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休日の朝

学校のトイレは落ち着いて用足しができない。家のトイレなら落ち着いてゆっくりとできるのに、また誰かがノックしている。

「お姉ちゃん、起きて」

弟の悟志の声だ。あれ、でもここは中学校のトイレなのに変だ。おなかが痛くて女子トイレに入っているはずだけど、なんですぐそこにいるんだろう。あれ、起きる・・・時間・・おなかが痛い。

「もう8時になるよ」

すぐ近くから聞こえる悟志の声で目が覚めた。覚めると同時に、おなかの痛みで息をのんでしまった。息を吐くときに、「ううっ」と声が出てしまう。右を下にして背中を丸めた状態で目をあけると、

「お姉ちゃん大丈夫」

と言いながら悟志が顔をのぞきこんでいた。

「悟志。お願いだからお母さんを呼んできて。おなかが痛くて起きられないの」

やっと絞り出した声は、自分でもびっくりするくらい低くてふるえていた。わかったと言った悟志が早足で部屋を飛び出てから、階段をドタッドタッと急いで降りる音が床から響いて聞こえてきた。その後すぐに今度はやや軽やかなトットットッという音が聞こえて、お母さんが部屋に入ってきた。

「いつから痛いの」

「ついさっき。起きる前からみたい」

枕が濡れていて、額が冷たい。顎から首筋に流れる汗を感じた。

「おなかが張っているのかな。トイレに行った方がいいよ」

「違う、みぞおちの辺りが痛くて」

と言いながら、おなかをぐっと抑えた。両手でおなかを押していると少し楽になる感じがした。お母さんにそのことを伝えると、ちょっと待っていてと言い残して部屋を出て行ってしまった。「そばにいてほしいのに」と思っていると、すぐに乾いたタオルと湯のみを持ってきてくれた。

「タオルをおなかに当てて、少し落ち着いたらお湯を飲んでおなかを温めようね。しばらくここにいるから安心して。夕べ遅くまで起きていたんでしょう」

そのとおりだ。土曜日だった昨日の午後、市立図書館に行ってお母さんの病気を調べた。夜寝る前になっても、どうしても病気のことが頭から離れなくて、なかなか寝付けなかったからだ。「考えても結果が変わらないことは考えない」とお父さんが時々口にする言葉も浮かんだけど「自分の母親のことだから、無理」と、その言葉を隅に追いやってしまった。

タオルをおなかに当ててから数分で少しずつ楽になってきた。

「おなかが痛くて起きられないのは久しぶりだね」

「えっ。前もこんなことがあったの」

と尋ねた私のおなかに手を当てて、お母さんが笑顔で話をしてくれた。

「前はよくあったけど、だいぶ強くなってきたからもうないかと思っていたんだけどね。自律神経が弱かったなんて、忘れるくらいずっと元気だったからね」

「急におなかが痛くなったり、鼻血が出たりしていくつかの病院に通ったのよ。でも原因がわからなくて紹介状を持って大学病院まで行ったら、自律神経失調症の病名がついちゃった」

お母さんは、笑顔に少しだけ眉間にしわを寄せてから話を続けた。

「お父さんに聞いたら、『漢方の薬もあるけど、まずは体を鍛えて様子を見よう』だって。体の色々なバランスをとるために、食事の見直しとジョギングから始めたんだよ。初めはお父さんと隣の緑地公園で走っていたけど、すぐにひとりで走るようになったのよ。覚えていないの」

意外な時に自分の過去の話を初めて聞いた。思い起こしてみれば、うっすらと記憶が残っている。「食べ物に好き嫌いが殆んどないのと、走ることが得意になった理由はこれだったのか」と思うと同時に、「ジリツシンケイシッチョウショウ」について気になった。

「少し落ち着いたみたいね。食事の準備をして待っているから、食べたくなったらおりてきて」

と言ってから、お母さんが立ち上がった。もう少し話したいと思ったが、確かに落ち着いてきたので

「お母さん、ありがとう。着かえてから降りていくよ」

と返事をしてからとりあえずトイレに行った。おなかの痛みはなくなったが、体がふわふわしてすっきりしない。着かえたあと、おなかをさすりながら一階に降りた。

 居間のドアを開けた瞬間、やさしい香りに体がふわりと包まれた。

「お粥と梅干を準備したからね」

お母さんが準備してくれたお粥の香りにひきつけられるように、自然と椅子に座った。返事もせず「いただきます」も言わずに、梅干が真ん中にのっているお粥を一口食べてしまった。

「おいしいでしょう。新潟から送られてきた新米を昨日精米して作ったんだよ。香りがいいから塩を少し入れただけのお粥にしたけど、おなかにやさしいからちょうどよかったね」

その言葉を聞いて、なぜだか涙が出てきた。おいしいのに体が固まってに2口目が食べられない。

「どうしたの。熱かった。それともまたおなかが痛くなったの」

違うと言いたいのに言葉も出なくなった。体が温かい。「お母さんがいるから、いつも守ってくれているから安心できるんだ。助けてほしいときに手を差し伸べてくれる。いつもそばにいてくれる。もうすぐお母さんがいない生活になるんだ」お母さんに対する自分の思いと、家からいなくなる不安で冷たい汗がでてきた。

 気がつくとお母さんに抱きついて泣いていた。その時初めて「母さんが少し小さくなった」と思ってしまうほど、身長が追いついてきていたことに気がついた。そんな私をお母さんは優しく抱きしめて、泣いている間ずっと背中をさすってくれた。

 しばらくすると、不安な気持ちが少しずつ溶けるようにしぼんでいった。背中をポンポンとたたかれて、ふとわれに返った。お母さんは私の顔を見て笑い、

「お粥が食べごろになったかな」

といった。その言葉を聞いたとたん、急におなかがすいてきた。

「いただきます」

お母さんに笑顔を返して姿勢を正して、手を胸の前で合わせてからゆっくりとお粥を食べはじめた。

「おいしい」

梅干と食べるお粥は、いくらでもおなかに収まるような気がした。

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