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シャノン・ブランドフォード

 時間は、少し、さかのぼる。

「慣れてくれば、なるほど、なんというか、味わい深いものがあるね」

「でしょう? 次はっと……そうだ。良いタコを仕入れることが出来たんすよ」

 そこかしこに、屋台の並ぶ、この筋は、『台所通り』といった。その名の如く、食材を扱う店が集められていた。店が自然と、集まって来たのでは無く、集められたのであった。王都民の利便を考えての事であった。

 この『台所通り』、王都を走る筋の中で、一番の長さがあった。

 ノールバック城から、扇形に広がる王都は、主に、三つの区画に別れている。

 城に近い方から、貴族屋敷区、商人職工人区、都民区。この内、貴族屋敷区と、商人職工人区は、歴然とした棲み分けが、なされていたが、商人職工人区と、都民区はそれほどのものではない。それでも、そう呼ばれるのは、縦に重なった三区を仕切るように、横に伸びる大きな二つの筋がある為であった。

 即ち――。

 貴族屋敷区と商人職工人区を別ける『盾備えの通り』、商人職工人区と市民区を別ける『台所通り』の二つである。

 当然のことながら、『盾備えの通り』は、字面の通り、万一の際の防衛線である。

 読んで字の如く、『台所通り』は、都民の、食材やら日用品を、贖い易くするものである。

 城から、南に伸びる中央通り(別名『花通り』)と、『台所通り』の交差点は、大きな広場になっており、様々の施設が設けられている。このような広場が、西大通りと東大通りとの交差点にもあり、屋台なども多数立つが、それには特別な許可が必要であった。

 許可の下りていない屋台は、どこに立つかというと、これは、当然、大広場を離れた所に立つのである。

 すし屋台のあるじ、藤井圭吾も今、中央広場から台所通りへ少し入った場所で、シャノン・ブランドフォードを客として迎えていた。

「……タコって、あの、タコかい? あれを、生で?」

 シャノンは、八本足をグネグネと動かす蛸の姿を想像したらしく、わずかに、その端正な美貌を曇らせた。

「そっすよ。日本じゃポピュラーなんすけどね。タコ。酢だこにしたり、たこわさにしたり」

 十日ほど前に、死神心剣を救ったのがきっかけで知己を得た二人だが、妙に、ウマが合った。

 二日とあけず、心剣の様子をコゼットの家に見に行っていた二人であった。貴族、というものに、少なからず軽蔑の眼差しを向けていた圭吾は、シャノンの生真面目さとか、礼儀の良さとか、物腰の柔らかさとか、ジャンと遊んでやる面倒見の良さだとか、それらがいちいち眩しく見えたものであった。

 ――この人はちょっと、他の奴らとはモノが違うぞ。騎士の鑑ってのは、この人の事を言うんじゃね?

 身分階級を大上段に振りかざす貴族ばかりを目にし、耳にして来た圭吾であった。それらのような貴族とは違うシャノンに対し、そう思ってしまうのも、無理はなかった。

「それにしても、心剣さんは、どちらに行かれたのでしょうね……」

 シャノンは、ふと、その疑問を口にした。

「コゼットさんに訊いても、なんか、うまくはぐらかされた感じでしたし、気になりますよね」

 圭吾も嘆息した。仕込みを終えて、屋台を出す前に覗いてみると、死神心剣の姿が無かったのである。

 心剣は、コルネリウス・スピレインの屋敷へ向かったのを、コゼットには、伏せておくよう言ってあったのだ。

 仕方なしに引き上げて、営業しているうち、シャノンが圭吾の屋台に顔を出した、という次第であった。

「あとでまた、行ってみますか。戻ってるかもしれませんし。――ハイお待ち」

「そうだね……」

 答えたシャノンの前に、蛸の握りが出された。


「くそ面白くも無い」

「またそれかギスラン。酒がまずくなるぞ」

 中央広場に面した酒場で、ギスラン・バルビエ、エリック・フォルタンという、二人の青年貴族が、昼間から、酒を煽っては、管を巻いていた。

「エリック! 貴様はまだ良い! 俺はな、あの男に大きな辱めを受けたのだぞ!」

「だが、復讐しようにも、見つからんのでは、しょうがないだろう」

 言葉では、慰めているが、エリックの顔には、嘲弄が浮かんでいた。この男、常から、人を小馬鹿にしたような顔をしている。

 対するにギスランは、これが、貴族の面貌か? と誰もが首をかしげるくらい、顔は不恰好であった。額は狭く、眉の太さに比べて目が小さい。大きく上向きの鼻。しゃくれた顎。両親の悪い所だけを受け継いだと、陰で馬鹿にされても、仕方の無い顔であった。

「そもそも、あのあとすぐ、ギルドに依頼してる」

 酔っていながらも、声量を落としてのエリックの問いを、ギスランは否定した。

「ふん。ギルドなんぞ信用できるか。金だけ受け取って、ろくな仕事もせんさ。あの男は俺の手で殺してやる」

「だが見つからん」

 この二人、十日前に、圭吾の屋台で心剣に追い払われた二人であった。以来、復讐しようと心剣の姿を探しているが、すぐに切り上げては、こうして、呑んだくれているのであった。それでいて、呑めば愚痴しか零さない。

「そうだギスラン。これからどこかで憂さでも晴らそう」

「何で晴らす?」

「娼館にでも行くか、それとも決闘でもするか」

 ギスランは酔眼を細めて、しばらく考え、ニタリとした。

「決闘か。それはいいな。……今日の俺は血が見たい。市民にでも難癖つけて、殺してしまうか? 老いぼれなどなら、どうせ先も長くない」

「よし、俺が証人になってやろう」

 さすがに、冗談ではあったが、残忍な光を、その眼に浮かべて、二人は酒場を出た。

 瞬間、ギスランの眼に、五十半ばの、行商人の姿が映ったのが、その行商人の不幸であった。

 行商人は、品物をすべて捌き終ったのか、荷物は無い。ギスランらに狙われているなど露も知らず、台所通りに向かっている。ギスランとエリックは、頷きあうと、小走りに、行商人に近付いて行った。

「おいっ!」

 行商人が後ろから声をかけられて、振り向いたのは、通りに入っておよそ百メートルを歩いたのちであった。呼び止めた二人の身なりから、瞬時に貴族だと判断して、行商人は、媚びたような顔になった。

「はい、なんでございましょう」

「お前、よそ者だろう」

 ニタニタとしながら、ギスランが言った。

「はい。そうでございますが、それが、なにか……?」

「知らんようだから教えてやろう。王都ではな、よそ者が、俺たちのような高貴の者の前を歩くのは、重罪なのだ。もし、そういう者が居たら、斬り殺しても良いことになっている」

「それはそれは、知らぬことで大変ご無礼をおかけいたしました。お教え戴いて、ありがとうございます」

 行商人の方も、心得たもので、すぐさま、金入れを取り出した。長く行商人を続けていれば、このように不良貴族に絡まれる体験をするのは、しょっちゅうの事である。二人の息に、熟柿(じゅくし)の臭いが混じっているので、いくばくか酒代(のみしろ)でも渡して、あしらうつもりであった。

「なんの真似だ、それは」

「は――?」

「貴様、この期に及んで命乞いか」

 エリックの言葉に、行商人は顔を強張らせた。

「し――知らぬ事でございましたのです」

「知らんで済まされるか」

「ですが、そんな、無体な……」

 逃げるに()かず、と、行商人が判断したのは、二人が酔っているからであった。行商人は、ぱっと身を翻すや、脱兎の如く走りだした。

「逃げるな! 待て!」

 すぐさま、ギスランらも駆けだした。

 多少脅かして、怖がらせてやるだけだった思いが、追ううちに、酔いも手伝って、獣じみた、より、残虐なものに変わっていた。


 通りを行く人々の流れに、乱れが生じたのを、敏感に感じ取ったのは、シャノンであった。彼は乱れの先に顔を巡らせた。

「あれ? どうかしたんですかね?」

 遅れて圭吾も、そちらを見た。

 人垣が開いて、そこにあったのは、必死の表情で走る行商人の姿であった。

「あれは――」

 その行商人は、シャノンにとってよく知る顔であった。懇意にしていたのである。シャノンは、行商人に声をかけた。

「ブランドフォード様!」

 行商人は救いの気色をその顔に浮かせて、シャノンに走り寄ってきた。

「お助け下さいまし!」

 行商人の、この必死の言葉に、シャノンは眉宇をひそめた。

「一体どうしたと言うのです」

「そ、それが……」

 行商人の答えを待つまでも無く、新たに姿を見せたのは、ギスランとエリックである。わずかしか、走っていないにも関わらず、二人とも、肩で息をしているのは、長年鍛練を怠っている証左であった。

「お前は、シャノンでは、ないか」

 喘ぎつつ、ギスランが言った。嫌な奴に会ったと、表情に出ていた。

「バルビエ様――フォルタン様まで……」

 行商人はすでに、シャノンの背中へ、隠れるように回っていた。それを気にする素振りを、一度見せて、シャノンは問うた。

「もしや、この者が無礼を働きましたか」

「違うのです!」

 行商人が叫んだ。行商人は手短にシャノンへ訳を話した。聞いている内、ギスランらを見つめるシャノンの眼に、非難の色が混じってゆく。

 ギスランとエリックが遮らなかったのは、息を整える為であったろう。

 圭吾は、二人の顔を十日前に見たことを思い出して、小さく笑った。

「……民の模範となるべき騎士たる者が、何をなされていますか」

 そう言った、シャノンの声は、固いものであった。

「ふん――ちょっとした冗談ではないか」

 二人には悪びれる様子も無かった。

「冗談で済まされる振る舞いでは無いでしょう」

 厳しい面持ちで、シャノンは非難するが、二人はあくまで、どこ吹く風と、右から左に、聞き流している。

「聞いておられますか」

「ああ分かった分かった。全く、うるさい奴だ」

 エリックが煩わしげに手を振った。ギスランも鼻を鳴らす。

「大体、俺たちはお前よりも上位の身分なのだぞ」

 その通りであった。二人の家柄は、領地は持たぬが伯爵家であり、今現在の個人の位は、子爵である。そしてシャノンは子爵家の生まれで、現在、男爵位であった。

 とはいえ、身分に厳然たる隔たりがあるのは、無爵と有爵の間であった。爵位持ちの騎士貴族間同士では、上下一階級までは、ほとんど同格として接しているのである。シャノンとしては、態度を少し改めるだけで足りるのであった。

「確かに、私は、お二人よりも下位ではありますが、私が忠誠を誓うのは、あなた方では無く、王家です」

 これを聞いて、ギスランは、下らぬ、と言われても仕方の無い言葉を吐いた。

「なんだと。つまりお前は、俺たちに礼は尽くさんと言うのか」

 酔眼を大きく見開いたギスランに、シャノンは、空いた口が塞がらなかった。

「剣を取れシャノン! 決闘だ!」

 喚くや、ギスランは剣の柄に手を掛け、抜いた。

「おっ! 抜きやがった!」

 周囲から声が上がって、往還の人々が、一斉にその輪を広げた。

「……私闘は、禁じられているはずです」

 シャノンは言いながら、圭吾と行商人へ、後方に下がるよう、合図した。

「笑わせる。私闘禁止の法など、無爵の駄馬騎士の為のものだ」

 ギスランは言い放った。

実際は、そんなことは無く、あらゆる騎士貴族に適用される法であるのは、言うまでも無い。にも関わらず、決闘行為は、度々、行われた。むしろ、騎士たる者の務めであると言って(はばか)らず、気軽に、決闘がなされると言っても過ぎることは無かった。

一つには、前にも述べたように、決闘と言いつつ、先に、ほんの少しでも相手に傷を負わせれば勝ちになる、というのがあった。無論、万が一、相手を殺してしまっては、きつい咎が待っているが、殺したわけでもなく、また重傷を負わせたわけでも無いのだから、構わないでは無いか、の理屈であったし、負けた方もその理屈を当然としていた。

 また一つには、負けた側は、勝った側の要求を一つ飲まなければならない、というのがある。そうして、勝った側が要求するのは、例外無く、所持金品であった。さすがに、封土とか、莫大な金などを要求されても、負けた側としては割に合わぬので、それは無かった。しかし、その時点で所持していた金品のいずれかを巻き上げるのだ。これが、いい遊び金になった。

 巻き上げた金の一割を、治療代などと称して返してやるのだが、それを騎士道精神の表れである、などと妄想して自己に陶酔できるのも、理由の一つであろうか。

 ギスランは、ずいと、ドレスソードの剣先を、シャノンに向けて、突き付けた。

「いいえ、法は、我らにおいても、法であります。王家の発せられたものを破って、果たしてそれは騎士として、貴族として、名誉と言えるでしょうか」

「黙れ! したり顔で惰弱な騎士道をほざきやがって。傷つけられた名誉を回復する義務が、騎士道にあるのを忘れたか! 臆病を()じるのを忘れたか!」

 ギスランは顔が真っ赤であった。酒ばかりでは無いのは、シャノンにも分かっていた。興奮しているのだ。群衆の前で、決闘行為を行うことに。勝てば、喝采が待っている。

 ――負けた時の事を、お考えでは無いな……。

 シャノンは嘆息するより無かった。これ以上諌めた所で、ギスランは剣を抜いてしまっている。ここで引き下がれば、臆病の(そし)りを、今度はギスランが受けることになりかねない。

 別にシャノンはおのれが、臆病と罵られたり、そのような目で見られることに、痛痒(つうよう)は感じぬ男であった。騎士が、その責任と名誉を賭すのは、このような時と場所では無いと、考えている。

 しかし、ギスランら不良貴族にそれを説いた所で、聞く耳は持たぬであろう。あるいは、更に増上慢となって、騎士たる者の振る舞いを逸脱しようとせんか。

 ――やむを得ない。

 シャノンは腹を括って、自身も剣の柄へ、右手を持って行った。

「……分かりました。仕方がありませんね」

 シャノンも剣を抜いた。こちらも、ドレスソードであった。

 群衆がざわめく。人々は、往来で決闘なんて迷惑な……と思いながらも、期待を膨らましていたのである。


 決闘の馬鹿馬鹿しさを述べれば、枚挙にいとまは無いが、結局のところ、一つの理由を以て極まる。

 即ち、ルールがあった。暗黙の了解ではなく、規則である。

 決闘者は、先攻後攻にわかれて、攻撃と防御を、繰り返すのである。攻撃は、一撃のみであった。一度に数回繰り出すのは、勝ちに執着する浅ましい姿であるとして、忌みられている。

 すぐに、決着を付けるようなこともしない。最初の内は、わざと、相手に受けやすい攻撃をするのである。その方が、観ている者を楽しませ、決闘者達も、闘いぶりを観衆に見せつけられると、信じているのであった。

 所詮、決闘など、見世物以上でも以下でも無いのだ。あるいは、騎士たちはその事実を否定しつつも、どこかで肯定しているからこそ、『剣の会話』と呼ばれる、このようなルールを採用しているのであるやも知れぬ。

 圭吾は当然、シャノンの勝利を信じていたが、やはり、手に汗は握らざるを得ない。

圭吾の隣の行商人が、

「だ、大丈夫でしょうか」

 防御の番に変わったシャノンを心配して、誰に訊ねるでもなく、言った。

「大丈夫に決まってら。あんな奴ら、百人束になってもシャノン様にゃ、敵いやしねえ」

 不安はありつつも、力強く、圭吾は答えてやったものである。

数日前、圭吾は、コゼット宅でのシャノンの振る舞いに、長らく目を中てている死神心剣に気付いて、その理由を問うたことがあった。

「あの男、できる」

 武人を知ること、武人に如かず。

「だがまだ、人を斬った事は、無かろう」

 昔、テレビの時代劇で見たような場面だな、と思いながらも、圭吾は心剣の言葉を信じたのであった。

「シャノンとやらは、どっちだな」

 と不意に、圭吾は後ろから、野太い声を掛けられた。のんびりした口調であった。

「イケメンの方だよ、シャノン様は」

 振り返らず、圭吾は答えた。

「いけめん? なんだそれは?」

「ハンサムな方だよ」

「ああ、ハンサムなら、知って居る。つまり、あの顔の()い方が、シャノンという者な訳だな」

 声は何処までものんびりしていた。こちらはシャノンの勝ちを願い信じて、固唾を呑んでいるというのに、と圭吾はいらついた。

「それはそうと、お主、ここいらで、寿司を出す屋台がどこにあるか知らんかな」

 問われて思わず、

「そりゃ、俺の屋台だ」

 言いながら、圭吾は振り向いた。途端、(ぎょ)っとなった。顔中、ひげに覆われた、巨躯の男が、そこにあったからである。大垣源十郎である。

「お主があるじか。丁度良い。幾つか、握ってくれぬか。先程、お主の屋台の話を聞かされてなぁ、久し振りの日本の味に、居ても立ってもおられんのだ」

 圭吾は唖然とするより他は無かった。見世物とはいえ、決闘が行われているのである。そして、当事者の一人は圭吾と親しくなったシャノンなのである。彼としては気が気でなかった。

「ちょっ、今はそんな場合じゃ――」

「あの決闘なら、気にすることもなかろ。シャノンとやら、ははっ、遊んでおる」

「へっ?」

 シャノンへと圭吾は視線を戻した。ギスランの放った突きを、剣で見事に受けた所であった。

「さっきから見ておるが、あのシャノンとやらの剣筋は、素晴らしい。いささかの乱れも無い」

 シャノンの攻撃を、ギスランが剣で払った。

「そうれ、またやった」

 源十郎は愉快気でさえあった。

「やった? 一体、何を?」

 反射的に圭吾は訊いていた。

「その内に、分かる。相手は、気付いておるまい。まあ、何にせよ、あのシャノンと申す者が、あの相手に後れを取ることは、天地が逆さまになっても、無いなぁ。という訳で、安心して、握ってくれんか?」

「という訳でって、言われても……」

 渋面を作る圭吾に、

「やれやれ……。あのシャノンとやらな、相手の剣の同じところばかり、撃っておる。寸毫(すんごう)の狂いも無くな。相手は、そうと知らずに、同じところで、受けさせられておるのだ。答えを先に言ってしまえば、相手の剣を折るつもりなのだ。彼は」

 源十郎がそこまで、解説した。

「そろそろ、折れようか。そうなった時、無勝負になるか、折った方の勝ちになるかは、分からんが、あるじ、お主もそろそろ折れて、握ってくれんか?」

 源十郎がしつこく食い下がって来た。繋がっていない両の眉を上に寄せ、懇願するかのようであった。ひげだらけの、熊のような、いかつい面貌で、どうしてこのような人懐こい表情が作れるのか、不思議でさえあった。

 しかしながら、やはり圭吾にその気は起きなかった。源十郎はそれを察して、寂しそうに諦めた。

「そうか……致し方あるまい。また日を改めるとしようか……」

 しょんぼりと、肩を落とし、去って行く源十郎の後ろ姿に、圭吾は申し訳の無い気持ちになったが、眺めていたのは十秒にも満たぬ、短い時間だけであった。


 シャノンとギスランの決闘は、果たせるかな、源十郎の予言通りとなった。

 酔いと、日頃の鍛練不足を、早々に衆前に晒したギスランであった。動きは、わずか十合(ごう)で緩慢なものとなっていた。顔中に汗を浮かせ、足元も覚束(おぼつか)なかった。

 かたやシャノンは、平然として、剣を振るっている。

群衆の目にも、歴然であった。加えて、二人の美醜を比べて、不様なギスランの姿に、失笑すら、混じり始めた。

 ギスランの剣が、半ばから折れたのは、忍び笑いが生じて、間もなくであった。

シャノンに攻撃権が移った、その一撃を、彼は満身に気合を込めた、先ほどまでとは比ぶべくもない、鋭いものに変えた。

 が、あくまで、シャノンの意思は、ギスランの剣に向けられていた。

 ギスランが、シャノンの攻撃の凄まじさに圧倒されるように、体を崩した。

 傍目(はため)には、転倒するギスランが、辛うじてシャノンの剣を受け止めた、としか見えぬが、実際は、シャノンの巧妙な誘導が、あったのである。

 高い金属音を残して、折れた剣身が、宙を舞った。それを見た人々から、喝采の声があがった。

「これ以上は、続けられませんね」

 シャノンは、そう言って暫く、地に尻をつけて茫然と折れた剣を見つめるギスランを見守ったが、反応が無いので、今度はエリックへ顔を向けた。

「それとも、今度はフォルタン様が、バルビエ様の代理となられましょうか?」

 放った言葉は、些か、皮肉めいていた。

「い、いや……」

 エリックの顔は、引きつっていた。

「では、引き分け、と言う事でよろしいでしょうか」

 ギスラン、エリック両名にとって、シャノンの申し出は意外なものであったらしく、ありありと困惑の表情を浮かべたものである。

 シャノンは剣を腰に戻して、ギスランに手を差し伸べた。

「お酔いになられてなければ、あるいは、私が負けていたでしょう」

 シャノンは、ギスランへ花を持たせた。決闘を始めてから、これが、目的であった。

 引き分けておけば、どちらの名誉も傷つかない。剣が折れたのは、偶然である、としておけば、ギスランの面目も立つ、この茶番を、シャノンは考えたのであった。

 見物人たちも、あるいは、シャノンの意図を、汲み取ったか、何も無かったかのように、めいめい、その場を離れて行った。しつこく、その場に残るのも居たが、その大半は女であった。羨望の眼差しを彼女らはシャノンに向けるのを、隠そうともしなかった。

 その事に、実はシャイなシャノンは居心地悪い。ギスランとエリックに、今日は早々の帰宅を促し、自身も、

「圭吾さん、私はこれから、コゼットさんの処へ行ってみます」

 と、この場から逃れようとするかのようであった。

「あ、じゃあ、俺もお供しますよ」

 圭吾は言って、

「ちょっと待ってて下さい」

 片付けを始めたものであった。

 その、ちょっとを待つ間が、シャノンにとって、非常に気恥ずかしいものであるのに、圭吾は気付いていないようであった。


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