食堂
「こう痺れる台詞を書いて欲しいんだ。吟遊詩人が詠うような」
「それなら吟遊詩人に頼んだ方がいいと思うんですけど‥」
気持ちよく晴れた日の午後、セシリアはまだ若い騎士から恋文の代筆を頼まれてカウンターで悩んでいた。
「素直に愛してるって書けばいいんじゃないですか?凝った言葉を考えるのは大変だし」
「でも、女の子は気障な言葉の方が好きだろ」
「人によるんじゃないかしら」
「あーあ。俺もエルドレット分隊長みたいに女の子にモテてみたい」
エルドレットの第一分隊に所属している 彼は、心の底から羨ましそうにそう言った。
「ゲイル、それたぶん分隊長には言わない方がいいよ」
そっと彼をたしなめて、セシリアは恋文の文面に視線を戻す。
セシリアだって、エルドレットのことはよくわからない。しかしトリエンテから帰ってしばらく彼の様子を観察していると、時々彼が目元に影を落としていることがあると気付いた。それは決まって、彼が部下や街の人々に賞賛された後だった。
セシリアが恋文に意識を戻してガリガリ羽ペンを動かしていると、扉が開いてエルドレットが入って来た。今までくつろいでいたゲイルが物凄い勢いで立ち上がって敬礼する。エルドレットは几帳面に軽く敬礼を返し、少し首を傾げた。
「何してるんだ?」
「ゲイルの恋文を書いてるんです」
「わっ、馬鹿!言うな!」
「いいじゃない、別に」
セシリアは恋文を脇に置き、エルドレットにどうかしたか訊ねた。彼は思い出したようにセシリアに本を差し出す。トリエンテでカイルに頼んだものだ。
「ありがとうございます。ミケル分隊長にお知らせしなきゃ」
「ああ。‥あまり根を詰めるなよ」
エルドレットはそう言ってセシリアの頭に大きな手を軽く載せると、図書室を出ていった。
まるで自分が幼い少女になったような感覚だ。
それから、セシリアは読んだことのある恋物語から適当な文言を引用して恋文を完成させ、それをゲイルに押し付けた。こんな甘ったるくて砂を吐きそうな台詞、喜ぶ女の子はいるのかと思いながら。しかしゲイルは大喜びで、セシリアに今度お礼をすると言って足取り軽く図書室を出ていった。あとは彼の想い人が、ロマンスが大好きな夢見る少女であることを祈っておこう。
その晩、食堂で一緒になったサラにその話をすると、彼女はセシリアの書いた文言に目を丸くし、声をたてて笑った。
「でも世の中にはそういうのが好きな人もいるわ。喜んで貰えるといいわね」
「喜ぶ人なんているかなあ」
「いるわよ、きっと。セシリアは嫌?」
「やだ。サラは?」
サラは困ったように「嫌ね」と答えた。
二人で食事を済ませて食器を返した時、エルドレットが入って来たのが見えた。あっと思って声をかけに行こうとしたが、「エルド!」と呼んだ声にその動きが止まる。
声をかけたのは栗色の巻き毛を肩まで垂らした女の騎士だった。彼女に呼ばれたエルドレットは、彼女と言葉をかわして少し困ったような笑みを浮かべる。
あの人、あんな風にも笑うんだ。
そう思っていると、二人は並んで食事のトレイを取りに歩き出した。おそらく一緒に食事をとるのだろう。
胸の奥がちくりと痛む。
二人に気付いていないサラは、トレイを戻して歩き始めた。それに遅れないようにセシリアもついていく。しかし視線は二人から外せない。
二人は空いてきた食堂の一角に向かい合わせで座り、話しながら食事を始めた。
それを視界の隅におさめて食堂を出る。
こっちに気付いてくれなかったな。
今度は胸がずきんと疼いた。
一度気が付くと、栗色巻き毛の彼女をいろんなところで見るようになった。
廊下で、風呂場で、食堂で。
中庭では、エルドレットと一緒にいるのを何回か見かけた。
彼女を見る回数に比例して、エルドレットに会うことを億劫に思うようになった。昼休みにはちゃんと昼食を食べてエルドレットが呼びに来ないようにしたし、街で巡回中の彼を見つけても寄っていかなくなった。
「浮かない顔だね、セシリアちゃん。お兄さんが話聞いてあげよっか」
ある日唐突に図書室を訪れたカイルが、ぼーっとしていたセシリアにぐっと顔を近付けて訊ねてきた。
「わ!カイル様、びっくりしました」
「呼んでるのに気付かないんだもん。どしたの。身体の具合が悪いわけじゃないよね?」
カウンターの内側にまわってきたカイルが空いていた椅子に腰掛ける。
「大丈夫、元気です。カイル様、お仕事は?」
「午後から訓練だったんだけど、雨降ってきたからお休み。で、最近セシリアちゃん見ないから会いに来た」
カイルが手を伸ばして、くいっとセシリアの顎を上向かせた。
「やっぱ元気ないよね。サラちゃんとエルドが心配してたのわかるなー」
「え‥何か言ってたんですか?」
「サラちゃんはね、最近疲れてるみたいで心配だって言ってた。エルドはーー‥」
カイルがくすりと笑う。
「近頃毎日ちゃんと昼飯を食べてる。前までは飯より本に熱中してたのに、まさか図書室中の本を読み終わったんじゃないだろうなって。意外と馬鹿だよね、エルド」
思わず苦笑が顔に出てしまう。それを見たカイルも苦笑いだ。
「肝心なところが鈍いんだよ、彼。サラちゃんもアルもそうだけどさ。まあそれが唯一のあいつの可愛いところだから、許してあげてね」
カイルはセシリアの頬をぷにっと突っついて微笑んだ。
「セシリアちゃんがどうしてエルドを避けてるのかはわからないけど、早く仲直りして欲しいな。エルドの友人としてはね」
避けているのがばれていたことに驚き、セシリアは何も言えなかった。エルドレットにも気付かれていたらどうしようかと思い、それを訊こうとした時、ガラッと扉が開いてカイルが「あーあ」と呻いた。
「分隊長!見つけましたよ!」
「早かったね、セドリック。こんなに早いとは思わなかったなー」
セドリックと呼ばれた騎士は肩を怒らせ、カイルの傍まで来ると彼の腕を掴んで引きずるようにして歩き出した。
「訓練が中止になったら会議だって聞いていたでしょう!こんなところで娘さんを口説いてる場合じゃありません!」
「誤解だよ、それ」
「説得力ありません!」
セドリックに引きずられながら、カイルは「セシリアちゃん、またねー」と手を振った。そのまま扉が閉まる。外から「早くして下さい!」「そんなに急かすと転んじゃうよー」と言い合う声が聞こえ、遠ざかっていった。
*ー*ー
「セシリア、ありがとう!手紙の返事が来た!」
数日後の夕方、狂喜乱舞して図書室を訪れたゲイルの報告に、セシリアは一瞬ぽかんとしてから驚いた。なんと相手の娘は歯の浮く台詞が大好きな夢見る少女だったらしい。ゲイルはうきうきしながらセシリアに恋文の返事の返事を考えて欲しいと頼んできた。
「自分で書いたら?返事の返事の返事の返事まで書くの嫌だよ、あたし」
「じゃあ今回まで!次からはそれを参考にして自分で書くから」
半ば強引に押しきられ、セシリアはまた羽ペン片手に悩むことになってしまった。今回はゲイルが仕事へ行ってしまったため、一人でうんうん唸る。
君の声は小鳥のさえずり、とかにする?
でもあたし、彼女の声聞いたことない。
もしかしたら色気のある低くて掠れた声かもしれないし。
君の瞳は青く輝く海のよう?
だめだ、瞳の色なんてわからないもん。
当たり障りのない台詞を考えていた頭にふいに重みを感じた。何かと思って顔を上げると、カウンターの向こうからエルドレットが腕を伸ばしてセシリアの頭に手を載せている。なんだかすごく久し振りな気がする。自然に口元が緩んだ。
「びっくりしました」
「おまえは何かに集中するとまわりが見えなくなるからな」
エルドレットは少し笑みを浮かべてそう言った。
何だか父さんみたい。
「あれ?エルド様、お仕事は?さっきゲイルが警備に行くって‥」
「終わった。もう夜だぞ」
「え?」
「早く行かないと食堂も終わる」
「ええっ?」
どれくらい恋文で悩んでいたのだろう。思ったより随分時間が経っていて愕然とする。そういえば夕方灯りをいれたカンテラの蝋燭は燃え尽きかけているし、部屋は真っ暗だ。慌ててカウンターを片付け、エルドレットと一緒に図書室を出て施錠した。
「そういえばエルド様、どうしてここに?」
「おまえに会おうと思って探した。閉室時間のはずなのに灯りが洩れていたからもしかしてと思ってな。ほら急ぐぞ。俺まで夕飯を食い損ねる」
そう言いながらエルドレットの目元は優しい。足早に食堂へ向かい、ほとんど人のいなくなったテーブルで向かい合う。
「エルド様、何かあたしに用があったんですか」
「いや、カイルが‥」
パンをちぎりながらエルドレットが言い淀んだ。促すと、苦笑と共に「おまえが寂しがっているから飯ぐらい一緒に食ってやれと言われて」と白状され、かあっと顔が熱くなる。
「違います!カイル様が勝手に!寂しがってなんか! 」
「少なくとも俺は調子が狂った」
「え‥え?」
「おまえを呼びに行って、おまえの話を聞きながら飯を食うのが日課になっていたからな。ここ数日は調子が狂ったぞ」
それはどう解釈したらいいのだろうか。
セシリアと食事をとりたかったということか。いや、彼はそこまで言っていない。
ただ単に、日課となっていたことがなくなったから調子が狂ったということだろう。セシリアも、新しく義母が家に来てしばらくは調子が狂った。あれと同じ感覚なのだろう。
深く考えるのはやめ、セシリアはここ数日にあったことを彼に話し始めた。彼はいつものように適度に相槌をうち、時々軽く笑ったりもした。
自分で彼を避けておきながら、こうやって過ごしているとこの日常がいかに大切な時間だったかを実感する。
一緒に食事をして話をするだけだが、この時間が好きだと思った。
そして、彼にもこの時間を好きだと思って貰いたいと思った。
食事をして話をするのは、セシリアと一緒がいいと思って欲しいと思った。
他の誰でもなく。
先日見た栗色の巻き毛の子ではなく。
エルドレットに自分が一番だと思って欲しい。
他の誰かが彼の隣にいて欲しくない。
そこまで考えて、やっと自分がエルドレットのことを好きなのだと思い至った。