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入院の日の朝

 あっという間に2週間が過ぎ、お母さんが入院する日曜日の朝が来た。病院までは車で約1時間かかるので、9時に家を出ないと間に合わない。詰め込むように朝食を食べてから、支度が整った順に玄関に向かった。

「お留守番していてね。あとでマタタビあげるから」

ソファで丸まっている三毛猫のミクの頭をなでながら、悟志が声をかけていた。ゴロゴロと喉を鳴らして目をつぶっている猫は、二年前まだ小さいときに拾ってきた我が家のアイドルだ。体が小さくて尻尾が短く曲がっている。父はそのボブテイルがチャームポイントだと言ってかわいがっているが、毎晩一緒に寝ているのは私だ。もっとも布団の上がお気に入りで、中に入ってくることはあまりなかった。冬の寒い日は、夜中に何回も出入りしたり、体だけ布団に入ったりしていた。ペットは自分のことを人間だと思い込むらしいが、この猫もそのようだ。自分の名前を呼ばれた時だけ返事をしたことは一度や二度ではない。ためしに何回か別の名前で呼んでみたが、あまり返事をしてくれなかった。

 なんとか9時に家族全員車に乗り込めた。

「お姉ちゃん、僕父さんの病院へ行くのは初めてだよ」

「初めてじゃないよ。悟志の生まれた病院だし、餅つきと納涼祭のときに行っているでしょう」

そうだったと、悟志は後ろの席で両手を広げて大げさなジェスチャーで答えた。

お父さんの勤めている病院は、福利厚生の一環として1月と8月に催し物を企画している。これは病院の評価につながるらしいのだが、詳しいことは教えてくれなかった。病院の話は家では聞いたことがない。たとえ些細なことでも教えてはいけないことになっているからだと、お父さんが教えてくれた。

 そのあと悟志は、お母さんとじゃんけんをしたり後ろから座席を蹴ったりしていた。お母さんの病気を悟志はどこまで知っているのかと思いながら、そのやり取りを助手席のミラーで眺めていた。赤信号で車が止まった時、悟志が

「あ、ラクールだ。お父さん、タルトを買ってよ。僕イチゴがいいな。でもチーズもいいし、どうしようかな」

ラクールは、イチゴやメロンなど旬の果物タルトとチーズタルト・クラシックショコラを、本日のお買い得として一ホールを格安で売っている。たまにお父さんが買ってきてくれるので、悟志も覚えていたのだろう。

「そうだね、おやつに買って帰ろうか。お母さんとは、退院してから一緒に食べようね」

すぐにお父さんが答えると、

「えーっ。じゃあいらない。お母さんと一緒に食べたいからあとでいいや」

一瞬驚いた顔をしたお父さんが笑顔で

「そうだね。みんなで食べたほうがおいしいからね」

と言いながら運転席から後ろに左腕をまわし、悟志の手を軽く握って握手した。2人のやり取りを見ながら、お母さんをちらっと見た。ティッシュで目を押さえている姿を見たときに、なぜか胸のあたりが絞めつけられるような感じがして、そのあと涙がジワッと出てきた。同時に口では説明できない不安が、急に広がってきた。「お母さんが死んだらどうしよう。もう、家に戻ってこなかったらどうなるんだろう」学校が終わって、家に帰っても誰もいないと想像しただけで、胸が苦しくなった。

「榛菜、どうしたの。車に酔って気持ち悪いの」

お母さんの声のおかげで誰もいない家からグイッと引き戻された感じで、胸の苦しみが一気になくなった。

「ちょっと考えごとしていただけ。大丈夫だよ」

答えたあとに窓の外を見ると、所々稲刈りが終わっている田んぼが見えた。また誰もいない家が頭の中に浮かんできて、同時に両手が汗ばんで気持ち悪くなった。

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