Act.0__Prologue
パレットに乗せた大量の黒い絵の具を少量の水で溶かしたかのような、そんなものを連想させる空の色。蒼く澄み渡ったスカイブルーの空の天頂から太陽が地上を照らし、普段なら透き通っている海も今では漆黒に呑み込まれているかのようだ。
場所は太平洋。日本国の首都、東京都から離れた位置に存在する政府が管理する人工管理島──時森島。日本の経済発展や新たな国防の武器などの研究が日々行われているその島は現在、炎に包まれていた。
『時森島まで残り五分!』
「五分前! 各自装備を点検。寝ている者は叩き起こせ!」
闇夜の空を駆け回る複数の機影。MV-2Jグリフォンと呼ばれるその機体は三菱重工業を中心にアメリカ合衆国ベル/ボーイング社のV-22オスプレイを元に開発を進め実用化した、人員及び武器等を輸送する機体である。
コックピットで操縦桿を握るベテランパイロット──槙島和人中佐が兵員室に搭乗している日本国海兵隊強襲偵察隊の隊員に目的地までの時間を告げた。
その無線をキャビンで復唱したのは強襲偵察隊に所属する少年──結城奏中尉だ。若くして海兵隊に入隊した奏はとある事件で異例の昇進、十八歳にして幹部となった。
「いいか、今回の目的は新藤義晴及び新藤遙。この両名を確保することだ。ただし例外として、抵抗した場合は容赦なく射殺しろ。これは訓練ではない、実戦だ。気を引き締めてかかれ!」
『了解……ッ!』
新藤義晴。新藤遙。二名は時森島で働く特別職国家公務員であり、空間学やその他幾つもの分野で新たな発見をしたりと世界から注目されていた科学者だ。
しかし一週間前、この両名が時森島の深部で怪しげな装置を密かに設計、開発したとして緊急逮捕。だが逮捕から二日後。何者かの手によって脱獄、行方を眩ませた。
そこで政府は宇宙に打ち上げた人工衛星『ふくろう』を使用し、昨夜両名を乗せた小型ボートが時森島に上陸したのを確認。すぐさま緊急対策本部が開かれ、その結果強襲偵察隊がこの任務を遂行することに決定した。
『三十秒前!』
「三十秒! 初弾装填、降下用意!」
奏は肩から一点式負い紐で吊り下げた17式小銃の槓桿を前後させて初弾を薬室に送り込むと切換レバーが安全位置に設定されていることを確認する。
彼らが持つ17式小銃は日本国自衛軍が2017年に正式採用を開始したアサルトライフルだ。89式5.56mm小銃を生産する豊和工業がベルギーのFNハースタル社に協力を依頼し、二社が合同で作成したのがこの17式小銃である。形状はFNハースタル社のFN SCARと豊和工業の89式小銃を元にしており、スマートでシャープな無駄のない小銃となっている。
近年自衛軍は平和維持活動や合同演習といった海外との関わりが深くなっているため、彼らの使用する17式小銃は銃身や銃床、その他の部品を組み換えることにより複数の銃器の役割を単一に担い、戦況に応じて臨機応変に対応できる概念、いわゆるモジュラー・システム・ウェポンと呼ばれる機構を採用している。
『ハッチ、開け! ゴー!』
「降下開始だ。ゴー、ゴー、ゴー!」
槙島中佐の合図と同時にサイドドアから二十五メートルのロープ二本が地上に垂らされ、サイドドアに近い隊員たちから順に降下を始め、地上に降り立つなり周囲の安全確保に取り掛かった。
「ラスト! 感謝します、槙島中佐!」
『一発咬ましてこい、中尉! 幸運を!』
「了解!」
ファストロープ降下によって地上に降り立った奏は17式小銃の折畳式伸縮銃床を開くと切換レバーを単射位置に持ち上げた。先進型戦闘光学照準器は、昼間は外付けされた光ファイバーが太陽光を吸収して照準線を照らし、夜間は内蔵されたトリチウムで照準線を発光させる優秀な照準器である。
「信号弾を撃て。合図だ!」
「了解!」
傍らで周囲の警戒をしていた女性隊員の肩を叩き、信号弾を撃つよう命令。女性隊員──榛名唯依少尉は背嚢から信号弾発射器を取り出すと空に向けて引き金を引いた。赤い閃光が空に放たれ、奏たちとは逆の方向から上陸した第二偵察小隊に合図を送った。数秒後、研究所の裏手から青い信号弾が打ち上げられた。
「一偵、準備完了!」
『二偵、準備完了だ!』
「状況開始!」
先発隊の航空支援機が破壊した地対空ミサイルの残骸や建物の破片を乗り越えながら、中心部に建てられた時森総合研究所を目指していく。
「接敵! 三時方向からアンドロイドワンッ!」
「排除しろ!」
研究所の中から飛び出してきたそれは武装警備アンドロイド、型番SAD-002『九十九』と呼ばれる最新型二足歩行兵器だ。見た目は殆ど人間と変わらず、異なる箇所は全身に纏った防弾防護服と、その手に握られたM249汎用軽機関銃は背中に背負った千発入りの巨大弾薬箱から直接給弾している。
「スタングレネード!」
「散開、制圧射撃。撃てッ!」
視界を一時的に殺すために音響閃光手榴弾を投擲。炸裂した音響閃光手榴弾が強烈な閃光と轟音を奏で、炸裂地点の目の前に立っていた九十九の動きが歪んだ。ライン・フォーメーションでの制圧射撃。切換レバーを連射に切り換える。6.8mm×43SPC弾の弾幕が九十九を襲う。何十、何百発もの銃弾を浴び、ノックバックの影響でその巨体が倒れ込む。
「回線を切れ!」
「了解!」
九十九の弱点は首回りに存在する回路の束だ。普段は覆われているその部分も熱が大量に蓄積すれば強制的にパージされる設計になっている。九十九に近づいた女性隊員──一ノ瀬蘭二等軍曹がバックパックに固定したトマホークを抜き、露わになった回線を一気に切断した。警告音と共に九十九の瞳から光が消えた。
「ダウン!」
「前進しろ!」
時折、乾いた銃声に紛れて大きな爆発音が響いてくる。恐らくは110mm個人携帯対戦車弾だろう。
「あっちも派手に暴れているみたいだな」
研究所に到達し、二班の指揮をとる女性隊員──橘樟葉少佐と合流した奏は、簡単な言葉を交わすと地下に進入した。
「通路クリア!」
「目標確認できず。前進!」
通路を進む度に胸騒ぎが激しくなる。緊張か、それとも最悪なことが起きる前兆か。それは今の奏には到底判るはずも無かった。
「コンタクト、アンドロイドスリー!」
「榴弾、撃てッ!」
17式小銃のアンダーマウントレールに搭載したM320グレネードランチャーに装填した40mm×46成形炸薬弾が軽快な破裂音を引き連れて飛翔すると九十九の防弾防護服に着弾、爆発した。計十発の40mm弾によって二体の九十九が行動不能に陥る。運良く生き残り、未だ稼働している九十九の持つM249汎用軽機関銃が火を噴いた。
「身を隠せ!」
そう叫ぶも、ここは通路。身を隠す場所は殆ど無いに等しい。研究室の窓に飛び込むなどして回避した隊員は無事だったが、判断の遅れた隊員三名がその身に多量の銃弾を浴びた。血飛沫が迸る。
「スタングレネード!」
「衛生兵! 衛生兵!」
「くそったれ!」
九十九の視界を塞ぎ、その間に衛生兵が負傷者を回収。14式軽機関銃を構えた隊員──九条幸村曹長は窓から僅かに身を出すと計二百発が装填された箱型弾倉をほんの少しの時間で空にした。
「中尉、ネガティブ!」
負傷者を見ていた衛生兵が左右に首を振る。銃弾は人体の重要器官を撃ち抜いており、三名の隊員は即死だった。
「レイからグリフォンへ。死傷者が発生。繰り返す、死傷者が発生した!」
『グリフォン了解。幾ついる?』
「今のところは三つだ」
『今のところは、ね。了解』
槙島中佐に無線で連絡を取り、衛生兵に護衛を付けて地上に向かわせる。
「レイからカイリへ。地上の様子はどうだ?」
『地上はオールクリアだ。今は生きているデータを復元、回収している』
「了解。引き続き捜索を行う」
通路をカッティングケーキの容量で進み、研究室を一つ一つクリアリングしていく。鼠一匹でも見逃さないよう注意を払う。しばらく進んでいくと彼らの耳に届く機械の駆動音。現場に緊張感が漂う。
「スタングレネードを用意。唯依、ドアを破壊しろ」
「了解」
バックパックのショットガン用ホルスターからブリーチング用に銃床を取り外してピストルグリップを装着したM870ソードオフショットガンを抜くと施錠されたドアノブを破壊した。後続の蘭が勢いよく蹴破ると室内に音響閃光手榴弾を転がし入れた。炸裂と同時に突入。瞬間、彼らの視界を目映い閃光が覆い、何かが起こった。
「世界は常に変化を欲しているのだよ、少年」
「またいつか、お会いできる日までのお別れです」
新藤夫妻の言葉の意味を理解するよりも早く、奏は室内の雰囲気に変化が訪れたことに気がついた。光が消失し、奏は言葉を失った。室内には海兵隊員以外の姿は見当たらない。目の前にいたはずの新藤夫妻の姿形、それどころか影さえも見当たらない。
「ターゲット、ロスト……?」
奏の呆然とした声が静寂に包まれた研究室に拡散して消えた。作戦は失敗。その後、彼らは時森島から撤退し、世間には新藤夫妻が自殺したと嘘の報道が流れた。
誠の真実は闇の中に消え去り、偽りの真実が光の舞台を歩く。