遣らずの雨
「あけましておめでとう、ウタ、勇魚」
「あけましておめでとう」
元旦の朝、起きてくるとのぞみと和希はすでに椅子にすわっていた。
テーブルの上にあるのは、お重。きっと、おせちだろう。
のぞみが、お重の蓋を開ける。やはり、おせちだった。彼女が作ったおせちは、とてもきれいだった。
「おせち、作ったからたくさん食べてね。あと初売り、3日に行こうと思うの。みんなも行くでしょう?」
「おまえはどうする? 初売り」
「マフラー、買うから行こうと思う」
「なんだ、ウタ。マフラー、持ってなかったか?」
和希が不思議そうに問うも、ウタはぎこちなくうなずいた。
「全部、絵の道具にお金使っちゃっていたから」
「そうだったのか。じゃあちょうどよかった。これな」
和希はふたつの小さな封筒をウタと勇魚に渡した。
お年玉、と書いてある。
「のぞみと俺から。大事に使うんだぞ」
「う、うん。ありがとう……」
「ありがとう。父さん」
勇魚は嬉しそうにそのぽち袋を机の端に置いた。
「僕、もう大学生なのに、いいの?」
「いいのよ、ウタ。私はあなたをうんと甘やかしたいの」
「……ありがとう……」
「大学生活なんて、あっという間に終わっちゃうから、たまには絵の道具以外にも使ってもいいんじゃないかしら?」
「うん、そうする」
蛍が、ぼくには?と言っているが、あとで渡すから、と和希がなだめている。
おせち。
それぞれに意味がある料理。
家族の幸せをねがうこと。
それはきっと、尊いことなのだろう。
けれど、司と桜子の家はどうだったのだろう。
幸せを願って、作られた家なのだろうか。
わからない。
「ウタ?」
勇魚の声がふいに聞こえて、はっとする。
切れ長の目と目があい、あわててかぶりを振った。
「う、ううん。なんでもない」
「それにしても、正月ってのはヒマだよなぁ。テレビ見るくらいしか、やることないんじゃねぇ?」
「そうねぇ。でも、たまにはいいんじゃない? 私は、元日はお掃除しなくてすむから楽だけど」
おせちをひととおり食べ終えてからテレビを見るが、内容が頭に入ってこない。
「僕、自分の部屋に行ってるね」
「そう? 絵を描くなら、あまり根詰めないようにね」
「うん」
自室には、まだ描きかけの絵がイーゼルにのせられている。
まだ、下書きだけしか出来上がっていないそれは、そこだけ切り取られた異世界のようだった。
わずかにただよう、油絵具のにおい。
「ウタ。開けるぞ」
「あ、うん」
勇魚の声だ。
ぼうっとしていたら、聞き逃してしまいそうなほどの、かすかな声だった。
「どうしたの?」
「いや、ヒマだったからさ。絵、描くのか?」
「んん。描かない。せっかくの休みだから。ちゃんと休もうかと思って」
ちゃんと休む、という言い方がすこしおかしかったのだろう。
勇魚は「ちゃんと休むってなんだよ」と笑ってみせた。
「のぞみさんも根詰めるなって言ってたし」
「うん」
「……なあ、ウタ。俺、おまえの力になれてるかな」
不安そうに、勇魚はウタを見つめた。
なにをそうさせているのだろう。
「おまえばかり、辛い目にあってるからさ」
「勇魚……」
「おまえには、傷ついてほしくないんだ」
「だいじょうぶ。僕は平気だよ。勇魚がいてくれるし、のぞみさんも父さんもいるから」
それは真実だ。
ほんとうのことだ。
ひとりきりだったら、ひとりで傷ついていたかもしれない。
それはきっと、とてもつらいことだ。
勇魚はおそるおそる、ウタを抱きしめた。
あたたかい。とても。
「どこにもいかせない」
まるで、祈るように勇魚がつぶやく。
どこにもいかないよ、とウタがかえす。
「あのね、勇魚」
「……ん?」
「僕、ちゃんと話し合おうと思ってる。産みの……両親と」
体をはなす。
勇魚は驚いたように、目を軽く見開いていた。
「本気か?」
「うん。ちゃんと、家族になりたいから。のぞみさんたち……ううん、母さんたちと。だから、話し合うよ。……手紙も見る」
「……そっか……。分かった。おまえがそういうなら、俺はとめない。どうせ、あいつらまた来るだろうし」
「ありがとう。勇魚」
「ばか、礼なんて言うなよ。じゃあ俺、部屋にいるから」
勇魚が出ていったあと、机のひきだしにしまったままの手紙をとりだす。
ペーパーナイフで封筒を切った。
薄桃色の、和紙でできた便せん。
「……ウタへ」
そこからは、ただただ謝罪のことばがつづられていた。
こころが歪んだもののことばだった。
桜子は、心を病んでいるのかもしれない。そう思わせるに十分な文章だった。
「……僕は……」
すこし、さむい。
腕を無意識にさする。
ちゃんと話し合わなければ。
このままでいいわけがない。
分かっている。
分かっているのに、こわい。
自分で言いだしたのに。
ベッドに寝転がる。きしんだ音がした。
自分の実の父親であろう、司。
あんなに冷たい目をした人は、はじめて見た気がする。
道具としか見ていない目。
あんな目をしたひとと、ちゃんと話し合いなんてできるのだろうか。
不安になる。
でも、自分で言いだしたことだ。
そのために、勇魚に打ち明けたのだ。
毛布に顔をうずめて、おおきく息をはく。
「勇魚」




