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くじらの歌  作者: イヲ
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浜木綿の白さ 百合の香り

 白く染まった街。

 そこに、わずかな光が差しこんでいる。

 太陽だった。


「ひとは変わるけれど、変わらないものもあるんだね」

「……ん?」

「そろそろ帰ろうか」


 ウタがそっとつぶやいた言葉をむりやり聞きかえすことはしないで、勇魚はそうだな、とうなずいた。

 高台からおりてすこし歩るくと、とうとう雪がふってきた。

 小降りだが、急いで帰ることにする。


「降ってきたな」

「うん」

「……あ」


 か細い、声。

 ちらつく雪のむこうがわ。

 勇魚のクラスメイトの、如月ゆかが、傘をさしてこちらを見つめていた。


「月宮くんと、月宮くんのお兄さん……?」

「こんにちは。如月さん」

「あ、私の名前、覚えていてくれたんですね」


 彼女はすこし、驚いたようだった。

 たしかに、会ったのは確かに2回くらいだったはずだ。


「……いつも、一緒にいるんですね」


 ゆかは、わずかに敵意のある目でウタを見た。

 今のことばは、勇魚に言ったわけではないことに、ウタにも分かった。


「そうでもないけど」


 けれど答えたのは、勇魚だった。

 そっけない言葉でも、ウタをかばったのだ、ということは、ゆか自身も理解できていた。

 それが彼女をいらだたせることも、勇魚は知っていたはずだ。


「私が聞いたのは、お兄さんのほうなんだけどな」

「……僕は……」

「じゃあな、如月。俺たち、急いでるから」


 彼女は応えなかった。

 ただ、うなずいて、見送っただけだ。

 敵意のある目をしながら。

 そして、知る。

 彼女は、勇魚のことが好きだということを。


 ゆかはしばらく、この場所にたたずんでいた。

 どうして、と思う。

 どうして、ふりむいてくれないのだろう。

 いや、ことばを交わすことさえ、最近避けられている気がする。

 なぜなのか、と思ったとき、思い浮かんだのは「あの男」だった。

 時折、外で勇魚と会うときに一緒にいた男。

 汚い手をした、男。

 そっと人差し指を噛んで、ようやく歩き出した。



「如月さん、きっと、きみのこと……」

「分かってるよ。だから、避けてたんだけど」


 家の前で、くちびるを開けたのはウタからだった。

 勇魚の顔をそっとみあげる。

 とくに、なんの表情もなかった。

 嫌そうだとか、うれしいだとか。

 そういったものはなにも。


「如月には悪いけど、俺がすきなのはおまえだから」

「……勇魚」


 ありがとう、と言いたげだったが、勇魚は言わせなかった。

 ことばを重ねて「入ろうぜ」と、扉を開けた。


 あたたかい空気が、ふっとウタのほおを撫でる。


「おかえり。あなたたちは本当に仲がいいわねぇ。こんな寒い日でも一緒に外に出るなんて」

「いろいろ話が合うんだよ」


 適当にのぞみの言葉をかわして、勇魚は二階へむかった。


「……聞いたわ。ウタ。実のご両親に会うって」

「あ……うん。母さんは、反対?」

「ううん、反対ではないわ。けれど、すこし、心配、かな」

「心配……?」

「だって、――信じていないわけじゃないわ。けどね、あなたが傷つくことが心配なの」


 のぞみは、本当に心配しているようだった。

 たしかに、傷つかないで帰ってくることは難しいだろう。

 それでも前に進むために、必要な傷なのだ。きっと。


「大丈夫。傷ついても、これは僕に必要な傷だと思うから。心配しないで」

「……そう。あなたは強い子なのね。でも、これだけは覚えていて。私たちは、あなたの家族。ね」

「うん」


 ウタは強くうなずいて、のぞみに見られないように手を握りしめた。

 本当は、傷つくのはこわい。

 強くなんて、ない。

 勇魚がいなければ。


「じゃあ、僕、電話してくるね」

「……わかったわ」


 のぞみは階段を上っていくウタを見上げて、やがて祈るように目を閉じた。



 スマートフォンに、手紙に書いてあった電話番号にかける。

 三回鳴ったあと、病的に細い声で、もしもし、誰、と、囁くようにつぶやいた。


「……月宮ウタです」

「ウタ……!? ああ、ウタ。私の……」


 名乗ったとたん、彼女は泣き崩れるような声で、ウタの名前を叫んだ。


「僕はあなたのものじゃない。だから、きちんとお別れをしようと思います。あなたたちに会うことが、一番の近道でしょう」

「お別れ……? なにをいうの。あなたは私の……。あっ」

「ウタか」


 急に、低い声に変わる。

 司に代わったのだろう。


「僕は、あなたたちにお別れをしようと思います。だから、会ってくれませんか。けど、これは僕のわがままです。別れるために会ってくれるというのなら」

「確かに勝手な言い分だな。だが、いいだろう。会ってやる。明日、――いや、今すぐに来い。私も忙しい身だからな」

「……ありがとうございます。地図を、送ってください。ひとりで行きますから」


 返事を待たずに、ウタは電話を切った。

 息をつく。

 これで、きっとあともどりはできない。

 けれど、負けない。

 僕は、本当の意味で月宮の家族になるのだ、と強く思う。

 実の両親に認められるまで、ウタはどこか怯えていた。

 それは今もそうだ。

 認められていない。

 月宮の家族になることを。

 だから、こんなにも沈んだ思いになる。


 スマートフォンが着信をつげる。

 それは、どこか不安感を押し付けるようなものだったが、メールの文面はなく、ただグーグルマップのリンクが貼りつけられていただけだった。

 どこか、安堵する。なぜかは分からない。

 ただ、本当に会ってくれることを知って、安堵しただけなのかもしれない。

 

 ウタは、クロゼットにかけてあったダッフルコートをハンガーからとって、身に着ける。

 スマートフォンと財布だけをもって、そっと扉を開けた。

 せめて、和希に知らせておかなければ。

 今から、行ってくるということを。

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