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異世界の戦場  作者:
Phase.2
32/37

Act.9-2__Lost Christmas



 何者にも染まらぬ純白の雪がしんしんと降り落ちる季節は冬。新年も目と鼻の先にまで近づいた今日はクリスマス。どこもかしこもジングルベルの歌を流し、道行く人々は寒そうに身を寄せ合っては空から次々と落ちてくる雪に頬を綻ばせた。サンタクロースの着ぐるみを着ては店の前でチラシを配り、その横では店頭販売のクリスマスケーキがこれ見よがしに積まれていた。


 クリスマスを象徴する一つであるクリスマスツリーに施された様々な色の電飾や飾りが道行く人々の雰囲気を盛り上げ、聖夜と呼ばれるに相応しい素敵な一日を演出する。


 しかし一方で聖夜とは真逆の出来事も起こっていた。東京都千代田区永田町に建っている国会議事堂、そして首相官邸を取り囲む無数の集団がいた。



「戦争ぉー、反対ぃー!」


「早急に軍部を解体せよぉー!」


「我々の平和を奪うなぁー!」



 戦争反対。軍部解体。軍事同盟ダメ絶対。その他諸々が書かれたプラカードを掲げ、先頭の者が言った内容を復唱し、次々と思い思いの罵声を浴びせかけるデモ隊。暴徒鎮圧用の装備を着込んだ警察官がデモの様子を注意深く見守り、火種が落ちれば一触即発の事態になりかねない現場に緊張感が漂う。


 西暦2015年。中東アフガニスタンをはじめとする中東諸国でイスラム過激派の武装組織によるテロ活動が活発化し、その地域は瞬く間に拡大していった。現地に赴いていたジャーナリストが拘束され、公開処刑に加えて高い身代金を条件に交換など、世界の警察官を名乗るアメリカ合衆国が見逃すにはあまりにも無理があった。


 さらに事態は最悪な結末を迎えることになる。現地に展開していた米海兵隊の隊員が過激派のテロリストに惨殺され、前線基地は現地民を使用した自爆テロによって壊滅的な打撃を受けた。これまでに直面したことのない事態に合衆国政府は危機感を抱かざるを得ず、その結果、同盟国の日本にとある要求を突きつけた。それは、



 ────憲法九条を改正し、自衛隊員も戦闘に参加するべきだ。



 同盟国のアメリカの強気な要求に当時の内閣は憲法九十六条及び憲法九条を改正する審議を発表し、周辺国の軍事的脅威が高まり、緊張感が常に漂う現状を少しでもマシにするべく、国民による投票で過半数を獲得した内閣は憲法九条を改正した。自衛隊は自衛軍と名を変え、正式な軍隊として世界に発表された。これに反発し、批難声明を出したのは中華人民共和国と大韓民国だった。


 しかし東南アジアをはじめとする世界各国が日本の憲法改正を歓迎したため、中国と韓国は尖閣諸島や竹島などに領空侵犯や領海侵犯を繰り返すことで静かにこれを抗議した。



「平和なぁー、日本をぉー、とりもどせぇー!」



 日本の憲法改正における再軍備化に対し、一つの大国が行動を起こした。ユーラシア大陸の北部を占める国土面積を有する連邦共和国、ロシア連邦だ。北方領土問題が未だ未解決ゆえ、ロシアが公の行動を起こしたことは日本国民全てに緊張を与えた。第二次日露戦争、もしくは同盟国を巻き込んだ第三次世界大戦が勃発するのではないかと、世界に緊張が走ったのは記憶に新しい。


 しかし結果は予想の真逆。ロシアは日本を非難するどころか、他国と同様に日本の再軍備化を歓迎し、それどころか日本とロシアで軍事同盟を結びたいと公式に発表した。この発表に日米両首脳による会議が日夜行われ、ロシアが声明を出した二年後、日本は冷戦時代より軍拡化を続けて対立してきた二国の歩み寄りの架け橋としての役割を担うことを宣言し、米大統領の後押しを受けてこれを了承した。


 そしてクリスマスという縁起のいい晴れやかな今日、永田町の総理官邸にて最後の調印が行われようとしていた。クリスマス・イヴ。聖夜とも呼称される今日の永田町はお世辞にもお祝いムードとは言い難い。



「────今日というめでたいこの日を境に、我々合衆国は貴国との過去のいさかいにけりをつけ、かつこの先、両国が互いの発展のために誠心誠意手を取り合うことを、我が友であり、貴国の同盟国である日本の彼らの心義の下に誓おう」


「我々も祖国と我がセルツェに誓おう」


「これからの我々の未来に幸あらんことを祈り申し上げ、貴国と我が日本の相互防衛協定に関する調印を閉幕させていただきます。最後に三国で手を取り合うという意味を込めて握手といきましょう」



 調印式が行われている部屋で三国の代表が手を取り合い、カメラのシャッターが一斉に切られた。日本の憲法改正から二年後のこの瞬間、また一つ世界の歴史に新たな一ページが刻まれた。



 *



「相も変わらず騒がしいな……」


「ほんとだね……」



 三国の代表が調印式を行っていた部屋から場所は移り、首相官邸前。16式鉄帽の四点式顎紐を緩め、外柵の外側から絶え間なく聞こえてくるデモ隊のシュプレヒコールに思わず耳を塞ぎたくなる衝動に襲われた海兵──結城奏曹長は、隣で溜息を吐くWAC──榛名唯依一等軍曹と顔を見合わせると今一度溜息を吐いた。


 中学卒業後、当時若い幹部の育成のために採用されていた『海兵幹部特殊育成コース』の道に進んだ二人は、三ヶ月の間に基本教練から武器の取り扱い、部隊の配置及び指揮の方法を徹底的に叩き込まれ、その後すぐさまアメリカの海兵隊基地に戦術等を学ぶために渡った。そこで様々な事柄を学ぶ一方で、現在の強襲偵察隊の基盤となった武装偵察隊との訓練を行った。そしてアメリカで二年と半月を過ごし、今年の夏に日本に帰国した。


 少々の休暇の後、与えられた任務は官邸の警備。集まったデモ隊の何割がプロ市民だろうか、と変なことを考える。実際、時折チラッと垣間見えるプラカードの文字は不自然に言葉がおかしかったり、しなかったり。誰にも聞こえないように舌を打つ。



「下らない……」



 顎紐を締め直し、奏はデモ隊のシュプレヒコールに対してそう言った。戦争反対。軍部解体。平和を返せ。いい加減嫌気が差してきた。



「平和ボケした世の中だからしょうがないんじゃないかな。そういう国なんだよ、日本はね」



 唯依は苦笑を浮かべてそう言う。



「唯依ちゃんの言う通りだ。奏、この国は戦争を知らない。長い間、平和という名のぬるま湯に浸かりすぎた国だ」



 背後から掛けられたその声に眉を僅かに動かした奏は振り返ることなく、溜息を吐いた。何者かと奏とのやり取りを見ていた唯依は苦笑した。



「仕事はどうなされたのです、結城少佐?」


「相変わらずお堅いことで」



 奏は再度溜息を吐き、視線を横に移した。奏が結城少佐と呼んだ男性は、彼の上官であり、彼の父親である結城ゆうき叶瀬かなせ少佐だ。親子二代で海兵隊に所属する彼らは部隊の中でも有名である。



「なあ、奏。お前はこの協定をどう思う?」


「別に、特に何も。この協定が結ばれようが結ばれまいが、自分たちの仕事は変わることはありません」


「まあその通りだな。国民から嫌われようが、世界から嫌われようが、俺たちの仕事は変わらない」



 俺たちは軍人だから。そう続けた結城少佐の顔は無表情そのものだった。



「君たちは自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。きっと非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。言葉を換えれば、君たちが日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい」



 結城少佐が言った言葉を二人は知っている。日本国第四十五代内閣総理大臣、吉田茂元首相の言葉だ。



「この言葉通りなんだよ。俺たちは武器を持っている。どれだけ自衛のためと言ったところで所詮は武器。だから非難はされるし、誹謗中傷を言われることも当たり前。国民から、外国の人たちから何かを言われても俺たちは静かに、日陰にいる者のように耐え忍び、職務を全うするしかない」



 納得せざるを得ない。結城少佐の言っていることは全て正しい。自衛軍の自衛官、そして海兵隊の海兵である彼らは全て国民の血税で生活をしている。水も食糧も武器も装備も給料も何もかも。しかし一方で彼らも喜怒哀楽を持つ人間である。非難や誹謗中傷を言われて傷つくこともあれば、反論したいと思うこともある。



「まあなんだ。お互い頑張ろうな」


「了解です」


「それじゃあ戻るわ」



 手をひらひらと振り、去っていく結城少佐。その背中を見送ることなく、奏は17式小銃の握把を握り直した。やはり騒がしい。上空を見上げる。



「空のヘリは邪魔だな……」


「あー、私もそう思う」


91式地対空誘導弾(携SAM)が欲しい」


「どこかに置いてあるんじゃない?」


「探すか?」


「いいかも!」



 声を弾ませる唯依と顔を見合せ、年相応の笑みを浮かべる。



「いいわけあるか」


「だよねー、知ってた」



 若い彼らのこのような気の抜けたやり取りで頬を緩ませる隊員がいるとかいないとか。防暑戦闘服に防弾チョッキ3型等を着込んだフル装備もこうして何時間も立っていればただの錘でしかない。早く交代の時間がこないものか、とやや視線を上に移した、まさにその時だった。デモ隊が蠢くその場所から轟音が唸り、白煙が空に立ち昇った。



「……敵襲!」


「デモ隊の中心で爆発あり! テロの可能性大!」


「全隊備え!」



 咄嗟の出来事。奏は近場の柱に身を隠し、17式小銃の切換レバーを単発位置に持っていく。それと同時に至るところから金切り声が上がった。それが銃声であると察するのに時間は掛からなかった。煙の奥で発砲炎が瞬いた。敵だ。



「接敵!」



 左半身を柱に隠し、17式小銃と左手を柱に委託する。17式小銃に搭載したACOGを覗き込み、その先に一般市民を認めた。しかしその手に持たれた中国の中国北方工業公司(ノリンコ)社製56式自動歩槍を認めた刹那、奏は冷静に引き金を絞った。床尾板が肩を蹴り、照準の先で敵の腹部に血閃が走った。短く息を吐き出し、照準を次の敵に向ける。消炎制退器から次々と吐き出される6.8mm×43SPC弾が敵を撃ち倒していく。



再装填チェンジング・マグ!」



 黒色の樹脂製弾倉を弾納から抜き、空弾倉を落とすと同時に叩き入れ、槓桿を引いて薬室に初弾を送り込む。



『官邸から三宿まで代表を護送する! 五分間喰い止めてくれ!』


「了解!」



 結城少佐の命令を受諾する。



「援軍の予定は?」


ロシアさんのアルファが周囲に展開している。頼もしいね』


「了解。護送担当は?」


米海軍アメさんとこのシールズと陸自の特戦群(S)だ』


「それはまた豪華なことで」



 通信を終了し、迫る敵に対応する。この状況で五分は長い。そう嘆息した直後に目の前の地面が爆ぜた。



「RPG!」


「排除しろ!」


「任せて!」



 銃身を切り詰めた短銃身型の17式小銃を操る唯依の素早い対応でRPG手を排除する。



『前進する!』


「了解!」



 三本目の弾倉を取り替える。その時、6.8mm弾でも7.62mm弾でもない、別な銃声が奏の鼓膜を震わせた。官邸内から現れ、素早い身のこなしで周辺に展開した黒い影。



「待たせたな、同志」


「加勢する」



 チタン製のフルフェイスマスクで顔を覆い、AK-12アサルトライフルを単発で撃ち放つ彼らは、ロシア連邦保安庁が誇る対テロ特殊部隊アルファの隊員に他ならなかった。不規則なリズムで放たれる5.45×39mm弾の狙いは寸分無比の狂いもなく、ただ一途に敵に吸い込まれていく。



『敵のジープに追われている! 可能であれば後ろを頼む!』


「行け、同志。ここは我らが引き受けよう」


感謝する(スパスィーバ)!」



 アルファの隊員の援護を受けつつ、味方が遮蔽物として利用していた防弾セダンに駆け寄る。



「こいつのキーは持っているか!?」


「RPGでドライバーごと吹き飛ばされました!」


「くそったれ!」


「正面! 敵のバイク!」



 別の隊員の声に反応した奏は、全身にダイナマイトを巻き付けた特製爆弾ベストを着、自身らに迫る敵を見た。咄嗟に銃口を持ち上げ、引き金に指の腹を添える。しかし同時に脳裏に外した未來が過り、その一瞬の躊躇が引き金を引くことを遅れさせた。ACOGの先、敵の姿がブレた。赤黒い血閃。車体が傾き、激しい金切り声を上げながら火花を撒き散らし、滑りくるバイクは奏が隠れていた防弾セダンに衝突した。



「同志に手出しはさせない。さあ早く」



 AK-12を右手で肩に担ぎ、左手で保持した発煙手榴弾の安全ピンを白い歯で引き抜いたダンディーな隊員がそれを放るなり、奏は防弾セダンのボンネットを滑り、つい数秒前に防弾セダンに衝突したバイクを起こし、跨がった。



FZ1(フェザー)とか生意気すぎんだろ……」



 白煙が辺り一帯を包む中、唯依にヘルメットを投げ渡した奏はギアをニュートラルに入れ換えるなり、ぽつりと呟いた。ぶおん、と排気筒が唸る。唯依が後部座席に跨がり、奏はクラッチをローに入れ換えて急発進した。



「各員、道を拓け!」


了解ダー!」



 煙の中を一心不乱に突き進み、煙を突き抜けるとそこは地獄の世界が広がっていた。爆発を直に受け、またはその余波を受け、その身を無数の銃弾に貫かれて死した人々がそこにいた。赤色、その一言に尽きた。歯軋りをする奏の背で、唯依の身体が強張る。



「罪のない民間人をこんなにも無差別に殺すなんて……」


「ふざけやがって……!」



 ギアをローからセカンドに入れ換え、アクセルを回す手に余計な力が籠る。



「見つけた! 護送車の後方に敵のジープ!」


「俺の腰に拾い物があるからそれを使え!」


「よく判らないけど了解!」



 唯依は奏の腰に手を沿わし、その手に何かを掴んだ。掴んだそれを目の見える位置に持ち上げた唯依は小さく驚いてみせた。



「わおっ、回転式拳銃リボルバーだ。しかも弾倉シリンダーが八発に変更されたガチなやつ」



 S&W社製のM327の弾倉を振り出し、弾倉に収まった八発の.327マグナム弾の雷管部に凹みがないことを認めると左手で弾倉を元の位置に戻し、右腰部に手を下げた。



「それを使ってジープのタイヤを撃ち抜け!」


「にゃっ、なんだって!?」



 無理難題を突きつけられ困惑する唯依。しかしここでやらなければ最悪な事態が待ち受けていることは考えずとも解った。奏の肩を握把底部で柔らかく叩き、了承の意を伝える。



「チャンスは多くないぞ!」


「解ってる! 八発で確実に仕留めればいいんだろう!?」


「その通りだ。やれ!」



 ジープの最後尾に車体を寄せ、ハンドルを上手く操り安定させる。



「いくよ!」



 雷が鳴り響く。残弾、七発。



「外した!」



 銃弾はタイヤを穿つことなく、コンクリートの地面を抉った。同時にジープの窓から男が三人、身を乗り出した。その手にはやはり56式自動歩槍が握られていた。気づかれたか、と舌打ちをする。



「いくよ!」



 再び発砲音が響く。同時にタイヤが弾け、ジープの動きが鈍くなる。銃弾は正確にタイヤを撃ち抜き、バーストさせたのだ。タイヤの金属部が地面に擦れ、ガリガリと不協和音を奏でる。



「やった!」



 やがてハンドルを取られたジープは路肩の段差に乗り上げ、運が悪いことに横転した。



「次だ!」


「了解!」



 ギアをセカンドからサードへ入れ換え、増速。二台目のジープの後方を占位する。しかしそれよりも早くテロリストたちは56式自動歩槍の引き金を引いていた。無差別に放たれる7.62mm弾の嵐。



「掴まってろ!」


「ええ……わあっ!?」



 ギアをサードからローに落として急ブレーキ。ハンドルを右に傾け、他の車輌との間に割り込ませる。幸いなことに銃弾は全て外れていた。動いている車輌から当てるのはやはり難しいようだ。



「危ないよ、奏!」


「知ってるよ!」



 獲物は逃がさない。そう言わんばかりにジープを睨む。リボルバーの残弾は六発。予備の銃弾はない。



「えっ、あっ、嘘だっ!」



 唯依が予想外な物を見るように驚愕の声を上げた。奏も同様に目を見開く。目の前には十字路。黒塗りのセダンを追随するようにジープは左折していく。その直前、窓から身を乗り出した男が長い筒を取り出し構えた。二人がその筒の正体に気づいた時には既に遅かった。



「RPG──!」



 叫び、回避行動に転じる。後方には一般車輌。奏はローからセカンドにクラッチを上げ、アクセルを回す。そしてクラッチをローに下げるとブレーキペダルを踏み込んで急ブレーキ。急激な回転数の変化にマフラーから轟音が鳴り響く。ブレーキからアクセルを回し、ハンドルを左から右に振りきる。車体が傾き、その横をPG-7VL弾頭が通り過ぎていく。


 ドリフトを決め、右折。奏は舌打ちを打つと反転。加速させてはクラッチを上げ、再びジープの後方に喰らいついた。先程の対戦車榴弾は車体の揺れにより狙いが上に逸れたのか、建物の看板に直撃していた。



「やれ!」


「了解!」



 サスペンションにより車体が揺れる。唯依は両手で保持したM327の照準をタイヤに合わせるとタイミングを測った。



「ふっ……!」



 小さく息を吐き出し、照準が重なった僅かな間を見逃さず、引き金を引いた。銃弾は見事にタイヤを射抜いた。



「ダウン!」



 ハンドルを取られたジープは横転。ガラスが飛び散り、火の粉が空中に拡散した。その横を通り抜け、唯依は前方のジープに発砲する。しかし狙いが逸れ、車体に穴を穿つだけに終わった。再度発砲するが、またも狙いが逸れた。残弾、三発。


 奏はより正確に当てるために距離を狭める。だがしかし、これ以上はやらせまいとジープからの弾幕が激しさを増していく。前方のハンヴィーやセダンも銃撃を受けているのか、動きが悪い。唯依が敵の頭を下げさせるべく、M327の引き金を二度引いた。残弾、一発。


 イヤな予感がする。そう感じた瞬間、銃撃を受けていたハンヴィーが突然爆発した。回避行動を取って破片を躱し、その悲惨な光景に思わず目を疑った。続くようにセダンが爆発。テロリストが持つ対戦車榴弾の弾頭の残りが幾つあるのかは判らないがこれ以上被害を増やさないためには一刻も早く止めなければ、と奏はジープを睨む。



「不味いよ奏!」


「解っている!」



 後続に車輌はいない。こんな光景を見せつけられた上で同じ道を進もうなど思うはずがあるまい。



「十字路!」



 唯依が叫ぶ。クラッチをサードからセカンドに下げ、減速。その時だった。前方の様子がおかしい。先頭を勤めていたハンヴィーとセダン一台はその車体を横に向けていた。道を塞ぐその姿はまるで盾のようだ。



「揺れるぞ!」



 宣言し、歩行者用道路に乗り上げる。首相らを乗せたセダンは十字路を右折。クラッチをサードへ上げ、ハンヴィーとセダンが形成した盾の僅かな隙間を通り抜ける。



「すまない……!」



 後ろを振り向かず、悔しそうに歯を食いしばる。一応の危機が去ったことに安堵しているのも事実だが、やはり辛い。



「結城少佐、三宿まで先頭を勤めます」


『すまんな、奏。助かる。だが後ろを頼むと言った俺が言うのも変だが、あまり危険な真似はするな』


「了解です」



 結城少佐の乗るセダンの前に躍り出、サムアップを掲げる。しかし、と奏は空を飛ぶテレビ局の報道ヘリを睨んだ。仮に空からの中継でこの車輌の現在地を発信しているとすれば不味いことになる。



「マスゴミが……」



 そう呟き、前方を見据える。その時、漆黒のマントを翻した死神が微笑んだような錯覚を感じた。



「不味い! 前方から敵車輌ッ!」



 敵の接近を報せるが既に遅い。一台のジープから榴弾が放たれた。高速運転中で狙いは僅かに逸れたがフェザーとセダンの間に着弾。ハンドルの制御が困難な状況に陥ってしまう。



「くそったれぇっ!」


「きゃあっ!?」



 フェザーの車体が傾く。このままでは巻き込まれる。そう感じた奏は咄嗟に唯依を胸に抱くような形で飛び降りた。怪我をしても構わない。せめて唯依だけでも、と存在するかどうかも判らない神に祈った。



「うっ、ぐっ!?」



 フェザーは路肩の木に衝突し、ひしゃげたタンクからガソリンが漏れ出している。勢いよく道路に叩きつけられた奏は、二度バウンドすると、そのまま路肩に駐車されていた車輌に激突した。



「ガハッ……」



 肺の中の酸素が強制的に押し出され、身体が酸素を求めて喘ぐ。頭部から背中全体を襲う鈍痛に意識が揺らぐ。腕の中に抱いた唯依が動いていることに安堵しつつ、絶え間なく身体を蝕む激痛に声にならない悲鳴を上げる。



「はぁっ、はぁ……ッ!」


「奏! 奏! 駄目。ダメだよっ、目を閉じないで!?」


「無事、か……?」


「私は大丈夫だよ! い、今、救急車を呼ぶから!」



 道端に積もった雪が僅かに勢いを殺してくれたお陰か、意識はまだ保てそうだ。その時、奏は血で滲む視界越しに影を見た。その手にはAKアサルトライフルと思しき影。



「しまっ……!」



 無意識に転がっていたM327に手を伸ばす。だがしかし、それよりも早く近づいてきた影が奏の手を蹴り飛ばし、木製の床尾板を腹部に叩きつけた。



「やめろぉっ!」



 救急車を呼ぶことに精一杯になっていたせいで反応が遅れてしまった唯依が反撃を開始した。敵との距離を詰め、右上腕部に鋭い回し蹴りを放つも受け止められ、動きが固まる。



「まだまだぁっ!」



 飛び退き、態勢を整えるなり接近。懐に潜り込み、腹部に右肘による打撃を叩き込む。しかし、違和感が唯依を襲う。手応えが感じられない。それどころかダメージが入ったのは唯依自身だ。服の下に弾倉を隠しているのか、と舌打ちを一つ。



「だったら!」



 敵の足を踏み抜き、無防備な顎に掌底を叩き込んだ。打ち抜き、追い打ちをかけるように右腹部への回し蹴り。振り抜き、確かな手応えを感じた。



「奏っ!」



 近寄り、抱き起こす。鉄帽が衝撃を殺しきれなかったせいか、後頭部からの出血が激しい。ハンカチを後頭部に当て、応急処置を施そうと背負っていたバックパックの中身を漁る。



「うし、ろ……」


「えっ……」



 奏の消え入りそうな声に振り返る。そこにはふらふらと立ち上がり、AKアサルトライフルを構える敵がいた。間に合わない。唯依は瞬時に奏の上に覆い被さった。せめて、彼には生きてほしい。


 そして──けたたましい銃声が白色の空に響き渡った。雪が払いのけられた道路に真鍮製の空薬莢が落ちては心地よい音色を奏でる。しかし、幾ら待てども痛みはやってこない。何故。唯依は顔を上げ、我が目を疑った。



「叶瀬、さん……?」



 小さく、その男性の名を呟く。



「ははっ、よお……唯依ちゃん」



 血塊を吐き出しつつ、結城少佐は笑った。口端から顎にかけて血が伝い、ぽたりぽたり、と落下していくそれらは純白の雪に紅い斑点を描いていく。



「よお、奏。無様な格好してんじゃねえか。滑稽だなぁ、おい」


「おや、じ……」


「唯依ちゃんに守られてちゃあ、まだまだだ。男なら女の子一人くらい守ってやれよ!」



 言葉を発するたびに身体の力が抜けていく。その手に握られた9mm拳銃が地面に落ちる。そのまま仰向けに倒れる結城少佐の側に這い蹲りながら近寄る奏。



「何してん、だよ! あんたにはっ、大事な仕事があるだろ!」



 アドレナリンが分泌され、ある程度動くことが可能な状態になった奏はその手を結城少佐の胸に当てた。



「こんな糞餓鬼なんかのために投げ出すなよ!」


「なんか。なんか、か……」



 奏の瞳に浮かんだ涙の雫が、ぽたりぽたり、と落下しては結城少佐の頬に軌跡を描く。



「馬鹿野郎。男が簡単に泣くんじゃねえよ。好きな女の胸の中で、その悲しみや楽しさ、喜怒哀楽の全ての感情を共有しろ。だから泣くな。それに、仕事なんかよりも自分の子供の方が大事に決まってんだろっ!」



 結城少佐は俯く奏の頭を引き寄せ、その額に自身の額を当てた。俯いていた顔を上げ、結城少佐の瞳を見つめる奏。袖でぐしぐしと涙を拭き取る。その姿に結城少佐は頬を緩ませると、伸ばした手を奏の頬に添えた。



「お前は、結城奏は強い男だ。俺と千晴の大切な子供で、凛と同じく一番の誇りだ」


「今、そんなこと言うなよ!」


「千晴と凛に伝えてくれ。愛してる、またな、ってさ……」


「ふざけんなよ! 自分で伝えろよ親父っ!」



 震える声で叫ぶ奏を余所に、結城少佐は小さく唯依の名を呼ぶ。



「叶瀬さん!」


「泣くなよ、唯依ちゃん。女の涙ってのも特別でな。好きな奴にしか見せちゃダメなんだよ。その意味、解るだろ?」


「でもっ、でもっ……!」



 ぐしぐしと涙を拭うが、涙は決壊したダムの如く次々と止まる様子をみせない。そんな姿が微笑ましく感じたのか、やはり結城少佐は笑った。自分のことなど考えずに笑った。



「唯依ちゃんに一つ、頼みがあるんだ」


「頼み……?」


「そう、頼みだ。お願いかな」


「私に出来ることなら何でもします! だからっ!」



 その言葉を待っていた。そう言わんばかりに結城少佐の虚ろな瞳が唯依の瞳を捉えた。



「奏を、あの気弱で臆病な息子を、俺の愛息子を頼んだ……!」


「……はい、頼まれました!」


「……あり、が、とう……」



 そう言って、結城少佐の瞼はゆっくりと閉じられていく。その表情はどこか幸せを感じさせるが如く、笑っていた。



「ねえ、奏。この小さな戦争を終わらせよう」


「……ああ、そうだな。終わらせよう。この醜い、大切な者を奪っていく残酷な戦争を……」



 不思議と痛みは感じない。感じるのは“後悔”そして“感謝”の気持ちだ。父親として、ここまで導いてくれたことへの感謝。そして、救えなかったことへの後悔。結城少佐の傍らに落ちていた拳銃を拾う。弾は薬室に装填されている。足を引き摺り、店の壁に衝突した防弾セダンにゆっくりと近づいていく。


 瞳に映る一つの影は、日米露の代表を一人ずつ引き摺り出し、今まさに悲劇の銃声を轟かせようとしていた。震える手で拳銃を持ち上げ、唯依は背中から包むように奏の手に自身の手を添えた。



「戦争は、終わりだ……」



 終焉を告げる終曲が雪の降る東京に奏でられた。



「ロスト、クリスマス……」



 影は崩れ落ち、全ては終わった。奏はアドレナリンの効果が切れたのか、紅く染まった雪の上に力なく倒れ込む。



「お疲れ様、奏……」



 唯依はそんな奏を支え、ぎゅっと強く抱きしめる。辛い。悔しい。そんな思いが脳内を巡っては心に突き刺さる。



「どうしてかなぁ……?」



 嗚咽が洩れ、白一面の空を見上げる。白い。紅く染まっているこの大地を埋め尽くすように降り続ける雪。いっそのこと、この現実を白く塗り替えてほしいとさえ感じてしまう。



「もう……いやだよ!」



 大切な人を失うことも、失いそうになることも全て。泣かないとそう決めたはずなのに、涙は次々と溢れてくる。ゆっくりと近づいてくるサイレンの音。警察、救急車、それとも軍か。その正体を確かめる間もなく、二人の意識は闇の奥底へ沈んで消えた。


 多くの命が失われたこの日を全世界の人々はこう呼ぶ。────終焉の聖夜(ロスト・クリスマス)、と。









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