登龍落とし
麦が、燦々として、豊穣の黄金色を示しだした頃合い――。
昼時に、黒の着流し姿の痩身は今、中央通り、通称、『花通り』を折れて、貴族屋敷区へと、その身を運ぼうとしていた。
ノールバック王都の象徴である、ノールバック城。その城を、東西南に、囲むようにして貴族と呼ばれる者たちの屋敷があった。
これは、貴族たちの登城の不便に無らぬ為の配慮と、もし、万一の時は、最終の防衛のラインとして、機能するように、はじめから、区割りされたのであろう。
その考え方は、過去に死神心剣の過ごした江戸の街と、変わらぬ。
しかし、伯以上の、領地持ちの貴族にとっては、王都の屋敷は、別荘と言って良かった。王都で執るべき政務は、全く無く、領地経営を専らにしていた。彼らに課せられた義務は、税と、年につき、ひと月の武役だけである。
尤も、この二十年程続いた泰平の世に、少しずつ、翳りが見え始めている今となっても、義務期間中、王都の別荘屋敷に居れば、勤めを果たした事になる、という暗黙の了解はまだ、崩れていなかった。
稀に、一年の殆どを、王都での政務に費やし、領地の経営も切り盛りする、といった人物もいないでは無かった。
領地を持たぬ貴族たちが、王都での政治に幅を利かす中にあって、その事だけでも、大変な傑物ぶりであろう。
死神心剣は、その人物と面会するべく、こうして身を運んで来ているのであった。
対面が叶えば、およそ、一年を置いての、再会であった。
十日ばかり、コゼットの家で傷の回復を待ち、彼女から、全てでは無いにせよ、事情も聞いていた。その時、手紙が、コルネリウス・スピレイン伯爵に宛てて書かれていた事を、コゼットは漏らしたのであった。
やがて、心剣は、一年前に挨拶もせずに、ふらりと出て行った、かつての塒の前に立った。
出迎えた使用人は、心剣を憶えていた。
「お久しぶりです」
「スピレインの老人に目通りを頼みたい」
挨拶にそう返した心剣であった。
体がまだ空かぬゆえ、客間の前室で待つようにと、コルネリウスからの言葉を使用人に伝えられ、心剣はそちらに向かった。
前室には、先客が居た。
濃い紺袴と浅葱裏の羽織を着た、大柄な男で、まるで熊が、着物を着ているかのようであった。これは、大垣源十郎であった。
源十郎は、一度心剣へ目をやって、太い眉の右側をやや上げた。心剣は、源十郎を一瞥しただけで、特に表情も変える事無く、入口脇の椅子に腰かけた。
「……」
「……」
双方、五分ばかり無言であった。
「……血の匂いが、チト、きつうござる」
声を発したのは、源十郎であった。心剣が顔だけ回した。言葉に反して、源十郎の髭面の中に、微笑があった。
「おのれ自身では、どうにも出来ぬゆえ、我慢されたい」
心剣の答えに、源十郎が、今度は、はっきりとした笑顔を作った。
「拙者は大垣源十郎と申す。貴公の名をお聞かせ願いたい」
「聞いて、なんとされる」
心剣はあくまで無表情であった。声にも、感情を乗せてはいなかった。
「拙者、この地に迷い込んで、同郷人には、何人か出会い申したが、拙者と同じく二刀を手挟む者には、初めて出会い申した。武士は相身互いと申すではござらんか。今日を機に、誼を結ぶもよろしかろうずと、存ずるが、如何か」
一方的な言葉に、反発や抵抗を覚えず、むしろ好感を持つのは、不思議な魅力が、この大垣源十郎という男に有るからであろうか。
「死神心剣」
心剣は名乗ってのち、
「しかしながら、こちらに、そなたと誼を結ぶ気は無いと、思って頂く」
突き放すように言ったものであった。
「左様か。なれば仕方ないのぅ」
源十郎は落胆したような声を出したが、言葉は慣れなれしいものになった。
「死神氏、貴公は、その名前通り、今までに随分と沢山の人間を、斬って来られたようだのぅ。何人が程、斬って来られた?」
「両手で数えられなくなってから、数えるのは止めた」
「拙者は、まだ九人でござる」
「命を奪った数が多いからといって、わたしが偉いという訳でもあるまい」
「左様――しかしながら、拙者は兵法者でござる。貴公のその、微塵の隙も無い姿、鞘に納められてなお漂うて来る、血に染まった刀……。貴公を相手に立ち合ってみたい、と思うのは、兵法者の性と言うものであろう」
心剣は、苦笑を口辺に刷いた。
「わたしと立ち合っても、お主が得るのは何も無かろう」
源十郎もまた、不敵に笑った。
「どちらの意味に於いてであろうかな。それは」
「おそらく、お主とわたしでは、剣の根本、理からして違うものであろう。わたしの剣法は、ただ、人を殺める為だけにある。わたしは、お主のような兵法者ではなく、殺人者なのだ」
自虐であった。
「はは。刀は所詮、どう取り繕うた所で、人を殺めるものであろう」
源十郎の面にも、その諦観があった。
「いくら理由を付けても、相手か自分か……どちらかが死ぬのには、変わらぬではないか」
「兵法者とは、思えぬ言葉だ」
心剣が苦笑のままにそう言うと、源十郎は小さく、頷いた。
「拙者が斬って来た九人、そのうち四人は、こちらの剣士だが、いずれも、道場稽古だけでは学び得ぬ技を、それぞれ、巧拙はあったものの、工夫してござった。己が生き残る為の技前でござった。剣を学ぶ身として、これは看過出来ぬ。全き邪剣であろうとも、そこに長を見たのならば、研究せねばなるまい」
「……」
「突き詰めれば、活人剣も、殺人剣も、結局は、自分がいかにして相手に勝つか、そのことに尽きるのではないか、と、拙者は存ずる。兵法者も殺人者も変わらぬ」
「違うな」
心剣は小さく短く、声に出していた。
「違う、とは?」
「……お主には、人を斬るにも、誰かを守るなり、己を守るなりの、何かしらの事情があろう。それが、わたしには無いのだ。斬りたいから、斬っている」
思案気な間をおいて、源十郎が心剣に訊ねた。
「……しからば、貴公は、拙者を斬りとうござるか?」
いつの間にか、源十郎の髭面が、きりりと引き締まったものに、変わっていた。
「別に」
心剣の応えは、素っ気無いものであった。源十郎はやや、拍子抜けしたようであった。
「時に、死神 氏。貴公はこの世界に参って、どの位になられる? 拙者は、三年でござる」
「さあ……忘れた」
「所変われば何とやら。百獣を病人でも無いのに、今は平気で食らってござる。鍋にする以外にも、色々な食し方があって飽きぬが、やはり、米や味噌汁が無性に恋しくなる時がござる。特に刺身を見かけぬのが、さみしい。……貴公には、そのような事はござらんか?」
「特には……」
源十郎は、話好きの人物のようであった。それから十分ほど、二人は話をしていたが、殆どを源十郎が喋り、心剣の方は聞き流すように、相槌を打ったり、質問には短く答えるばかりであった。
やがて、先客であった源十郎が、使用人に呼ばれた。
「では、死神氏。お先に御免」
立ち上がっての源十郎の一揖に、心剣は椅子に腰かけたまま返した。
源十郎が、すれ違って、一歩を過ぎた瞬間――彼の体は、その距離を大きく離していた。
……先に、試したのは、源十郎の方であった。すれ違いざま、心剣へと、強烈な剣気を放ったのであった。刹那のうちに神経に触れさせておいて心剣も、それと返したのだった。ただし、源十郎の放った剣気に、殺意が籠められていなかったのに対し、心剣にはそれがあった。
「お見事っ! 拙者、斬られ申したわい」
源十郎の声は、いっそ晴れ晴れとしたものであった。彼は再び、一揖した。
「お主――」
改めて一歩を、源十郎が進みかけた時、ふと、心剣は声をかけていた。
「なんでござろう」
「故郷の味を、思い出したいのなら、中央広場を外れた通りで、藤井圭吾という男の屋台を探されるが良い」
「ふむ。心得申した。して、その屋台では、何を扱ってござろう?」
「寿司だ。といっても、握り寿司だが……」
源十郎は頷いて、顔を綻ばせた。
「お教えいただき、かたじけない。早速、本日の内にでも、探してみ申す。――では」
源十郎が部屋を出て行き、一人残った心剣は、
――斬られたのは、俺の方かもしれぬ……。
瞑目し、それを考えていた。
――俺が殺気を返すのが、少しでも遅ければ、あの男は殺意をもって、刃を繰り出していた!
知らず、小さな溜息を、心剣は吐いていた。体から力が抜けるのを覚って、緊張していた事を知った。それほど、源十郎の照射した剣気は、凄まじかったのである。
――俺か、あの男か。どちらかが、斃れる秋がいずれ来る。
心剣にこの直感が働いた。
いまだ、源十郎の放った殺気の余韻が、薄くこの男の身を包んでいた。
四半刻ほど待たされて、心剣は客間へとその身を移した。
「久闊だの」
迎えたコルネリウス・スピレインが、しゃがれた声で言った。
心剣は、そろそろ、七十に手が届きながら、屈強な肉体を保持し続けるコルネリウスの挨拶に、
「いつか、しばらく養われていたのにもかかわらず、礼の一つも無く姿を消した非礼をおもいだして詫びに来た、と言うのは、ついでの事と思って頂く」
そう答えた。
「ほう、というと?」
コルネリウスは、先を促しながら、丸テーブルを挟んで心剣の前にある椅子へと腰かけた。
「御老人に隠居を勧めに来た」
「儂にか?」
「左様に相成るかもしれぬ」
コルネリウスは、特に気を悪くした様子も無く、心剣を見つめた。
「妙な言い方をする」
「貴方ほどの歳ともなれば、頭脳か肉体か、普通はどちらかが不便になる」
心剣の言葉に、コルネリウスは打ち笑った。
「ふむ――体には問題の無い以上、儂の頭脳が鈍ったと申すのか。なんのなんの。それでもあの馬鹿息子よりは、マシだろう」
コルネリウスには、息子があって、嫡子だが、取り柄は、金を使うだけという凡夫であった。
「あれが三十を迎えた日、儂はあれの変心を諦めた。あれは世の中の役には立たん。と言って、害を成さん男でも無い。儂の目の黒い内は、あれにスピレイン家を任せる訳にはいかん。せめて、ヘスティアが成人するまではな」
老人の期待は、出来の悪い息子よりも、孫娘の方にあった。
「確かに、幾らか頑固にはなってきておるのは、認めねばならんがな。だが、そういう訳で、お前の勧めには頷けんな」
これを聞いて、心剣は、袂から手紙を取り出した。
「何者かが、貴方に宛てた物だ」
一旦は、コゼットに渡ったあの手紙であった。
「書かれている文字は、わたしには読むことは出来なかったが、読める者から内容は聞かされた。その者から、中に、差出人の名は記されていないとも聞いた。御老人、貴方なら差出人の見当が付くだろう」
手紙を、心剣はコルネリウスの前に滑らせた。
「これに、儂へ隠居の提案をした理由があるというわけだな」
手紙を開いて、無言で読み終えた老人の目は、わずかに険しく細められた容を、保ったまま、心剣へ視線を戻した。
「由があって、それに書かれていることを、わたしが阻止する役割を引き受けた」
コルネリウスは、ふう、と難しげな溜息を吐いた。
「成程、隠居ものだ。心剣、ここが思案のしどころ――という訳か。儂が、この手紙で望まれる事を成そうとすれば、お前が立ち阻む……。成さねば、咎を蒙る……」
「それで、貴方の答えはどちらだ?」
コルネリウスは、腕を組み、ううむ、ううむ、と呻いた。思案に思案を重ねているといった態度であったが、
「御老人。すでに貴方の肚は決まっているはずだ。その上で勿体ぶられるのは、わたしの好むものでないのも、御存じのはずだ」
心剣に看破されて、ニヤリと笑ったものであった。
「そう急かしてくれるな。隠居もせず、お前も敵に回さず、同時に蒙るものを回避する策が何かないか、と考える時間ぐらい持たせてくれ」
「その言葉は、偽りでなければ、こちらの気持ちに叶う」
「お主を敵に回す。これは、どれだけボケが進んだとしても、やってはならぬ事であろうよ」
心剣とコルネリウスの二人は、微笑し合った。
「時に、御老人。貴方は、魔法とやらを、使われるか?」
心剣の問いに、コルネリウスは、「使う」と答えた。
「それが?」
「差出人の名を聞く前に、魔法というものは、使う度、命を削る物なのかどうかを、訊ねたい」
話題を変えた心剣に、コルネリウスはすぐには答えず、一度手紙にへと、視線を落とした。
「魔法の種類に因る。基本中の基本だが、魔法というものは、己の魔力を、外に顕すものだ」
おのれの中に宿る魔力の強弱如何によって、威力も変わる、と老人は続けた。
「ただ儂は、魔力が低いのでな、最下級魔法程度しか扱うことは出来んし、またそれらを使う事に、疲れはするが抵抗は無い。上位魔法についても、同じだ。疲れるが、それだけだ」
「では、他人を治癒する魔法も、抵抗の無いはずでは――?」
「人の行動を制限したり、心に働きかけるという魔法も、あるにはある。だが、それは、こちらの魔力を一方的に、相手に送っているだけに過ぎん。治癒となれば、話は別だ。なにせ、相手の体に働きかけ、相手の体をして治すというものだからな。人は傷を自然治癒に任せても、その為には、栄養が居るだろう? それを急激に治そうというのだ。その為の栄養を、お主の言う治癒魔法は、術者の命に求めるのだ」
コルネリウスの説明は、コゼットから聞いたそれと、全く変わらぬと言っていいものであった。
コゼットが、こちらを偽っていない事は、直感として、この男にはあったが、一応の、確認をここでしたのであった。
「それで、差出人は」
「心剣、お前は先ほど、熊に会ったろう」
熊と言われて、即座に思いつくのは、一人であった。
「大垣源十郎とか名乗っていたな」
「差出人は、あの男の主人だ。名を、イザベル・カペーという。伯爵家だ。もともとは、夫であったレオンが当主だったがな、五年ほど前に病没して、今は夫人であったイザベルが当主を務めておる」
「……」
――やはり、闘う事になるか。
「あ奴の用件は、どうも解らぬ所があったが、これで氷解した。十四年前の事、レオンめ、日記にでも付けておったのかも知れん」
「あの男の用件とは、どのようなものだったのか」
心剣の問いに、コルネリウスは唇を濡らした。
「まず、イザベルの使いだと明らかにした上で、返答を求めて来よった。何の事やら判らんかったが、当然だ。この手紙が儂の所に来ていなかったのだからな。そこで、あの男は、イザベルからの別の手紙を置いて行きよった。これだ」
服のポケットから、コルネリウスはその手紙を取り出した。心剣の前に置いたが、彼は手を伸ばしはしなかった。
「どうせ、目を通した所で、わたしには読めまい」
「ナンナ――いや、今はコゼットか。十四年前、儂とレオンが密かに匿った女だ。そのナンナの居場所を、探す、と書いてある。返事が無い以上、手出しをせぬように、ともな」
「治癒の魔法を使う者を探し出して、その女は何を為そうと言うのか」
コルネリウスは頭を振った。
「判らん。儂の失脚でも狙っておるのか……いや、それならば、お前が今日持って来た手紙なぞ出さぬはずだ。……あの女に何をさせようというのか、これは調べてみなければ、判らん」
「御老人は、匿った女の居場所を御存知か」
心剣の問いに、コルネリウスは寂しげに笑ったものであった。
「知って居る。最初は、この屋敷に匿ったのだがな、子を産んですぐに姿を消した。手の者を使って探してみると、レリーの街に戻って居った。……自分が原因で、廃墟と化してしまった街にな。街の者たちとアシュレイの魂の供養のつもりでもあったのかもしれん」
「……」
「何とか、説得して、儂の目の届く王都に戻したが、儂にこれ以上の迷惑は掛けられないと、援助は固く断られたのだ。やむなく、定期的に様子を探らすに留めておるが」
「御老人――」
「なんだ?」
心剣は静かに立ち上がった。
「イザベルとかいう、あの母子を狙う者の口を割らせようとしても、どうせ無駄であろう。わたしは、まだるっこしい遣り口は好まぬが、今回ばかりは、贅沢は言わぬ」
訝しげに、コルネリウスは先を促した。
「儂に、どうせよと言う?」
「御老人は、あの母子の住まいを、その女に報せてくれればよい」
「なんだと!?」
コルネリウスは、驚きを隠せず、絶句した。
「報せ方は、御老人にお任せしよう」
「そ、それで心剣、お前はどうするのだ」
冷ややかな微笑を刷いて、心剣は言った。
「わたしは、母子の傍に居ることにする。もし敵が、現れれば、片端から斬る。いずれ、敵が諦めるか全滅するか、わたしが血海に仆れるか、やってみなければ分からぬが、母子を守るには、これが上策に思える」
「下策も下策だろう。お前が仆れた時は、どうなる」
コルネリウスは、些かの非難を、眼眸に滲ませた。
「わたしが仆れた時は、その後は、御老人の仕事だ。御老人が母子を助けるも見捨てるも勝手。わたしの知った事ではない」
話は、これで終わったといった態度で、心剣は老人に一揖した。
「心剣!」
コルネリウスの声を無視して、心剣は部屋を出ようと、扉に手をかけた。
「待て! 心剣! 待たぬか!」
言いながら、コルネリウスが、心剣に追い付いて、
「お前の事だ。言い出したら聞かぬだろう。止むを得ん。儂も行こう。支度するゆえ、待っていてくれ」
先に部屋を出たものであった。
いつの間にか、暮色が、王都を包んでいる。
家路を辿る人々が、仕事帰りに一杯引っ掛けようとする者が、居酒屋の呼子が、通りを雑多な景色にしているのだが、それも、あと二時間ほどすれば、姿を消して、王都は眠りにつく。
心剣とコルネリウスの二人は、貴族屋敷区を抜け、中央広場から細い路地を選んで歩いていた。
まだ人の混む大通りとは違い、この路地はすでに人気を失していた。家々の窓から、微かに漏れる、蝋燭の頼りない灯りや、食事の匂い、住人たちの小さな笑い声が、団欒を想像させるに充分であった。
――あの母子には、今まであのような、団欒の光景が果たしてあったのであろうか?
無意識に生まれた感慨を、心剣はすぐに消した。ずっと背後から、二人を尾ける数個の気配を、悟ったからであった。
――俺でなく、老人を尾けているなら、お早い手並みだ。まさか、今日の内とは。
大垣源十郎ではない、心剣はそう思った。
やがて、完全に陽が没し、心剣とコルネリウスの二人は、コゼットの住む家に辿り着いた。コゼット宅は、王都の端も端、人家もまばらな寂しい所にある。川沿いで、すぐ前は河原である。
「スピレイン様――!」
出て来たコゼットは、コルネリウスの存在に、緊張の色を見せた。
「うむ。元気にしておるようで、何よりだ」
コルネリウスが来訪の訳を話しているあいだ、心剣は顔を背け、宵闇の一点にずっと視線を投じていた。
「どうした心剣?」
「御老人には、先に入っていて頂こう。わたしには、早速、出番が巡ってきたようだ」
心剣は二人から離れて、尾行者を呼ばわった。
「おい、出て来たらどうだ。こちらはとうの昔に、お前たちの事には気付いていたぜ。それでいて、お前たちの目的の場所まで案内してやったのだ。出て来て礼の一つでも言ったらどうだ」
この言葉に、宵の一角が動いた。しかし、姿を見せようとはしないようであった。心剣はやおら、小柄を引き抜くや、間髪を入れぬ一投を示した。
「ぎゃっ――」
悲鳴のすぐあとに、重いものが倒れる音が続いた。
「やったか!」
「し――死神様……!」
コルネリウスとコゼットの、対蹠的な声が上がった。
「残りの二人! お前らの内、一人は助けてやる。潔く姿を見せて、俺の刀にどちらかの血を吸わせるがよい。……出て来ないなら、いいだろう。今度は脇差を打ってくれる。さあ、お前たち二人の内、どちらに運が無かったか、試してくれよう」
心剣の挑発に、宵に潜んでいた影が、行動を起こした。これで、狙いは心剣の方で無かったのが、明白となった。一人を逃がし、一人が月明かりの中に姿を晒したのであった。
しかし。
「……ほう。貴様であったか」
その者に、心剣は思わず微笑を刷いたものであった。
「雨の中では、面白いものを見せて貰ったと、礼を言わねばならぬのは、俺の方であったな」
敵は、十日前、心剣を襲った魔法使いであった。
「なぜ生きている!? あの毒は象をも殺すほどの毒だったはず!」
「天佑、としか言いようが無い。もっとも、そのおかげで、こうして、今度は俺の方が、面白いかどうかは分からぬが、お返しに、俺の技を見せてやれる機会を、こうして持てた」
心剣は刀を鞘走らせつつ、石火の迅さで間合いを一間にまで詰めた。
「うっ――!」
敵は慌ててナイフを身構えたが、そこへ、
「今一度、魔法とやらを使うがいい」
更なる挑発を、心剣は浴びせた。この時、心剣は構えを為していた。
左半身になり、右手の刀を垂直にして上段に取っていた。左腕は真っ直ぐに相手へ伸ばし、かつ、その五指は不規則に、動き続けている。
「貴様の魔法、この登竜落しが破ってくれる。これが俺のお返しだ」
「斬れ! 詠唱の時間を与えてはならん! どのような魔法を放つか分からんのだぞ!」
コルネリウスの叫び声を心剣は無視した。
「さあ、どうした? 早く使ってみろ」
敵は、何かの文言を唱えながら、一間を跳び退ったが、着地した時、間合いは全く開いていなかった。敵の跳躍と同時に、その分を、心剣が詰めていたのである。二度、三度と敵は試みたが、いずれも、心剣は間合いを離すのを許さなかった。三度目には、文言はすでに発していなかった。
敵の顔には、焦りがあった。その焦りが不敵な笑みに変わったのは、四度目の跳躍の着地においてであった。今度は、心剣が動かなかったからである。
敵は、右手で心剣を指差した。瞬間、心剣の立っている場所に、十日前と同じく炎の柱が上がった。
コルネリウスとコゼットの眼には、心剣が炎柱に呑まれたとしか、映らなかった。
しかし、血しぶきを巻き上げたのは、魔法使いの方であった。
心剣は炎が生まれた刹那を外さず、電光の如き迅速を以て、間合いを詰めるや、敵を真っ向脳天から斬り下げていたのであった。
心剣は、地べたに仆れた魔法使いが発生させた、背後の炎柱を見返るや、消えるまで、眺め続けた。……