蒸留酒一本を空けたにもかかわらず、微かに()(くん)(まと)わすだけの心剣が、ふと、独語のように、その言葉を漏らした。

「ええ。何せ、朝起きたら、わたしの屋敷でしたから」

「何も知らぬ子供が、俺たち大人の勝手な都合に振り回される、か。大人と子供、権力者とそうで無い百姓町民――人間が、世の中の仕組みを作っている限り、割を食うのは、比べた時に、どうしても勝てぬ者と、相成るようだ」

 この言葉を聞いて、シャノンは、何故となく、心剣の胸の(うち)にあるものが、零れたと思えた。と、同時に、死神心剣と明らかな変名を使うこの男を、好ましく思えたものであった。

 そしてまた、二人は、敵の襲撃が有るか無いか、判らぬ夜を、過ごそうというものであった。


 日中は、あれほど暑くなったにもかかわらず、今は涼しい。新月の深更、雲が星々の煌めきさえをも遮り、普通人ならば、明かりが無ければ、どうしたものか、と立ち往生するしか無い、夜の闇の中。

 そんな闇の中の中にあって、大垣源十郎は確かな足取りを見せつつ、しかし、ずうっと、苦い顔で、歩いていた。

 ――執事の望むように、果たして上手くゆくか……。

 それと言うのも、源十郎の後から、一人の男が、付いて来ているのであった。源十郎は、この男を、案内(あない)しているかたちであった。

 男の名は、サリバンといった。三十代。半年ほど前、おのが腕前を、イザベルに売り込んできた、剣士であった。言ってみれば、食客であり、用心棒であった。

 確かに、能力は、源十郎をして、唸らせるものは持っている。サリバンと、仮に立ち合ってみたとして、もし、勝負が長引けば、確実に自分が負ける事を、源十郎は理解している。

 サリバンは、魔法をも、使うのである。それも、得意とするのは、相手の躰を動けなくする、という、高等に属する魔法である。一対一の戦いに於いては、無敵と言っても過ぎる事のない魔法であった。

 源十郎は、サリバンを快くは思っていなかった。むしろ、この男を見ると、胸糞が悪くなるのであった。

 サリバンの性根が、腐っているからである。

 この男が、能力を揮う目的は、ひたすらに自己の欲望の為であった。全ては、相手の恐怖に歪む顔を見、命乞いの言葉や、落命の悲鳴を聞かんが為であった。そして、それは、敵だけに留まらなかった。

 半年前、イザベル懇意の商人が、十五六の娘を伴っていたが、サリバンは二人を剣で脅しつけ、拉致し、父親の目の前で、娘を犯した。父親の必死の懇願と、娘の悲鳴を聞きながら、である。娘は、のち、間もなく、自殺した。

 娘の自殺の原因が、どうも、サリバンにあるらしい、という噂が立って、源十郎が問い詰めてみると、あっさりと落花の狼藉を認めたうえで、

「ばかな娘だな。ま、男を知るのは女の幸せと言う。その娘、俺という男を知ったのだから、幸せに死んでいったろうよ」

 平然として、笑った。

 家中の為にも斬らずんばならじ! と、(ほぞ)を固めて、事の次第を源十郎がイザベルに言上しても、彼女は渋った。それを知ったサリバンの行いは、愈々(いよいよ)、不埒なものになっていった。

 そして、今回、心剣を襲撃するに、誰が良いかと、イザベルに訊ねられた執事は、サリバンを推したのであった。

 左様、屋敷を取り仕切る執事にしてみても、この頃のサリバンを持て余していたのである。

 サリバンが、死神心剣の手に(かか)れば、体よく厄介払いの形。勝てば、源十郎が隙を突いて、斬り、相討ち、と言う事にする。まさしく、サリバンを選んだ執事の意図は、ここにあった。

「おい、まだか」

 サリバンが、前を歩く源十郎に、弾んだ声で訊ねた。魔法が使える限り、おのれが負けるなどとは、微塵も考えておらぬ男である。普通、こちらの剣士は、不意の戦闘で無い限り、革鎧などを身に着けるものが、必要無いとばかりに、平常の服装であった。

「ここら辺りだ」

 源十郎は、答えておいて、持って来ていた松明に、火を灯した。

「あの家だ」

 と、遠く、夜に滲む家を、指差した。サリバンの目の底が光ったのは、松明の明かりに照らされた為だけでは、なかったろう――。


 部屋は、一本の蝋燭により、(ぼの)(じろ)んでいた。心剣は壁に寄り掛かったまま、(ひとみ)を閉じていたが、静かに、大刀を左手で引き寄せた。シャノンも、窓の外に、目をやっていた為、近付く松明の明かりには、すぐに、気が付いた。

 心剣は、立ち上がり、窓を開け、そこに立って待った。

 やがて、源十郎とサリバンが、窓の向こうに立った。

「夜分に、失礼いたす。昼の、死神氏のお言葉に、早速ながら、刺客を連れて来申した。お立ち合いられたい」

 源十郎はサリバンから二歩近づいて、ぬけぬけと言ったが、その(かお)には、緊張が走っていた。

「あんたが刺客では無いのか」

 心剣は、サリバンに一瞥を呉れただけであった。

「拙者は、この通り――」

 右手で、大刀の鞘を掴み、源十郎は鍔元を、松明の明かりに照らした。鍔元は、細い革紐で縛られていた。武士が、おもに確執のある他人宅を訪問する際、訪問の目的に敵意の無いことを示す作法であった。古式では自分の髪で縛った。

「承知した」

 (だく)して、玄関へ向かおうとする心剣へ、

「あいや、待たれい。これは、貴公の望まれたイザベル様のお心にござる。拙者がしたため申した。一応の御一読を」

 源十郎は、懐から、折り畳んだ紙を取り出して、心剣に渡した。

 心剣は、目を通して、眉宇を顰めたことであったが、何も言わず、紙を畳むと、袂へしまった。

 険は剣を以ては折れず、小針を以て是を折る。御用心。

 文面は、これだけが、したためられていただけ、だったからであった。

「心剣さん」

 今度こそ、外へ出ようとする心剣に、シャノンが、声を掛けたが、

「わたしは別に、あちらとこちら、どちらの士道も踏んでは生きておらぬが、二対一は、そなたの方の士道の吟味に外れていよう。そなたの出番は、わたしが仆れた後と、憶えていただく」

 心剣の答えは、これであった。

 心剣が、外へ出ると、サリバンはすでに、剣を抜いていた。源十郎は離れた場所で、松明をかざして、死闘の場を照らしている。

 距離三間にまで、心剣は寄った。

「貴様はどんな悲鳴を上げてくれるかな?」

 言って、サリバンは残忍な笑みを漏らすと、両刃の片手剣を構えた。そして、小さく呟くように、呪文を綴った。

 シャノンははっとして、心剣へと叫んだ。

「魔法です! 心剣さん! 詠唱を止めて下さい!」

 しかし、心剣は、むしろ、緩慢に、登竜落しの構えを、成した。実はサリバンの構えに隙が無く、止めようにも、打ち込みは容易ならざる事であった。

 詠唱の時間は、十五を数えた。

 サリバンが心剣に左手を伸ばし、何かを叫んだ。

 心剣は、この瞬間をあやまたず、炎柱の魔法使いの時のように、一気に間合いを詰めんとしたものであったが――

「むっ!?」

 己の意思に反して、四肢は石と化したが如く、動かないのであった。動くのは、顔ばかりである。

「こう言う事か」

 心剣は、ふっと、自嘲気味に笑った。

「クッ――! 心剣さん!」

 心剣の目の端に、剣の柄に手を掛けて、動こうとするシャノンの姿が映った。

「シャノン、手出しは無用に願う」

 絶体絶命の危機にありながらも、心剣の声はくぐもりながらも勇ましかった。。

「しかし!」

「今一度言う。手出しは、無用」

 シャノンは、苦しそうに、頷いた。

「さてそこの刺客。この後、どういう趣向が待っている?」

 むしろ、愉快げな心剣の声に、サリバンは大きく顔を歪めた。

「フン――そうだな。いつまで強がっていられるか、少しずつ体を切り刻んで試してやろうか。せいぜい、良い悲鳴で俺を愉しませな?」

 それでも、サリバンは残酷趣味に、胸を高鳴らしながら、心剣に近付いた。

「くくく――。まずは何処からやって貰いたいか、言ってみろ」

 片手剣の(しのぎ)を、心剣の頬に当てながら、サリバンが問うた。

「一思いに頸――と言いたいところだが、そうだな、どこに致そうか……」

 恐怖の感情を、一向に面上へ滲ませぬ心剣に、サリバンの眼が、不快げに細まった。

「……貴様、怖くは無いのか?」

 サリバンは、不審の顔で、心剣の顔を覗き込んだ。それを受けて、心剣は、ニヤリと、不敵に笑った。

 その、直後であった。

「ぎゃあっ!」

 サリバンが片手剣も放り出して叫び、顔を両手に埋めて、よろよろっと、後退した。

「目がっ! 目がぁっ!」

 奇怪にも、サリバンの両目には、小さな針が、突き刺さっていた。

「なっ――」

 シャノンはあまりの出来事に、驚きを禁じ得なかった。かわって源十郎は、無言で、大きく頷いた。

 心剣に掛けられた呪縛の力が、薄れるには、二分を要した。この頃には、サリバンは跪き、言葉にならぬ喚きを、心剣へと投げていたが、目を潰された身で、どうして、その対象の位置が分かろう。

「大垣さん。あんたには一応の礼を言っておく」

 心剣は、源十郎に向けてそう言った。先程、源十郎から受け取った紙には、含み針が挟まってあったのである。

「だが、あんたの意図を、こちらは汲み取ったつもりだ。なんのつもりか知らぬが、こちらはあんたの筋書き通りに踊って見せた――。恩を着せた、とは、思って頂かないで欲しい」

 心剣の続けた言葉に、源十郎は、

「承知しており申す」

 答えてのち、ゆっくりと、サリバンに近付いて行った。

 心剣に、サリバンを斬る気が失せているのを、源十郎は感じたのであった。

「貴公は、闘えぬ者は斬らぬようですな」

「斬っても良いが、わたしより、あんたの方が、こ奴を斬りたいように見えるぞ」

「左様、こ奴は、生かしておいては、何の為にもならぬ者。貴公が斬らぬのなら、拙者が斬らねばならぬ」

 源十郎の鍔元にあった革紐は、この時すでに消えていた。


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