城
騎士団はそれからしばらく駐屯していたため、セシリアはその間に荷物をまとめ、冷静になることができた。
出発の日は、エルドレットが迎えに来てくれた。両親と村長に挨拶をして、村を出る。森を抜けて野営地に着くと、もう野営地は撤収されていて騎士が隊列を組んでいた。エルドレットはセシリアを隊列の真ん中の方へ連れて行った。恐らくセシリアのことは通達されているようで、騎士たちは特に動じない。
「セシリアはサラの後ろに乗れ。疲れたら荷馬車もあるから遠慮なく言え」
サラが馬上からセシリアに手を伸ばしてくれた。エルドレットも下から補助をしてくれて、サラの後ろに無事跨がる。
「私の腰にしっかり捕まって。舌噛まないように気を付けてね」
先頭の合図で行軍が開始された。ちょっとわくわくする。しかしそのわくわくは、一日の行程が終わるころには吹っ飛んでいた。
「歩き方おかしくなってるぞ」
天幕を張り終わった頃に様子を見に来たエルドレットが、セシリアのがに股歩きを見て苦笑した。笑われたセシリアは恥ずかしくて泣きそうになる。
「明日は荷馬車に乗せて貰え」
エルドレットはそう言ってくれたが、セシリアは首を横に振った。これ以上特別扱いして貰うことに抵抗があったのだ。
翌日には、セシリアのがに股歩きはますますひどくなっていた。エルドレットは相変わらず様子を見に来て苦笑する。セシリアの頭に手を載せて「あまり無理するなよ」と言って戻って行った。
その翌日は、慣れてきたのか少しましだった。しかし股関節が打ち身のようになっているのが痛い。それを庇って歩くから、やっぱりがに股歩きになった。そして相変わらずエルドレットに苦笑された。
「もうすぐ着くよ」
前にいるサラに声をかけられて、セシリアは彼女の身体越しに前を見た。
巨大な城壁がそびえたっている。思った以上の大きさに思わず息を呑んだ。城壁はどんどん近付いてきて、城門をくぐる頃には心臓がどきどきいっていた。
隊列は街を通過し、跳ね橋を渡って城へ入っていく。
すごい。物語に出てきたお城みたい。
先に馬から降りたサラが、セシリアに手を貸してくれた。同性だが、その騎士らしい立ち居振舞いにちょっときゅんとしてしまう。騎士に指示を出しているエルドレットとアルヴィンを見て、ますます胸が締め付けられた。
お城効果でまわりの騎士の格好良さが三倍増しだなんて、どうかしてるわよセシリア。あんた、仕事しに来たんだからね。
そう自分に言い聞かせて平静を保った。
そのあとサラがセシリアを城で働く者の居住区へ連れて行ってくれ、城の設備の説明をしてくれた。それからエルドレットとアルヴィンに合流し、食堂で一緒に夕食をとる。遠征明けなので、明日と明後日は休みらしく、時間がとれそうなら街を案内してくれることになった。城の中は勝手に探検していいらしいので、お言葉に甘えることにする。
「よし、明日は外で昼飯食おうぜ」
「その前に遠征の報告書書いて下さいね、分隊長」
「げっ。そんなもんおまえが出しとけよ」
「仕事ですから。午前中に書いて午後から出掛けたらいいでしょう」
向かいに座ったアルヴィンとサラがやり合うのを見ていると、エルドレットがため息をついて「いつものことだ」と教えてくれた。
食堂を出ると、バタバタと喧しい音と共に長い金髪を一つに結った騎士が階段を下りてきた。こちらを見て駆け寄って来る。
「アル!あのエルドが女の子拾って帰って来たって本当!?っていうかエルドいるじゃん!ねえねえ、どんな子?あれ、この可愛い子誰?」
騎士にあるまじき騒がしさで矢継ぎ早に質問を飛ばす。エルドレットがまたため息をついた。
「人聞きが悪いぞカイル。図書室の司書を見つけて来たんだ。セシリアという」
「噂の子はこの子かー。図書室で働くの?そりゃ助かるよ。あそこは今や腐海の森だからねー」
「そうしたのはおまえにも原因があるだろうが」
「そう言うアルにもね。セシリアちゃんか。俺、カイル。第三分隊で分隊長やってますー。よろしくね」
カイルはセシリアの手を握ってぶんぶん振ると、にっこり笑って去っていった。
「マイペースで軽い奴なんだ。気にするな」
エルドレットの忠告に、セシリアは黙って頷いた。
翌日街を散策する前に、エルドレットは騎士団に提出する雇用届を書かせてから、図書室へ連れて行ってくれた。城の図書室とはどんなものかとわくわくしていたが、先日聞いた「腐海の森」という表現に戦いてもいた。そして、結果は推して図るべしだ。
「これはひどいな」
扉を開けるなりエルドレットが呟いた。後ろから覗いたセシリアも息を呑む。机という机に本が乱雑に積み上げられ、床にも雪崩れている。手近な一冊を拾い上げ、エルドレットがため息をついた。
ガサガサと音がして、奥から一人の男が姿を見せた。エルドレットが「ミケル」と呼ぶ。無精髭を生やし、エルドレットと同じくらい長身の彼はセシリアの前までやって来て身体を屈め、セシリアに視線を合わせた。
「第四分隊長のミケルだ。ミケル、セシリアだ。新しい司書として雇った」
ミケルはしばらくセシリアを見ていたが、こっくり頷いて二人の傍らをすり抜け、図書室から出て行った。エルドレットから「無口なんだ。気にするな」とフォローが入った。
図書室の惨状を目の当たりにした後は、アルヴィンの執務室へ向かった。扉をノックすると、中から返事の代わりにアルヴィンとサラのやり合う声がする。エルドレットは構わず扉を開けた。
「ここは師団長が署名するとこだって言わなかったかしら、アルヴィン分隊長?」
「何枚も署名させられてんだ、覚えてるわけねえだろうが」
「読んで確認してよ」
「いちいち読めるか、面倒くせえ」
「内容を読んでるのは私なんだけど」
「‥わかったよ。それはあとで書き直す。次は?」
「三日目の報告書。何で南西の森に陣を敷いたのか」
「勘」
「そんなの書けないってば!」
そこまで聞いて、エルドレットはバタンと扉を閉めた。
結局、昼まで二人の仕事が終わるのを待ち、ぐったりしているアルヴィンとサラも一緒に街へ出ることになった。城壁に囲まれて武骨な印象を受けるヴァルトガルドだが、石畳の道を歩いていると赤い屋根で統一された街並みはなかなか可愛らしい。
甲冑を身に付けず、騎士の制服だけのサラは最初に出会った時の印象よりだいぶ柔らかくなり、年頃の娘らしくおいしいケーキ屋や可愛い雑貨屋を教えてくれた。そうなると男性陣は置いてきぼりだが、二人ともそれは想定内だったようでのんびり後ろをついてきた。
お昼は騎士団御用達の店でサラおすすめのリゾットを食べた。エルドレットとアルヴィンの食欲に驚いていると、サラが苦笑して「騎士なんてこんなものよ」と教えてくれた。
必要な物があれば買うといいと言われ、セシリアは仕事用の質素なワンピースとエプロンを買った。あとは細々とした日用品や文房具を揃える。荷物は半分サラが持ってくれていたのだが、途中から全部エルドレットとアルヴィンに奪われ、二人が持ってくれた。
街を歩いていると、後ろのアルヴィンが舌打ちするのが聞こえた。何かと思えば、花屋の前でカイルが店番の娘と話し込んでいる。
「くそ、仕事しやがれ仕事」
「でもカイル様の書類はちゃんとしてるわよ」
サラにやっつけられてアルヴィンが黙った。しかし見過ごすのもどうかと思ったのか、エルドレットが「カイル」と声をかける。カイルは振り向いて人懐こく手を振ってきた。
「セシリアちゃんに街案内?」
「ああ。おまえは巡回中だろう?」
さりげなくたしなめようとしたエルドレットに、花屋の娘が「違うんです!」と噛みついた。その勢いにエルドレットがちょっと怯む。
「カイル様はしつこいお客さんからあたしを助けて下さったんです!」
これは騎士と花屋の娘さんとの恋の始まりかしら。
そんな風に少し期待してしまったが、娘がカイルへの感謝を大袈裟にうっとりと並べ立てるのを聞き、その期待はさっさと捨てた。暴漢の相手も恋する娘の相手もしなくてはいけない騎士とは、何とも大変である。
「ああいうことはよくあるんですか」
うっとりとした娘と苦笑いのカイルを置いて歩き出してから訊いてみると、エルドレットとアルヴィンが顔を見合わせた。
「エルドはねえだろ。こいつが黙って巡回してたら怖えぞ」
「そんなことないわよ。女の子がよくこそこそエルドレット分隊長のこと見てるもの。アルヴィンのファンも知ってるけどね」
「‥はあ。年頃の娘は怖えな」
モテるのは嬉しいのかと思いきや、いろいろと複雑らしい。
騎士のロマンスなんてお話の中だけなのね、とセシリアはひとりごちた。