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異世界の戦場  作者:
Phase.2
29/37

Act.7__Dance with the Angel

クロスベル基地

空軍エリア

2107年5月26日

日本国海兵隊特殊作戦航空隊

結城凛中尉




 状況はお世辞にも良い状況とは言い難かった。五日前に行われた作戦の最中に起きた出来事を思い出し、結城凛中尉はクロスベル基地の空軍エリア、滑走路からほど近い位置に設置されたアラート待機所で大きな溜息を洩らした。


 米第七艦隊の主力艦である原子力空母『ジョージ・ワシントン』をはじめとした数十隻の艦艇が一瞬にして消失し、唯一残ったミサイル護衛艦『やまと』はクロスベル基地の海軍エリアで武器弾薬及び燃料の補給を行った後、リーンベルク王国の重要貿易港であるマリンフォート港に帰港した。


 作戦後、クロスベル基地に帰投した戦闘機の数は全部で十五機にも満たない。離脱しようと試みて光に呑み込まれた者もいた。八咫烏の愛称で親しまれているF-3戦闘機が二機。F/A-15Jアサルトイーグルが二機。そしてF/A-18E及びF型が合わせて六機。計十機の戦闘機が現在この基地に保管されている。機甲部隊や歩兵部隊の武器弾薬の補給は既に完了しており、万全な態勢となっている。しかし隊員の多くは指揮系統が麻痺していることや友人が目の前で消えてしまったことにより疲労している者が多い。


 帰るべき船を失い、同時に国連平和維持軍中東派遣団として管理下に置かれた彼らに対して可能な限りの手助けもした。やるべきことは全て終了し、目的を失った自分たちは何のためにこの世界に取り残されたのだろうか。自問自答する日々が続く。



「入りますよ」



 ソファに横になっていた凛は聞き慣れた声を耳にして身体を起こした。F-3戦闘機の二番機のパイロット、ウィングマンの時波伊織准尉は、黒のアンダーシャツにグレーの迷彩パンツというラフな服装のままペットボトル片手に凛の向かいのソファに腰を下ろした。



「暇そうですね、リーン」


「そういうあんたはどうなのよ、ハル?」


「私はリーンと違って健康人間ですからね。そこらを少しばかり走っていました」


「誰が不健康よ、失礼極まりないわね。私だって健康人間よ」



 タオルを首に回して掛けた伊織は軽口を叩く凛の様子を満足げに見ては立ち上がり、一つの提案を持ちかけた。



「今から射撃場に行きませんか? 久しく撃っていませんから腕が鈍ってそうですし」


「うーん……いいわよ。篠ノ之少将から飛ぶことを禁じられている今、ストレスは走るか、射撃場で鉄砲を撃つことでしか発散できないし」


「そうですね」



 空を飛ぶことは最早日課であり、生活の一部と化している彼女たちにとって空を飛ぶことを禁じられるということは何よりの苦痛であり、ストレスの源だ。しかし一方で禁じられた理由も解らなくはない。しょうがないと言ってしまえばそれまでの話である。



「リーンは何を使います? 拳銃は必須として……後は個人防衛火器(PDW)ですかね?」


「前に訓練で使ったMP7A1だったかしら? あれにしましょう。64(ロクヨン)89(ハチキュー)を撃つ気は起きないわ。17(ヒトナナ)のPDWに換装した物ならいいけれど」



 ベルトから右太腿部に吊して固定したレッグホルスターから9mm拳銃──SIG P220自動拳銃を抜き、射撃場の机に置いた凛は、武器庫から4.6×30mm弾を使用するMP7A1を弾薬箱ごと引っ張り出した。椅子に座り、弾倉に一発一発丁寧に弾を込めていく。



「ハルも同じ鉄砲を使うの?」


「ええ。小銃や散弾銃を撃っても仕方がないですから」


「それもそうね」



 通常の弾倉よりも大型の四十発弾倉に弾を込め終えた凛は銃把底部の給弾口に弾倉を挿入するとT字型の槓桿を後退させ、初弾を薬室に送り込んだ。金属の擦れる音が心地いい。伸縮式銃床を丁度いい長さまで開き、切換レバーを単射位置に導く。左手は備え付けの折り畳み式前方握把を握り、エイムポイント社製のT-1マイクロダットサイトを覗き込んだ凛は赤い光点を二百メートル先のターゲット・シートに重ね合わせて引き金を絞った。



「おっと」



 4.6mm弾の軽い反動が銃床を介して肩を蹴り、久方ぶりの感覚に思わず声が出た。射撃はあまり得意とは言えない。しかし単射はどこか物足りなく、凛は切換レバーを連射位置に移すと来たるべき反動に備えて身を堅くし、ゆっくりと引き金を引いた。軽快な銃声が連続して響き、弾倉の中の銃弾はあっという間に切れた。航空自衛軍の射撃訓練では決してすることのできない体験に頬を綻ばせる。但し、撃った弾のどれだけが命中したかは置いておく。



「連射で撃っても当たらないでしょう、リーン……」


「相変わらずお堅いわね、ハルは。普段の射撃訓練ではできないことをやる絶好の機会なんだし、ハルもやってみたら? 案外気持ちのいいものよ」


「……まあ、少しなら」



 などと言いつつ連射で撃つ気満々だったのか、伊織のMP7A1の切換レバーは連射位置に置かれていた。素直じゃない。微笑ましく感じつつ、凛は机の上に置いた9mm拳銃を手に取ると弾倉を挿入して遊底を前後させ、ウィーバースタンスで拳銃を構えた。右手で銃把を握り込み、左手をその上に覆い重ねる。一息吐き、引き金に添えた指を絞る。


 引き金に連動して撃針が薬室に装填された9×19mm弾の雷管を叩き、破裂音と共に硝煙の匂いが鼻を突いた。何を考えるわけでもなく、ただ無心に引き金を引き、遊底が弾切れを知らせれば素早く弾倉を交換した。そしてすぐさま射撃を再開、ひたすらに目標に銃弾を撃ち込んだ。



「張り切ってますね、結城中尉」



 計四本の弾倉全てを撃ち切り、イヤーマフを外した凛は自身に向けられた言葉に振り返った。現在は各自衛軍の教育隊や海上自衛軍及び航空自衛軍の後方部隊に主に配備されている89式5.56mm小銃を肩に担いだ天原隼人中尉は、相も変わらず爽やかな笑顔で左手を振ってみせる。


 その後ろには天原中尉のウィングマン、雲仙隆介准尉が数名の米海兵隊のパイロットを連れていた。



「ストレス発散をしてたのよ。天原中尉は?」


「お恥ずかしながらストレス発散に」



 茶の短髪を掻いた天原中尉は、凛の隣のレーンの台に89式小銃を乗せた。ダンプポーチに突っ込んだ六本の弾倉を並べ、弾薬箱の中から5.56×45mmNATO弾が三十発装填されたローダーを取り出し、弾倉に5.56mm弾を込める。



「隆介は何使うの?」


「ハチキューだけど」


「ふーん、あっそ」


「自分から聞いといてその反応はないだろ……」



 幼馴染同士の二人。仲がいいのか悪いのか。



「This is my RIFlE, this is my GUN!」



 M16A4アサルトライフルを射撃する兵士が歌い、後方に控えた兵士が歌いつつ空いた左手で股間を持ち上げた。下のネタが少なからず混ざった歌詞。凛は少々居心地の悪さを感じたが男同士だとこうなるのも自然だろうとイヤーマフに手を伸ばした。



「こら、あんたたち。はしゃぐのはいいけどこの場に女性隊員がいることを忘れないでよ。私は慣れてるけど、相手は日本の大和撫子なんだから」



 射撃場の扉を押し開き、大声で歌っていた兵士の臀部にベネリM4スーペル90──別称M1014──ショットガンを押しつけた女性隊員は、呆れ顔のまま溜息を吐いた。



「ごめんなさい。うちの野郎共が五月蠅かったでしょう?」


「いえ、ありがとうございます、クレア中尉」


「どういたしまして」



 ダンプポーチから12番GA(ゲージ)OOB(ダブルオーバック)弾を取り出し、M1014の排莢口に装填してみせた女性隊員は、F/A-18Eスーパーホーネットのパイロット、クレア・グレイス中尉だ。今回の中東派遣団に米海兵隊の航空部隊から参加している唯一の女性パイロットであるグレイス中尉とは何かと接点があり、よくしてもらっている。



「グレイス中尉もストレス発散に?」


「どっちかと言えばあいつらのお守りね。放っておくと何をしでかすか判ったもんじゃないわ」



 下部のチューブに七発のシェルを押し込んだグレイス中尉は首に下ろしたイヤーマフを耳まで上げ、搭載したホログラフィックサイトの赤い光点を二十五メートル先のターゲットに重ね合わせた。しかし違和感を感じたのか、身体に合った位置にストックを移動させた。再度構え、引き金を絞る。


 拳銃弾や小銃弾とは異なる破裂音が空気を震わせ、排莢口から吐き出された使用済みシェルが床に落ちては軽快な音を奏でた。照準のズレを修正し、反動を考慮した態勢に移行。連続して射撃を行った。



「貴女も撃つ? 気分爽快よ?」


「いえ、遠慮しておきます。空自は基本的に散弾銃を使いませんので」


「あら、そうなの。残念」



 鼻歌を刻み、新たなシェルを装填するグレイス中尉。



「もうちょっと撃つか」



 4.6mm弾と9mm弾の入った弾薬箱を台に置き、各四本ずつに弾を込めていく。周りから響く銃声は思わず戦場にいるのではないか、と錯覚させる。しかしとは思うも、陸の戦場は空から眺めたことしかない凛にとって、それは想像でしかなかった。


 ローダーを利用した弾込めはすぐに終わり、射撃訓練を再開しようとターゲットプレートを新しい物に変更した。MP7A1の銃把下の給弾口に四十発弾倉を挿入。ボルトを閉鎖して構え、引き金を絞った。



「……安全装置を解除してなかったわ」



 伊織に見られていないことを恐る恐る確認し、切換レバーを連射位置に導く。いざ射撃、そう意気込んだ瞬間。魔法を応用したライトが消え、代わりに耳障りな警報と赤いランプが緊急事態の訪れを予感させた。射撃場から銃声が消え、誰もが状況を把握するよりも早く、射撃場の扉が何者かによって開けられた。咄嗟にMP7A1の銃口をそちらに向ける。



「私は敵じゃありませーん。お助けー」


「フィラデルフィア……」



 安堵した声で目の前の彼女、クロスベル基地を統括する人工知能のフィラデルフィアの名を呟いた凛は銃口を下ろし、何事かと彼女に問うた。



「どうやら躾のなっていない駄犬が土足で乗り込んできたみたいです」


「詳細を……の前に、貴女は何て格好をしてるのよ」


「ああ、これですか?」



 視線を下げ、自らの服装を確認したフィラデルフィアはどこか自慢げに胸を張った。普段から着ている迷彩服ではなく、シミやしわの見当たらない純白のシャツの上から黒のコルセットを着た格好をしたフィラデルフィアは、清楚な中世の女騎士を連想させる。しかし中世の騎士を連想させるとはいえ、右太腿部の大型レッグホルスターに突っ込まれたデザートイーグル自動拳銃や背中にスリングで吊ったロングバレルと伸縮式銃床が組み込まれた選抜射手用小銃(マークスマンライフル)仕様のACE53はやはり不釣り合いだ。



「コルセットをミリタリーに着こなしてみました。セクシーでしょう? って、そうじゃなぁーい!」


「大声出して何よ」


「帝国軍が大規模な作戦を展開しています。既に無人防衛システムが反撃を開始していますが陸海スペースは占拠されたと言っても過言ではありません。皆さんは身を守る最小限の武器を持って格納庫ハンガーに向かってください。フィラデルフィアも護衛します」



 それがフィラデルフィアが普段から愛用するAIジョークでないことは彼女の表情や声音から安易に想像できた。しかし何故この場所が特定されたのかが理解できず、しばしその場で硬直した。しかし真剣な表情を浮かべた天原中尉に肩を叩かれ、凛は9mm拳銃を右太腿部のレッグホルスターに突っ込み、二本の予備弾倉を弾納に仕舞い、MP7A1の予備弾倉を一本迷彩ズボンのポケットに押し込んだ。



「既に全員分の機体の整備は完了。装具類も格納庫に準備してあります。ここが乗っ取られるのも時間の問題です。急ぎましょう。我に続け(フォロー・ミー)


了解イエス・マム!』



 射撃場と通路とを隔てる扉を蹴り破り、先行するフィラデルフィアは通路に並んだ女性タイプの武装アンドロイドに指示を出す。華奢な体型とは裏腹に彼女たちが抱えたM60E4機関銃はやはり不釣り合いだが、銃器の扱いに慣れていない凛たちにとって武装アンドロイドの彼女たちは何よりも頼もしく、戦場で舞い踊る戦乙女ヴァルキュリアのように感じた。



「左右の通路は彼女たちに任せてください。とりあえず皆さんは格納庫に向かうことを最優先に」



 まだ空軍スペースには侵入されていないのか、銃声はまだ遠い。ひたすらに一直線の通路。左右に分かれる通路があれば武装アンドロイドの彼女たちが一人ずつ曲がっては安全を確保していく。



「むっ、滑走路上空に蜥蜴が入り込みましたね」


「滑走路を制圧されたら元も子もないわよ」


「大丈夫ですよー。フィラデルフィアにおーまかせっ!」



 目上でピースをしてみせ、弾んだ声音で微笑むフィラデルフィア。途端に施設が揺らぐ。



敵機全機捕捉エネミー・マルチロック破魔槍ゲイ・ジャルグ発射ランチ



 滑走路の北側、海に面した特別広いエリアの地面が開き、その下から現れた計六十ものセルパネルが一斉にカバーを開放した。途端に魔力を混合して生成した特殊弾頭搭載型の地対空誘導弾が次々と発射され、発射前に打ち込まれたデータに従い目標に接近。ミサイルに埋め込まれたレーダーチップによる終末誘導に導かれるままに接近していたドラゴンの群れを迎撃した。



敵機全機迎撃完了エネミー・オール・デストロイ。滑走路への被害皆無。上空警戒を厳としたまま待機します』


「罪深き子羊に主の導きあれ……」



 通路の途中。それらしく膝を折って床に着け、胸の前で祈りを捧げる聖女のようなポーズを取るフィラデルフィアに対して、凛は呆れ顔のまま一言述べた。



「キャラ変わってるわよ……」


「フィラデルフィア、結城中尉が何を言っているのか、全然解んなぁーいっ」



 ぶりっこの如く、人を苛つかせる口調でポーズを取るフィラデルフィア。凛は眉間にしわを寄せ、無言でフィラデルフィアを睨みつけた。緊急事態と宣言したのは誰か、そう言わんばかりだ。周囲に視線を巡らせ、その誰もがえもいわれぬ表情を浮かべているということを察したフィラデルフィアはわざとらしく咳払いをすると立ち上がり、一つ短い深呼吸をした。



「……行きましょう」



 最初からそうすればいい。苦笑を洩らした凛はMP7A1を咄嗟に構えることができるようにローレディの位置で保持した。



「到ちゃぁーくっ!」



 指紋認証システムと網膜認証システムが取り込まれた無駄にハイテクノロジーな扉の前に着き、すぐさま認証システムにアクセスを開始する。フィラデルフィアが扉を蹴り開け、格納庫に敵影がいないことを確認した。



補助整備員サポート・アンドロイドの指示に従って機体を滑走路に……って、おやおや。滑走路に侵入者ですね」


「どうするの?」


「もちろん排除します」



 格納庫の巨大な扉が開き、太陽の光が格納庫内を照らす。滑走路をACE53に搭載したPSO-1越しに眺めたフィラデルフィアは、転移魔法によって次から次へと現れる帝国兵に照準を重ね合わせるなり引き金を絞った。武装アンドロイドの中でも基本性能が飛躍的に高いフィラデルフィアは一瞬にして脅威の危険度判定を行うと射撃をし、あっという間に弾倉内の弾を空にした。



「数が多いですね……」


「私も手伝うわ」


「それは助かります」



 フィラデルフィアの隣で伏せ撃ちの姿勢を取り、天原中尉から借り受けた89式小銃の二脚を立てた凛は、搭載したACOGを覗いては侵攻する帝国兵に5.56mm弾の洗礼を浴びせた。



「自分も援護します」



 米海兵隊員が持っていたM16A4を単発で撃ち、滑走路の安全を確保しようと天原中尉がやってきた。F/A-18E、F型に搭載された双発のエンジンが大気を、鼓膜を震わせる。管制塔からの指示に従って滑走路をタキシングする計六機のスーパーホーネット。帝国兵も巨大な的が出現したと、ここぞとばかりに帝国製のAKアサルトライフルを撃ち放つ。



「予備の増糟に当たったら洒落にならないですね」


「口を開く暇があったら撃つ!」


「はーい」



 左前に並べた弾倉を手に取り、空の弾倉と交換。少々乱暴に槓桿を引き、初弾を薬室に送り込む。



『貴女たちもすぐに続きなさいよ!』


「了解!」



 クレア中尉からの無線。轟音が地を震わせ、アフターバーナーの蒼焔を後方に噴かせたF/A-18Eスーパーホーネットが滑走路を離れ、一気に上昇していく。数秒の間隔を開けて、二機ずつの残り四機が無事に滑走路から離陸。クロスベル基地上空を大きく旋回した。



「私たちも行くわよ! ハル、準備は!?」


『問題なし! いつでも行けます!』


「雲仙、行けるか!」


『いつでも!』



 残りの四機全てが立ち上がり、無線の向こう側から部下二人の声が放たれる。89式小銃の二脚を立てたまま放置し、自らの愛機に駆ける。ACE53の弾薬を撃ち尽くしたフィラデルフィアが89式小銃を引き継ぎ、帝国兵を狙う。コックピットに掛けられた梯子を駆け上がった凛は装具を装着し、風防を締めた。



「天原中尉、何をしている! 早く乗れ!」


『すみません、結城中尉。自分は三人の離脱を確認した後で飛びます』



 膝撃ちの姿勢のまま無線に声を吹き込む天原中尉。コックピットの中、被っていたヘルメットを乱暴に脱ぎ、髪を乱雑に掻き乱した凛は溜息を吐くなり、風防に拳を叩きつけた。



「阿呆! 敵は増え続けてるのよ! 今でさえギリギリなのに一人で脱出できるわけないでしょうが!」


『…………』


「部下と女を守って死んで、貴方は満足かもしれないわ! それでもこっちとしては迷惑極まりないのよ! それに言ったでしょう? 私たちは全員で生きて、日本に帰るって! それに貴方が死んだら悲しむ人間が少なくともここにいることを忘れるんじゃないわよ! いいわね?」


『……ええ、了解です』



 世話のかかる男だ。武器を捨てて愛機に駆ける天原中尉を認め、微笑んだ凛はヘルメットを被り直して部下に滑走路の端に移動するよう指示を出した。同時にタイミング良く現れたアンドロイドがフィラデルフィアの援護を開始した。



『フィラデルフィア、行きまぁーすっ!』



 空になった89式小銃を置き捨て、凛の残したMP7A1を左手で掴んだフィラデルフィアは何を思ったのか、帝国兵の集団に向かって駆けた。



「あんた馬鹿でしょう!?」


『クロスベルの技術は宇宙一ですよっ!』



 驚くべき脚力で地を蹴り、左右に大きく機敏な動きをみせたフィラデルフィアは帝国兵の放つ銃弾を掻い潜り、大きく跳躍して最小限の被弾のまま彼らの中心に着地した。唖然とする帝国兵を見たフィラデルフィアは不適に頬を緩ませ、一言。



『Shall we dance?』



 右太腿部に装着した大型のレッグホルスターからデザートイーグルを流れるような動作で抜いたフィラデルフィアは安全装置を解除し、パーティーの始まりと言わんばかりに引き金を絞った。豪快な破裂音と共に帝国兵が後方に吹き飛び、後ろに並んでいた数名を巻き込んで地に伏せた。それに目もくれず、MP7A1の引き金を引いたままその場で一回転をしての射撃を繰り出す。四十発の4.6mm弾が事切れ、伸縮式銃床を最大限に引き延ばしたフィラデルフィアは銃器を鈍器と見立て、一気に振り払った。


 鈍い打撃音が響き、派手な銃声が木霊する。



「やっぱり戦神よね……」


『結城中尉、今のうちに』


「解ったわ。それと以降はTACネームで呼びなさい。行くわよ、クルーズ」


『ラジャー、リーン』



 スロットルレバーを僅かに押し上げ、機体を滑走路の端へ導く。風防から背後を振り返り、凛は次から次へと転移してくる帝国兵に少なからず怯えを抱いた。



『もしもし、結城中尉ー? フィラデルフィア、そろそろ限界かもぉー。でっかい魔獣さんとか出てきてますし』


「だったら離脱しなさいよ! ヘリコプターの一機は持ち合わせてるんでしょう!?」



 滑走路の端に到着した凛は思わず叫び、フィラデルフィアがいるであろう方向を眺めた。あちらこちらに魔法陣が浮いており、もしやと息を呑む。しばしの沈黙の後、フィラデルフィアの静かな溜息が凛の耳に届く。



『……いやー、全身を氷付けにされて動けないんですよね。なので、この基地は二分後に自爆させます。すぐに離脱してくださいね』


「はあ!?」


『結城中尉、今までありが────』



 耳障りなノイズ音。伊織と雲仙准尉が離陸した。



「フィラデルフィア……馬鹿な子……!」


『リーン、急いで!』



 突然の別れにやりきれない思いが沸々と沸き上がる。出力をミリタリーに押し上げ、蒼焔が陽炎を揺らめかせる。シートに背を預け、しかし前方注視を怠ることなく、様々な想いを詰め込んだF-3戦闘機は離陸に十分な速度に到達した。操縦桿を下げ倒し、滑走路から機体が離れたと理解した瞬間にギアを格納。ぐんぐんと遠ざかっていくクロスベル基地に手を伸ばす。



「フィラデルフィアぁっ!」



 その刹那、激しい閃光が明るみの空を照らした。巨大な火の玉が膨れ上がり、それは炎の柱となって黒煙を巻き上げた。連鎖的に続く爆発から目を逸らし、凛は再び風防に拳を叩きつけた。



「誰か、私たちを導いて……!」



 凛の祈りを込めた小さな叫びは虚しく拡散した。やはりこの世界は自分たちを拒絶するのか。帰るべき空母もこの世には存在しない。帰るべき愛しの基地もこの世には存在しない。行く宛もない。全てを諦めるべきなのだろうか。自らにそう問いかける。しかしHMDパイザーの端に表示された謎のアイコンが目に付き、その自問は中断を余儀なくされた。



『Activate the Emergency section.』



 意思のない機械音声。



『……Loading……loading……』



 計器等を確認するも異常はない。あたふたする凛を気にする様子もなく、無機質な機械音声は続く。



『Model Number ADX-001 Multipurpose Tactics Android "Philadelphia".』



 どこかで耳にした言葉。まさか、と。凛は機械音声の次なる言葉を待った。



『Activate process all clear.』



 起動過程全正常。固唾を呑む。



『──全く、辛気くさい顔ですね。たったの数分間離れただけというのに……結城中尉は案外寂しがり屋さんなんですね。まあ、フィラデルフィアはそんな結城中尉が大好きなんですけれど』



 飴と鞭の使い分けが下手な、感情の変化が激しい彼女の言葉が凛の心を震わせる。思わず緩んだ涙腺から溢れ出る雫が一筋、凛の頬を伝った。悲しいわけではない。その逆だ。



「私も大好きよ、フィラデルフィア」


『……デレ期突入?』


「どうだか」


『この反応……これはもう攻略待ったなしですね!』


「あり得ないわね」


『デレ期終了のお知らせでーす!』



 端から見ればくだらない言葉のやりとりだろう。しかし、これこそが本来の関係だ。凛は口には出さないものの、数分ぶりのこのやりとりに言葉では表せないほどの充実感を感じていた。



「これからどうするのよ?」


『針路をミスリット国に向けてください。あそこにはフィラデルフィアが作った緊急用の滑走路があります』


「そういう大事なことは最初に言いなさい!」


『ふふーん。結城中尉の罵倒も久しぶりな気がしますね。新鮮新鮮』



 フィラデルフィアからの情報はすぐにバイザーに表示された。大きく機体を旋回させ、機首をミスリット国に向ける。



「そうそう、フィラデルフィア」


『何ですか、告白ですか? いやん』


「棒読みするなら初めから言わないで」


『はーい。それで何ですか?』



 昂揚する気持ちを抑え、凛は微笑んだ。 



「おかえりなさい、フィラデルフィア」


『ええ。ただいまです、結城中尉』



 八咫烏の導く未来。その先に待ち受ける空は戦場か。それとも平和な空か。今はまだ断言することはできなかった。しかしそれでも心を覆っていた靄は綺麗に消え、まるで天使とダンスをしているかのような晴れやかな心地がした。









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