勝手にひとりになるふたり。
どし。
どし。
ずん。
石造りの壁に絡まる蔦の葉が、小さく千切れて足元に散らばる。青臭い匂いが霧の湿気と合わさって、より強く感じる。
どし。
どし。
「騎士様、塔を壊すおつもりですか」
これぐらいで壊れるなら、本当に壊れてしまえばいい。そうしたら……
「……エレナルイスは?」
「まだカーテンの中におられます」
どし。
ぎりり。
「誘えば良かったのですよ」
「……なに?」
「一緒に剣術をしませんか、と」
「……姫君に剣など持たせられるか」
「すごく喜んで、とても楽しみますよ、姫様なら」
確かに、何でもやってみたいと、嬉しそうにするエレナルイスの姿は苦も無く想像できる。
「正直に話して、その上謝りますかね、あそこで」
「う……ぐ……」
「真面目も過ぎるとただの愚か者ですね」
「……師と同じことを言わないでくれ」
「わたしは師団長様に作られて、師団長様の魔力で駆動しておりますので。考えが似ているのは仕方がないかと」
「……ああ。そうですか」
どし。
どし。
どし。
「塔の前に騎士様の手が壊れそうなので、もうそろそろ止めて下さい」
壊れてしまえば良い。
「騎士様が痛い思いをしたからといって、それで姫様と痛みを共に、なんて、そうはなりせんからね」
返す言葉も無い。
最後にごん、と額を壁にぶつけて八つ当たりを止めた。
両の手にすうと冷えた感じがして、痛みが引いていく。
「……治したりしないでくれ」
治癒の魔術を振り払おうと勢いよく拳を下げると、緑の欠片と血の水玉がぱらぱらと辺りに散った。
「痛めた手を姫様に見せつけて、反省の証にして許してもらおうと? それとも傷を負わせたと自分を責める姫様が見たいのですか?」
「……ぁぁぁああ!! クソったれ!! 最低最悪だな!! 俺は!!」
「……今のままではその通りとしか」
途中で振り払って治りきってなかった傷を自分で治療した。
一体何をやっているんだと顔を覆ってしゃがみ込む。
小さな手がとんとんと肩をいた。
チェルの外身は陶器で出来ている。
硬くて冷たいはずなのに、不思議と温かく優しい感触がした。
「惜しかったですね。実に惜しい……ですが悪くはない。この程度で折れてもらっては困りますよ」
「なに……? を?」
「まぁ、適度に発散したら、さっさと中に戻ってきて下さいね。私は先に姫様の元へ参りますので。……では、失礼いたします」
ふと手を振って塔への入り口を開くと、繰り人形のチェルはかたりかたりと足音をさせて中へ入る。
すぐに灰色の石壁で後ろ姿が消えた。
脱力して地面に寝転んで、唸りながらごろごろと転がる。
あっちの森の木にぶつかり、こっちの塔の壁にぶつかり、取り敢えず気持ちが落ち着くまで転がり続けた。
気が落ち着いた後は、頭をすっきりさせるために力の限りに思い切り走ることにした。
折良く霧が薄まり、探知の軽い魔術を使えば何にもぶつかる心配が要らなそうだった。
どこかにぶつかって痛い目に遭えばいいのに、とちらりと考えて、最低最悪かと大声で吐き捨てて、リオアベルは走り出す。
「さあ姫様、もういい加減にして出ていらっしゃいませ」
もぞりと動いたカーテンの塊が、ぎゅっと縮こまる。
「いじけて泣くのが姫様のすべきことですか?」
縮こまったカーテンの塊から、唸り声が聞こえる。
「……さっさと出てこないと。さもないと……怖い話をしますよ」
大きく唸った塊がもぞもぞっと動く。
「……あの日は……暗くなってからしとしとと雨が降りだし……傘を持たなかった私は仕方なしに夜道をひとり……」
「ぅぅ!……ぃやだ!」
カーテンからばさりと出てきたものの、床に伏せ手足を縮めて、甲羅の中に入った亀のようになっている。
チェルはちりりと駆動音を立ててエレナルイスの前に座り込んだ。
手巾を差し出しても受け取らないので、頭の上にぺろりと乗せる。
「……鼻をかんで……涙も拭いて。ぐちゃぐちゃですね……顔を洗っていらっしゃい姫様」
「……放って置いて……」
「何を甘えたことを……鼻たれ姫様」
「うるさいお小言人形……」
「お褒め頂き光栄です」
「褒めてない!」
手を引かれて浴室で顔を洗い、またチェルに手を引かれて長椅子に座らされる。
「ひどい顔ですね、騎士様が戻ってきたら笑われますよ」
「戻ってこないもん」
エレナルイスの前で床に両膝をつくと、チェルは虚ろに鈍く光を映す目で見上げる。
「人の気持ちを察して慮るのは姫様の良いところですが、考えるばかりで終わってしまうのは悪いところですよ」
「……難しいこと言わないで」
「騎士様のことを考えるのは良いですが、騎士様がどうするかを姫様が勝手に決めないで下さい」
「……だって」
手元に氷と布を呼び寄せると、丁寧に包んでエレナルイスに手渡した。
顔に当てるように身振りで示す。
「だっても何もありません」
「リオアベルは……こんな所にいるべき人ではないもの」
「そのこんな所が騎士様の任地ですよ?」
「だから、それが気の毒なの……もっときちんと力が発揮できる……」
「ひーめーさーまー……騎士様にかわいそうだと思われたくないくせに、姫様が騎士様をかわいそうがるなんてねー」
「そんなこと!……そんな、こと……」
「勝手に考えて、勝手に騎士様の気持ちを決め付けて、本人に聞きもしないでねぇー」
「そう……だけど。でも、時々、とても辛そうな顔をしている……もの」
「ここが嫌で辛いと、そう言いましたか?」
「……いいえ、でも、苦しそうに胸を押さえたり」
「ここに居るのが耐えられないと?」
「言ってない……でも、リオアベルほどの人なら、きっと」
「でも、だって、でも、だって……」
「……んんん! うるさい!」
「聞いてみたらどうですか。辛そうな訳を。苦しそうな理由を」
「そんなの……私のせいに決まっているもの」
「あ、それは正解ですけど」
「ほら、やっぱり!」
「うじうじめそめそ鼻たれ姫様」
「うっ。ふっ……そんな……なま、え……ふふふ」
泣き腫らした顔にやっと笑顔が戻ってきて、チェルはエレナルイスの氷を持つ手を、下からすくってゆっくりと顔に当てさせる。
「戻ってきますよ、騎士様は必ず。なぜ戻ってきたか、勝手に考えないで、ちゃんとお聞きなさい」
「……はい」
「良いお返事です……騎士様に会ったら、まず最初に言う言葉は何ですか?」
「……もう……子どもじゃないのに」
「そう言っている間は、まだまだ子どもです」
「……なぞなぞ?」
「……違います」
正午を過ぎて、久しぶりに霧がすっきりと晴れる。
深い青は国の上半分。
民が揃って雲ひとつないその空を見上げている、そんな頃。
ようやく発散し終わったリオアベルは、色々な理由で、重い足を引きずるようにして塔の上まで運んだ。
こそっと広間の扉を開けると、ぽつんとひとり、広間の真ん中にエレナルイスが立っていた。
「……た。ただ今戻りました」
「おか……えりなさい」
「エレナルイス……」
「……ごめんなさい、リオアベル」
「え?! いや、俺……私が、考え無しの言葉を言ったので、謝るのは私の方です」
「いいえ……私が勝手に腹を立てたの」
俯いて、手を擦っては握ったり開いたり。
どうしていいのか、怒られる前の子どものようなエレナルイスの様子が、もう、堪らない。
息を吸い込んで、静かに吐ききる。
どし、とやかましい自分の胸を叩いた。
その音にはと顔を上げたエレナルイスは、へにょりと眉を下げる。
「いや、なの? そう、でしょ? 辛い、のよね。リオアベルは」
「え? ……なに、 何がですか」
「……だって……だってじゃなくて……その。よく、苦しそうな顔をしてるから」
くらりと天地が返る感覚がして、それでもぐっと踏ん張ってなんとか崩れ落ちるのを堪える。
確かに日に何度も、それこそ数えきれないほど辛くて苦しくて、我慢と苦行を耐えてきたリオアベルだけど、勘違いされていることにやっと気が付いた。
「……汗だくだったり、色々汚れて、さっき服の上から水を浴びてきたので」
「……え? 本当、ぽたぽた水が落ちてる」
「ちょっと。いや、結構びしょ濡れなんですけど」
「そうね、早く拭いて。風邪をひかないように着替えを」
「申し訳ない……失礼します」
「ええ、どうぞ」
大股で三歩、すぐそばまで距離を詰めると、リオアベルはそのまま正面からがばりとエレナルイスを抱きしめる。
「……はぁ。困ります、びしょ濡れなのにそんな」
「え? それは、私の言うことでしょう?」
「エレナルイスが風邪をひいたらどうしてくれるんですか」
「……それも、私の言うこと」
「……ああ、でもくっついてたら、あったかいですね」
「……リオアベル?」
ぎゅう、と力を込めてエレナルイスの肩口に顔を埋めてから、ため息と同時に少しだけ力を緩める。
「すごく我慢していました」
「…………やっぱり」
「辛かったです。胸は苦しいし」
「ごめ……ごめんなさい、リオ……」
「ホラそういうところも。全部がかわい過ぎて辛いです」
「は……な、に?」
「こうしたくて、したくて、我慢するのが、大変なんですから」
「リオ……」
「下級の騎士ごときが、姫様に恋とか、不敬も不敬。打ち首ものですから」
「こい……?」
「……でも我慢し過ぎて、好きな人を悲しませるとか、損しかない」
「すき……?」
「そうです。ずっと、こうしたかった」
指の背でエレナルイスの頬をするりと撫でて、反対側に口付けた。
またぎゅうと抱きしめる。
「ああ……まぁ、もう。打ち首でもいいか」
「駄目! そんなの」
リオアベルの腰のあたりのシャツをぎゅっと握る。と、またぎゅうと締めつけられる。
「あぁぁぁぁ。これは……嬉し過ぎて死にそうなんですけど」
「だから、駄目だってば!」
きりきりと小さな音なのに、ものすごい力でふたりは剥がされる。
間には少女の形の絡繰り人形がいた。
「はいはい、そこまで」
「チェル」
「このまま放って置くと本気で打ち首確定しそうなんで、止めさせていただきます」
大柄なリオアベルがよろける程の力で、ぐいと押される。
「さあ、騎士様はご自分の部屋に戻って、今一度落ち着いて下さい」
そっとエレナルイスの手を取る。
「姫様は着替えを……いえ、やはり風呂ですね、これは。すぐに用意します」
リオアベルにはさっさとあっちへ行くようにと、手を振って合図する。
「騎士様の想いばかり押し付けるのもどうですか。よくよく考えるように。ご存知でしょうが、うちの姫様は相当手強いですよ」
「なぁに、手強いって。嫌味なの?」
表情はひとつも変わらない人形なのに、チェルはほらね、といった顔をリオアベルに向けている。
「エレナルイス、風邪をひくといけないから、早く行って下さい」
「……あとで話をしましょうね」
「もちろんです」
ふたり連れだって反対側の部屋にいく、その後ろ姿を見送った。
形も完璧な騎士の礼をしながら、リオアベルは本気の本気で有能な絡繰り人形チェルに、尊敬の念を込めて頭を下げる。
全年齢対象いちゃいちゃ防止機能付き高性能絡繰り少女人形チェル。
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