猫踏んじゃった 2
町はずれにあるこれといって特徴もない平屋の客間に招かれた。家に来る途中におばあさんは、話していたが夫に先立たれ、独り息子は近くに家を建てて別々に暮らしているせいか家の中には物が少なく、寂しい感じがすると言っていたが、実際は物が少ないというより小奇麗に整理され過ぎていて生活感があまりないから寂しいのだとチビは感じた。
部屋の窓からみえる小さな庭には、一本のカキの木が凛々しく立っており、庭と家を囲むようにコンクリートブロックの塀がある。
おばあさんは、小さい平皿に牛乳を入れ、座布団の上で丸くなっている、チビの前に置いた。
「あら、ありがとう。ちょうど喉が渇いていたの」
ざらついた舌で、白い液体をペロペロと音をたてながら口の中に勢いよく入れ、あっという間に飲み干した。
「改めまして、名前は川辺菊と申します。先程も公園で話しましたが、飼っている妖猫の虎之助を私が死んだ後も立派に生きていけるように教育して欲しいのす」
菊は、深々と頭を下げお願いする。
妖怪にそこまで、礼儀正しく接するのもどうかと思ったが、やりたいようにやらせようとチビは、黙って、綺麗に黒に染められている頭を上げるのを見届けた。
お菊さんの話では、虎之助と呼ばれる妖猫はかなりの臆病ものらしい。特に人間を恐れているようで一目見ただけで逃げ出してしまう。茶色と白のトラ柄模で丸々と太った姿は愛らしく、追いかけて捕まえようとする子供もいたそうだが触れようとすると人語で、「近寄るな!」と叫んでしまったことがあるらしい。その出来事をきっかけに、また同じような行動をしてしまい妙な噂が流れ、おばさんに迷惑をかけてはいけないと家から出ようとしなくなった。
そこで、何事にも怖気づかなそうなチビが頼りになると考えた。臆病な性格を直し家主が死んで世話を焼いてもらわなくても生きていけるようにお願いされたのだ。
「ええ、分っているわよ。その代わり報酬として猫缶一年分は、きっちり払って貰うわよ」
「はい、必ず」
菊は、安堵したのか真剣な顔つきを緩るませ、にこりと笑った。
ついさっき出会った得体のしれない猫に頼むほどだから、よっぽど不安なのだろう。
「で、その猫はどこにいるの?家に入ってから一度も姿をあらわさないけど」
飲みきった皿の表面をなめながら質問する。
菊は、呆れ顔で視線を上に向け、無言で天井を指さした。
行動から察するに、指先の方向で聞き耳を立てているのだろう。お客が来たのに会いにも来ないとは無作法にもほどがある。
「ちょっと、あんた、話は聞いていたでしょ。だったら降りてきて挨拶するのが筋ってもんじゃあないかい」
チビは、天井裏にも響き渡るように大きな声で虎之助を怒鳴った。
頭上から、わっと頓狂な声がしてすぐドンっと大きな音が続いた。急に怒鳴られて飛び上るほど驚いたのだろう。
「ご・・・ごめんなさい。たとえ、飼い主であっても人間だから怖くて降りられななくて」
虎之助は、怒られたせいで脅えきっている。オドオドとした口調で姿を現さない理由を告げた。
「お菊さんの言って通りかなりの対人恐怖症みたい、まさか飼い主までも怖がるなんて」
チビは、心の中に引っかかりを感じた。妖怪の性格も十人十色だ、怖がりもいれば、勇敢な性格の持ち主もいる。だが、これまで出会った妖猫の類は、高慢ちきな奴ばかりだった、人を見下し憐みこそすれ、恐れはしない、ご主人様にまでも怖がるのは極端に珍しい。
ん、待てよ、もしや-
考え込んでいるチビの姿が不機嫌そうにみえたらしく、菊はバツの悪そうな顔で、「すみません」と申し訳なさそうに呟いた。
はっと黒猫は、お年寄り特有のかすれた声で思考の世界から現実に戻る。
「悪いんだけど少し席を外してくれる。あなたが居たら出てこないし、私が天井裏に行ってもいいんだけど、埃まみれになるのは嫌なの」
実の所は、虎之助と二人きりで話したいことがあったのだ。
「分ったわ、散歩の途中でしたから、また町をぶらりと歩いてきます」
「悪いわね」
菊は、出かける前に「チビさんが、あんたをしっかり教育してくれるから頑張ってね」と励まし、玉が「うん」と嫌そうに返事をしたのを聞き終えたら、外へと向かった。
玄関の扉を閉める音が聞こえると、天井からギシギシという音が隣部屋へと移動した。
きっと隣部屋に天上へと繋がる穴があるのだ。そんなことを考えていたら、ひょっこりと足音の持ち主がチビの前に現れた。