Act.4__ Whereabouts of Memory
休載が三ヶ月と長くなりましたが試験が無事に終わりましたので、また投稿の方を始めさせてもらいます。稚作ではございますが、これからもよろしくお願いします。 桜咲。
スメラギ皇国
シェパード海兵隊基地
2107年5月1日
絃罪執行官
レイ・ハーフメルナ
五月の初日。気温が低く、朝靄のかかる墓地に一つの黒影があった。ここはスメラギ皇国に拠点を置く日米海兵隊の主要拠点、シェパード海兵隊基地に建てられた共同墓地だ。異国の地にて命を落とした、いわゆる殉死者を弔うべく建てられた墓地には幾つもの墓が建っていた。本来向かうべきアフガニスタンから遠く離れた、それどころかアフガニスタンも存在しない異国の地で殉死した彼らの無念はどこに漂っているのだろうか。
結城奏の名が刻まれた墓石の前。目を閉じ、そのようなことを考えていたレイ・ハーフメルナは、両手を合わせて彼らの冥福を祈った。
今から一週間前。勢力拡大を目論むアタナシウス帝国がミスリット国に攻撃を仕掛けた。結果は敗走という形に終わり、スメラギ皇国とミスリット国は相互防衛条約を締結し、アタナシウス帝国に対抗する術を獲得した。素顔を隠したまま調印会議に出席したレイは、スメラギ皇国の重役と共に訪れてきた人間たちにどこか懐かしさを感じつつも、どこからともなく襲いかかる頭痛に顔をしかめていた。
そしてその翌日。頭痛が収まり、いつも通りの日常生活に戻ったレイに、彼の家族であるリアス・ハーフメルナがとある物を差し出した。レイが彼女から受け取った物、それは。
「結城、奏……」
首から下げたドッグタグと墓石に刻まれた名を再度見比べ、レイはどこかやり切れない思いに潰されそうになる錯覚に襲われた。何故このタイミングで隠していたドッグタグを渡すのだろうか。少なからずそんな疑問を抱いたが、それはリアスのみぞ知る。話してくれないのならそれでも構わなかった。そしてその日、初めて記憶を失う前の自身の名を知ったレイに対して、リアスは彼にスメラギ皇国に渡るよう言った。
レイとしても自身の記憶については知りたいと思っていたがゆえに二つ返事で了承したが、別れの間際にリアスが見せた寂しげな表情は未だに脳裏に焼き付いて離れない。可愛い子には旅をさせよ、ということわざがある。リアスの心中は子を送り出す際になかなか手を離さない親のような心境なのだろう。
姿を見られぬよう静かに船に乗船し、スメラギ皇国までの船旅をひっそりと過ごしたレイは街中に宿を取り、早朝の誰もいない時間帯に墓地を訪れていた。そうしては殉死者一人一人の墓に花を添え、こうして結城奏の墓の前で何かを求めるように自問自答を繰り返した。レイが抱える一番の苦しみ。それはやはり記憶に関してのことだった。
「俺の記憶はどうして消えた? 本当に消えなければならなかったのか?」
決してリアスや他の者との思い出を否定するわけではない。それでもこれまでレイが、否、結城奏という一人の人間が長い年月を費やして培った仲間を、彼らから、そして彼自身からも奪ってしまった自分の存在が許せなかった。いつか結城奏という人間が忘れ去られてしまうのではないか。そんな考えに恐怖することも多い。本来ならばこうしてこの場で殉死者に手を合わせているのは結城奏だったはずだ。
「彼は生きているんだ。まだこの世に生きている……」
そのことを誰かに知ってもらいたい。本当ならばすぐにでも誰かに知らせたい。それでも結城奏としての記憶が一切ないレイにとって、その行為は相手を失望させ、なおかつ自らを責め立てる罵声が待ち受けているとしか考えられなかった。
「臆病者だな、俺は。とんでもない」
右太腿部に固定したレッグホルスターを外し、弾の装填されていないSIG P226ごと墓石の隣に置いたレイは、首にかけていたドッグタグをその上に乗せた。覚悟の定まっていない今はこれぐらいしかできない。
「せめてもの希望を」
自らに嘲笑を送り、その場を去る。そして数分後、レイと入れ違うように墓地を訪れた隊員が、置き土産を目にしたのはそのすぐ後のことだった。
*
シェパード海兵隊基地
第一作戦指令本部
日本国海兵隊強襲偵察隊
榛名唯依少尉
慌ただしい様子で廊下を駆けては軽い身のこなしで行き交う人々を躱し、扉を壊しそうな勢いで第一作戦指令本部に飛び込んだ榛名唯依少尉は、開口一言大きな声で叫んだ。
「これ!」
突然の出来事にその場にいた全員の視線が一点に向けられる。それでもなお抱えた物品を強調するように見せつけた唯依は、中東派遣団の司令官である篠ノ之薫少将に銀の認識表を手渡した。認識表に刻まれた名を一目見るなり、篠ノ之少将は眉を顰めた。
「これは……」
篠ノ之少将の反応が気になるのか、彼の横に座っていたイリーガルは静かに覗き見ると顎に手を当てた。
「前小隊長の名か……」
「ふむ。榛名少尉、これはどこに?」
「奏のお墓の隣に花と一緒に置かれていました」
「墓守に来訪者の有無を尋ねたかね?」
「ええ。しかし誰も見ていないとのことです」
第二偵察小隊の橘樟葉少佐が拳銃の弾倉を抜き、遊底を後退させてから分解、使用された痕跡があるかを調べた。銃身に付着した埃等が少ないことから最近使用された可能性が高い。弾倉に弾が残っていないのもそれなら頷ける。
「隊員や外部の者が立ち入るにも身分証明書が必要不可欠というのにどうやって侵入したのだろうか?」
「この世界は魔法という不可思議な力がありますゆえ、手段はそれなりにありましょう」
「確かにそうだな。それで榛名少尉がそれを見つけたのはたった今というわけか……」
「ええ、そうです」
以上を踏まえて導かれる結論は外部の者による犯行であること。それも魔法を使用した移動法だ。
「今が午前六時。明日も来るとは思わないが一応人間を置いておこう。強偵の狙撃手は墓地を監視できる位置に。他の者は気配を悟られぬようどこかに身を隠しておけ。他の部隊に関しては普段通りの行動をさせること。これでいいかな?」
篠ノ之少将の提案に一同が頷き承諾し、その後すぐに海兵隊の面々に作戦が通達された。
*
『……未だ人影認められず』
「ルナ了解。引き続き監視をお願いします」
『了解』
時は流れて翌日の午前四時。未だ隊舎で眠っている者が多くいるであろう時間だが作戦は既に始まっていた。基地の中心部に建てられた監視塔から眼下を見下ろし、怪しげな人影を探す一ノ瀬蘭二等軍曹は、無線の向こう側であくびを洩らした。今から二時間前の午前二時から始まっているせいか、他の隊員たちの眠そうな表情がちらほらと見える。
『各員気を引き締めておけ』
「了解です」
『了解』
墓地の周りに生い茂った草むらに身を潜める唯依は、時折風に揺られて鼻を擽る草を鬱陶しく思いつつも、少しでも周囲の自然に溶け込めるよう最善を尽くしていた。墓地を囲うように展開した強襲偵察隊の面々はいずれも武器を携帯しており、一触即発の事態には即座に対応可能な状態になっていた。
『……人影見ゆ!』
「特徴は?」
『フードの付いた黒いコートを着用。その下は判りません』
地平線の向こうは徐々に太陽が昇ってきているのか青みがかっており、しかしこちらは未だ薄暗く、見えないのは当然と言えば当然だろう。
『目標、結城少佐の墓石前で止まりました』
殉職者には二階級特進が与えられ、殉職時に中尉であった彼は規則に従い二階級特進、少佐となった。
「どうしますか、隊長?」
『確保する他あるまい。各員最大限の注意を払いつつ目標を確保する。サーチライト照射三秒前……二、一、動け!』
サーチライトの光が墓地を照らし、至る場所に息を潜めていた隊員たちが一斉に身を起こし、武器を構えたまま目標を取り囲んだ。
「我々は日本国海兵隊だ。どのような目的でこの場に訪れたかは判らないが、とりあえず神妙に縄につく気はあるか?」
「…………」
「その無言が肯定か否定のどちらか、はっきりしてもらわなければ困るな。イエスならフードを脱ぎ、ノーなら今すぐこの場を去れ。両方に応じないと言うのであれば敵と見なしてこの場で射殺する。見ての通り、我々には貴様を殺す手立てが整っている」
「……この状況下で射殺を命じれば運悪く友軍相撃になりかねない。違うか?」
目標が初めて言葉を発し、しかし求めていた答えとは大きく異なっていた。イリーガルはシューティンググラスの下で緊張させていた瞳を鋭くさせ、息を吸った。
「各個正面に撃て! 銃口は固定だ! 一ノ瀬!」
その命令に弾かれるように引き金を絞れば各々のエモノから火花が散り、事前に友軍相撃を避けるために配置された隊員は躊躇うことなく全ての銃弾を撃ち尽くした。
「計算された配置は見事だと言っておこう」
前方ではなく背後から聞こえた声に振り返り、その動作の中で銃剣を振るったイリーガルは止まることなく連撃を繰り出した。バックステップで後退した目標に迫る黒の戦闘靴。重量感ある蹴りを片手で防いだ目標は左足を軸にした回し蹴りを繰り出すも、監視塔にて状況を伺っていた蘭の正確な狙撃によって中断せざるを得なくなり、迫るライフル弾をどこからともなく取り出した刀で真っ二つに切断した。
「貴様は何者だ?」
「名はレイ、レイ・ハーフメルナだ」
「……もう一つの名は?」
誰もが予期せぬ質問を一息置いて投げつける。HK45T自動拳銃の銃口を向けたまま、やはりイリーガルの双眸は一直線にレイを射抜いていた。さて、どうしたものか。バラクラバの下、表情を曇らせたイリーガルは心の中で圧倒的実力を有するレイの次なる行動に目を光らせる。その矢先、レイの手がフードに掛けられた。
「……昔は多分、結城奏という名前だったんだろう」
フードを脱ぎ去り、どこか躊躇いを感じさせる声音でそう紡いだレイの瞳は他者から悟られない程度に揺れていた。しかしそれでも結城奏という一人の人間を知る彼らを驚かせるには十分な出来事だった。場が静まりかえり、誰もが驚愕に目を見開く。
「やれやれ、まだ覚悟は定まっていないというのに」
昨日の今日で正体をバラしてしまう俺も俺か。そう付け加えたレイは溜息を吐き、どうしたものかと頭を悩ませた。しかし次は銃弾ではなく、自身を襲う柔らかな衝撃と誰かの啜り泣く声に思考を中断せざるを得なくなった。
「馬鹿……っ、馬鹿ぁっ! 奏の馬鹿、馬鹿、大馬鹿ぁっ!」
「……ぁ……」
「あの日からどれだけ時間が経ったと思ってるの!? 私たちがどれだけ心配したと思ってるの!? 私たちがどれだけ泣いたと思ってるの!?」
普段なら五月蝿いと一喝してしまうであろう状況。しかし今この瞬間、目の前で泣きつく少女のことを一切知らないレイは本能的に彼女を怒鳴ることはできず、ただ彼女が泣き止むまで頭を撫で続けることしかできなかった。面倒くさいではなく、心の底から申し訳ないと感じた。恐らくは心のどこかに残る結城奏の思い出が無意識にそうさせているのだろう。確かな証拠がない今、臆測でしかものが言えない。
「感動の再会はその辺りで終わってもらおうか。榛名少尉、そいつから離れろ」
正体を明かしてもなお警戒を緩めないイリーガルはHK45Tの照準を重ねたまま唯依に命令した。
「何故ですか、隊長! 彼が奏だっていうことは解ったでしょう!?」
「だったら何故、そいつは初めからそう名乗らなかった? 何故わざわざ偽名を名乗る必要があった?」
「それは……」
そしてイリーガルははっきりとレイに問う。
「貴様は、本当に結城奏か?」
レイ・ハーフメルナが現在最も恐れていた質問。
「俺が結城奏であるという確かな証拠はない。そのドッグタグもたまたま首に掛かっていたのかもしれない。武器もたまたま持っていただけかもしれない。そして何より、俺には結城奏としての記憶が一切と言っていいほどにない……」
「やはりな。では、今の貴様は何者だ?」
「……レイ・ハーフメルナ。それが今の俺だ」
「そういうことだ。榛名少尉、そいつから離れろ」
「……お断りします」
悩んだ末の結論。目の前の彼が記憶喪失で自らのことを覚えていないという言葉には正直胸が痛んだ。自分たちが結城奏という人間を覚えていても、相手自身がそのことを知らない。お互いにそれ以上苦しいことはあるまい。そして何よりも唯依がイリーガルの命令に逆らったことには大きな理由がある。
「それに私はどんな状況でも命を散らす最期まで信じるって決めましたから。ゆえに隊長、その命令には従えません」
「どんな状況でも信じるとな」
「はい。それが仲間として、そして何よりも幼馴染として私ができる唯一のことですから」
申し訳なさそうに苦笑を浮かべ、しかし真剣な眼差しを持ったままの唯依はイリーガルに退く意志のないことを訴えかけた。
「…………」
数秒の間の後、静寂の満たす空間にイリーガルの重い溜息が響いた。殺意の見え隠れする銃口がゆっくりと下ろされ、右の親指でデコッキングレバーを押し下げて撃鉄を安全位置まで戻したイリーガルは、右太腿部のレッグホルスターにHK45Tを押し込んだ。再度溜息を洩らす。
「馬鹿な部下を持つ隊長の身にもなってくれ。各員撤退。榛名少尉、後で彼と一緒に第一作戦指令本部に出頭しろ。いいな?」
「隊長……ありがとうございます!」
「……ああ」
強襲偵察隊の面々が去った後、朝日が照らす基地の中、二人の影が重なった。