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異世界の戦場  作者:
Phase.1
10/37

Act.9__Hope and Despair

スメラギ皇国

シェパード海兵隊基地

2107年3月1日

日本国海兵隊強襲偵察隊

結城奏中尉




 今から四日前。アタナシウス帝国との戦争で行方不明となっていたリーンベルク王国の国王──ユークリッド・D・リーンベルクが瀕死の状態で発見され、衛兵たちによって黒鷺城に運ばれてきた。側に近衛兵はおらず、一人で帝国の追撃者を躱しながら辿り着いたと思われる。その代償に身体は魔力の枯渇及び大量出血による血液不足という深刻な状態に陥っていた。


 スメラギ皇国の王リオン・スメラギは国中の治療魔法を得意とする魔導士を結集し、数日間の集中治療を行った。寝る間もなく続けられた治療の末、ユークリッドの意識は無事に回復した。しかし、未だ動くことは出来ず、しばらくは安静にして様子を見ることになった。



「今日から三月。マーチだよ、マーチ!」


「耳元で叫ぶな……」



 月の移り変わりを実感し、子供のようにはしゃぐ榛名唯依少尉は、今にも飛び跳ねそうな勢いで幼馴染の結城奏中尉にそう告げた。季節が冬から春に近づくと共に凍える寒さも次第に暖かくなり、過ごしやすい陽気になってきた。



「それにしてもリオンさんも思い切ったことをする」



 そう言って奏は周囲を見渡した。地球の駐屯地までとはいかないが、それなりの広さを有するそこは、あたかも基地のような見た目だ。実際、奏と唯依がいる場所は基地なのだ。


 場所は黒鷺城の裏、王家専用広場。先日の首都攻防戦における海兵隊へのせめてもの礼として、スメラギ皇国の王であるリオンが基地を建てたのだ。これは海兵隊側としては願ってもいないことだった。さらに幸いにも首都は海に面しており、揚陸艇に鎮座していた戦車や装甲車の大半は既に引き揚げられ、基地の格納庫に運ばれた。


 シェパードと命名された海兵隊基地には日章旗と星条旗、そしてスメラギ皇国の旗が掲げられている。



「屋内と屋外射撃場。白兵戦用の広場。輸送機の駐機スペースに娯楽エリア。何でも有りだな」


「退屈することはなさそうだね!」



 基地全体は特殊な結界に覆われており、外部からの認識を阻害させたり、侵入者を感知するなどといった様々な処置が施されている。そのため訓練は周囲を気にする必要もなく、外部への情報漏洩の心配もない。



「そういえば聞いたか?」


「聞いたって?」



 ちょこんと首を傾げる唯依。



「その反応から察するに知らないか。篠ノ之少将とクリス中将が食堂で話していたんだが、今日の午後に強偵と武偵から二十名程度を選抜して作戦を展開するらしい。内容は帝国に占領された王国の偵察だとか」


「ふーん。まあ偵察任務はうちの仕事だからね」



 強襲偵察隊の元となった武装偵察隊は、主に敵地における威力偵察を主任務とする部隊であり、事前に想定作戦地域に展開し、上陸地点の選定誘導、偵察、監視、斥候などの情報収集を行う。だがしかし、場合によっては敵地に攻撃を行うこともある。また海兵隊では唯一空挺降下作戦が可能な部隊であるがため、本隊の上陸後は空中機動部隊として参戦し、航空機での敵地潜入、長距離偵察を行う場合がある。



「真っ先に送り込まれるってのも大変だよね……」



 米海兵隊の武装偵察隊はアフガニスタンやイラクにおける作戦の際にも、どの部隊よりも早く送られ、人員の配置や人数などの様々な情報収集を行ったとされている。



「もう一度整備をしておくか」


「そうだね」



 万が一は起こってからでは遅い。武器庫に向かっていると、後ろから走ってきた何者かが二人を呼び止めた。



「結城中尉!」


「一ノ瀬か。どうした?」



 奏の名前を叫びながら駆け寄ってきた隊員は強襲偵察隊第一偵察小隊に所属する狙撃手の一ノ瀬蘭二等軍曹だった。基地全体を探し回っていたのか、その息は乱れていた。



「篠ノ之少将が作戦のブリーフィングを行うと」


「了解。わざわざすまないな。感謝する」


「はい。感謝してくださいね」


「憎たらしい奴め」


「誉め言葉として受け取っておきます」



 相変わらず上官への態度は変わらないな、と奏は溜息を吐いた。一ノ瀬蘭は不思議な女だ。上官である奏に対して敬語で話しかけてきたかと思えば急に毒を吐いたり、唯依と話をしていると冷やかしの言葉をかけてきたりと。上官に対して敬意を払っているのか払っていないのか、どちらなのか判らない。



「狙撃の腕は確かなのにな……」


「何か言いましたか?」


「いいや。気のせいだろう」



 ふぅーん、と疑った視線を向けてくる蘭に対して、奏は再度気のせいだろうと言った。誉めたら誉めたで調子に乗るのは目に見えている。



「第一偵察小隊、結城奏中尉です!」


「待っていたよ。入りたまえ中尉」


「失礼致します!」



 会議室に入り、そこには既に米武装偵察隊のメンバーが集まっていた。奏は遅れたことに関して謝罪をすると空いていた椅子に腰を下ろした。



「ブリーフィングを始める。今回の作戦は数ヶ月前にアタナシウス帝国の手に落ちたリーンベルク王国の偵察だ。威力偵察と言った方が正しいかな? そしてだ。本作戦は日米合同で行う。チームは一偵同士で組んでもらう」



 隊員一人一人に支給されている携帯情報端末に表示された各隊のメンバーや本作戦に使用される移動手段及び武器云々に関しての説明に目を通す。



「指揮官はトラヴィス・フォールズ少佐だ。異論はあるか?」


「ありません」



 身形の整った男性隊員──トラヴィス・フォールズ少佐は、二十代後半とまだまだ若い身でありながら、幾つかの戦場で戦果を挙げ、少佐の地位へと登り詰めたかなりの実力者だ。そんな人物の下で働けることは貴重な経験であり、技術を盗む場としても絶好の機会だ。



「よろしい。偵察期間は一週間だ。準備が整い次第、広場に集合してくれ」



 篠ノ之少将が解散を宣言した。



「ルテナント!」


「何か御用でしょうか、少佐?」



 武器弾薬を取りに戻ろうと会議室から退室し、通路を歩いていた奏を引き止めたのはトラヴィス少佐だった。



「今日から一週間背中を預け合う仲として親睦を深めにな。トラヴィス・フォールズだ。よろしく」


「結城奏です。まだまだ若輩の身であるがゆえにご迷惑をおかけすると思いますがご指導ご鞭撻をよろしくお願いします」



 握手を交わす。



「引き止めて悪かったな、ルテナント。では、また後で会おう」


「ええ、では後ほど」



 宿舎を経由して武器庫に向かい、担当員から武器弾薬を受領、装具一式を身に纏う。一週間という期間に必要な物は武器弾薬はもちろんのことだが、最低限の携帯食糧や水が必要になる。ハイドレーション・システムを採用した水分補給法により幾分かは楽になったものの、やはり偵察任務には多くの備品を必要とするため、自然と荷物が増えてしまう。



「忘れ物はないか?」



 広場にて自身の小隊メンバーに点呼を取っていた奏は各自に持ち物チェックをするよう促した。乾いた笑い声と共に唯依が奏の肩に手を置いた。



「忘れ物って、小学生の遠足じゃないんだから」


「念のためだ。気にするな」



 駐機スペースには既に二機のUH-60ブラックホークが待機しており、ローターの回転数を見る限り、いつでも飛び立つ用意は出来ているようだ。機体下部から伸びたワイヤーはブラックホークの隣に駐車されたハンヴィーに繋がれていた。



「何だかな……」


「溜息なんか吐いてどうしたんだ?」



 いつの間にか隣に並んでいたトラヴィス少佐が友人を気遣うかのように奏の肩を叩いた。それにしても不思議な話だ。この世界に存在しない科学の力、そしてこの世界に元々存在していた魔法が共に力を合わせ、ことを成している。



「魔法。不思議な力ですね……」


「そうだな。だがしかし考えても仕方のないことだ。今は任務のことだけ考えておけばいい」


「そうですね。そうします」



 隊員たちが次々とブラックホークに乗り込んでいく。ハンヴィーには対魔物用の重火器や各種弾薬、携帯食糧が詰められている。



「そうだ、ルテナント。君さえ良ければ一緒に乗らないか? 君とはもう少し話がしたい」


「喜んで」



 ブラックホークの一番機は既に奏の指揮する第一偵察小隊の隊員たちと米武装偵察隊の隊員たちで埋め尽くされており、今から乗り込むのは無理そうだ。



「作戦地域に到着するまでは無線をオープンで維持。降下後しばらくは周囲の安全が確認されるまで無線を封鎖する。無線封鎖を解く場合は追って指示を出す。以上だ」



 その直後、彼らを襲う浮遊感。



『作戦地域まで三十分程度の予定です。先にハンヴィーを投下しますので、その後に降下してください』


「了解」



 奏は腕時計のアラームをセットし、シートに背を預けると指を組んで背伸びをした。



「ところでルテナント。君はどうして海兵隊に入隊したんだ? 見たところ君はまだ十代だろう?」



 トラヴィス少佐の質問に奏の肩がびくりと跳ねた。心臓を鷲掴みにされたような息苦しさと同時に、奏の瞳に後悔のそれが浮かび上がる。



「自分が志願した理由は父親が海兵隊に所属していたからです。馬鹿な父親でしたが尊敬できる立派なマリーンでした。仕事で疲れている時も毎日家族を気にかけてくれましたし、遠征の際も連絡をこまめにしてくれました」



 奏の心を様々な感情が入り乱れ、脳裏では懐かしい記憶がフラッシュバック。



「ですが、全てはクリスマス・イヴに起こったテロで一変しました……」


「……ロスト・クリスマスのことか」



 奏は小さく頷くと苦笑を浮かべた。



「これ以上はやめておきましょう。あまり良い思い出ではありませんから。申し訳ありません、少佐」


「いや、こちらこそ無神経な質問をしてしまった。どうか許してくれ」


「許すも何も、少佐が謝ることではありません。むしろこんな暗い話をしてしまった自分が悪いんです。お互い様で決着にしましょう」


「……ああ、了解した」



 どことなく気まずい雰囲気が漂い、ブラックホークのローター音が妙に鮮明に聞こえる。ヘッドフォン型のヘッドセット兼イヤーマフを装着して外部からの音源を遮断し、心を落ち着かせる。



「ガムをどうだ」



 そんな奏を気遣ったのか、トラヴィス少佐はミント味のチューインガムを差し出した。イヤーマフを外し、礼を述べて受け取る。口に含んで粒状のチューインガムを噛み砕けばミント特有の爽快感が駆け抜け、幾分か気分が落ち着く。



「気を遣わせてしまい申し訳ありません。おかげさまで落ち着きました」


「構わんよ。あまり暗い雰囲気は好かないんだ」



 深呼吸を一つ吐き、頬をぺちぺちと叩く。ブラックホークの機内に置かれたミネラルウォーター入りのペットボトルを拝借。蓋を開けて煽った。



「それよかルテナント・ユウキ。ルテナント・ハルナは君のガールフレンドなのかい?」


「……んぐっ!?」



 突然、トラヴィス少佐が肩に腕を回して囁いた言葉に奏は思わず噎せてしまう。咄嗟に口元を手で覆うも時既に遅く、指の隙間から水が溢れ出る。すぐさまハンカチで拭いたが、奏の左隣に座っていた上等兵が笑いを堪えていた。



「と、突然何を!」


「ふはは、判りやすい反応だ。良きかな青春、なんてな」



 力を込め、トラヴィス少佐は奏を引きつける。早く白状した方が楽になれるぞ。そう言わんばかりに笑っている。



「ゆ、唯依は幼馴染なだけです!」


「ほぅ、興味深いな。それにあれほど美人なんだ。一目惚れの一つや二つはあるだろう?」



 言葉が詰まる。変に反応すればさらに追撃がくるのは判っている。再度イヤーマフを降ろした奏は目を閉じて夢の世界に潜り込もうと試みる。



『作戦地域到着まで残り十分。現在、この機体は旧リーンベルク王国の上空を飛行中です』



 しかし定時連絡によって夢の世界に旅立つことは叶わず、奏はブラックホークの窓から外を見た。一面が緑で覆われた森。人影や建物は一切見当たらない。



「レーダーに敵影は?」


『対空レーダーに敵影なし……』



 ブラックホークの操縦桿を握っている操縦士が対空レーダーに敵影が映っていないことを宣言する。だがその直後、機内を激しい揺れが襲った。眠りこけていた隊員がキャビンの壁に頭を打ち、頭を抱えながら悶絶している。



「どうした!」


『ヘリの油圧が低下。テールローターに異常あり! 対空レーダーに敵影出現!』



 サイドドアから後方を確認した奏はその光景に絶句した。テールローターが火を噴いている。さらに下方には赤い鱗に身を包んだ生物が数匹。



「八時方向より敵ドラゴン多数!」


『制御で精一杯だ!』



 奏は反射的に無線に向かって叫んだ。パイロットが苦悶の声を洩らす。



「敵上昇。突っ込んでくるぞ!」


『高度を下げる!』



 後ろからのブレスを回避しようと高度を下げる。その判断が正しかったのかどうかは判らないが、ドラゴンは翼をはためかせるとブラックホークに向かって一気に加速した。その進路上には高速で回転するブラックホークのメインローター。



「メインローターにぶつかるぞ!」


「ショック態勢!」



 機体が激しく揺れ、何かが起きた。浮遊感と目眩、振り回されているような感覚。窓には赤黒い鮮血が張り巡らされており、それがドラゴンの血であることは確かだった。サイドドアは何かの拍子に外れたのか、危険な状態だ。



『メーデー、メーデー! 二番機は攻撃を受けて制御を失った! メーデー、メーデー! 二番機は墜落する!』



 ブラックホークダウン。テールローターが破損したことによってメインローターが生み出す推力を打ち消すことが出来ず、ブラックホークは現時点で飛行不可能に陥り、ただの竹とんぼと化した。



『森に不時着を試みる!』


「近くの物に掴まっておけッ!」



 ハンヴィーを繋いでいたワイヤーは既に切れており、ハンヴィーは見当たらない。地面との距離がだんだんと近づいていく。全員が死を覚悟した。



「親父……!」



 途端、機内を襲う衝撃。言葉には表せないような衝撃。肺に溜まった酸素は強制的に排出され、身体は機内に激突。不意に違和感を感じた。



「あっ……ぐぅッ!?」



 腹部が焼けたように熱を帯びている。熱を帯びた箇所に手を伸ばし、ぬめっとした手触りの何かが自身の身体から流れている血であるということに気づくのには時間を有した。同時にざらざらとした何かに触れた。腹部に視線を巡らせ、言葉を失った。腹部から突き出ていたのは何かの破片。血を流し過ぎたせいか視界は霞み、それの正体を特定することは叶わなかった。



「誰か、生きている者は返事をしろッ!」



 隣で蠢く人影があった。トラヴィス少佐だ。衝撃で頭部をぶつけたのか、ヘルメットは破損し、出血している。シートベルトを外し、腹部を押さえて呻き声を上げる奏の頬を軽く叩いた。



「大丈夫か!?」


「トラヴィス、少佐……」


「今出してやる! 少し痛むと思うが我慢してくれ。いくぞ。三、二、一……!」



 身体から異物が抜けていく気持ちの悪い感覚。同時に奏を襲う堪え難い激痛。歯を食いしばって堪えていたがそれは無駄に終わり、奏の口から苦悶の叫びが洩れ、聞いていられない程の絶叫が辺りに木霊した。



「もう大丈夫だ。息をしろ。目を閉じるな!」


「はぁっ、はぁっ……ぐぅッ!」


「脱出する!」



 奏の身体を固定するシートベルトを外し、自身の肩に腕を回したトラヴィス少佐はブラックホークから抜け出すと急いでその場から離れた。燃料タンクから燃料が溢れており、いつ引火するか判らない。



「トラヴィス少佐っ!」



 墜落し、無残な姿へと変貌したブラックホークから届いた生存者の声。トラヴィス少佐は一人でも多く助けようと木の影に奏を横たわらせると、弾かれたかのように駆けた。



「レッドフィールド准尉、無事か!」


「何とか無事であります!」


「手を伸ばせ!」



 燃え盛る機内から這いずり出てきたのは米武装偵察隊に所属する──アルト・レッドフィールド准尉だった。その背中には一人の女性隊員がほぼ無傷の状態で担がれていた。



「アリス・レッドフィールド准尉は無事か?」


「衝撃で気絶しているだけかと思われます!」


「よろしい。走れ、引火するぞ!」



 生存者はもういない。アルト准尉は悔しそうな表情でそう告げた。時を同じくして、ブラックホークの燃料に火が引火。一気に燃え上がり、爆発炎上した。幾度の爆発。生存者は零。



【ワオォォン!】


「レッドフィールド准尉はルテナント・ユウキに応急処置を施せ!」


「了解!」



 獣の咆哮。トラヴィス少佐はワンポイントスリングで留めたM27 IARに弾倉を挿入するとチャージングハンドルを操作して初弾を装填した。セレクターをセミオート位置まで押し上げると獣の咆哮が聞こえた方面を警戒し、アルト准尉に指示を出した。



「コンタクト!」



 M27に搭載されたACOGを覗き込んだトラヴィス少佐は、レティクルに白銀色の毛並みが特徴的な狼を捉えるなり素早く引き金を二度引いた。軽い衝撃が肩を蹴り、銃口から5.56×45mm弾が二発撃ち出された。捉えた。トラヴィス少佐がそう強く確信し、頬を緩ませる。



【グルゥッ!】


「んなっ!?」



 だがしかし、それは自惚れだった。狼の身体から白色の陽炎のようなものが現れ、その瞬間、スコープの中から霧のように消えた。一瞬の出来事に驚きを隠せないトラヴィス少佐はACOGから目を外した。周囲に視線を巡らせ、再び狼を捉えたその時には既に懐に潜り込まれていた。


 腹部に鈍痛が奔る。やられた。トラヴィス少佐は心の中で舌打ちをした。



「少佐ッ!?」


「動くな!」



 倒され、気づいた時には主導権を握られていた。トラヴィス少佐の首は白銀の狼の強靭な顎に挟まれ、鋭利な牙により傷つけられた首筋から一筋の血筋が流れ出ている。


 物音に反応したアルト准尉が振り返り、トラヴィス少佐を押し倒している白銀の狼に9mm口径の拳銃──ベレッタPx4自動拳銃をツーハンドグリップで構えた。トラヴィス少佐は白銀の狼を刺激しないようにアルト准尉に静止をかけ、じっと堪えた。



「レッドフィールド准尉。拳銃をゆっくりと地面に置け」


「……イエッサー」



 ゆっくりと地面に拳銃を置き、アルト准尉は奏の応急処置の続きを開始した。出血が激しい。このままでは最悪死に至る危険性がある。



【グルゥ、ガウッ!】


「くっ、はあっ!」



 アルト准尉の行動を伺っていた白銀の狼の視線が奏へと向けられた。すると何を思ったのか、白銀の狼はトラヴィス少佐の上から飛び退くと真っ先に奏の側へと駆け寄った。



【グルゥ!】



 白銀の狼の短い咆哮。トラヴィス少佐が身構え、もしもの状況に対応できるように集中力を高める。



「魔法陣!?」



 アルト准尉が叫ぶ。白銀の狼の身体から白い霧が溢れ出し、それは奏の頭上で幾何学模様が刻まれた陣、いわゆる魔法陣を形成した。


 するとどうだろうか。魔法陣は奏をスキャンするかのようにすり抜けると何事もなかったかのように拡散し、拡散したそれらが傷口へと吸い込まれていった。狼が離れ、アルト准尉は奏の脈を測るために手首に触れた。



「脈拍数と血色が正常に戻ってきている……」


「一体どうして……」



 白銀の狼は歩を進め、呆然としているトラヴィス少佐の袖を甘噛みした。



「着いてこい……ってか?」


【ガウッ!】



 苦笑混じりに問いかけるトラヴィス少佐。白銀の狼は懐いたペットのように尻尾を左右に振り、肯定の意を表した。



「了解した。レッドフィールド准尉。移動するぞ」


「了解!」



 トラヴィス少佐は立ち上がり、木の影で横になっている奏を背負うと歩き始めた。向かう先は判らない。だが移動手段も何もかもを失ってしまった今、この白銀の狼は一つの光なのかもしれない。



「生き残ってみせる。絶対に」



 脳裏に刻まれた仲間の死体。そして共に苦難を乗り越えた生前の記憶。


 太陽は次第に沈んでいき、空は徐々に暗黒が支配しようとしていた。その中で一際輝く月の光。


 希望。その言葉が似合っているのかもしれない。










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