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雨と火柱

 午後一時、にわかとして、黒雲が天に沸いた。それを見た人々の足が早まる。

 都市の活気は、一時的なものにせよ、雨によって奪われる、と言っても過言ではなかった。

 住まいが近ければ、帰宅した。用事があろうと、先方も、「雨なら仕方ない」と、納得するものであった。

 昔話に、一人の金貸しの話がある。

 金貸しは、非情な取り立てをすることで、大変に恨まれていた。その日も、取り立てに出ようとしていた所、雨が降ってきた。金貸しは、何を思ったか、その日一日、取り立てに行くのを中止した。

 すると翌日、昨日取り立てに行く予定だった工芸士を訪ねてみると、

「約束の期限は昨日だったにもかかわらず、貴方は姿を見せませんでした。おかげで私は、何とか工面を出来ました」

 と、利子も含めて全て返した。驚いた金貸しは、どうやって工面できたのかを訊いてみると、

「昨日、雨が上がってから商売に出た所、たまたま、さる貴族のお方に、私の品物をいたくお褒め頂きました。そのお方は、その場にあった品を全て、お買い上げ下さったのです。それもこれも、貴方が昨日、私の所へ、来られなかったからでしょう。私がお金を返せなければ、貴方はきっと、私の品物を持って行ったに違い無いのですから」

 こう、男が答えた。金貸しは苦笑して、気まぐれもたまには起こしてみるもの、と、以来、雨の降る日の取り立てをやめたそうな。

 この昔話を担いでのことであろう。金貸しの取り立てでさえも、雨の降る日は無くなる。

 繁盛するのは、雨宿りに選ばれた飲食店や、宿屋だけであった。

 傘は、高級品であった。庶民が、おいそれとは、求めることが出来なかった。

 降られる前に、家に戻ろうとする人や、馬車を探す者、雨を避ける店を選び始める者たちの中を、死神心剣が、慌てるでもなく、歩いていた。

 暫くの間を置いて、ジャンがついてきている。

 ――ちぇっ。隙が全然ねえや。だからってこのまま何にもしなかったら、俺の負けだし……。あのおっさん、一筋縄じゃいかなそうだし……。どうしたもんかなぁ。

 心剣の後を()けながら、ジャンは頭を捻る。

 ――雨が降ったら、どこかで雨宿りするだろうし、そん時、一時休戦と見せかけようか。

 幼い策略を巡らしつつ、ジャンは、心剣の背中を眺めた。

 先程の、心剣の剣技が、ジャンの脳裏に蘇った。目にも留まらぬ迅さで、貴族の服だけを、斬ったのである。

 ――おっさんが勝ったら、俺の指を折る、なんて言ってたけど、もしかしたら、殺されるかも……。

 急に、そう思って、ジャンが身震いするのと、空が雨を落とすのとが、同時だった。

 ポツ――ポツ――と、様子を探るかのように、弱かったのは、十を数える時間だけであった。雨は猛烈な勢いをもって、激しく、地面を叩き始めた。

 その間に、心剣は、一軒の店の軒先に、その身を移していた。食事処らしく、中から好い香りが漂ってきたが、入ろうとはせずに、ただただ、石畳で舗装された道路へ、雨が跳ねるのをその眼に映すのみであった。

「旦那。入って下すっちゃどうかね?」

 見かねたのか、店の者が勧めたが、

「ここで良い」

 心剣はすげない返事であった。が、すぐに、

「もし、油紙があれば、所望したい」

 銀貨を一枚、店の者に渡した。店の者は相好を崩して、中へ引っ込み、暫くして、油紙を心剣に渡した。心剣は、懐から、さっき拾った封書を出すと、油紙に包んで、また懐に戻した。

「本当に、お入りになられないんで?」

 銀貨の効果か、言葉遣いを多少改めた店の者に、

「相手方らが、どうやら、それは好まぬことらしい」

 雨の先を透かし見ながら、心剣は言った。店の者が不思議がって、心剣の視線を追ったが、けぶる雨の向こうは、何も見えなかった。

「造作をかけた」

 言って、心剣は静かに、雨の中へ入って行った。

「ちょっ! 旦那!?」

 驚いた店の者が呼び止めたが、心剣は振り返りもしなかった。


 雨に、全身を打たれながら、心剣が、人通りの絶えた通りを、歩いていく。ジャンは、顔をしかめつつ、その後を、追っていた。

 ――何考えてやがんだ。俺まで、ずぶ濡れじゃねえか。

 その時であった。ジャンは、路地から、三つの影が、現れるのを見た。

 影は、心剣とジャンの間に、挟まれるかたちとなった。

 雨足は強く、視界が悪いものの、いずれも、雨具を、着ていない事だけは、認められた。三つの人影は、心剣の歩速に合わせるかのように、ゆっくりとした動きであった。雨に服を濡らすのを、諦めた者たちの動きではあったが、到底、開き直っている様子のほうは、無かった。

 ――なんだ……? あいつら……。

 不審がると同時に、ジャンは、直感的に、心剣を尾ける速度を緩めた。充分な距離が開いて、その距離を、ジャンは保ちつつ、追った。

 そのまま、百メートルほどを歩いたろうか。

 心剣が大通りを折れ、路地へ入っていった。影たちも、数秒ののちには、同じ道を辿った。

 彼らの姿が消えた直後――

「おっ!」

「うっ!」

 という声を、雨の中にジャンは聞いた。その声が、明らかに緊張したものであったので、思わず、ジャンの足が止まった。

 と、路地から、後退する三つの影。数秒を置いて、懐手の心剣が、姿を見せた。

 雨足は、この時、わずかに弱まった。

 心剣が、一歩、踏み出すごとに、三人が、一歩、下がる。心剣が立ち止まると、三人も間合いを保って、動かぬ。

「先ほどの貴族の意趣にしては、いささか、早すぎる。……別口か?」

 と、彼らに浴びせた心剣の言葉は、皮肉めいていた。

「……」

 三人は答えず、ダガーを手にすることで、答えとしたようであった。

「ふん――。個々の腕の未熟を、連携で補うか」

 心剣は吐き捨てて置いて、刀を抜いた。

「言っておくが、俺は、相手の腕がどうであろうと、斬るのに、痛痒(つうよう)を感じぬ男だ」

 右手の刀を、ダラリと下げたなりで、心剣がつまらなそうに言った。

 ジャンは、息を詰まらせて、その光景を見ていた。

 貴族同士の、決闘沙汰というのは、目撃したことはあった。だがそれは、決闘、と言っても、殺し合いでは無かった。相手に、わずかでも出血させた方が勝ち、という、子供の遊びにも等しいものであった。

 今、ジャンの目の前で、まさしく、命のやり取りが行われようとしているのは、間違い無かった。


 心剣は、ダガーを構える三人のうち、心剣から見て左の、最もサマになっておらぬ男に、意識の大半を注いでいた。

 ――解せぬ。

 決死の気色を、男たちは、その身から、溢れさせているのであったが、一番未熟と見える、その男のは、他二人に比べても、異常なものであった。それでいて、またなんとも不思議であったのは、この、構えの未熟な男が、他二人よりも遥かに、落ち着いた様子であることであった。

 更に、この男は、眼だけで、他二人の動きを制した。これは、誰が心剣の立場であったとしても、目に付いたことであったろう。

 ――こやつ、幾度も死地を越えて来たのは、間違いないようだが……。

 肚裡で呟く心剣に、その男は、どこまでも、生兵法以下の、児戯と言っても差支えの無い、構え方を、示すのみであった。

 ――解せぬ。何故この男が、生き延びて来られた? 未熟を、演じているのか?

 心剣は、しかし、その考えを否定した。

 未熟が、熟練を模した所で、相手によっては、ハッタリにもならぬ。熟練が、未熟を装えば、相手によっては、有効であろうが、この心剣という男には、そうでは無いのだ。

 未熟が、いくら、熟練らしく見せた所で、手練れにはすぐ看破されるのと、同じである。手練れが、未熟ぶっても、立ち位置、間合い、左右の足の置き所、武器の持ち方、目線、腰の落とし方などから、体変自在の隙の無さを、相手とする手練れは、見抜くのである。

 完璧に、未熟を成せば、それは、自身の身体の動きを窮屈にさせる。それは、死と、同義であった。

 どこまでも、この男は、長短問わず、剣の扱いに不慣れであることを、こちらも、幾度と無く、死生の場に、その身を置いてきた心剣には、判るのであった。

 ――意外の技を、持っている、と見ておいた方が良い。

 己にそう言い聞かせて、心剣は、下段の構えを採った。

 そこへ、不意を突いたつもりか、右の敵が、無声の気合と共に、手裏剣のようにダガーを、心剣へと打ち付けた。

 きいんっ、と、高い音と共に、ダガーは、跳ね上げられた。刀で弾いた心剣の、その瞬間を、あやまたず、正面の敵が、襲った。

 びゅうと繰り出された突きを、躱しざま、心剣は、この敵の胴を薙いだ。

「ぐっ――う……」

 呻いて、この敵は、(たお)れた。と次の瞬間には、心剣は、右の敵に向けて、走っていた。

 こちらの敵は、慌てた様子で、新たなダガーを、すでに出しており、心剣へ、再び打ち付けようとしていた。が、心剣はそれを許さず、一刀の下に斬り伏せてやらんと、刃を繰り出した。だが、瞬間、その愚を、心剣は直感した。

 背後に、異様な、気配と殺気を、感じたのであった。

 目の前の敵を斬れば、背中を襲われるであろう。

 ――どうする?

 そう考えるよりも先に、心剣の五体は、真横へ跳んでいた。

 炎が、寸前まで心剣の立っていた所に立ち昇ったのは、着地の直後であった。

「これは――!」

 心剣をして、思わず、驚きの声が出たものであった。まさしく、火柱と言っても、誇張では無かった。

 およそ、三尺太の、()めるような炎が、篠付く雨を蒸発させながら、一丈ばかり、燃え上がっていたのであった。

 ――何が起こっている!?

 この、心剣の一瞬の茫然を、逃すほど、敵は甘くなかった。打ち付けようとしていたダガーを、場所を移した心剣に向けて、打った。

 はっ、と、心剣の意識が恢復した時には、回避は、不可能であった。心剣は身をよじり、急所に命中させぬよう対処するのが、精一杯であった。ぐさり、と、ダガーは、心剣の左の二の腕に、刺さった。

 心剣の神経に、ふたたび、先ほどと同じ気配が、触れた。

 新たな炎柱が、あがった。間、髪、の差で、心剣は一間を、跳び退っていた。

 三度、今度は、心剣の着地点を、狙って、短剣が飛翔してきた。しかし、これは、手元が狂ったのか、力の籠っておらぬものであった。負傷した左腕を使わずとも、刀で叩き落とすのは、容易であった。

 この時、間合いは、かなり開いていた。さすがに、一足跳びに刃圏内に、刺客を捉えるのは、難しいといえた。

 ――やはり、意外の技を持っていた!

 予期しておいた事とはいえ、何も無い地べたから、火柱を燃え上がらせる、などという芸当とは、思いも寄らぬことであった。

 二つの柱は、その勢いを、いささかも緩めることなく、雨を蒸発させながら、水蒸気を生み続ける。

 未熟なはずの刺客は、この場において、まさしく、一番の強敵へと、変わっていた。

 しかし、奇妙にも、刺客たちの攻撃は、止まった。

 濛々たる水蒸気が、霧となって、修羅場に、漂うてきたからであろうか。

 視界が、白く閉ざされ、さながら、雲中に身を置いたかのようであった。

 心剣が、白闇の中に、その身を佇立(ちょりつ)させ、敵の気配を、窺っていたのは、およそ、二十を数える間だけであった。

 徐々に、炎柱の勢いが、失われ始め、数分ののちに、完全に、視界は、開けた。

 刺客たちは、一個の物体と成り果てた一人を残して、その姿と気配を、消していた。

 心剣は、左腕のダガーを、引き抜き、仔細に眺めてみたものの、敵に繋がる手掛かりには、なりそうになかった。

「おっさん!」

 声に、目を向けると、ジャンが、慌てた様子で、駆け寄って来る姿があった。

「奴らは、どうした?」

 心剣の問いに、

「それが……霧でよくわかんなかったけど、多分、逃げたんじゃないかな」

 ジャンは心配げに、心剣を見上げた。

「そうか……」

 ――逃げたのだとしたら、何故、逃げる必要があった……?

 ――挨拶代わり、だったのやも知れぬ。

 心剣は、今日までの、己の行いを思い起こした。無造作に、人を斬ってきた。命を、狙われる憶えは、幾らでもあった。

 しかし、炎を現出させる、という相手は、ついぞ今日まで、相手にしたことは無かった。

「怪我してるじゃねえかよ」

 ジャンが、雨と共に、心剣の左腕から滴り落ちる血の筋を、見咎めた。

「だいじない」

「で、でも……」

 心剣はダガーを放り捨て、ジャンに構わず、歩き出した。

「おい! おっさん! ダメだって! ちゃんと手当しないと!」

 ジャンが心剣の袖を掴んだ。

「手当なら、自分でする」

 突き放す言葉を、放った、その瞬間であった。

 ――む……。

 心剣の身体に、ゾクリと、悪寒が走った。直後、痺れが、心剣を襲った。

 意に反して、心剣の体が、傾いでいく。

「毒……か」

 ――成程……闘いを続ける……必要の無いわけだ……。

 心剣の意識は、そこで、闇の中へと入った。

「おっさん!?」

 倒れた心剣に狼狽するジャンが、雨中に、残された。


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