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くじらの歌  作者: イヲ
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朧なる記憶

 初詣をすませると、途中でコンビニに寄った。

 あたたかいミルクティーを買うと、外で飲む。

 冷え切った手が徐々にあたたまっていった。


「あったかい」

「そうだな」


 空を見上げると、すこしだけ曇ってきたようだ。


「あ」


 ふっと、白いものが空からちらついてきた。雪だ。

 皮膚にふれると、すぐにほどけてしまう、儚いもの。


「雪だね」

「そろそろ帰るか」

「うん」


 ミルクティーを飲み終えて、ごみ箱に捨ててから、家に帰る。

 雪はちらちら舞う程度で、積もることはないだろう。

 勇魚は前を歩いている。そっと、彼のなまえを呼んだ。

 彼は当たり前のように立ち止まり、振り返る。


「どうした?」

「え、えっと……」


 特に理由などなかったのだ。

 それなのに、呼んでしまったことに今更きづく。


「さ、さむい、ね」


 あたりさわりのない言葉を投げかけると、勇魚はすこしだけ呆れたように笑った。

 たぶん、薄い胸の内のことなどまるわかりだったのだろう。


「そうだな」

「い、さな」


 勇魚は周りに誰もいないことが分かっていたのか、ぐいっとウタの手をひいた。

 これではどちらが年上か分かりはしない。


「大丈夫だって。誰もいないし」

「う、うん……」

「母さんたち、初売り行くっていうけど、明日行くか?」

「マフラー買いたいけど……。明日はいいかな。3日にするよ」

「そっか。じゃ、二日にするか」

「?」


 勇魚はウタの耳にくちびるを寄せる。

 そして、そっと囁いた。


「姫はじめ」

「っ! う、うん……」


 こくん、とちいさくうなずく。

 約束だ。

 約束は、守らなければ。


 雪がすこし、多くなってきた。


「は、早く帰ろ」

「分かった分かった」


 手を放す。

 つめたい風が皮膚をうがつ。

 もう少しで家だ。まだ、みんな起きているはず。

 蛍はもう、眠っているかもしれないけれど。



「ただいま」

「あら、おかえり。おそば、あるけど食べる?」

「ああ、俺はいいや。ウタは?」

「僕は明日にするよ」

「そう。分かったわ。私たち、もう寝るけど、あなたたちもあんまり遅くまで起きててはだめよ」

「うん」


 のぞみが出迎えてくれて、そのまま階段をのぼっていった。

 勇魚とウタは玄関を上がって、自室に戻る。


「ウタ」

「?」

「俺、おまえに会えてよかった」


 そういった勇魚は、すぐに部屋に戻ってしまった。

 呆然と立ちすくむウタは、すこしたってから、口許をゆるめる。


 うれしかった。

 ほんとうに。


「僕も、だよ。勇魚……」


 そっと呟いて、自室に戻った。




 夢をみた。

 産みの両親に会ってから、時折見る夢だった。


 放任主義と言えばそれまでだが、ずっとひとりだった気がする。

 母は毎日会社のパーティでいなかった。

 父はずっと会社にいて、広い家には誰もいなかった。

 ただ、ハウスキーパーの女性がひとり、いただけで。


 たったひとりきりで、おもちゃで遊んでいた。

 誰も、いなかった。

 こころのなかに。


「ねえ。でも、いまはちがうでしょう?」


 僕が言う。

 ちいさいころの僕が。

 今よりもすこし大きな、黒い目が見上げている。

 ただの穴ぼこのような、目。

 なにも映していない目。


 僕はうなずいた。


「いまは、勇魚がいてくれる。勇魚が、ずっと一緒にいるって」

「そう。未来のぼくはしあわせなんだね」


 白いタートルネックのセーターを着込んだ、少年というよりももっと幼い僕は、白い雪みたいに笑った。

 すぐになくなってしまうような、そんな笑みだった。


「世界は広がるよ。境界線なんて、見えないくらい。ずっと、ずっと」


 (ぼく)は目をほそめて、眩しいものをみるように再びほほえんだ。


「世界は深くて、広い。そのぶん、影も闇もある。ぼくらは、それをたくさん見てきた。でも、影があるということは光もあるということ。ぼくらにとっての光はひとりでいい。たったひとつだけでいい。ねえ、でも、もし勇魚がそばにいられなくなったら……ぼくらはどうなってしまうの?」

「……わからない……」

「影のなかにひとり残されて、たださまようだけ。だから、ねえ、未来のぼく。どうか、あきらめないで。未来を。明日を」


 声が遠のいていく。

 ちいさな僕が、ちいさな手を振っている。

 僕も振りかえす。




 目をさます。

 ウタは泣いていた。

 泣くなんて、久しぶりだ。

 乱暴に腕でその粒をぬぐう。

 部屋のなかはまだ暗かった。まだ、日の出はまだのようだ。

 ぼんやりとしたまま、時計を見る。

 6時をさしていた。

 ゆっくりと体を起こす。ひやりとした冷気が体を覆う。

 腕をだいて、そっと息をついた。息は白かった。白いもやが、ゆったりと消えていく。


「……勇魚……」


 呼吸をするように、彼のなまえを呟いた。

 毛布をぎゅっと握りしめる。どうしてだろうか、とても心細い。

 ちいさなウタが言っていた。

 自分が自分に警告にも似たメッセージをささやいていた。


 未来を、明日をあきらめるな。と。


「ああ……そうだね。僕は、諦めない。僕にはもう……家族がいる。まわりに、大好きなひとたちがいる……。諦めたら、そこでおわり」


 絵もそうだ。

 筆をとめたら、もう(えが)けない。

 永遠に、時間がとまったまま。


「ねえ、ちいさな時の僕。家族は、とてもあたたかいものだね。でも、時にすぐに壊れてしまう、はかないものだ……」


 桜子と司の子どもだったころのように。


「でも、もう僕はちがう」


 だいすきなひとがいる。

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