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涙が見たいわけじゃない。








床から天井にまで届く大きな窓。

その外側はくっきりと二色に分かれている。


紺が滲む空の青。

眼下は目が痛くなるほど眩しい霧の白。


霧が濃い日ほど、その上の空は雲もなく晴れ渡っているから皮肉なものだ。

下で暮らす人々は今日も、己の手の先すら見えないような障りを強いられる。


呪われ姫として幽閉されている身分なのに、民の誰よりも陽の光を味わっていることも、矛盾しているし、気がひける。



窓辺にぴったり張り付いてエレナルイスはおでこをぐりぐりとこすりつけた。


出そうになるため息を飲み込む。

ため息を吐けないほどの贅沢を味わっているのだから、と形が変わるほど窓に顔を押し付けた。


ちりちりと小さな音が近付いてくる。

少女の形をした繰り人形、チェルから発される歯車の音。


「そろそろお着替えを。間もなく騎士様が参る時間ですよ」


参るもなにも、同じ建物の中に一緒にいるのに、と思ったけど口には出さなかった。

のそのそと窓辺から離れて、衣装部屋へ引っ込んでいく。


以前までの監視役は忙しい時間の合間を縫って、顔を覗かせる程度だった。

賑やかに話をして、出したお茶が冷める間もなく帰っていく。

それはそれで楽しかったし、次がいつなのかと期待できた。



それがこの度に配属されたリオアベルは、最初のうちは毎日通ってきていたものの、数日前に宿舎を追い出されたと困り果てた様子で荷物を抱えてやって来た。


監視役が専任だから、わざわざ宿舎に帰る必要は無いと師団長から言い渡されたらしい。

ほぼ強制的に部屋を引き払うことになったと苦々しくリオアベルは言った。


今は広間を挟んだ反対側の部屋にいる。


なぜ今更、と思わなくもない。

小さな頃は寂しいとか嫌だとか、散々に言って、帰ろうとする監視役を困らせた。

相手にも都合があると、我慢を繰り返すうちに、だんだんと平気になった。


なのに今は大きな声を上げれば、すぐに駆けつけてくる場所にリオアベルがいる。


大きな声を出すようなことなんてないけど。





エレナルイスは気分を変えようと、寝間着を勢いよく脱ぎ捨てた。


気落ちしたままでは、リオアベルに嫌な思いをさせてしまう。

ただでさえ苦しげに我慢するような様子を日に何度も見ているというのに。


それも同じ時間を過ごすほどに回数が増している気がする。


無理もない。

リオアベルほど体躯が立派で勤勉な騎士なら、こんな端っこで見張りだけの為に塔に居続けるなんて、苦痛に違いない。


リオアベル自身は魔術騎士としては不適格だからと半ば諦めたように話していた。



それでも少ない魔力量を補って余りあるほど騎士としての力があるし、魔術の知識もかなりのものである、と、前任の監視役から聞いていた。


真面目で面白みはないけど、良い奴だからとにやにや笑っていた師長の顔を思い出す。


だから尚更申し訳ない。

こんな幽閉塔で、こんな小娘の相手をさせられている場合ではないだろうに。


時々見る辛そうな顔は、きっと今の現状が耐え難いからに違いない。


もっと華々しい場所で活躍したいはずだ。

補って余りある実力が発揮できる場所で。


リオアベルが真面目な人柄だということも、それ故に勤勉に努力もしただろうことも、あまり人を知らないエレナルイスにでも理解できた。


立派な騎士様に無理をさせて、暇な人に付き合わされるなんて。


そんな酷い仕打ちがあるだろうか。




また考えが落ち込みだしたので、小さく唸りながらぶんぶんと頭を振った。


「朝食の用意は出来ております。お茶は姫様がお淹れになりますか?」

「うん……はい」

「かしこまりました」


身支度を整えると、後ろに回ったチェルがリボンを結び直している。形が悪かったらしい。


初めてリオアベルにお茶を淹れて以来、それはエレナルイスの担当になった。

遠慮しながらも、嬉しそうな顔をしてくれた。だから、大して上手くもないのにお茶を淹れる。

美味しさでいえばチェルの方が何倍も上なのに。


チェルも毎度律儀に誰がお茶を淹れるのか確認する。


立派な騎士様を監視役にしなくてはいけない自分。

お世話をしてくれる人形まで気を使わせている自分。


やり場のない気持ちをどうにか心の隅にぎゅうぎゅうと押し込めて、食卓がある広間に向かう。





「おはようございます、エレナルイス」

「おはようございます、リオアベル」


席に着こうと歩み寄ると、リオアベルが先回りして椅子を引いて待っていてくれる。


そんな事しなくていいと言っても、騎士たる者……と何度も同じ話をするので、もういちいち断らなくなった。


「ありがとう」


言って口の端を持ち上げれば、リオアベルもつられて笑ってくれるから、余計なことは何も言わない。




リオアベルからふわりと外の匂いがして、首を傾げた。

少し冷たく湿気た匂い。

なんとなく髪も濡れた感じで束になっているように見える。


「……外に出ていたの?」

「あ……ああ、そうです。分かりましたか? すごいですね」

「だって、匂いが……」

「え?! 汗臭いですか?! 水は浴びてきたのに……」


つまみ上げて襟元の部分を鼻に押し付けているリオアベルの、焦っている姿が少し面白くて、エレナルイスはくすくすと声を上げる。


「水を浴びるにはもう寒くない?」

「いえ、動いた後なので、気持ちが良いです……というか、本当に臭くないですか?」

「いいえ、ちっとも。汗じゃなくて、外の匂いがしたの。リオアベルは外で何をしたの?」

「……ちょっと稽古を」

「稽古?」

「剣術です……最近あまり出来ていなかったので」

「剣術……を、頑張ってきたのね」

「そうですね、毎日続けていたので、稽古しないと何だかすっきりしないというか」

「すっきり……」

「あ……の。申し訳ありません」


向かい側に座っているリオアベルが、食卓に頭突きする勢いで頭を下げた。


「……なにを謝るの?」

「エレナルイスは塔の外に出られないというのに、自分の都合ばかりで外に出たりして。申し訳なくて、今まで黙っていました」

「……謝る必要なんてない! 当たり前のことだからそんなふうに考えたりしないで ……申し訳ないだなんて、そんなこと言わないで!リオアベルは自由に外に出たらいいの!」

「エレナ……」

「……あ……ご……ごめんなさい……大きな声を出して……さぁ、食事にしましょう。稽古をしたから、お腹が空いているでしょう?」


眉の端が下がりきったリオアベルが、とても悲しそうに見えて、エレナルイスは食事に集中することにした。




出入りを遠慮しているとは思いもしなかった。そこまで考えさせてしまった自分が不甲斐ない。

リオアベルに不自由を強いるなんて、そんなこと望まない。

この身の上が哀れだと思われることも、嫌で堪らない。





泣いてしまいそうになるのを堪える。

喉に詰まったような塊を、食べ物と一緒に飲み込もうと力を入れる。


ぎゅっと目を瞑ると、ぱたりと音がして、手元に落ちた水の玉を、見られないようにさっと手で拭った。

同時に向かい側のリオアベルが勢いよく席を立つ。


「違う!!」


食卓を回り込んでこっちにきそうだから、エレナルイスは慌てて立ち上がり、反対側に走っていく。


「何が違うのですか」

「何でもないから!」


どこに行ったらいいか分からなくなって、窓の脇に寄せられたカーテンの中に潜り込んだ。

しゃがんで、小さくなろうと縮こまる。


小さい頃から、チェルとかくれんぼをする時も、嫌なことがあった時も、考えごとがしたい時も、どうしていいか分からない時も、カーテンの中に潜り込んでしまう。


「エレナルイス……」

「何でもないから!」

「……そうは思えない」

「何でもないってば!」

「……失礼します」


ぎゅう、と体が包まれる感じがする。

逃れようともごもご動いたら、余計に締めつけられる。


体を締めつけているのが、リオアベルの腕で、背後から抱きしめられているんだと、背中に感じる温かさでそう気が付いた。


「あっち行って……」

「嫌です」

「……かわいそうじゃない」

「エレナ」

「私はかわいそうなんかじゃない」

「……すみません」

「あやまらないで!」

「…………はい」

「……監視なんていらない」

「分かっています」

「……貴方まで一緒になって幽閉されなくていい」

「私はそんな風には思っていない」

「……師団に戻って。リオアベル」


息を飲むような気配がして、しばらくたった後、ゆっくりと束縛が解けて、そのまま後ろにあった気配が部屋を出ていった。


そうなってやっとエレナルイスは唸り声を上げながら、ちゃんと泣いた。










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