自己矛盾と戦場と
今でも鮮烈に思い出せる。
「俊一郎さん」
「春子、君を残して征くのは辛い。だけどこれは、君のため──僕らの未来のためなんだ」
赤レンガの駅舎の前で、君は泣いた。
──非国民と罵られながら。
「行って来るよ」と俺は言う。
「必ず帰ってきて下さい!」
「ああ! 待っていてくれ!」
汽車は行く。涙の君に見送られながら。
これは俺の君に対する裏切りだ。
婚約者を置いて俺は征く。
出来もしない約束を残して。
我ながら、残酷なことを言うものだ。
◇
赤い大地。
ここが俺たちの戦場だ。
イヤァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!
ショックカノンの轟音に地面が震える。
ズォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ……。
パラパラと土が毀れる。
「ガキ共! 生きてるか!?」
「はい、小隊長!」
やがて聞こえる仲間の点呼の声。
よかった、僕らの小隊はみんな無事だ。
俺は蛸壺の底で無意識に胸のポケットに入れた写真を握り締める。
そしてそれをそっと取り出し、涙した。
春子──。
「なぁ坂上。その写真、お前のこれか?」
と、小指。
鉄兜の小坊主、武美だ。
「婚約者」
「そっか」
そっけなく答え、俺は写真をしまう。
俺はなけなしの勇気を振り絞り、後込めライフルを構え直す。
敵の姿は見えない。だが油断は禁物だ。
武美も慌てて俺に習う。
「坊主共! 頭を下げろ! 第二射来るぞ!」
小隊長の怒鳴り声。
俺はとっさにライフルを放り出し、蛸壺の奥に身を隠す。
イヤァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!
キヤァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!
着弾!
今度は近い!
大地が再び鳴動する。
ズォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ……。
っつ……結構な衝撃。
のしかかる土の塊。
そして、顔に付着する僅かな液体。
──液体?
「武美、大丈夫か……ひっつ!?」
上半身が無かった。
赤く毀れる臓物。零れ落ちる腸。
赤、赤、赤。血の赤だった。
蛸壺の中が朱に染まる。
「被害報告!」
「武美、武美が!!」
「忘れろ! それより頭を下げろ! ライフルなんて構えるな!」
「は、はい!」
俺は戦友の血に染まる蛸壺に、再び頭を突っ込む。
足がガクガクと震えている。
震えが止まらない。
無理だ、無理──あんなの、俺たち一般兵士じゃ敵いっこない。
「しょ、小隊長! 我が方の勇者は何をしているのですか!」
「勇者は決戦兵器だ! 敵の勇者の数より我が方の勇者の数が劣っていたらどうする!」
「そんな!」
「そう簡単に勇者は出せん!」
「そうだ隊長! この場を撤退しましょう、持ちませんよ!」
「死守だ! 撤退命令は出ていない!」
「そんな! 現に武美は死んだんですよ!? それに他にも……」
そう。聞こえるのは殺してくれとの呻き声。
母さん、母さん、と喚く俺と同じ新兵の声。
俺の同期の誰かだろう。
ああ……武美のように、あいつもやられたのか。
「敵前逃亡で銃殺されたいか!」
「す、すみません!」
「そんなことより頭を下げろ! 敵さんの第三波だ! 死ぬなよ!?」
「隊長!!」
俺は必死に食い下がる。
だけど無駄だった。
イヤァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!
続く轟音。
音と共に光が襲う。
炎が襲う。
敵の勇者の力は強大だ。
魔力砲。強大なスキル範囲攻撃なのだから。
俺たち一般兵が束になっても敵わない。
それが俺たちと、勇者の差。圧倒的な戦闘力の差だ。
今度こそ、俺はダメかと思った。
だけど、着弾音は直ぐそこだ。
なのに、今度は一編の土くれも俺には降って来ない。
──何故?
「遅くなったな君達!」
「勇者!!」
光り輝く鎧。
見事な造りの兵装。
不可視の盾。
紛れも無い──勇者。
この人こそ、戦場の花、俺たちの希望、勇者だ!
ああ、そうか。この人が、この勇者が俺を守ってくれたんだ。
俺の盾になってくれて……。
「ここは私が!」
勇者は不可視の剣を抜く。そして目にも留まらぬ速さで敵の勇者目掛けて突っ込んでゆく──。
緊張がほぐれる。
一気に力が抜けた。
俺は助かったと、今日も生き延びたと。
ただそれだけを考える。
イヤァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!
空気を切り裂く砲撃音。
ば、ばかな!
まさかとは思うが、勇者が、敵の勇者に負けた?
ズォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ……。
だが、敵のこの攻撃……!
全身を襲う衝撃。
頭を、腕を、足を、腰を。肩をぶつける。
「ぐはっ」
薄れ行く意識の中で見る、赤い吐瀉物。
ああ、これが俺の『死』か──。
ここは戦場。
命が空しくする磨り潰されていくだけの、果てしない荒野。
俺は、坂上俊一郎はあっけなく意識を失った。
◇
「俊一郎さん!」
俺が目を覚ましたとき、横たわる俺に飛びつく影がある。
そして塩辛い水。涙。
狂おしく、優しい口付け。
「俊一郎さん、私、私……!」
これは現か幻か?
だが、幻ではないらしい。
たどたどしい春子の説明によると、俺は意識の戻らぬまま本国に送り返されたという。
幸運だ。
俺は春子を抱きしめようと、痛む体を押して両手で抱きしめようとする──。
すり抜けた。
いや、右腕の肘から先が無い。
ああ、俺は──。
「俊一郎さん、私、私、あなたが生きて帰ってきてくれただけで──!」
言いかけて、再び口を唇で塞がれた。
落ち着いて天井を見る。
紛れも無い我が家。
そして、そこに横たわるのは使い物にならなくなった人間の残骸。
そうだ、俺は抜け殻だ。
御國のためと無理を押して戦場に出向き、こうして敗残兵として無様にも帰ってきた。
そして、一生物の取り返しの付かない怪我。
どうしてこの先前を向いて生きれよう。
「春子……別れよう?」
「嫌!!」
これからの試練を思うと、俺はあの戦場で散っておくべきだったと思う。
散るべきは、俺をかばって散った勇者ではなく、役立たずの俺なのだ。
春子はまるで嫌々とするように駄々をこね、俺にすがり付いて離れない。
でも、良いのか? 一時の感情に流されて。
春子はきっと苦労する。
俺はもう満足に働けない。
俺は国のために戦えない。
そんな俺を離さない春子。
春子は不具になった俺の面倒を見ることで。俺のせいで、きっと苦労する。
「春子、別れよう?」
気づけば俺は泣いていた。
「嫌です! 今度は私が我侭を言う番です!」
春子の涙。
俺はこれから何度も見ることになるその涙を、動く左手で拭ってやった。
戦場は遠い。
多くの兵士は死ぬ。戻らない。
だが俺は死ななかった。
俺の婚約者が俺のために泣いている。
目の前で泣いてくれいている。
これは幸運と言うべきか? 俺は幸せなのだろうか。