Act.1__Pandora's box
神奈川県
横須賀基地
神奈川県横須賀市の一角に存在する横須賀基地、又は横須賀海軍施設と呼ばれる基地に錨を降ろす複数の艦。その中の一隻に日本国が憲法を改正してから初めて建造した対核ミサイル迎撃を主任務とする新型ミサイル護衛艦があった。その名は、やまと型ミサイル護衛艦『やまと』。
それに並ぶように錨を下ろす大型の艦艇はアメリカ合衆国海軍の保有するニミッツ級航空母艦『ジョージ・ワシントン』だ。駐機スペースで翼を休めるMV-2Jグリフォンのキャビンの中、そこに結城奏中尉はいた。
時刻は午後一時ジャスト。シートに身を任せる状態で小さく寝息を立てる奏を起こしにきたのか、複数の影がゆっくりと彼に近づいていく。
影の一人、榛名唯依少尉はミネラルウォーター入りのペットボトルのキャップを取り外すと未だ気づかず寝息を立てる奏の頭上にセットした。後続に控えていた九条幸村曹長が手に持つ大きなプラカードを奏の向かい側の席にセットする。悪戯な笑みを浮かべるとキャビンの外に退散し、中を覗ける位置に移動した。
「サボリ魔の奏にお仕置きだよ」
「サボリ魔中尉」
「ざまぁッス、中尉」
各々が奏に対して思うことを言い放つ。サボリ魔というのも奏が執務中に姿を消し、そのせいで彼女らは自身の仕事プラスαを片付ける羽目になってしまったのだ。
この鬱憤は晴らすしかないと、彼女らは上官である橘樟葉少佐にことの次第を有りのままに伝えた。すると二つ返事で許可が降り、現在に至るというわけである。
「ブラスト!」
唯依がそう叫び、どこから持ってきたのか対不審者用のネットランチャーを構えると引き金を一気に引き絞った。瞬間、圧縮空気によって発射された使い捨てのネットが砲身から勢いよく飛び出し、白いネットが奏の全身を覆った。
「……何事だっ!?」
飛び起き、しかしネットによって捕獲されている奏はなす術もない。キャップの開けられたペットボトルが傾き、二リットルものミネラルウォーターが一気に降り注いだ。
「冷たっ!」
あたふたと状況確認を急ぐ奏のその様子に彼女らは腹を抱えて盛大に笑う。
「ぷっ、ははは! 写真撮ってお母様と凛姉様に送っておくね!」
唯依が言う凛姉様というのは日本国海兵隊特殊作戦航空隊に所属する奏の実姉、結城凛中尉のことだ。
凛は現在、空での訓練中である。数十分前に彼女の乗る最新鋭ステルス多用途戦術機──F-3戦闘機が他数機の戦闘機を引き連れて戦闘訓練空域に向かって飛び去っていくのを見た。
「取り敢えずタオルをくれ」
「はい、どうぞ」
呼吸を一つ置いて冷静にネットを取り外した奏はタオルを催促し、唯依から受け取ると髪の毛を拭いていく。呆れているのか、目の前の席に立て掛けてあった『ドッキリ大成功。仕事はサボるな!』と書かれたプラカードには気づいていない。
「仕事、サボったでしょ?」
「……すまない、考え事をしていた」
唯依の言葉の意味を数秒して理解した奏は、心ここに在らずといった様子で呟くと頭を掻いた。
「考え事?」
「ああ。考え事をしていた。時森島での新藤夫妻のあの言葉が延々とループして集中出来ないんだ」
あの場で、あの瞬間から。全ては新藤夫妻の行った言動から。彼方の頭の中をぐるぐると回り続けている。
「少し疲れてるんじゃないかな? 一週間後にはアフガニスタンに派遣されるんだ。その間にゆっくりと休むといいよ」
「そうだな。少し疲れているのかもしれない」
キャビンから甲板に出てボーッと空を見上げる。雲がふよふよと風に流れていく様子が何とも自由そうで羨ましく感じたのは気のせいだろうか。深呼吸を一つ。
一週間が経てば奏たちはアフガニスタンに国連平和維持軍としてアメリカ合衆国海兵隊と合同で派遣される。
「仕事に戻ろうか……」
「そうだね」
カチリ、と。パズルのピースが全て揃い、運命の歯車のような何かが確実にゆっくりと動き出す。
悪い言い方をするとすれば、“パンドラの箱”だろうか。
世界は確実に動き出す。それこそ新藤義晴が言っていた、常に変化を欲しているかのように着々と。