すとーりーTEN 言葉
鳴った瞬間から電話の主は誰だか分かっている。
真夜中に電話が鳴るのは何かがあった証拠。
この着メロは間違いなく、キミだ。
携帯に手を伸ばすのと同時に、箪笥の上に置いてあるデジタル時計に目を走らせた。
午前一時二十六分。
「ハイ?」
恐らくは四コール目くらいで出たに違いない。余りに早く出たから不審に思われなかっただろうか?
本当だったら、俺は寝てしまうと朝まで目が覚めないタイプ。けど、不思議とキミの為に設定したこの音だけは、どんなに眠りが深くても目が覚める。
「…どうしたの?」
寝起きの掠れた俺の問い掛けに相手は無言のまま。
よく耳を澄ますと、木々のざわめきに紛れた…微かに聞こえる吐息の音だけが電話の向こうに居る彼女の存在を示している。
「何か、あった?…………ね、今から行こうか?」
俺の言葉に、小さく息を飲む音が聞こえた。
携帯を肩と頬で挟みながら、慌てて手近にあったジーンズに足を通す。
「どこに居るの?場所、教えてよ」
短い沈黙、そして何かを堪えるように震えるか細い声。
『…………公園。…駅の…近く…』
「分かった。待ってて。あ…電話切らないで?切って欲しくないんだ。その…だって、あの、ほら、最近物騒だから、さ」
『……うん』
俺は着の身着のまま、殆んど寝巻きと化したヨレたTシャツに部屋着にしている履き古したジーンズで部屋を慌ただしく飛び出した。
良く考えりゃ彼女でもない女の子…ソレも、俺が一方的に好きな子に会いに行くには余りにも不釣合いで最悪な状態。
けれどそんなコトに構って居られなかった。
どう思われようが、今の俺の見てくれなんか二の次だ。
最優先は、携帯の向こうに居る娘の傍へ一刻も早く向かう事。
俺が苦しい言い訳で『切らないで』とお願いした携帯を耳に押し付けたまま、息を切らせて駅へと足を急がせる。
本当だったら、車やバイクなら格好つくんだろうけど…あいにくと俺はソコまで経済的に裕福じゃない。せいぜいいいところ、現在パンク中のママチャリぐらいだ。
忙しなく吐き出す己の息が煩い。
「ごめっん。もう直ぐ…着くからっ」
会話なんか全くない。
なのに、彼女は律儀にも俺との約束を守ってくれている。だから、俺は自分の現在地を目ぼしい目印が有る度に報告していく。
いまコンビニのトコ曲がった、スーパーの前を通過した、線路の脇を走ってる、公園の入り口が見えた、などなど。
ホントは頭のドコかではちょっとだけバカかよってツッコミが入る。でもさ、俺がどれだけ傍に居るのか知って欲しかったんだ。
どれだけ、必死になっているか知って欲しかった。
公園に飛び込むように入り込めば、電灯の下にあるベンチにチョコンと座って、ボンヤリと自分の足元を見詰める彼女を直ぐに見つけ出す。
「み、見えた。はぁっ…入り口の方、見て」
彼女がゆっくりと俺を振り向く。
「ね、着いた」
『うん』
彼女は俺の顔を見て、立ち上がると弱々しく微笑んだ。
変な話、そんな表情がなんだかとっても胸に痛くて。
俺は携帯を乱暴にジーンズの後ろポケットに捩じ込むと、再び走って彼女の直ぐ傍で立ち止まる。
本当はそのまま抱き締めたかった。
けど、ぶっちゃけいまの俺は汗だくだ。襟元が少し伸びたTシャツが背中に張り付いて気持ち悪い。
自分でもそう思うんだから、きっとそんなのに触られたら彼女だって嫌だろう。だから寸でのところで、上げ掛けた腕を無理矢理下すとポケットに仕舞い込む。
「あ、と。…うん。元気?」
「うん」
「少し、寒いかな。大丈夫?」
「うん」
「そっか。なんか……うん、ヤなコトでも、あった?」
「ううん…」
「そっか」
「…うん」
どうしてこんな時間にこんなトコに居るの?とか、何があったの?とか、聞くべきコトが一杯なハズなのに言葉が出てこない。
お互いに下を向いたまま、短い沈黙が落ちた。
そして、不覚にも次に言葉を発したのは、俺ではなく下を向いたままの彼女だった。
「……あの、ね。タクシー使ったの。ホントは、家の前まで行ったんだよ。でも、電気…消えてたから……寝たのかなって…」
どんどん小さくなる声。
「…良く考えたら、私、別に彼女とかじゃないし……変に思われるって…思って…。怖くなって…でも……でも……」
ポタリと綺麗にレンガが埋め込まれている地面に、黒い小さなシミが浮かび上がる。それを見た瞬間、俺の中でジリリと何かが焼け付いた。
「…でも……」
彼女の言葉がそれ以上出る前に、さっきは思い止めるコトが出来た腕で…俺は思わず汗臭いシャツに彼女の頬を当てるように抱き締めていた。
あぁ、俺って卑怯。
自分が臆病なのは知っていた。彼女に彼氏が何人出来たのか…それをある意味、異性の一番近い友達として何年も傍で見て来た。
恋愛の相談にも、心が軋む音を聞きながら夜通し乗ったコトもある。
分かっている。本当に俺は臆病で、卑怯で、最悪だ、と。そう自覚があるから。
告白して、振られれて、ソレっきりになるのが怖くて…ずっと仲のイイ友達の振りを続けて来た。
ずっと彼女を騙し、その間に付き合った娘たちや、自分を騙して、それでイイのだと思い込もうとして来た。
けれど、いま、俺は。
苦労して守ってきた自分のポジションを自ら失おうとしている。
押し止めようとする自分と、楽になりたい自分とのせめぎ合いが、アニメやマンガで出てくるみたいにハッキリと二分され、天使と悪魔が左右の耳に分かれてそれぞれ囁きかける。
腕に在る彼女の温もりが、鼻腔をくすぐる髪の香りが、俺を引き返せない場所へと追い込む。内心、己の行動に苦々しい舌打ちを洩らさずには居られなかった。
だって、このままの流れでは俺は……。
「知ってると思うケド。俺、ホントは寝たら起きない方なんだ。今日は風呂入って、後でビール買いに行こうと思って。でも面倒になったからそのまま寝ちゃったんだ。デモさ…目が、覚めたんだ。……だって、その着メロ設定は一人だけだから」
こんな時に、コンナ風に言うのってかっこ悪い?
でもこうなったら、言うしかなくなる。
今を逃せばチャンスは一生失われてしまう。
胸の奥に仕舞い込んで、ずっと、ずっと、ずっと前から言いたかった言葉。
「特別、なんだ。その人が…好きだと俺に教えてくれた曲だから。俺は、その人が、好きだから。…………キミが、好きだから」
「……っ」
腕の中で、彼女がビクリと震えた。
「こんな寝癖のあるボサボサ頭で、しかも好きな子に会うってのに、コンナかっこ悪い姿で来た男だし。せめて、さ。……候補の一人にくらい…なれない、かな…?」
あぁ…言ってしまった。
もう、今までの関係には戻れない。
こんなのは、彼女を困らせるだけで自己満足でしかないと分かっている。
ぽっかりと開いた胸の穴。
けれど寂しさの反面、ようやく己の嘘から解放された安堵感が俺の中に漂った。
きつく目を瞑り、放り投げた己の言葉がどんな結果をもたらすのかを待つ。
今にも震え出しそうな膝や腕を、これ以上彼女の前で格好悪くなりたくない、なけなしのプライドで押さえ込んだ。
長い沈黙。
いや…きっとホンの数十秒だったかもしれない。けれど、俺には気が遠くなるには十分の時間。
その間を置いて彼女が放った言葉は……ぴりりと俺の体に隈なく電流を流した。
「うそ、みたい…」
「……え?」
「嬉しいの…。ずっと、ずっと……ずっと待ってたの…ッ!私なんか、ずっと…!初めて会った時から、ずっと、好きだったよッ!」
でも、アナタは私をそう見てくてないんだと、思ってた……。彼女はそう言って大粒の涙をボロボロと零す。
「アナタの気を惹きたくて、嘘付いて…。彼氏が居なかった時だって、恋愛相談とかして……。なのに、ずっと普通に聞いてくれるから、私なんかじゃダメなんだと思ってた…」
思わぬ彼女の言葉に、俺は言葉を失う
普段はお調子者だと、軽いヤツだと言われている自分をこの時、始めて疎ましく思った。ソレと同時に、よく言われる…言わなければ言葉は伝わらないと云うのを実感させられた。
大事な言葉ほど…口に出して、相手に伝えなければならないのだと。
思いを込めて、再び彼女を抱き締める腕に力を篭める。
「好きだ。……ずっと、初めて会った時から…!」
「うん。うん…!」
傍から見たら俺は、どんなに格好悪い男かも知れない。
けれど、これからは変りたいと願う。いや、変ろうと思う。俺は、今まで逃げるコトで全てから背を向けてきた。
だからこそ、そんな俺の背中に回された腕を失いたくないと、切に願う。
大切なもの……だからこそ、これからはキチンと言葉で伝えよう。失わないように、二度と自分に、キミに嘘を吐かないと……俺は心の中でひっそりと誓った。
大好きなヒト。
だからこそ。
思いを全て言葉に乗せて――――…………伝えたい。
「キミが、好きだ」
一応、ココで『恋愛しょーとすとーりー’s』は終わりです。
気に入って頂けた話はあったでしょうか?
実はまだまだ、書きたいネタが在るんですがね…(苦笑)
ココまでお付き合い下さった皆様、読んで下さってありがとう御座いました!