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くじらの歌  作者: イヲ
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乞われるがまま、僕は幸福の代償をはらう

 電話があったことは、ふたりには言わなかった。

 言って、どうするというのだろう。

 ただ、むこうはまだあきらめてはいないということは分かっている。

 もちろん、のぞみも和希も分かっているだろう。

 このままでいいとは思っていないことも。


「父さん」

「どうした? ウタ」


 のぞみが夕飯をつくっている間、ウタはのぞみと和希の部屋をおとずれた。

 ここにくるのはあまりない。やはり、この部屋にも花がかざられている。

 白さが目立つ部屋に、それは華やかにたたずんでいた。


「珍しいな」

「……父さん。僕、あの人たちと話をしようとおもう。ちゃんと」

「――そうか」


 和希はすこし間をあけたあと、椅子からたちあがった。


「お前なら、いつかそういうと思った」

「反対、しないの」

「お前とあの人たちの会すのは、あまりいいとは思えない。だが、お前がそう決めたなら、俺は反対しないよ」


 ウタの頭に、とんと手を置き、不器用に撫でる。

 不器用だけれど、あたたかくて、やさしい。

 父親とは、こういうものなのかもしれない、とおもう。

 全員が全員、そうではないだろう。けれど、ウタにとってはこの存在が「父親」なのだ。


「手紙がね、きてたんだ」

「手紙?」

「僕の、ほんとうの母親から。ごめんねって書いてあったけど、すこし、怖かった。文章が」

「それでも行くのか」

「うん。便せんに電話番号書いてあったから。電話してみる」


 和希は頷いて、椅子に再びすわった。

 ウタを見上げ、ゆっくりとほほえんでみせた。


「お前も、おとなになっていくんだな。ひとりで決めて、実行する。けど、お前は一人じゃない。俺たちは家族だからな」

「……うん」

「わすれるな」

「うん」


 うなずくと、ウタは部屋を出た。

 外は、晴れている。

 それでも寒いだろう。風が出ているからだ。

 えんじゅの木の枝がすこし、揺れている。


「ウタ」

「勇魚」

「どうした?」

「父さんに、言っておこうと思って。本当の両親に、あうこと」

「そっか……」


 勇魚はわずかにうつむき、決意したようにウタの目を見つめた。

 底のない、湖をのぞき込むように。


「なあ。寒いと思うけど、すこし外、出ねぇ? 行きたいとこ、あるんだ」

「うん、いいよ」


 ダッフルコートを着込んで、勇魚と外に出る。

 冷たい風がつよく吹いて、ほおを打った。


「寒いな、やっぱり」

「そうだね」

「こっち。たぶん、おまえが行ったことないとこ」


 勇魚とならんで歩く。

 雪をふむごとに、体が浮遊するような感覚におちいった。

 どさ、と、大きな木から雪が落ちる音がする。


 ことばは、あまりなかった。

 ただ、歩く。

 空はただ晴れていて、青ざめた色をしていた。


「ウタ」


 無心で歩いていて、気づかなかった。

 ゆるやかな、丘。そこに木でできた階段がある。転ばないようにと、勇魚がウタの手をとった。

 こんな寒い日、しかも正月休みに、出かけるような人はいないようだ。


 頂上についたとき、ウタは大きな息をついた。


 街を見下ろせるほどの、丘の上。

 今は、白い景色がずっと続いている。きっと、雪がとけたらこの街全体を見渡せるだろう。


「ここにつれてきたのはさ」


 ふいにくちびるを開いたのは、勇魚だった。

 手をつないだまま、そっとことばをのせる。


「俺が辛かった時、よく来てるからなんだ。おまえが来てからはきてなかったけど」

「……僕、つらそうに見えたかな」

「おまえ顔に出ないし、なんとなくそんな気がしただけだけど、正解だっただろ?」

「そうかもしれない」


 そっと、勇魚の肩によりそう。

 空を見上げた。白い月がうかんでいる。


「勇魚。月が見える」

「ほんとだ」

「白夜月っていうんだって」

「へえ」

「昼間は見えないけど、この時間になると見えるんだ。だから、月はほとんど一日中、見えるんだよ」


 勇魚は口を開くことなく、ただそのことばに耳をかたむけていた。


「だからひとりじゃないんだって、そう思ってたし、信じてた」


 けれど、今はちがう。

 貪欲になった。もっと、ほしくなった。

 ひとりがこわくなった。月がみまもっていても、こころがつめたくなる。

 勇魚がいないと。

 勇魚が、そばにいてくれないと。


「僕は、犠牲にしてしまったのかもしれない」

「――犠牲?」


 不穏なことばに、ウタの顔を見つめる。

 勇魚の視線を感じながら、ことばをつづけた。


「半分、こころを」


 そこでようやく、勇魚と目をあわせた。

 切れ長の目が、じっとウタを見据えている。


「僕は大切なものを守ることができなかった」

「……ウタは俺を守ってくれている」

「ちがうんだ。勇魚。守れなかったのは、僕のこころ。小さい頃の」

「おまえの、ちいさいころ?」

「うん。僕は、なにもいらなかった。絵が描けさえすれば。でも、描けたらおわり。捨ててしまう。それは、僕のこころだった」


 雪にうまった手すりを握る。

 きんとした冷たさが、脳を突き刺した。


「でもね、勇魚。きみが絵をもらってくれた。僕のこころを掬ってくれた。だから僕はすこしだけ、強くなれた」


 手すりに置いたままの手を、勇魚がとる。


「つめたい」

「うん」


 手のひらに包まれたウタの手は、じんとしたぬくもりを感じていた。


「おまえが強くてもよわくても、俺はおまえがすきだ。無理に変わらなくたっていい」

「――うん」


 けれど、ひとは変わるんだよ、と言った。


 勇魚はわかってる、とかすかにほほえんだ。

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