真綿のような雪をただ、見上げる
それから、ウタの両親が訪ねてくることはなかった。
だが、これで諦めたとは思えない。
そう思うと、毎日、すこしずつ疲弊してきたような気がする。
早いもので、今日で今年が終わる。
おせちをつくるといって張り切っているのぞみは、腕をまくって栗きんとんを作っているようだった。
手伝おうかと言っても、彼女は「これが今年最後の大仕事だから」と言って、手伝いを拒んだ。
なので、ウタの部屋にいるのだが、だいぶ前から筆がとまっていた。
「筆、止まってるな」
「うん……」
「邪魔だったら、部屋もどるけど」
「戻らないで。ちょっとだけ疲れただけだから」
「そっか」
ウタは勇魚のとなりに座りこんで、ふう、と息をついた。
だいぶ、疲れているようだ。
「少し休んだ方がいいんじゃないか?」
「平気。それにしても、早いね。もう、今年もおわり」
話をむりやり変えようとしているのが分かる。勇魚はそれを甘んじて受け、そうだな、とうなずいた。
「ねえ、勇魚。初詣、一緒に行こう」
「ああ、うん。いいけど」
ウタはうれしそうに笑う。
初詣なんて一年に一回、毎年いっているが、ただ人が多くて疲れるだけだ。
それでも、今年はウタがいる。
一緒に行くのも悪くはないだろう。
「ウタ」
「?」
そっとウタの手を握る。
彼の手はいつもどおり、冷たい。こんなに冷えた手で、筆を握ることができるのは、もはや執念としか言いようがない気がする。
「勇魚の手はあったかいね」
「おまえの手が冷たいんだよ。それより初詣、いつ行くんだ?
「できるだけ、早いほうがいいね」
「じゃ、二年参りってことで早めに出るか」
「うん」
「言っとくけど、二人きりでだぞ」
「うん」
そうでなくても、のぞみは寒さが苦手で、二年参りなど行ったことがない。
深夜だから、余計寒いだろう。
和希もおそらく、のぞみが行かないなら行かないはずだ。蛍も。
「二年参りなんて、何年ぶりだろう」
「俺は初めてだけどな。母さん、寒いの苦手なんだ」
「そっか。楽しみだね。勇魚」
「そうだな。でも、深夜に出かけて。疲れてないか?」
「大丈夫だよ」
きっぱりと大丈夫、と言っているのだから、大丈夫だろう。
時計を見ると、そろそろ夕飯の時間だ。
「下、行こう。夕飯、出来てると思うから」
「うん」
「あ、ウタ」
忘れないようにと、念をおすために彼のなまえを呼ぶ。
「なに?」
「忘れるなよ。姫はじめ」
「う……、う、うん」
恥ずかしそうにうなずくウタを、一度抱きしめる。部屋はあたたかいはずなのに、ウタの身体は冷たかった。
そっと体を放して、部屋から出る。
リビングには、すでに三人とも席についていた。
「あら、今呼ぼうと思ってたところよ。ちょうどよかった」
「年越しそばもあるからな」
「あ、そうだ。俺たち、二年参り行ってくるから。11時半くらいになったら出る」
「こんなに寒いのに、行くの?」
「寒くない冬なんてないだろ」
「気をつけてな」
「分かってるって」
大みそかの料理は、クリスマスと同じくらい、豪華なものだった。
今までの大みそかの料理と言えば、スーパーのオードブルが精いっぱいだ。
確かにオードブルとおなじような品々だけれど、すべて、のぞみが作ってくれたものだとわかる。
「それにしても、今年はいろいろあったなあ」
「あなたとも出会えたしね」
のぞみは嬉しそうに食後のあたたかい緑茶をのんでいる。
「なあ、母さんはどこで父さんと会ったんだ?」
「そうねえ。春ころ、私が履いていた靴のヒールが折れちゃってね、助けてくれたのが和希さんなの。ドラマティックでしょ?」
「……わざとじゃないだろうな?」
「まさか。だから運命なの! すてきでしょう?」
この少女の心をもったまま大人になったような女性が、母親であるのぞみだ。
時計を見ると、もう11時半近い。
蛍はソファの上で毛布にくるまって眠っている。
たしか、一緒に年越しをしたいといって聞かなかったから、12時近くになったら起こすだろう。
まだ、自分の思い通りにならないとぐずる年だ。
「じゃあ俺ら、二年参り行ってくるから」
「気を付けていくのよ」
「うん」
うなずいて、玄関をあけると、覚悟はしていたがひどく冷たい風がほおをぶつ。
おもわず目をつむってしまう。
「寒いな。ウタ、ちゃんとマフラーしてきたか?」
「うん。……父さんのだけど」
「自分のないのか」
「あんまり、家から出ないから……必要ないかなって思ってた……」
「せっかくだし、初売りで買おうぜ」
「そうする」
外は当たり前のように暗い。
電灯がところどころあるくらいで、あとは本当に暗かった。
「ここから10分くらい歩いたところに、神社あるんだ」
「そうだったんだ。知らなかった」
「結構古いところだけど、ちゃんと管理してる人がいるから、きれいなところなんだよ」
「……最近、減ったよね。ちゃんと手入れされている神社」
ウタはぼんやりと呟いて、空を見上げた。
星が、銀色に輝いている。
きれい、とウタがつぶやく。
「そうだな。きれいだな」
「ずっと、見てたい……」
はじめて星を見たかのように、ずっと見上げている。
空に針の先で穴をあけたかのようなそれ。
まわりに人の気配はない。
ウタの、手袋もしていない手を握りしめる。
「行こう」
「――うん」
神社は、ほんのわずかだが人がいた。
まだ12時にはなっていないが、この寒さのせいか、早々に初詣を済ませてしまっている人もいる。
「意外だな。人がいる」
「そんなに意外なの?」
「手入れされているとはいっても、いつもは宮司さんも誰もいない神社だからなあ」
「そうなんだ……」
「どうする? ここでさっさと初詣すます人もいるけど」
「ううん。ちゃんと二年参りしておこう」
「分かった」
律儀だな、とそっと笑う。
木々がしなるほど、風が強くなってきた。
星がまだ見えているから、雪は降らないだろうけれど。
スマートフォンの画面を見た。
あと5分で「来年」になる。
ふと周りをみると、わずかながらにいた人が一人もいなくなっていた。
「人、誰もいなくなったな」
「そうだね」
そっと、ウタが肩を寄せてくるけれど、うつむいているからか表情は読み取れない。
「……勇魚」
「ん?」
「来年も、いっしょにいてくれる?」
「ずっと一緒にいるって言っただろ」
腕をとって、抱きしめる。
静かな場所だ。
誰かが来たらすぐにわかるはずだ。
「うん……ありがとう。勇魚」
「あ」
遠くで、除夜の鐘が聞こえてくる。
いつの間にか、5分たっていたのか。
「おめでとう。今年もよろしくな」
「……おめでとう。こっちこそ、よろしくね」
黒い、冷たい髪が腕の中で動く。
髪の毛を梳くように頭を撫でた。




