Act.3-1__Naval War
ミスリット国
セフィアビーチ
2107年4月24日
絃罪執行官
レイ・ハーフメルナ
後々世界の歴史に刻まれる一つの出来事は、たった一発の砲声によって切って落とされた。
「海上ぉー戦闘ぉー、用ぅー意!」
「魔法障壁を展開せよ!」
『守護の風を集わせ我が身を護る絶対の盾となれ……ガーディアン・ウィンド』
海上をアリの如く埋め尽くした大小様々な艦艇に搭載された大砲の照準をミスリット国の首都ギルティナロッソに合わせ、大打撃を与えるであろう砲弾を一斉に発射した。砲身に刻まれたライフリングを通る過程で螺旋回転を加え、命中率を格段に増幅させた砲弾は一寸の狂いもなく飛翔し、しかし海岸線に並んだエルフと呼ばれる魔法に長けた種族があらゆるものを防ぐ魔法障壁を展開させたことにより砲撃は失敗に終わった。
「魔導砲台、撃ちぃー方ぁー始めッ!」
長い年月を経て、波の侵食で形成された自然の窪みから閃光が迸り、そこから放たれた砲弾は風の術式を宿して風を打ち消し、戦艦の土手っ腹に直撃するなり炸裂した。砲弾の弾頭は炎の魔力によって形成されているため、火薬式の何倍もの威力を誇るそれは巨大な戦艦を操る帝国海軍にとっては痛手に他ならない。砲台から閃光が迸るなり戦艦が爆発、轟沈していく。
しかし、やはり大国。数が多い。
「数にものを言わせているな。質より量といったところか」
「大陸の中ではダントツの国土を持っている帝国だ。生産力も相当なものだろう。まあ、これが大国と小国の差だ」
海岸線から離れた位置に陣を張り、作戦の指揮を執る男性の名はクラウス・レーデンベルク。ミスリット国を治める王である。そんなクラウスの後方で寛ぐ女性は彼の師でもある、真祖の吸血鬼リアス・ハーフメルナだ。日射し除けの大きめの傘の下、柑橘系のドリンクを楽しみながら寛ぐリアスの様子を見る限り、今が戦闘中とは思うことができない。
『報告! 敵の竜騎兵が接近中です!』
「ご苦労。作戦通り対空砲で対処せよ」
『了解!』
至る場所に設置された対空砲が一斉に唸りを上げ、目を見張る速さで接近する竜騎兵を瞬く間に蜂の巣に変えた。実弾と魔弾の切り替えが可能な対空砲は基本的に弾切れを起こすことがなく、対空防衛は鉄壁のそれだ。
『高高度より竜籠部隊が接近中!』
「一部の対空砲を迎撃に回せ」
『竜騎兵の数が多すぎるために回す余裕がありません!』
「了解。そちらはこちらで対処しよう。そちらはそちらの仕事に全力を注いでくれ」
『は!』
小国の攻略如きに大量の兵を投入するとは何事か。やれやれ、と面倒そうに溜息を吐いたクラウスは、リアスの傍らに控える少年に視線を移した。
「すまぬが対処を頼めるかな?」
「ああ、構わない」
「あまり気張りすぎないことだ」
言われるまでもない。リアスの助言を鼻であしらったレイ・ハーフメルナは、短く息を吐くなりその場から姿を消した。瞬間的に消えたレイの行方を追うために両の目に魔力を集めたクラウスは、彼の移動速度に度肝を抜かれた。
対空防衛ラインを越えた竜籠部隊は高度を落とし、帝国製のAKアサルトライフルを装備した屈強な体躯を備えた精鋭を投入する手配を開始していた。これまでの重量感ある金属の鎧はアサルトライフルの配備に合わせてMOLLEシステムを組み合わせた現代的なデザインに変更されている。
相手から視認されない距離から兵士を観察していたレイは宙に形成した足場を蹴り抜き、竜と兵を乗せた籠を繋いだ魔紐を切断した。すれ違いざまに竜の腹部に手を押し当て、破壊の魔力を注ぐ。血管を通して魔力を全身に循環させることで内部からの破壊を促し、途端に竜の瞳から光が消え去った。
握った刀を並列して飛行する竜に投擲する。生を失った竜は行動を止め、重力に従い地面へダイブした。もちろん籠に繋がれた帝国兵も一緒だ。悲鳴が聞こえたが興味は微塵の欠片もない。指揮者のように自由自在に風を操り、地上へと舞い戻る。海上に視線を移せば帝国兵による上陸作戦が行われていた。
「馬鹿らしい」
小型艇で上陸を仕掛けた帝国兵は騎士たちを接近させまいとところ構わずAKアサルトライフルを乱射した。しかし魔法障壁とは別のエルフ部隊がそれらを防ぐ。
しばし呆然としている帝国兵に接近する者がいた。小柄な身体を活かした俊敏な動きを見せるそれはドワーフと呼ばれる種族だ。小柄特有の持ち味を活かしながら接近し、敵の攻撃を避けつつ握った手斧で帝国兵に斬撃を見舞う。力で抑え込まれれば力で押し返す。さらに得意の土魔法を駆使しては手斧による斬撃を当て、次々と斬り捨てていく。普通の人間に負けることはまずないだろう。
「ウィングライナー、行け!」
ミスリット国に生息する大型の巨鳥ミューライ。ウィングライナーはミューライを意のままに操り、敵に奇襲や大打撃を与えるために編成された部隊だ。ミューライはその巨体に蓄積した高濃度の魔力を魔法に変化させる能力を持つ。ウィングライナーを指揮する指揮官のミューライが大きく鳴き声を上げ、敵の艦艇上空を旋回した。同時に放たれるブレス。
ミューライは種族ごとに属性が異なる。ある艦は燃え、ある艦は二つに分離し、ある艦は氷となって固まり、ある艦は粉々に。ウィングライナーが帰投し、続けて第二群が飛翔した。アタナシウス帝国はこれ以上被害を出させまいとドラゴンライダーを投入。ウィングライナーとの総力戦に持ち込んだ。加えて小型艇での上陸部隊を増強した。
「迫撃砲小隊、撃てッ!」
クラウスの合図。
『弾ちゃーく、今!』
迫撃砲弾が帝国兵の上空で炸裂。
「第二波、撃てッ!」
『弾ちゃーく、今!』
多大な被害を与える。
「騎士団、前へ!」
迫撃砲による砲撃が止まり、地上は一種の地獄と化していた。地面は抉れ、見渡す限りに広がる死体。さらには自身の欠損した部位を必死で探す者や裂けた腹部から飛び出した臓物を戻そうと試みる者。見るに耐えない光景だ。しかしそれでも帝国兵は次から次へと上陸作戦を続けた。死体を乗り越え、前進。
『我に仇なす全ての者を撃ち払え……デストラクション・バレット』
戦争は無慈悲だ。容赦の欠片もない。ミスリット騎士団が口頭詠唱にて魔法を展開し、破壊の魔力を纏った弾丸を一斉に撃ち放った。風を切り、帝国兵を蹂躙していく。弾丸が幾多の穴を穿っては破壊の魔力が傷口から内部を侵食し、細胞の一つ一つを確実に破壊していく。
「クラウス。海岸から兵を退かせろ。何かが来る」
「リアス様がそう仰るなら。全軍、海岸から撤退。第二防衛線へ!」
『了解!』
クラウスが撤退指示を出し、兵が後退した頃。突如、海岸が弾けた。比喩ではない。砂塵が周囲を覆い尽くし、魔導砲台が破壊された。中心部からは大きな魔力反応が一つ。舌打ちを打ち、レイは言の葉を唱えた。
「良い夢を──暁」
皮肉にしか聞こえない言葉を呟いては地を蹴り抜き、途端にビーチに舞った砂塵が謎の衝撃波と共に吹き飛んだ。その中心で足を振り抜いた状態で佇んだレイは続けて魔弾を放つが舌打ちを打つと、水飛沫が飛散する海面に視線を向けた。
「痛いなぁ……」
柔らかな声音。瞬時に刀を生成し、振り返りざまに一閃。銀閃が火花を散らし、甲高い音を奏でる。刀を押し込み、対峙する者との距離を置いた。
「随分なご挨拶だね。少しばかり機嫌を損ねたよ」
白が舞う。
「シグムント・シャーロッドだ。よろしく」
瞬間。大気が、揺れた。シグムントの身体が霞み、徐々に姿が消えていく。魔力の痕跡を追跡し、シグムントの所在を探った直後に風を切る音が鼓膜を刺激した。
「はぁっ……!」
後方。鈍色に染まった銀閃が煌めき、一寸狂うことなくレイの首を落としにかかる。咄嗟に詠唱を唱えずに魔法を行使する詠唱破棄で防御結界を展開し、斬撃を回避。左足を軸に回し蹴りを放つ。腹部に勢いのある蹴りが直撃し、吹き飛んだシグムントに追撃をかける。背後に回り込み、再び蹴りつけるも手応えはなく、彼の身体は再び風に攫われて消えた。
「折角の服が汚れてしまうよ」
不可視の足場を宙に作り、レイを見下ろす。装飾の施された長剣の刀身が太陽の光を反射し、輝きを放つ。手を突き出し、口頭詠唱。
「断罪の光よ……ミラージュ・エッジ」
通常の詠唱を短縮した短縮詠唱。レイを囲むようにして幾多の魔方陣が現れ、光の斬撃が一斉に放たれた。対するレイは刀に二本の指を滑らせ、やはり唱えた。
「外界より閉ざされし次元の狭間に我を誘え──乖離」
刀を地に突き刺し、シグムントの放った光の刃がレイを切り裂いたのは同時だった。シグムントは頬を緩ませるなり、装飾の施された長剣を撫でた。煌めきが増し、赤色が刀身を覆った。接近し、一閃。揺らいだ刀身から炎が溢れ、レイを包んだ。手応えは感じた。
「終わり、かな?」
小首を傾げたシグムントは、拍子抜けだ、と呟いた。炎が立ち込めるそこに背を向け、本陣に前進の合図を送る。途端に三日月を連想させる歪な笑みを浮かべる。しかしその笑みが長く続くことはなかった。
「全てを無に還せ……」
冷酷な声音がシグムントの鼓膜を刺激した。同時に腹部を襲う激痛。視線を下ろせば、自身の腹部から突き出る銀があった。刀身を鮮血が伝い、白い軍服を赤に染めあげていく。続けて衝撃が全身を突き抜けた。突き出ていた刀が解放され、身体の自由を取り戻したシグムントは苦痛に顔を歪めたまま振り返り、この戦において初めての悲鳴を上げた。
「あ……あああああッ!?」
真紅の瞳が、白を捉えていた。掲げられた漆黒の刀身を有する刀が太陽の光を受けて鈍い色を放つ。しかし真逆に刀身を纏い、揺らぐ白が、視界を支配した。美麗な顔を恐怖で染めあげ、シグムントは祈りを乞う。
「永遠にさようなら──零」
戦争は無慈悲だ。容赦の欠片もない。上段から袈裟懸けに振り下ろされた刃が玉のような白い肌に傷をつけ、返しの刀が逆袈裟懸けに振り抜かれた。短く息を吐き、真紅の瞳は再び白を捕捉した。真一文字の一閃が腹部を斬り裂き、同時にシグムントの全身を閃光が包み込んだ。
「願わくば、彼の者に祈りが届きますように……」
そして、閃光が弾けた。誰の姿もない。ただレイの瞳から零れ落ちる雫が地上を濡らした。その本意を知る者はいない。
「『幻影の白帝』が呆気なく……」
「や、やりやがった!」
「あのお方は誰だ!?」
ミスリット陣営が湧いた。レイは彼らを一瞥すると、その場から消えた。注目を浴びるのはあまり好かない。本陣に帰還。リアスがミネラルウォーターを差し出す。受け取り、レイはそれを飲むことなく頭から浴びた。戦闘で激昂していた感情が急速に冷めていく。溜息を吐き出し、戦場を見た。
「人は脆いな……」
吸血鬼になった事で失念していた。人は脆い。肉体的にも、精神的にも。戦場において後悔は存在しないが、後悔とは異なる不思議な感情が全身を駆け抜けた。敵将の一人であるシグムントが死したことに乗じて帝国兵にここぞとばかりの攻撃を加えるミスリット陣営に対し、大将ともいえる人物が戦死したことにより敗走を始める帝国兵がいた。
「撃てぇっ!」
生き残った魔導砲台が火を噴き、帝国の艦艇に損害を与えていく。着弾、炸裂。船首を反転させ、進路を自国へと向ける。しかし我先にと逃げようとするために、なかなか動くことができない。その時、一隻の艦が大砲を撃ち放った。
瞬間、帝国の艦艇が全て弾けた。比喩ではない。文字通り爆発したのだ。唖然とするミスリット陣営。クラウスは頬をピクリと動かし、それを眺めている。しかし隣に並んでいたレイは、船上にとある人影を見た。黒煙が立ち込める中、その人影を捉えることができたのは奇跡とも言っていい。考える間もなく、レイは駆けた。
「貴様か……貴様が元凶か……新藤義晴ぅッ!」
地を駆け、海を駆け、空を駆けた。跳躍し、黒煙を突き破る。拳を握り締め、ズレた眼鏡を余裕の表情で整えている新藤義晴を睨みつけた。レイの中の結城奏が告げていた。仕留めろ、と。
「貴様を、殺すッ!」
明確な殺意が全てを支配していた。黒煙が、僅かに視界を遮る。黒煙が潮風に流されて消え失せ、その先に新藤義晴はいなかった。レイが振り抜いた拳は船を二分し、海を切り裂いた。血眼で新藤義晴を探すが見当たらない。しかし船上には一つの機械が落ちていた。簡易投影機だ。今ここにいた新藤義晴はホログラム。
「俺の記憶……」
激昂を抑え、冷静な状態で考える。新藤義晴と自分の間には何の因縁があるのか。どうして今、新藤義晴に殺意を抱いたのか。何故、新藤義晴の名前を知っていたのか。疑問のみが虚しく残った。地平線の彼方を眺める。
「アレは……?」
不意に、視界の端を高速で横切る物があった。それは瞬く間にレイの視界から姿を消し、ミスリット国に接近していく。間に合わない。レイがそう確信した時には遅かった。高速で動く物体の正体は、巡航ミサイル。
「くそったれぇっ!」
瞬間。巡航ミサイルに突っ込む物があった。光の槍。同時に耳を貫く汽笛の音。風を切り裂くエンジン音。海を、空を。




