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内緒の夜食

 この森の冬は、とてつもなく長い。

 初雪が降り始めたと思えば、あっという間に豪雪となる。湿って重い雪は木も大地も何もかもを染め上げて、世界を白に閉じこめてしまうのだ。

 そんな冬に閉じこめられてもう数ヶ月。

 リンは、真っ白にそまった窓を袖でこする。分厚い硝子の向こうはただただ白い。覗くうちに、すぐさま窓は元の白さとなった。

 ……しかし、その白さの中にかすかな青さが見える。

 それは春の風の薫る予感だ。きっと、春はすぐそこにある。



「ブッディ」

 厚い地下の扉をリンがそっと叩いたのは、すっかり夜も更けた頃。

 といっても、冬の間は一日中ずっと薄暗いので、時間の感覚など無くなってしまうのだが。

「ブッディ、ねえ。ここにいるの?」

 それは家の底に作られた地下の部屋。ぎしぎしと鳴る急階段を14段ほど降りた地下。洞窟のように狭い廊下の奥に、ひとつだけ扉がある。

 とんでもなく重い扉だ。その扉の向こうには、隠された部屋があった。

 ここはブッディの自室である。地下の薄暗い部屋だ。ちっとも吸血鬼らしくない彼の、唯一吸血鬼らしい点だった。

 廊下の上に置かれた光源は、光キノコである。それは緑色に薄ボンヤリと光るので、まるで鍾乳洞のような色に廊下が染まる。

 見えない場所で火を使って、もし火事になると大変だから。と、きまじめな顔でキノコに水を振りかけるブッディの姿を、リンは懐かしく覚えている。

 リンはもう何十年も、この地下へ降りることを禁じられていた。だから今になって眺める光キノコは、昔よりも少し小さい。

 昔は見上げていた緑の光が今はすぐそばにある。リンの背が伸びたせいである。

(……湿ってる)

 そうっと優しく指で触れると、キノコはかすかに温い水をまとっていた。やがり、この厚い扉の向こうにブッディはいるのである。

「……ブッディ」

 思い切って扉に手をかける。樫の木で作られた扉は重いかと思いきや、軽く力を入れるだけであっさりと開いた。

 目の前に迫る天井と、渋い茶色に焦げた壁。そんな壁一面に詰まった、古ぼけた本の革表紙、大きな椅子。その椅子に深く腰掛けた、猫背気味の大きな背。

「ごめんなさい。ここに来ちゃいけないことは分かってるんだけど、もう、ずっと上がってこないから心配になって」

 リンは目に飛び込んだ風景に目を瞬かせて、あわてて数歩退いた。

 目の前の風景は幼い頃に見たものと、ちょっとの変化もなかったのだ。驚くほどに、記憶の中の風景とぴたりと寄り添ったのだ。

 緑色の毛羽だった本の背表紙も、読めない銀のタイトル文字も、渋い朱色のインク瓶も、その隣に添えられたクジャクの羽の付けペンも。

 なにもかも、リンの記憶にあるそのままだ。

 ただ、視線の高さだけが変わった。それだけだ。

 まるで小さな頃に戻ってしまったかのようで、リンの中に懐かしさと悲しさがあふれた。この家で成長を続けているのはリンだけなのである。

「リン?」

 突然開いた扉に驚いたように、大きな背が揺れる。振り返った顔は、驚きに満ちている。

「何か……ありましたか?」

「違うの。ずっと……今日のお昼ご飯のあとから、ずっと顔を見せないから、もしかして具合でも悪いのかとおもって、それで」

 地下に作られたこの部屋は湿った冷たさを持つ。ブッディの足下に小さな暖炉が置かれているものの、その炎だけでは到底冬の寒さは払えない。

 雪の冷たさが壁からにじみ出ているのだ。その壁に背を押しつけて、リンはその場に固まった。

「ああ……心配を……すみません」

 ブッディの顔は穏やかである。そもそも、この優しい人が怒ったのはたった一度きり。それはまだリンが幼い頃、この部屋でのことである。

 机の上に重なった紙があまりに綺麗な色だったので、それに触れたいとそう思ったのだ。

 そこで、まだ幼いリンは文鎮代わりの巨大な石をどかそうと手を伸ばした。

 それを見たブッディは、突然怒りの声を漏らしたのである。

 二度とこの部屋に足を踏み入れないように。ブッディが見せたはじめての拒絶であり、怒りだった。

 それ以来、彼が怒る様を見せることは一度もない。

「……ごめんなさい」

「いいですよ」

 しかし今のブッディは、どこまでも穏やかだった。

 リンに驚きの顔は見せたものの、やがていつもの笑顔となってペンを置く。そして、まるで子供にするように大きく腕を広げてみせたのだ。

「おいで」

 そんな優しい声を聞くと、リンは泣きそうになってしまう。

 腕を伸ばしてその手に触れると、雪のように冷たい。それでも大きく筋張ったその手は、触れるだけでリンを落ち着かせるのである。

「懐かしい」

 ブッディの手を取り隣に立って、彼の手元をのぞき込む。

「何が懐かしいのです?」

「もう、ずっとこの部屋に来ちゃ行けないって思ってたから。それこそ何十年も。最後にこの部屋を見たのは子供の頃よ。でも、全然変わってない。部屋も、空気も、あなたも」

 机に載っていたのは、透けるように薄い黒紙。昔、ふれたくて仕方のなかったその紙に、銀色の文字が踊っている。

 その文字を見て、リンは首を傾げる。どこかで見たことのある、懐かしい文字だった。幾度もまばたきをする、見つめる、考える。

 は。とリンは息をのんだ。

「これ、日本語ね」

「勉強をしていました」

 ブッディはクジャクのペンで、紙の上をなぞる。

 りん。と、それは読める。なんと綺麗な文字だろう。

「もう、ずっとずっと長く」

「なんで……」

「でもちっとも、すすまない。何十年たっても、すすまない」

 文字はそれだけではなかった。いくつもの日本語と、日本の風習。

 リンはもう遙か昔に、この国へとさらわれた。故郷の思い出は、古い記憶とともに脳の奥に眠っている。

 覚えているのは暖かな日差し、短い冬、ごみごみとした家並み、日本語の響き。そして家族の死と暗い歩道の記憶だけ。

 もう長い間、日本語など聞きもしなければ目にもしなかった。だから何の文字なのか理解さえできなかったのだ。

 すっかりこの世界になじんでいる自分にも驚くが、その懐かしい文字を練習しているブッディにもっと驚かされる。

「なんで、こんな勉強を?」

「あなたをいつか、故郷に戻す」

 ブッディはペン先にインクを染みこませると、リンにまっすぐ向き合う。その赤い目は、一瞬潤み切なげに伏せられた。

「そのために、言葉をあなたに返さなければ……。その責務が、私にはある」

「なん……で」

「あなたはもう故郷の言葉を忘れてしまった……私が取りあげたのです。早く、返してあげたいのに」

 ブッディの口から漏れたのは、信じられない言葉だった。その言葉の意味が理解できず、リンは拳を握る。痛みがちりりと走った。

「ちっとも、はかどらない。あなたの国の言葉は、むずかしい」

「……私、ここにいちゃ、いけないの?」

 リンの震える声に気付いたのか、ブッディがはじめて小さく震えた。自分の言葉がリンを傷付けたことを、ようやく気付いたのだろう。

「リン、そうではなく」

「私はここで、この家で、あなたたちと」

 リンの記憶は、この雨降り森の家で過ごした日々で彩られている。それ以外の記憶は、思い出として身体の奥底に沈んでいるのだ。

 ブッディの突然の言葉に、リンの膝が笑う。こんな年になって情けない。そう思えば思うほどに、少女のように震えるのを止められない。

「リン」

 ブッディが心配するように、手をのばす。その手を避けて、リンは退く。

「だって、私は死ぬまで、ずっと、ここで」

「ここにいると、あなたが危ない目にあうのです」

「あわないわ。こんなに平和な家、こんなに平和な森……」

 実際、この家ほど安全な場所はない。

 雨と雪を塞ぐ小さな家。この家で一人だけ命と鼓動を持つリンは、あと十数年できっと死ぬ。それはけして理不尽な死ではない。寿命が尽きるのだ。それは悲しいけれど、きっと幸せな死なのだろう。と、最近は思うのだ。

 そう、思っていたのだ。

「リン、違うのです、リン……」

 困ったように眉をよせ、赤い瞳を幾度も瞬かせる。それはブッディが言い訳を考える時の癖だ。

「そう言う意味ではなく……」

「もし、本当に危険なことが迫っているのだとすれば」

 リンはブッディの手を、乱暴に押し返した。

「一緒に逃げればいい。どこまでも」 

「……リン!」

 押し返した勢いでリンは部屋を飛び出す。突然の風に驚いたように、光キノコの胞子が舞った



「……もうっ」

 勢いのまま飛び込んだのは台所だ。いつも何か困ったことがあれば飛び込んでしまうのがこの場所だった。

 大きな切り株のようなテーブルに、しっかりと腰を支える大きな椅子。ふかふかの、クッション。椅子に沈み込んでリンは額をテーブルに押しつける。

(いきなり、故郷に返すだなんて)

 むかむかと、胃の辺りが重くなった。ブッディの言葉が今更のように襲ってきたのである。

 久しぶりに見た故郷の言葉。故郷の文字。リンを喜ばせるために覚えているのでは。と、そんな薄い期待はすぐに裏切られた。

(私は物じゃないわ)

 まだ幼い頃。リンは確かにブッディによってこの世界につれて来られた。きっと、彼はそれを罪悪とでも思っているのだろう。

 しかしあの時、リンは自分の意思でブッディの腕に飛び込んだのだ。はじめて出会った時から、悲しそうな赤の瞳が気になった。

 大きな手が、優しい声が、好きだった。

 彼が罪悪感を抱く必要など一つも無いのだ。

 むしろ、この家やブッディから引き離されるほうが、リンにとっては何百倍も悲しいのである。

(あの、子供のことを……)

 頬を木の表面に押しつけるとひやりと冷気が頭の奥にまで流れてきた。

 三人の子供達はみんな眠った。冬の季節はそうでなくても一日静かだというのに、夜ともなればなおさらだ。

(また、言えなかった)

 リンの中でくすぶっているのは、冬の始まる頃に出会った少年のことである。

 テント屋台の奥の奥。鏡の世界で少年と出会った。意地の悪い目をした少年だった。その目は、赤く染まっていたし口には可愛らしい小さな牙が見えた。

 何より、すぐ側に近づいた時に彼の体から血の香りが、した。

(多分、あの子は吸血鬼で)

 きっと、あの少年はブッディと同じ血族だ。しかしブッディは大昔に、言っていた。自分が吸血鬼の最後の一人だと。

 それならブッディは少年の存在を知らないということだ。お互いに世界に一人だと思い込み、過ごしているのかもしれない。

 ブッディは家族を得た。あの少年は一人なのかもしれない。それなら、可哀想だ。あまりにも可哀想だ。

 リンは、そう思う。

(もしかすると、ウルマが見たという吸血鬼も)

 あの少年かもしれない。と、リンは胸を押さえる。

 狩人のウルマは、吸血鬼の噂を辿って町へと戻ってきた。

 しかしブッディは外出というものを滅多にしない。もし噂が本当ならば、それはブッディでは無く別の吸血鬼だろう。

 それはあの少年ではないのか。このままではウルマが手を掛けてしまうのではないか。ウルマが傷付けられる可能性だってある。

 どちらも守りたい、とリンは思う。しかしそれが甘い夢であることも分かる。

(……考えることばかり) 

 冬の初めから今まで、リンは悩んでばかりだ。いつかブッディに打ち明けなければならない。そう思いながらずるずると冬を過ごした。

 ブッディも心なしか、何かを思い悩む風であった。そんな彼に負担をかけてはいけないと、懸命に堪えて過ごした日々をブッディの一言が全て台無しにした。

「……あ」

 冷たいテーブルに顔を押しつけたまま、リンはふと目を開く。

「この傷」

 テーブルに小さな傷が見えたのである。

 このテーブルは、リンがこの家に来たときからあったものだ。まるで巨大な切り株をそのまま部屋の真ん中に置いたような、そんなテーブルだ。

 実際、これは切り株なのである。立ち枯れたノチという木だ。天に近づくほど大きく育つが、自重に耐えかねてそのうちに自らの意思で葉や枝を腐らせる。そして切り株のみの姿となる。

 しかし死んだわけでは無い。それは大地からの栄養を取り込んで、再び成長を始めるのだ。枝を増やし葉を生やし、実を付けるまでは何百年、何千年という気が遠くなるほどの年月を要する。

 ブッディは最初、この切り株を森の中で見つけたと言っていた。

 彼はその切り株を中心に、家を建てた。だからこの切り株が、この家のはじまりだ。

 リンがテーブルを使い始めてまだ数十年。大きさはあまり変わっている気がしない。リンは大きくなっているはずなのに、テーブルだけは大きさが変わらないのだ。

 それは、このテーブルが共に成長しているからだ。

(そうね、あなたも一緒に成長してるのね)

 リンは優しくテーブルを撫でる。この家で成長するのはリンだけでは無い。このテーブルもまた、共に育っていたのだ。

(傷、まだ、残ってる)

 テーブルの隅っこに、小さいが深い傷がある。それはもう何十年も昔、幼いリンが付けた傷だ。

 泣いて、喚いて、大声をあげて。昔はそうしてブッディや三人の子供を随分困らせた。

 確か、その時も悲しいことがあって、リンはテーブルに顔を押しつけていたのだ。

 まだこちらの言葉もあまり巧く使えなかった頃。言いたい事も巧く言えず、腹立ちまぎれにテーブルの上にあった果物を力任せに壁にぶつけた。棚が揺れ、棚の上に乗せられたナイフが真っ直ぐテーブルに向かって落下した。

 その時の、冷たい落下音をリンはいまでも覚えている。

 次の瞬間、リンは大きな腕に抱きかかえられていた。続いて小さな三つの手が、リンを庇うように前に立った。

 全てはリンの責任なのに、この四人は責める声さえ出さなかった。ただ、無心にリンを庇ったのである。

「ごめんね」

 リンは傷をそっと撫でる。テーブルに耳を押しつけると、遙か遠くから水の唸るような音が聞こえた。それはこの木が根っこから水を吸い上げている音である。

 春が近づくにつれ、その音は激しくなる。生きているのだ。この木は、ブッディたちと同じく何十年もリンを見守ってくれた。

(……こんなにも)

 この家には思い出が多い。恐らく、故郷で積もった思い出よりも、この家で積み上がった思い出の方が多いのだ。

(なんで、ブッディは、あんなことを……)

 悲しみが体を襲った途端、リンの腹が小さく鳴いた。押さえると、くるくるとまるで甘えるような小さな音。

 その時、リンは悟ったのだ。

(……ああ。お腹が空いているんだわ)

 冬の深夜。空腹は一番悲しい。

 なるほど、とリンはうなずき立ち上がるなり、竈の蓋をそっと取った。



 扉を二度叩くと、今度はすぐさま開いた。薄闇の中、泣きそうな赤い瞳が浮かぶのを見てリンは思わず微笑んだ。

「……リン、よかった」

 ブッディの声は情けないほどに震えていた。リンは彼の隣をすり抜けて部屋へと入る。部屋は銀のインクと紙と、本の香り。

 そこに、甘い香りが混じる。

 匂いの発生場所は、リンが手にした皿だ。机のものを片してその上に、大きな皿と木のマグカップを二つ。並べて、大きなスプーンを添えてやる。

「リン、怒ったかと」

「怒ったのだけど、きっとお腹が空いたからだってそう思ったの」

 リンはブッディに向かって、机の上のものを披露した。

「よく考えたら今日は晩ご飯は軽かったし、途中のお茶の時間もなかった。ブッディは、お昼から何も食べていない」

 大きな白い皿には溢れんばかりにそそがれた、とろとろの黄色い固まり。それは、突けば蕩けて崩れるようなオムレツだ。

 中にはたっぷり糸引くチーズに、乾燥肉のサイコロ。薄暗い部屋の中でも輝く黄色の表面には、胡桃を刻んだソースをかけた。

 ぷん、と甘い湯気が部屋一面に舞い上がる。

「きっと、お腹が空いているせいだとおもったの。お互いにね。だから夜食を作ったの」

 それに合わせるのは、暖かなぶどうミルク。

 冬の初めの頃に、たっぷりの砂糖と乾燥ぶどうを瓶に沈めておいた。

 数ヶ月眠らせると鮮やかなまでの赤となり、ふつふつとかすかなアルコールを持ち始める。それを暖かなミルクで割れば愛らしい桃色になった。

 上には、緑と朱色の胡椒を振りかける。それにほんの少しのシナモンも。

 甘いくせに、喉を抜ける瞬間にぴりりと刺激が走る。そして最後に、アルコールの温かさが体を包む。

「子供たちには内緒で」

 リンがカップを持ち上げると、ブッディもそれにならった。木の縁と縁が小さくぶつかり合う。

「……内緒で」

「昔は、一人でこの部屋に籠もっていくブッディのことが羨ましかったの」

 淡いアルコールはすぐさまリンの体を温める。喉の奥に落ちていく熱い固まりは、幼い頃に憧れた味だった。

「子供は早く寝なさいってそう言われていたから」

 まだ少女時代、ブッディの飲むワインや果実酒に憧れていたものだ。まだ幼いからという理由で止められた少女の頃。

 しかし、ある日を境に飲むことを許された。

 あまり強い方ではないので、いつだって飲む量はほんの少し。それでもブッディと一緒に飲めることが何より嬉しかった。

「あのときよりも私はずっと大きくなった。育ち過ぎるくらいにね。だから何でも話して欲しいし悩まないで欲しいし」

 アルコールの熱が、リンの目に伝わる。目の前が熱に浮かされたようになる。

「私は、ブッディが……」

 口からつい、ぽろりと零れかけたのは積もった想い。

「……ブッディたちが、みんな、大切だから、ずっと一緒に居たい。元の世界に戻すだなんて、言わないで」

 それを飲み込んだのは、リンの弱気だ。

「リン」

 ブッディは冷たい手の甲でリンの頬を撫でた。その手で彼は机の上の紙を取る。リンの故郷の言葉が連なったその紙を、ブッディは迷う事なく暖炉の火にくべた。

 じゅ。と小さな音と紙の燃える青い香り。

「燃やしてもいいの?」

「ええ。大丈夫。あれは……そう、あれはただの冗談です」

 ちっとも冗談に見えない顔で、ブッディは言う。眉間に薄い皺が入るのは、彼が嘘を言う証拠であった。

「ねえリン。もうまもなく。冬が終わります」

 誤魔化したのは、ブッディのずるさだろう。

 彼は何事もなかったかのようにミルクを飲み、そしてオムレツを美味しそうに頬張った。

「あと数ヶ月もすれば冬が終わる?」

「そう、後、数ヵ月もすれば……そうすれば、皆で、どこかに出かけましょう。リンの作ったものを持って、どこか……」

 がたがたと、どこかで窓の揺れる音がした。突風と豪雪はまだ森を包み込んでいる。

 ここ数ヶ月、外には出ていない。

 鬱屈とした気持ちは冬のせいだろうか。と、リンはすっかり温くなったミルクを飲み干す。

 喉に残った引っかかりは、まるで魚の骨のようにちりちりとリンを刺激し続けた。

「……春になればきっと」

 この重苦しい喉の痛みは消えるはずだ。漏れた溜息は、炎の弾ける音に紛れて隠された。

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