ひびの入ったダイアモンドのように
次の日には待ちわびたかのように、陽が出ていた。
昨日とはちがって、あたたかい。
勇魚はいまだ帰ってこない三人は、大丈夫だろうか、とふと思う。
布団のなかでスマートフォンを見る。
メールが来ていた。
のぞみからだった。
今日の昼までには帰ってこられそう、とある。
ベッドには、もうウタはいない。
いつ帰ってくるかわからないから、と夜中に自室に戻っていた。
だらしなくあくびをする。
ゆっくりと体をおこして、ベッドから出る。
リビングにおりると、すこし肌寒かった。
「……ウタ?」
「おはよう、勇魚」
すこし、恥ずかしそうにウタはわらった。
「おはよう。寒くないか?」
「暖房、いまつけたから」
「そっか。母さんたち、昼くらいには帰れるって」
「よかった。ニュースで電車、もう動くって言ってたし大丈夫そうだね」
すこしずつ、部屋があたたかくなる。
朝食は、きのうの鍋の残りだ。
「ウタは料理、うまいよな」
「そうかな? 調べてそのまま作っただけだけど、ありがとう」
なんでもないことを、ことばにする。
それは、すこしむずかしい。
けれど、それ以上に言いたいことを口にするのは、もっとむずかしい。
テーブルの上の手を、無意識ににぎる。
「なあ、ウタ」
「なに?」
「俺、おまえのこと、ほんとに好きなんだ」
こころのなかに溜まったことばがあふれそうになる。
好きだ、と言いたかった。
この思いをことばにするのはむずかしい。
「……うん。僕も、好きだよ」
ウタは、それさえ分かっているようだった。
そう思わせるほどの、やさしいことばだった。やさしい、笑みだった。
「別にさ、ふたりだけがいいって言うわけじゃないけど」
「?」
「たまには、ふたりっきりっていうのも、いいよな」
「ふふ、そうだね」
鍋ののこりを食べ終わったとき、電話が鳴った。
勇魚は反射的に席を立って、受話器をとる。
「月宮です」
「ウタを出して」
「……どなたですか?」
誰かはわかる。
忘れたくても忘れられない。ウタの実母だ。
病んだ声をしている。
低いような高いような、ふらふらとした声。
「ウタを出して」
「まだ寝てます。失礼します」
受話器を乱暴に置くと、ウタが心配そうに勇魚のとなりに立っていた。
なんとなく、分かっているようだ。
「……勇魚、ありがとう」
「だれか分かってたのか?」
「うん。なんとなく。すこし、怖いね。あのひと」
勇魚は軽くうなずいて、ウタの手をにぎりしめた。大丈夫だ、と。
「ごめんね。僕がいちばんしっかりしなきゃいけないのに」
「関係ないだろ。おまえを守りたいって勝手に思ってるのは俺なんだから」
「ありがとう……」
そっと手をはなす。
まるで、その空間を切り裂くように、再び電話が鳴る。
出ようとする勇魚を制し、ウタが受話器をとった。
「月宮です」
「ああ、ウタ? ウタなのね? 私よ。あなたのお母さんよ」
「僕の母は、月宮のぞみです。それ以外のひとなんて、いません」
きっぱりと、迷いのかけらさえなく、そう言った。その姿は、いつものウタよりも大人びて見えた。
「会いたい。ウタに。私が名付けた、私のウタ。ウタ、私のそばにいて。私の唯一の子どもなのよ。だから……」
「僕はあなたのそばにはいられない。僕の居場所はそこじゃない」
「違うわ。あなたの居場所はここよ。私のそばよ」
「ちがう」
ウタのうなじが白い。
青ざめた顔色のウタは、その色とおなじような冷めた声でつぶやいた。
「あなたの手紙を読んだよ。あなたは僕を見ていない。ただこころの隙間を埋めたいだけだ。それは僕じゃなくたって、いい」
「なにをいっているの? 私にはあなたが必要なの」
「もう、電話してこないでください。僕は、あなたたちを憎んでない。何とも思ってないだけ」
受話器を置いたウタは、ぐっとくちびるを噛みしめた。
泣きそうに顔をゆがめている。
「ウタ」
「ほんとうはね、何も思ってないなんて、うそ」
かすれた声。
ウタは顔をあげて、ほほえんでみせた。さみしい笑みだった。
「すこし、憎んでる。でもね、勇魚。僕は今の家族がすき。ここが僕の居場所だって思ってるから」
「憎んでもいい。人間には感情があるんだからさ。だれも憎まない人間なんていない。それに、おまえがここにいてくれて、うれしいよ」
「……うん。ありがとう、勇魚」
こころから安堵したような表情。
勇魚のことを信頼しているからだと、ウタも勇魚自身もわかっている。
だからこそ、互いにむきだしのこころを見せられるのだ。
だいぶあたたかくなったリビングのソファにすわる。
テレビには、シラノ・ド・ベルジュラックが流れていた。
おそらく、ウタは真剣にはみていない。
勇魚もそうだ。
ただ、流しているだけ。
そこに、言葉はない。
ただ、手を握りしめている。
たがいの体温だけが、いま、すべてだった。
玄関のほうから、「ただいまぁ」と、間延びした声が聞こえてくる。
さっと手を放す。
わずかな、喪失感。
ウタと勇魚がソファから立ち上がる。
いざなわれるように、玄関へむかった。
「おかえり。大丈夫だったか?」
「ええ。でも向こうは雪、すごかったわ。車もみんな立ち往生。電車で行ってよかったかもしれないわね」
蛍は和希に背負われてねむっている。
慣れない外泊で疲れているのだろう。




