Act.4__Harbinger of war
スメラギ皇国
黒鷺城 王の間
2107年2月14日『コンフェッションデー』
日本国海兵隊強襲偵察隊
結城奏中尉
途切れ途切れに聞こえる誰かの話し声。凍てつくとまではいかないがそれなりに冷たい何かが結城奏中尉の頬を冷やした。霞む視界を擦ろうと腕に力を込めるがどうも重い。視線を下ろす。
「……ああ、捕まったのか」
自身の身体に絡みつく縄と手足に掛けられた枷。それらが捕まっているということを改めて実感させる。溜息を吐き、奏は傍らで西洋剣を握る騎士に視線を送る。
「捕まったというのに冷静な奴だ。どうして暴れない、少年?」
低く、威厳のあるその声は奏の正面、玉座に腰を下ろしている一人の男性から放たれたものだった。
「常に冷静な状態でいなければ咄嗟に正しい判断が出来ない。それにこの状況だ。暴れたところで返り討ちに遭うのがオチだ」
奏は特に驚いた様子を見せず、ただ淡々と尋ねられた質問に対しての答えを述べる。
「次は俺から質問させてもらう。貴方がこの国の王か?」
目つきを鋭くした奏が問う。玉座の男性は何かを見定めるように目を細めると口を開いた。
「如何にも。スメラギ皇国の王、リオン・スメラギだ」
「結城奏だ。よろしく頼む」
本来、正式な形であれば握手を交わしたいところだが手枷等を着けられていてはそんなことも出来ない。
「して、貴殿は何者だ?」
「とある迷子の軍人、そう言っておこう。付け加えておくと貴方たちが敵視する帝国とは何ら一切関係は無い。信じるか信じないかは貴方次第だ」
「帝国兵ではないと? ふむ、まあしかし服装や所持していた武器から考えると明らかに違うことは一目瞭然だな」
だがしかし、とリオン・スメラギは続ける。
「仮に貴殿が帝国兵でなかったとしよう。しかし、それで貴殿を解放すると思っているのか?」
「下らないな。そんなこと最初から思っているはずがない。俺は単に誤解を解いてほしかった、それだけだ。貴方たちの騎士に鬼のような形相で追いかけられるようなことをした帝国兵とかいう奴等と一緒になりたくないからな」
「う、うむ……すまない」
「まあ、兎に角だ。危害を加えるつもりはない。信じる信じないは端に寄せておいてとりあえずこの枷は外してくれないか? 動きにくくてしょうがない。それに俺は奴隷ではない」
奴隷。現在の奏は捕虜である。
「……アイリッシュ上級錬士。彼の枷を全て外しなさい」
「しかし陛下!」
リオンが待機中のアイリッシュ・エーカー上級錬士にそう告げるもどうやら不服そうな様子だ。
「構わん。それとも命令が聞けないのか?」
「……いえ」
しかし、やはり主従の関係。騎士が王に逆らえる筈もなく、アイリッシュ上級錬士は渋々といった様子で奏を縛る縄と手枷足枷を外した。
「チッ……!」
「ありがとう、アイリッシュ上級錬士殿。おかげで随分と楽になった」
舌打ちを打ち、睨みつけてくるアイリッシュ上級錬士に若干の皮肉を込めてそう言うと軽く身体を動かして筋肉を解す。
「さすがに武器は返してもらえないか?」
「うむ。今はこれが最大の配慮だ」
「それはどうも。ところで俺が捕まってからどれくらいの時間が経ったか教えてもらえるか?」
「一時間だ。それがどうした?」
「いや、気にしないでくれ」
一時間。海兵隊が救助チームを編成して乗り込んでくるのならば残り一時間から二時間だろう。
「しかし、それではダメだ……」
仮に海兵隊が奏を救助するためにチームを送ったとすれば、捕虜救出の大義名分があるとはいえ立派な国際問題に発展しかねる。それに地球とこちらでは文化も違えば法律も異なる。無理な行動は起こせない。
「今はまだ待つしかないか」
焦っては元も子もない。深呼吸を一つして気分を落ち着かせる。この場で逃げたとしても現在地が判らず、なおかつ大量の騎士に追いかけ回される羽目になる。某怪盗のように上手く逃げ切れる保証も準備もない。
「アイリッシュ上級錬士。彼を部屋に。それと誰かを世話役に指名してきてくれ」
「はっ!」
随分と待遇が良い。何か裏があるのではないかと疑ってみたが現状ではなす術もないため、大人しくアイリッシュ上級錬士に案内されることにした。
「税金の無駄遣いだな……」
部屋に案内され、無意識にそう呟く。客室にしては凝っている。高そうな絵や彫刻、陶器といった様々な物が置いてあり、日本では決して受ける事のない待遇に思わず身体が強張るのを感じた。
「少し待っていろ。今から世話役を連れてくる。いいか、大人しく待っていろよ」
「了解した」
アイリッシュ上級錬士が退出し、一気にやる事がなくなった奏はひとまずソファーに腰を下ろす。ふわふわで柔らかい。素晴らしいソファーだがやはり落ち着かない。小さく欠伸を洩らして立ち上がると外の景色が一望できるバルコニーに向かう。
「綺麗だ……」
バルコニーの先に広がる街並みに思わず称賛の声が零れる。建物の白、畑や山の緑、川や海の青。様々な色が混ざり合い、何とも言えない感激を覚える。
「一度見て回りたいものだな」
ここは異世界。日本、否、地球とは別の世界。何かが地球とは異なり、何かが地球と同じ。そんな興味深い世界だ。だがしかし如何せん、この世界での彼らの国籍も、国としての存在も、何もかもが存在しない。謂わば"架空”で“幽霊”のような存在。
この世界に居場所はない。
暗い雰囲気が心の中をぐるぐると巡る。そんな雰囲気に浸っていると誰かが部屋の扉をノックした。
「失礼してもよろしいでしょうか?」
「え、ああ。どうぞ」
女性の声。奏は躊躇いつつもバルコニーから室内へ戻ると扉を開けた。
「お心遣い、誠に恐縮でございます。わたくしはユウキ様のメイドとしてしばらくお仕えすることになりました、シャーリィ・アルテミストと申します。どうぞよろしくお願い致します」
「ご丁寧にどうもありがとう。結城奏だ。よろしく頼む」
奏は握手を交わす為に右手を差し出すと、メイドのシャーリィ・アルテミストは何か異様な物を見るような目で右手を見つめる。
「握手という文化は存在しないのか?」
「握手という行為自体は存在します。ですが私のような使用人如きに握手など勿体無いのではないでしょうか?」
身分制度。そんな言葉が脳裏をよぎる。
「使用人だからどうした。それに握手は感謝の気持ちや友好関係を結ぶといった点では一番有用だ。しばらく世話をしてくれると言ってくれている相手に感謝の気持ちを述べない。それこそ相手に失礼だと俺は思う」
当たり前のように感謝の言葉を伝え、当たり前のように嘘のない謝罪の言葉を伝える。人と人との信頼関係を築く上ではこの二点が大切である。
「……ユウキ様は変わったお方ですね」
シャーリィは微笑み、そう呟くと奏の右手に自身の右手を重ねた。よろしく。そんな意味合いを込めて右手に軽く力を込める。
「では、何か御用が御座いましたら遠慮なくお呼びくださいませ」
「その時はよろしく頼むよ。シャーリィ・アルテミスト」
「シャーリィで構いません。フルネームでは長いでしょうから」
「では改めてよろしく、シャーリィ」
「こちらこそよろしくお願い致します、ユウキ様」
シャーリィが退出した後、部屋の中央の机の上に置かれた新聞を取り上げる。
「アタナシウス帝国、リーンベルク王国の全土を掌握。我が国に避難民が入り乱れる……」
戦争。避難民。帝国。王国。記事の内容を埋め尽くす大量の言葉に思わず溜息が零れる。
「戦争か。いつの時代も、どの世界でも、変わらないものは変わらないのか……」
戦争は政治だ。勝つか負けるか、否、生きるか死ぬかの戦いだ。
「これは、少々拙い状況だな。仮にもし戦争に巻き込まれたとして、その時マリーンはどう動く? 見て見ぬ振りをするか?」
見て見ぬ振り。現代のいじめがなくならない原因の一つ。巻き込まれたくないから。自分とは関係ないから。それと同じように戦争を見過ごすか。これもまた選択肢の一つとなるだろう。
「一方を悪だと決めつけ、善だと思う国を支援するか? それとも喧嘩両成敗?」
それではただの自己満足であり、何かが変わるとも思えない。むしろ新たなターゲットとして捉えられることになる。
「平和的解決を求めて中立に入るか?」
平和的解決。自身で言ったのにも関わらず、奏はその言葉に反吐が出そうになった。
「そんなもので解決するのなら警察も、軍隊も、何もかもが必要無い。現にこうして戦争が起きている。その事実に代わりは無いし、それがこれからも変わることも無い」
やはり答えは見つからない。地球であれば国際問題として浮上し、国際連合の安保理会議で決定する。
この世界にはこの世界のルールが存在する。第三者の介入を求めるか、それとも必要としないのか。
「そんなことを俺一人で考えたところでどうにかなる問題でも無いか……」
気分が悪い。バルコニーから外を眺める。戦争という言葉を忘れさせてくれるような静けさ、そして平穏さ。
「やはり綺麗だ」
そう言って海を眺める。あの海の先に戦友や親友がいるのかと思うと今すぐにでも向かいたい衝動に駆られる。
「だがしかし、今は我慢だ。本隊が何らかの対策を立てるまで下手に動くことは出来ない」
再び溜息。何故だか異様なほどに疲労が溜まっているようだ。
「Semper Fi!」
常に忠誠を。
「……少し、休むとしよう」
ブーツを脱ぎ、キングサイズはあるであろう大きなベッドに飛び込む。
「良いものだな」
ベッドの柔らかさ云々を堪能している内に、奏の意識は警戒心とは裏腹にゆっくりと夢の中に沈んでいった。