Act.5__Open Fire
スメラギ皇国
首都ミナヅキ
2107年2月21日
日本国海兵隊強襲偵察隊
結城奏中尉
戦の狼煙は何の前触れもなく上がり、それは誰もが予想しない事態を引き起こした。リアス大陸の最西端に位置するスメラギ皇国。その首都ミナヅキの城下町は現在業火に包まれていた。ミナヅキ上空を旋回するドラゴンの編隊はアタナシウス帝国のそれだ。
様々な種類の果物や野菜が無造作に転がるマーケットは戦火の炎から逃げ惑う人々で溢れていた。逃げ惑う人々の往来を掻き分け、一心不乱に黒鷺城を目指すのは日本国海兵隊強襲偵察隊第一偵察小隊を指揮する結城奏中尉だった。人の波に呑まれかけているメイドのシャーリィ・アルテミストの手を強く握り、はぐれないように気をつける。
「走れ、シャーリィ!」
「ゆ、ユウキっ、様ぁっ!」
一週間前までは平和で誰もが笑顔で暮らしていた活気のある街は今となってはその逆で、人々の恐怖を孕んだ悲鳴が痛いほど鼓膜を打ちつける。
ことの発端は今から十分前。スメラギ皇国の捕虜として扱われている奏は、一週間が経った今では城内を自由に散策することが出来るまでの自由を与えられていた。この日はスメラギ皇国の王、リオン・スメラギによって外出の許可が降りていた。同伴したシャーリィを案内人として午前の時間を全て首都探索に費やした奏は休憩のために洒落た喫茶店に入った。
飲み物を頼んで優雅な気分に浸っていた奏たちが談笑に花を咲かせていると、突然店内が揺れた。皿やグラスの割れる音。それに負けないように轟く爆発音。状況が把握できていない彼らにことの重大さを告げたのは店内で食事を摂っていた騎士の一言だった。
『アタナシウス帝国の竜籠部隊による奇襲だ!』
竜籠部隊。その名の通り体長の大きな竜に兵士を満載した籠を吊るし、敵国上空から奇襲をかける部隊、いわゆる即席展開急襲部隊のことである。
「きゃっ!?」
「シャーリィ!」
出っ張ったレンガに躓き転倒したシャーリィを慌てて起こした奏は、彼女の膝に付いた擦り傷を見てホッと胸を撫で下ろすと清潔なハンカチによる簡単な応急処置を施す。
「獲物見ぃーつけた!」
そこへタイミングを見計らっていたかのように現れる、アタナシウス帝国竜籠部隊の兵士。奏たちの前に誰かを斬ったのか、銀の刀身を真っ赤な血が伝っていた。錆の原因となるそれを振り払う。
「立てるか?」
「ゆ、ユウキ様っ……私のことは放っておいてお逃げくださいませっ!」
帝国兵から目を離さず、シャーリィに立つよう催促する。壁を支えにして立ち上がるが膝を突く痛みでその場に崩れ落ちる。一人では歩けないことを悟ったシャーリィは逃げろと叫ぶが奏はそれを拒んだ。民間人を守るという軍人としての使命が、結城奏という一人の人間としての誇りが、彼女を置いてその場から立ち去ることを許さなかった。
「ひゅー、恰好良いじゃん少年。とりあえずそこのメイドちゃんを置いて消えてくれよ。そうしないと殺せないし、犯せないだろ?」
ぱちっ、ぱちっ、と称賛の拍手を送る帝国兵に対して奏は中指を立てた。
「Fuck you, son of a bitch!」
「あん? どういう意味だそれ?」
「くそったれの屑野郎。そう言ったのさ」
額に青筋を立てる帝国兵。太陽の光を反射した西洋剣が鈍色の光を放ち、刃が奏に向けられた。
「なあ、シャーリィ。お前は今何を望む?」
「えっ……」
生きるか死ぬかの瀬戸際の中、正気を保つことで精一杯になっているシャーリィがその問いの意味を理解するには数秒を有した。
「考える必要は無い。シャーリィが今望んでいることを言ってみろ。遠慮は要らない」
「わ、私はっ……生きたい! だから……助けてユウキ様っ!」
シャーリィの震える口から飛び出したのは生きることを望む心からの叫び。心に響く言葉を奏はしっかりと受け止める。息を吸って吐き出す深呼吸。
「現地民からの救難要請を確認。現時点より国連平和維持軍の任務に則りゲリラに対し防衛行為を行う!」
「何言ってんだ、テメェッ!」
撃たれるまで撃つな。剣を構えた帝国兵が怒濤の勢いで迫ってくる。
「正当防衛っ!」
正当防衛を宣言した奏は右太腿に手を伸ばすが空を切る。武器一式が没収されていることを思い出した奏はすかさず拳を構えると帝国兵の動きを注視した。上段に大きく構えた剣の軌道は簡単に予測することが出来た。半身で躱した奏は振り上げられる刃を次いで回避するとレンガの上に転がっていたレモンに似た果実を投擲した。直撃する寸前で弾いた帝国兵だったが目の前には拳を握った奏がいた。素早いコンパクトな動きで拳を振り抜いた奏はふらついて疎かになっている帝国兵の足を払い、落とした剣を手の届かない場所に蹴り飛ばした。
「餓鬼風情が嘗めんなぁッ!」
マウントを取った奏に対して帝国兵は隠し持っていた短剣を薙いだ。大振りなそれの軌道を読むのはやはり容易かった。帝国兵の手から短剣を奪った奏は短剣の柄裏を帝国兵の額に叩きつけると、短剣を半回転させて天に向かって振り上げた。鋭利な刃が帝国兵に牙を剥く。
「海兵隊嘗めんじゃねぇっ!」
「イヤだ!? 止めろ、止めろぉっ!?」
柔らかいものを突き刺す生々しい感触。先程まで威勢よく振る舞っていた帝国兵の声はもう聞こえない。突き刺したそれから短剣を抜けば、刺した箇所から液体が溢れ出た。短剣を放り投げる。
「貴様は一生牢獄に入っていろ……」
建物に背を預けているシャーリィの腕を肩に回して溜息を吐いた奏は、レモンに似た果実に向かって振り下ろした短剣が己の皮膚を貫通し、死んだと勝手に勘違いして気絶している帝国兵にそう言うと再び城を目指して歩き出した。
「大丈夫か、シャーリィ?」
「はい。ユウキ様はお強いのですね」
「……強い、か。シャーリィ、俺は強くないよ。ただ大切なものを失ってしまうことを恐れる臆病者だ」
そう呟く、奏の瞳に映るもの。それは“後悔”と呼ぶに相応しいものだ。
「アイリッシュ・エーカー上級錬士ッ!」
黒鷺城の城門前で騎士に指示を出しているアイリッシュ・エーカー上級練士を見つけた奏は声を張り上げて空いた手を振った。二人に気づいたアイリッシュは騎士たちに命令を出すと駆け寄ってきた。
「シャーリィを頼む!」
「おっ、おい!」
再会を喜ぶ暇は無い。奏はアイリッシュに半ば押しつけるようにシャーリィを預けると全力で通路を駆け、謁見の間の扉を押し開けた。
「リオン・スメラギ。状況を説明しろ」
玉座に腰を掛け、数人の大臣と思しき老人と話し合いをしていたリオンに開口一言目にそう尋ねる。「王に向かって何という非礼を!」と叫ぶ大臣を無視した奏は真剣な眼差しをリオンに向ける。
「アタナシウス帝国による宣戦布告が十数分前に送られてきた。そしてそれと同時に竜籠部隊による奇襲攻撃が起きた。把握していることはそれだけだ」
宣戦布告と同時に攻撃を仕掛ける。卑怯ではあるが道理には適っている。
「少年の荷物は全てここにある。安全な場所に逃げなさい。この国に無関係な者を巻き込むのは心が痛む」
「関係無い、か……」
「うむ、そうだ。早く去れ」
関係無い。奏は腹の底から沸々とわき上がる感情の赴くままに詰め寄るとリオンの頬に拳を叩きつけた。驚愕に目を見開いた大臣が騎士に奏を斬るよう命ずるがリオンがそれを止めた。
「この国の捕虜になって、貴方たちと関わって、シャーリィが専属メイドになって、一緒に買い物をして、この城で一週間を過ごした。本来なら古くさい納屋に放り込んでおけばいいのに貴方はそうしなかった。捕虜なのに自由を与えてくれた。俺は少なくともそんな貴方に感謝している。だから無関係なんて悲しいことを言わないでくれ……」
「少、年……」
「……殴って悪かった」
装備一式を抱えた奏は足早に謁見の間から去り、自身に割り当てられた部屋で装備を整えると一週間世話になった部屋に向かって会釈をして扉を閉めた。
「アイリッシュ上級錬士。この周辺で一番高い場所はどこだ?」
先程までの軽装とは異なる姿の奏に多少なりとも驚いたのか、アイリッシュは口を開けたまま放心していた。
「あ、ああ……あそこに見えるハイリの丘だ」
「ハイリの丘だな。ありがとう」
アイリッシュの指の先に視線を移して確認を取るなり走り出す。一点式のスリングで掛けた17式小銃の給弾口にプラスチック弾倉を叩き込んで槓桿を前後させると切換レバーを安全位置から単射位置まで持ち上げた。一週間前から弾倉に弾を込めたままだったこともあり、バネが伸びていないか祈るばかりだった。
「詰まるなよ!」
金属同士がぶつかり合う激しい音を耳にした奏は露店の陰に滑り込むと伏せ撃ちの構えで曲がり角を警戒した。短く息を吐き出したところで建物の陰から三人の帝国兵が姿を現した。
「接敵!」
一番近い兵士の腹部に狙いを定めた奏は戸惑うことなく引き金を絞った。6.8mm×43SPC弾は兵士の着た鎧を難なく貫通すると背を抜けた。先頭の兵士が倒れて呆然とする敵をよそに照準を移動させた奏は再び引き金を引いた。銃床を介して6.8mm弾のマイルドな衝撃が肩を蹴り抜く。今度は一発ヘッドショット。血飛沫を撒き散らす仲間を二回も目の当たりにした兵士は慌てた様子で建物の陰に身を隠した。
「て、敵がいたぞ! 二人やられた!」
増援を呼ばれたが奏は焦ってはいなかった。グレネードポーチから深緑の林檎の異名を持つM67破片手榴弾を取り出すと安全桿を握ったまま安全ピンを抜くと建物の陰に向かって放り投げた。増援の兵士たちの騒ぎ声が聞こえたのもつかの間、起爆した手榴弾はその名の通り金属片やワイヤーなどの破片を周囲にばらまいた。
警戒しながら角を曲がれば既に屍と化した兵士とうつ伏せのまま呻き声をあげる兵士がいた。奏は無表情で彼らを楽にしてやるとレンガの敷き詰められた道を駆けた。鼻を突く硝煙独特の匂いが興奮剤として作用している。そして同時にここが戦場であることを実感させてくれる。道を塞ぐ者がいれば排除する。奏が通ったハイリの丘に通じる道には幾つもの骸が転がっていた。
「あとは、凌ぐだけだ!」
ハイリの丘に到達した奏は上空を旋回するドラゴンの群れを眺めながら信号弾発射器を空に向けると引き金を引いた。昼間の明るい空に打ち上げられた赤色の信号弾はあまり目立ちはしなかった。それでも今の奏には祈ることしか出来なかった。