変わり者、二人
からからから。
乾いた音が風に吹かれていた。
男が何やら大そうな物を引っ張って歩いていた。音はそこから鳴っている。
木造の車輪、それも水車小屋の水車のように太く大きな車輪。車輪は木造で四輪の付いた台の上に設置されている。男はそれを犬でも散歩させているかのように紐で引っ張って、ゆっくり歩いていた。
大きな車輪には帯程度の太さの布が大量に巻かれてあった。男が一歩前に進むたびに車輪が空転して布を地面に落とし、それは長い長い線を作っている。後ろを振り返っても線の始まりは見えない。
布は真っ赤だった。
男は中年手前といった顔つきで無精ひげ、白髪の混じる長い髪を後ろで乱暴に束ねて放り出している。着ている服は所々擦り切れた汚れた着物と随分みすぼらしい格好だった。
一見何かの拷問のようにも見えるが、歩いている男はずいぶん楽しそうだった。一歩一歩、確実にその赤い線を伸ばしていく。
からからから。
車輪の回る音が響いていた。
・
雪が降っていた。
シンシンと大地を埋めていく。
それは不思議な光景だった。白い雪が空から落ちて、積もるそれが真っ赤に染まっていく。見渡す限りの赤い雪原。
車輪の男が、今から歩くその雪原を見てため息をついた。格好はいつものボロだったが、上からちゃんちゃんこのような外衣を羽織ってる。が、やはりボロだった。
「ひゃー。話には聞いてたが、まさかこれほどとは!」
男は壮大な景色の感想を叫んだ。その後、……戦跡ね、そう小さく呟いた。そしてしばらくその雪原を眺めていた男は心の中で決心を固めた。真っ赤な雪原に向かって手を合わせると目を瞑る。今から自分が踏みつけて歩く、雪の下に眠る幾万の死体の為に祈りを捧げた。自分にも目的がある、そう言い訳をして。
からからから。
車輪の音が、雪の中で静かに流れ出した。
雪の勢いは増すばかりだったが、積もる色は赤いままだった。
男は草履の裏から伝わる妙にやわらかい感触に何度も顔をしかめる。時折四輪が雪をめくり下から腕やら足が覗いた。が、それもすぐ降る雪に隠された。
凸凹している上に雪が降り積もっている為、何度車輪が転びそうになったかわからなかった。これだけの大きさの車輪、一度転んでしまったら一人で起こすのは難しい。一歩一歩踏みしめれば下から嫌な音が聞こえ、さらに濃い赤が染み出してくる。えらいところに来てしまったと男は嘆いた、が、その歩みを止めることはなかった。
赤い雪原はなかなか終わらなかった。それからずいぶん歩いたが終わりは見えない。逆にどんどん地面の凸凹が激しくなり、赤が更に濃くなっていく。
そしてその赤が最も濃くなり黒の色に近くなる頃、そこに一人の老人がいた。長い髪とひげの老人。
老人は両膝を地面に着け雪の下を探っていた。両手はもちろん、その白い髪やひげにも赤がこびりついている。辺りには掘り出した人間の様々な部分が転がっていた。
大きな車輪が近づいても、老人は頭を上げずに作業に没頭していた。男は歩みを止めてしばらく老人を見ていた。そして遂に声をかけた。
「死体漁りなら持ち物だけにしとけよ。ハラワタまで持って行かれたら仏さん、寒くてしょうがねぇだろ」
老人は初めて顔を上げ、男を見た。もちろん後ろにある巨大な車輪も視界に入ったが、特に驚いた様子も見せなかった。またすぐに作業に戻る。
「生憎金には困っておらん。ワシはハラワタ目的じゃ」
そして新たに雪の下から赤い塊を取り出した。服が派手に汚れも、老人はそんなことは気にせずに赤い塊を観察する。それが終わるとまた新たな塊を探して雪の下を漁りだした。さすがに見るには耐えず、男は目を逸らした。そんな男を知ってか知らずか、今度は老人が声をかけた。もちろん作業を続けながら。
「そんなでっかい物引きずって、おまえさんはどこへ行くんだい?」
男は少し考えて答えた。
「俺が答えたら、じいさんもハラワタ漁る理由、教えてくれないか?」
老人の作業している手が止まる。怒らしてしまったかと男は思ったが、老人は以外にも立ち上がった。意外と上背があり男より目線が高い。
「そうじゃの。変わり者同士、少し互いの話でもどうかの」
そう言って男を近くに立てたという自分の小屋へと案内した。男にもそれを断る理由は無く、車輪をそこに置いて老人について行った。
赤い雪原の外れ、老人の小屋はそこに建っていた。それは壁と屋根が付いているだけものだった。それでも雪の降る外に比べれば十分快適と言えた。中は土の地面がむき出しになっていて、老人は中央で焚き火を起す。そしてお茶を入れて男に渡した。
老人と男は焚き火を挟んで向かい合って座った。
「わしゃあ、医者じゃ」
そう言って、最初に語りだしたのは以外にも老人だった。男も驚いたようだったが大人しく話を聞いた。
「自分の体の構造もわからないで他人の体治すなんてできるわけがない。どちらも同じ人間だからな。わしが医者になった国ももとは人体解剖は国で承認されておった。それを、偉い学者さんが急に、人の体を開くことはけしからん事だ、それが例え死体であっても、なんて言い出しやがった。正直気にも留めていなかったが、国がその考えを全面的に認めおった。しかも、尚悪いことにその考えがあっという間に近隣諸国に広まって受け入れられちまう始末、それぞれが争ってるような国同士なのにじゃ」
老人はつまらなそうに言った。やったことが知れれば問答無用で死刑じゃ、とも。
「それで、誰も寄り付かない戦跡で死体の体を漁っていたと」
男の皮肉にも老人は笑って答えた。
「夏場だと簡単に腐っちまんじゃよ。雪の降る冬は保存状態も良いしな」
それを聞いた男も苦笑いするしかなかった。しばらく二人で笑い、落ち着いた頃に男が一つ聞いた。
「そこまで大変な思いをしてやることなのかい?」
行く国無くして、見つかれば死刑になるような危険冒すほどのことなのかい?男は聞いた。
老人は鼻で笑った。
「確かに、大人しく医者やってればどこの国でも安心して良い暮らしができるだろうがの、自分にそれなりの技術があるのも自負しとる。が、な。正直やはり足らんよ。より多くの患者を見れば見るほど実感する」
未熟は自分にしかわからんさ。そう言った老人の考えは、男には理解することができなかった。恐らく、それは老人自身にかわからないことなのだろうと男は思った。
「それで、今度はお前さんの番じゃ。あのでかいの引いてどこへ行く?何しに行く?」
老人はもう自分の話は終わったとばかりに男に聞いた。
男はもらったお茶を一口飲んで答えた。
「俺はさ、この大地は丸い球体じゃねぇかって思ってるんだよ」
あまりに突然の言葉、あまりに大きな話に老人は声も出せなかった。この狭い部屋、向かい合って話す人の言葉を聴き間違えるはずもない。口を開けっぱなしにしている老人を見て男は笑った。
「ははは。医者の先生をここまで驚かすとは、俺もなかなかのもんだ。いやいや、ふざけてないふざけてない。本気だよ。そうだな、最初に思ったのはガキの頃、太陽が向こうに沈んでいくの見たときだよ。なんで向こうが途切れて見えなくなってるうだろうって。そこで地面が終わってるからだって皆は言うんだけどよ、なんかしっくりこなかった。で、決定的だったのは兵士の父親を見送った時だった」
男は当時の自分を見ているように話していた。それは医者である老人にもわかることだった。老人も医者になろうと決めた日のことは覚えている。が、男が話していること自体はまるでわからなかった。男は構わず続ける。
「父親の背中がどんどん小さくなっていってさ、俺はそれが見えなくなるまで見てたよ。で、思ったんだよ。どうして見えなくなったんだろうって。見えなくなったてことは太陽が落ちる所まで行ったてことなのか?でも帰ってきた奴に聞いてみたけどそうではなかった。……まあ、父親は帰ってこなかったけどな。それでいろいろ考えてみて、丸いんじゃいかと考えたのよ」
「それと、あのお前が引っぱっている物と何の関係がある?」
いろいろと言いたい事のある老人だったが、とりあえずそれを聞いた。
「まん丸ならよ、ぐるっと一周すれば元の場所に戻れるわけだろ? それで分かりやすいように線を引いてやろうと思ってさ。あれは線を引くための道具で、それ以上の意味は無いよ。巻いてある布が無くなったら補充してやればいい。もう三桁は補充してるよ。布なんて高かれ安かれどこの国でも置いてあるしな」
男がどう旅をしているのかより、老人は大地が球体だということがどう考えても信じられなかった。
話を元に戻すようで気が引けたがもう一つ聞いてみる。
「もし大地が球体なら、下の方に住んでいる者は逆さになってるんじゃないのか?なぜ落ちない?」
男は困った顔になり、結局笑った。
「いやー、俺も難しいことはわからん。きっとうまいことできてるんだろうよ。それにこれは本当だが、書物漁ってたら、何冊か俺と同じ考えが書いてあるのも見つけた。……正直、俺は頭で考えるのは苦手だからよ、実際に自分で動いてみようと思ったわけよ」
そう言って男は更に笑った。今度は老人も一緒になって笑った。
結局、二人の変わり者はお互いの考えをわかってあげることはできなかった。それでも二人は互いが似たもの同士だということは認めざるを得なかった。そうでなければ人の寄り付かない雪原の戦跡で、焚き火を挟んで一緒にお茶を飲むこともなかっただろう。そして、二人にとってはそれで十分だった。
先にお茶を飲み終えた老人が立ち上がった。
「さて、わしは作業に戻るとしよう。 おまえさんはゆっくりしていけばいい」
薦める老人だったが、男も立ち上がった。
「いやいや、俺も行くとしよう。生きてる内にやり遂げたいんでね。お茶、うまかったよ」
そう言って笑った。
外ではまだ雪が降っていた。車輪の前まで戻ってくると、雪が大分積もっていた。地面の赤とは違い、車輪に積もった雪は真っ白だった。それを払い落とし、男は準備を整えた。
そして出発前に、今一度老人と向き合う。どちらからでもなく手を握った。
「よい旅を」
「体には気をつけて」
互いを認め合い、二人は分かれた。
老人は雪の下の死体漁りを、男は大地に線を引きながら元の場所に戻る旅を。
からからからから。
車輪の空転する音が、再び赤い雪原に響き始めた。
?千年後 普通の小学校、三年一組 社会の時間
大学を卒業したばかりの女性の先生が元気がクラスに響く。
「……で、その後その地域一帯に大変な病が流行するの。それでも戦いをやめようとしない諸国の王。見るに見かねたその老医者は、自分の持つ独特の医療技術を武器に各国の王を説得して回り、最終的にはその全ての国同士の和平を結ばせることに成功するの。やがてそれが連合国となり、今現在私たちがいるこの国の基礎ともなったのです。この国が医療に力を入れているのには、そんな歴史的背景も関係しているのです。それで……」
そんな授業を聞かずに後ろのほうの席で無駄話をする男の子三名。
「昨日の地球ミステリースペシャル見た?」
「見た見た。この時期あんな感じやつ、絶対やるよな」
「やるやる。……でも、まあ、おもしろかったけど」
「なんか見ちゃうよな」
「あんなのやってるの毎回同じなのにな」
「そうそう。最後は結局、宇宙人がやったにしろ、人間がやったにしろ、地球には我々の知らないことがまだまだたくさんある。だもんな」
「はははは」
「でもやっぱりすげーよな。地球を見事に一周している赤い布でできた線、『赤道』」
「経度とか国境とか、あれを基準にしてるものなんかいくらでもあるのに、どうやってできたか誰も知らないんだもんな」
「何なんだろうな?あれが何千年も無くならないで残ってるのも奇跡だもんな。どうやって海の上にも引いたんだよ」
「やっぱ宇宙人じゃねーの?何の機械も無かった昔の人間には無理だろ?」
「できるとしたら、よっぽどの天才か、よっぽどのバカだな」
「案外、何にも考えてなかったバカだったりして」
さすがに話しすぎだった。
「こらー!そこ、ちゃんと聞いてるの?」
先生の怒鳴り声に慌てる三人の生徒。
彼らの持つ教科書に書かれている世界地図。
そこには赤い線が一本、確かに大地を一周していた。
感想、 ご指摘等ありましたらよろしくお願いします。