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治癒の邪法

 シャノン・ブランドフォードと藤井圭吾が、コゼットの家を目指したのは、日没に近い時間であった。二人とも、食材を手にしていた。いつの間にか、コゼットの家で夕食を採る気になっていた二人であった。

 途中、偶然にも、ジャンと一緒になった。ジャンは、コゼットの調合した薬を、町医者や店に届けて、その帰りだった。

「どうだった?」

 圭吾の問いに、ジャンは大きく、頬を膨らませた。

「ムカつくよなァ。足元見やがってさ」

 先ほど、店の者に、値切られた、とジャンは語った。

「俺の母さんが、病気してるからって……自分の病気も治せないで、効果があるかどうか、怪しいってさ」

 シャノンも圭吾もこれには、憤慨したものだが、一方で、そう言った店の者の気持ちも、分からないではなかった。

 代金を値切られるのは、ジャンにとって、珍しいことでは無い。あまりにも稼ぎが少ない日は、冒険をする。即ち、掏りが、それであった。

 掏りの技術は、全くの独学では無く、一応、師匠と呼べる老人があったが、去年、没した。ジャンが密かにその老人から技を教わったのは、二年前の事である。

 天稟(てんぴん)があった、と言える。砂が水を吸う如く、ジャンは(たちま)ちの内に、腕前を上げていった。

「ところでジャン。心剣さんがどこへ行ったか、君は知っているかい?」

 ジャンは首を振った。

「気が付いたら、居なかったよ。母さんが、夜には帰って来るって、言ってたけど」

「傷は大丈夫なのかな」

 心配するシャノンに、圭吾は明るい声を掛けた。

「きっと、大丈夫ですって。なんせ、旦那は侍ですもん」

「ははは……」

 シャノンは苦笑する。先程の決闘では、相手の剣が折れて引き分けとなったが、周りには、偶然、剣が折れたように見せていたのである。シャノンが剣を折るつもりであったのは、観ていた者たちにも、まして相手にも悟られていない自信もあった。

 だが、圭吾にそれを指摘されて、シャノンは思わず目を丸くしたものであった。もっともすぐに、圭吾は種を明かした。熊のような侍に、そう教えられたと。

 視界が、徐々に闇に覆われていく。ランプに明かりを入れて、圭吾がそれを持ち、一行の足元を照らした。

 いくつか話題を変えながら、ジャンの家が見えてきたのは、完全に陽も暮れた三十分後の事であった。

「二人とも――」

 不意に話を遮って、シャノンが声を出し、その場に止まった。

「どうしたんです?」

 合わせるかたちで、圭吾とジャンも足を止めた。

 シャノンは固い表情で、周囲に神経を配った。

 ここは、丁度、堤のような道で、左手には疎林、右手に河原がある。

「血の匂いが……」

 シャノンが呟いたのに、

「えっ?」

 圭吾もジャンも驚いた。

「血の臭いなんて……しませんけど……」

 鼻をひくつかせてみたが、圭吾には感じられなかった。ジャンも同様である。

「強盗でもあったかもしれません。人の気配は感じませんが、気を付けて」

 シャノンは二人に促して、自身が先頭に立った。家まで、三百メートルほどである。三人は慎重に歩を拾った。

 (おびただ)しい血の海の中に、両断された人間を見つけたのは、間もなくの事であった。家から、五十メートルと離れていない。

「これは……」

「うっ――」

「げえっ」

 シャノンは、圭吾からランプを渡して貰って、屈みこんで、屍体を観察した。ジャンと圭吾は一緒に、恐る恐る、血溜りを踏まぬよう、避けて通ろうとした。圭吾の顔面は、蒼白であった。彼が育った日本と違って、こちらの世界はだいぶ物騒ではあったが、惨殺屍体など見るのは初めての事であった。その意味では、まだジャンの方がいささかの落ち着きがあった。

 だからと言う訳でもあるまいが、もう一体、左胸を刺された屍体を見つけたのは、ジャンであった。

「うわっ!」

「勘弁してくれぇ」

 圭吾は泣きそうな顔である。シャノンはこちらも手早く観察して、刺さっているのが、なんであるのかを認めると、合点したように引き抜いた。

「心剣さんのナイフですね、きっと」

 シャノンはしげしげと、小柄を眺めた。その持ち柄に僅かながら見覚えがあった。

「ジャン!」

 家の方から、コゼットの声が上がったのは、この折りの事であった。


 ――えっ? なぜこの家に?

 シャノンが驚いたのは、当然と言えば、当然であった。

 部屋の中に、死神心剣の痩身があるのは当然としても、コルネリウス・スピレイン伯爵の、老いてなお堂々たる巨躯が並んでいたのである。

「スピレイン卿――」

 慌てて、シャノンは片膝を突いた。

「スピレイン? 誰だな、それは?」

 老人はとぼけた。これは、微行(しの)んでここに居る、と言う事であり、畏まらずとも良い、とも告げていた。

 立ち上がったシャノンを、コルネリウスが値踏みするように、見つめる。

「何か?」

 テーブルに着くよう、コルネリウスは促した。

「ブランドフォードよ。この男を助けてくれたそうだな。儂からも礼を言うぞ」

「いえ、そのような……」

 心剣とコルネリウス、この二人はどのような関係なのだろう、という、シャノンの思いを見透かしたかのように、老人は続けた。

「心剣とは、妙にウマが合ってな、一時期、儂の食客だったのだよ」

「そうでしたか。それはそうと、表の者たちは……」

「あれか。あれは――」

 コルネリウスは、なんと説明したものかというような、難しい顔になった。ちらと、心剣に目配せしたのを、シャノンは捉えたが、何も言わなかった。

「二つになっていたのが、十日前、俺を狙った魔法使いだと思って貰おう」

 心剣が無表情に言った。

「あの者が?」

「左様――。俺が生きていたのに気付いて、再び襲って来たまでの事かと思う」

 微かに疑念を覚えたが、シャノンは追求せず、小柄を心剣の前に置いた。血は拭ってある。

「確か、貴方の物でしたね」

「忘れていた。かたじけない」

 言って、心剣が小柄(こづか)(びつ)に戻した。

 妙な、沈黙の時間が生まれた。

 コゼット、ジャン、圭吾の三人は、今、この部屋には居ない。コルネリウスが、三人だけにするよう、頼んだからであった。

 コルネリウスは、(じっ)とシャノンを見つめて、思案気な表情を作っている。心剣は無言で、老人の思案が終わるのを待っている様であった。

「失礼ながら、スピレイン様は、なぜ、この家に?」

 沈黙に耐えかねて、シャノンは一番の疑問を、口にした。

「そのことなのだがな……」

 老人は、鹿爪顔で、そこまで言って、また押し黙った。

 ――訊いてはいけない事だったのだろうか?

 シャノンの肚裡(とり)にその緊張が走った。

「心剣、どう思う?」

 急に老人が心剣に訊ねると、

「御老人の思われるようになされたらよかろう。わたしはわたしの思うようにさせて頂く」

 半ば突き放したような、心剣の答えが返ってきた。

「ふむ……」

 コルネリウスは腕を組み、しばし、瞑目した。二分ほど、そうしていただろうか。やがて、老人の口から出てきた言葉は、次のものであった。

「頼みがある、ブランドフォード。但し、極秘の事だ」

 シャノンは緊張をしながら、頷いた。シャノンに、コルネリウスが、二通の手紙を渡した。

「まずは、読んでくれ」

 二通の手紙を読み終えて、顔を上げたシャノンは、その美貌に不審の面持ちを()いて言った。

「ここに書かれている、ナンナという女性を、カペー様は探されておられるのですか」

「そうだ」

 コルネリウスは、重々しげに頷いた。

「なぜ、この女性の存在が、卿の罪となるのでしょうか?」

 心剣の拾った方の手紙を要約すれば――

 十四年前、コルネリウス卿が、宰相の命令に背いて匿った、ナンナという女を引き渡して貰いたい。もし、断るなら、女を匿った事実の品を、宰相に届ける。そうなれば、貴方は罪に問われることになる。

 もう一方は――

 返事の無い以上、こちらで女の居場所を探すことにするので、邪魔をしないでいただきたい。証拠の品がこちらにあるのを、お忘れなく。

 このような内容であった。

「十四年前、と聞いて、ピンと来ぬか?」

 シャノンは暫く考えてみたが、やはり、分からぬ。

「レリーと聞けば、どうだ?」

「レリーですか? 廃墟になったと聞き及んでいますが。――あ、確か、それが十四年前……」

「ナンナは、レリーを廃墟と化さしめた、首魁(しゅかい)の一人なのだ」

「えっ!?」

 驚きに、シャノンの双眸が大きく開いた。

「レリーが滅んだのは、疫病、と言う事になっている」

「わたしもそう、聞きました。ですが、先ほどの御言葉では――」

「そう、実際には、違うのだ。当時、レリーには、アシュレイという俊英が居た。医者であったが、魔法使いとしても一流であった……。この男は、御宰相の乳兄弟でもあった」

 コルネリウスは、遠い目つきになり、しばしの沈黙を、思い出に充てているようであった。

「好人物でな。貴賤問わず、誰に対しても一貫して、誠実で優しい態度を崩さなんだ。先の戦乱終結ののち、一人でも多くの者を救いたいと、野に降り、レリーに住むようになった。医者として働く傍ら、アシュレイは、ある研究をするようになった……」

「それは、どのような?」

 相槌よろしくのシャノンの言葉に、コルネリウスはしかし、逆に訊ねた。

「ブランドフォード、お前、魔法は?」

「恥ずかしながら――」

「恥じる事ではない。両親が使えても、子が全く使えぬことも多い。儂もその口だ。もっとも、からきしと言う訳では無いがな。アシュレイの研究とは、医者らしく、魔法で人を癒す事が出来るか、というものだ」

「治療の魔法? ……わたしの知る限り、それを成し得たのは、ただ御一人です」

 頷く、コルネリウス。

「今より遡る事、およそ千年……。ノールバック建国王の妃にして、六人の英雄の一人、今なお聖母として(うた)われる、アンリエッタ妃だな」

「はい」

「アシュレイは、アンリエッタ妃の成されたその御力を、復活させんとしたのだ。レリーが滅んだのは、この事が、原因なのだ」

「わかりません。なぜ、そうなったと言われるのです?」

「結論から言えば、アシュレイの研究は、完成した」

 コルネリウスの表情に、厳しさと怒りが加わっていった。

「だがな、アシュレイの完成させた回復魔法は、全くの邪法であった。人の身を癒すのに、人の命を使うというものだった。それも、最初から自分一人の生命力を使うというのなら、まだ良い。だが、この魔法の会得には、大勢の他者の命を、必要とするものだったのだ!」

 シャノンは息を呑んだ。

「人を癒す為に、人を殺す? ……それでは、本末転倒のような――」

「だがアシュレイは、それをやった! 研究に没頭するあまりに、いつしか狂気に憑かれたのだ! レリー住人二千人を、アシュレイは(ほふ)ったのだ! ……一人の女に、忌まわしい力を(そな)えさせる為にな。その女こそ、ナンナ。アシュレイの助手をしていた女だ」

「…………」

「御宰相は、アシュレイからの便りに、いつしか不審を感じられ、儂とレオンを内密に呼び出された。思い違いであれば良しと、御宰相は申されたが、あの時には、あるいは確信されておったのかも知れん。ともかく、確かめてみようと、儂らを伴って、レリーに向かわれたが……」

「……遅かったのですね」

「街壁の中には酸鼻しかなかった。アシュレイの屋敷に行ってみると、変わり果てた奴の姿があった。奴は、御宰相に嬉々として、悄然(しょうぜん)とうな垂れるナンナを示しながら、おのれの研究成果について話した。御宰相に、褒めて欲しい、そんな塩梅だったか……。だが御宰相は、話を聞き終えると、有無を言わさずアシュレイの首を、お()ねになられた。そしてすぐ、街に火を放つことをお決めになられた。ナンナの処置は、暫くお考えの御様子だったが、結局は、のちの禍種(かしゅ)になるだろうから、というものだった。儂とレオンは、この時すでに身籠っていたナンナが、どうも不憫に思えてならなくてな。御宰相自ら御手打ちになされようという所を、なんとかその役を、儂らに代えて頂くよう、懇願して、密かに、匿ったのだ」

 コルネリウスが、長い話を終えて、深い溜息を漏らした。

「……そういう事でしたか。しかし、カペー様は、この女性を探して、何をされようというのでしょうか?」

「それが判らんのだ。もっとも、文面から察するに、どうせ好からぬ事だろうが」

「確かに……そんな気はしますが。スピレイン様、それで、わたしに、どうせよ、と?」

 コルネリウスは重々しい頷きを見せた。

「そうそう手荒な真似はして来ぬとは思うが……ナンナがイザベルの手に渡らぬよう、お前にも守ってもらいたいのだ」

 秘密の話を聞いておいて、シャノンに、断れるはずが無かった。また、断る気も、無かった。

「承知致しました。そのナンナなる女性は、どこに居られるのですか?」

「ここだ」

 コルネリウスが短く答えた。

「は?」

 戸惑うシャノンに、薄い笑みを口元に刷きながら、教えたのは心剣であった。

「コゼットと、ジャンが、その親子の成れの果てだ」

「まさか!」

 シャノンの衝撃は、雷鳴に撃たれたかに似た。


 その頃――。

 大垣源十郎は、イザベル・カペーの屋敷の庭で、素振りをしていた。別に、日課と言う訳では無かった。ただ、今日というたった一日で、死神心剣とシャノン、二人の手練れを見て、無性に、剣の虫が、騒いだのである。

 夜の闇に、わずかに抵抗するのが、屋敷の窓から漏れる光であった。源十郎の諸肌(もろはだ)は、その光を受けて、庭上に浮かんでいた。

 びゅっ、びゅっ、と、木剣が風を斬る音が、千回を数えた。

 源十郎は、次に、小山一刀流の法形の一手を、その動きに示した。

 それを、「(ましら)()ち」と言った。

 上段に構え、敵の太刀筋を即座に読んで、左右後方、いずれかに跳びながら、刀を振り下ろし敵を撃つ。

 文字にすれば、それだけの事であるが、なにしろ、相手との間合いを外しながら、相手を撃つのである。その為には、相手の刀をぎりぎりまで、引き付けなくてはならぬ。跳躍が早すぎては、敵の太刀を外しても、おのれの太刀も外れている。遅すぎては意味が無い。全くの一清浄を捉えなければ為し得ない至難業であった。

 小山一刀流に、竹刀木刀を打ち合わせる法形は、たった一つしかない。相手の打ち込みに、自身はしゃがみこみながら、頭上で受け流し、相手の足首を切り払うかあるいは、伸びあがりざま、逆袈裟に斬り上げる、「手鞠」と呼ばれる一手だけである。「(ひら)紅葉(もみじ)」だとか、「窮鳥(きゅうちょう)」だとか、「浪間(なみま)」、あるいは、「風鈴」「体転(たいてん)」「水魚(すいぎょ)」「水引き」など、他全て、相手の太刀を外したのち撃つか、相手が受けられぬような攻撃を先に出すかであった。

 理由は、至極簡単なものであった。打ち合わせば、刀が痛むからである。

 ――こちらの剣士は、むしろ、積極的に剣を合わせようとする……。

 こちらの世界で源十郎は、四人の剣士と闘った。いずれも、ならず者と言って良かったが、四人が四人とも、ブロードソードやロングソードなど、剛剣を得物としていた。

 日本刀の強度とは、比べものにならぬ。下手に受けようものなら、一合したその瞬間、ぽっきりと折れてしまうのは、火を見るより明らかである。

 今、上段に木剣をかざして、源十郎は目を閉じ、まぶたの裏に、シャノンの姿を、描いていた。源十郎に対峙する、シャノンを。

 ドレスソードを、右手に構えるシャノン。ドレスソードは、細身で軽く、先に挙げたブロードソードに比べれば、華奢で、三寸ばかり短く、およそ、源十郎の刀と同じとみて良い。

 このシャノンに、「猿打ち」が成るか? 今日で言う、イメージトレーニングであった。

 シャノンが動いた。わずかに体が沈んだと見えたのも一瞬、

 ――突き!

 ドレスソードの剣先が源十郎の咽喉へ迫った。

「とおーっ!」

 気合と共に、源十郎は体を跳ばす。

 着地してのち、源十郎は瞑目したまま、微動もしなかった。木刀は、振り下ろされていた。

「遅いっ!」

 源十郎の叱咤は、イメージの中のシャノンにでは無く、おのれに対して発せられた。シャノンは、精確に、源十郎の咽喉を突いていたのであった。

 源十郎が、再び、「猿打ち」を試みようと、木剣を上段に構えた時、

「大垣様」

 呼ばわれて、シャノンのイメージが、霧散した。

 首を回すと、老執事が、屋敷の廊下の窓を開け、こちらを見ていた。

「イザベル様がお呼びにございます」

「承知した」

 源十郎は頷いたが、

 ――はて……? スピレイン家での事は、先ほど御報告申し上げたが?

 内心で首を捻っていた。

「汗を流したのち、参る」

「申し訳ありません。すぐに、と申されております」

「相分かった。御寝室におわさるか?」

 執事は頷いた。

 肩を通して、簡単な身繕いを済ませると、源十郎はイザベルの許へと向かった。

 イザベルの寝室に入ると、すぐ、源十郎は、御褒めに(あずか)った。

「そもじをスピレインへ遣わせたのは正解じゃ。ようやってくれた」

「あのような役目、身共(みども)で無くとも……」

「いいや、そもじのおかげじゃ。やはりそもじは、わらわに幸運を運んでくれる男じゃ」

 イザベルは、白絹のローブを纏い、白い丸テーブルの椅子へ座って、平伏する源十郎に微笑んだ。

「勿体の無いお言葉――」

 白い丸テーブルには、五日前、ジャン少年から譲り受けた桔梗が、飾られてあった。

「こちらに座りやれ」

 空いている椅子に座るよう、イザベルは命じた。源十郎が着席すると、イザベルは、組んでいた足を、組み替えた。

「うふふ、見つかったのじゃ」

 男の目を吸い寄せる、艶冶(えんや)媚態(びたい)であった。

「何が――でござりましょうか」

「わらわの探しものじゃ」

「身共が、そのお役に立ったのでございましょうか」

「そうじゃ」

 源十郎の内心に、不安があった。

 実は、源十郎は、このイザベルからは、何も聞かされておらぬ、と言って良い。命じられたのは、前に出した手紙の返答を聞いてくるのと、新たな手紙を託してくるというだけのものであった。

 手伝って欲しい、と言われ、すかさず応諾したものの、イザベルが何を成そうというのかまでは聞かされていない。その上で、話の見えぬ話を聞かされる苦痛は、忠僕たらんとする身には、余りあった。

 ――訊いてしまうか?

 源十郎の逡巡は、しかし、急に落胆したかの様なイザベルの、小さな溜息によって、消えた。

「いかがあそばれました?」

 思わず、心配げな声を、源十郎は出していた。

「……見つかったものを、わらわの所まで、連れて来て欲しいのじゃが、容易な事では無いようなのじゃ」

 聞いて、源十郎は、イザベルが探していたのは、人であったと、ようやく知り得た。

「そ奴が、邪魔じゃ」

「それがし、無用の殺生は好まざるところなれば……」

 牽制と言えた。何度か、イザベルは源十郎に、自身一時の怒りや気の迷いから、誰それを殺せと、命じたことがあった。源十郎はそれをやんわりと諌め、諭してきたのであった。理非の解らぬ女でも無いので、イザベルは、おのれに非があったと納得すれば、素直であった。

 イザベルは、(じっ)と、源十郎に、眼眸(まなざし)を当てた。

「分かっておるわえ。ただの……邪魔なのじゃ。そ奴、不死身の男じゃとか。……困ったことにのぅ源十郎?」

「はっ」

「わらわは、その邪魔者も欲しゅうなったのじゃ」

「……なんと申されあそばす?」

「そ奴を、わらわの家臣にしたくなったのじゃ。なにせ、不死身じゃ。源十郎、そもじ、わらわの代わりに、そ奴を口説いてたもりゃれ」

 つと、立ち上がったイザベルは、衣擦れの音と共に、ベッドまで進むと、サイドテーブルの紙を持って、戻って来た。

「わらわの欲しいものは、そこにある。そこに住む女と、名は知らぬが不死身の男、連れて来てたも」

 源十郎が渡されたのは、地図であった。


 食事の支度は整っていたが、ジャンも圭吾も、一向に、手を伸ばそうとはしなかった。コゼットもまた、塞ぎ込んでいた。

 三人とも、無言で、空気は、重かった。

 時折、隣室からくぐもったコルネリウスと、シャノンの声がするが、内容までは、聞き取れなかった。

「なんの話――してるのかな?」

 ぽつりと、ジャンが呟いた。呟いてから、ジャンは椅子を離れて、隣室の扉に近付こうとする素振りを見せた所に、

「ジャン。座っていなさい」

 母親の、厳しい声が刺さった。母の険しい表情に、ギクッとなって、ジャンは恐る恐る、元通り、座った。

 隣室から、コルネリウスを先頭に、シャノンと心剣が出てきたのは、それから、十分ほどしてのことであった。

「なんだ? 食べておらんのか? 儂らの事は気にせんで構わんと、言っておいたのに」

 テーブルに並べられた料理に、全く手が付けられていないのを見て取った老人が、そんな、呆れたような声を出した。

「そのような訳には……」

 コゼットが恐縮して言った。

「御老人、折角だ。食べて行かれてはどうだ」

「おう。そうだな。頂くか。お前たちも、無礼講だぞ」

 コルネリウスは、打ち笑って、テーブルに付いた。

「お口に合いますかどうか……」

 コルネリウスや、シャノンが、料理に手を伸ばしていく中にあって、ジャンは、隣に座る圭吾に、そっと、訊ねた。

「兄ちゃん」

「どうした?」

「あんなもん見た後で、食える?」

「……食えるわきゃ、無いよな」

「やっぱり、貴族って、どっか、変なんだな……」

 ジャンの眼眸は、珍しい物でも見るようであった。


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