勝ち誇る時、チェックメイトではなく「チェックアウトよ!」と言ってしまう令嬢
華やかな王都。その中心部に鎮座する王立学園――ここには多くの貴族子女が入学し、勉学や社交マナーはもちろん、コースによっては武芸やダンスなども学ぶこととなる。
イリアナ・フォルクは伯爵令嬢。煌びやかでうねりのある金髪の持ち主で、瞳は情熱的な赤さを帯び、女子用の制服である真紅のブレザーがよく似合う少女であった。
成績は優秀で、運動神経もよく、いつもクラスの中心であり、将来的には必ずや優れた貴婦人になるであろうと目されていた。
しかし彼女には、物事が自分の目論見通りいった時、勝ち誇る癖があった。
学校の休み時間、イリアナは級友とチェスを嗜んでいた。
イリアナはチェスも得意である。盤面は圧倒的に優勢で、ついにトドメとなる一手を指す。
もう勝ち筋は見えず、相手は苦い顔をする。
イリアナは得意満面に言い放った。
「チェックアウトよ!」
この言葉に周囲は驚く。
(チェックアウト……?)
(今、チェックアウトって……?)
(チェックアウトは宿とかで使う言葉じゃ……)
しかし、イリアナの身分は高く、将来性も高く、プライドはもっと高い。
指摘してしまうと、彼女の自尊心を傷つけ、敵に回してしまうことにもなりかねない。貴族は人脈が命であることを考えると、それはあまりにもマイナスだ。
このため男子女子問わず、誰も指摘はできなかった。
級友も、大人しく負けを認める。
「参りました……!」
「うふふ、あなたもなかなかの腕だったわ」
イリアナには敗者に労りの言葉をかける一面もある。
だからこそなおさら、誰も「チェックアウト」について指摘することができなかった。
***
数学の授業中。
片眼鏡をかけた教師が、黒板にチョークを走らせる。
「この問題は……かなり難しいぞ。解ける者はいるかな?」
挑戦的な言葉に、誰も挙手できずにいる。
すると、イリアナが動いた。
「私、挑戦してみます」
「よろしい。やってみたまえ」
イリアナはチョークを手に取り、問題と向き合う。
(この問題は、あの公式を応用すれば――)
解決の糸口を見つけ出し、チョークを走らせていく。
教師も「ほう」という顔になる。
何行も数式を書き連ね、ついに――
「チェックアウトよ!」
答えを導き出した。
彼女の解答に瑕疵はない。
しかし、クラスメイトたちはどうしても「チェックアウト」が気になってしまう。
(またチェックアウト……?)
(ひょっとして間違えて覚えてるんじゃ……)
(言ってあげた方がいいのかな。でも……)
誰も指摘できず、教師でさえ動揺しつつも言えなかった。
「お見事……。せ、正解……」
「久しぶりに骨のある問題でしたわ」
イリアナはチョークを黒板の桟に置くと、颯爽と自分の机に戻った。
***
女子には、料理の授業もある。
貴族の食事は料理人任せ――とはいえ、令嬢たる者、いざという時殿方に手料理の一つも振る舞えねばという価値観があるためだ。
この日の課題メニューはパンケーキ。
あまり料理慣れしていない他の女子が不格好なパンケーキを作る中、イリアナは鮮やかな手並みで仕上げていく。
あとは生地をフライパンで焼くだけである。
友人からもこんな声がかかる。
「イリアナさん、お上手ね~」
「まあね。私にかかれば、パンケーキを作るぐらいわけないことよ」
甘い匂いが漂い、いよいよフィニッシュである。
「チェックアウトよ!」
イリアナはフライパンを素早く振り、パンケーキを空中で一回転させ、危なげなく受け取った。
見事なきつね色のパンケーキが出来上がったが、周囲の女子はやはりこう思った。
(またチェックアウトって……)
(教えてあげようかな?)
(だけどイリアナさんに恥をかかせると後が怖そうだし……)
イリアナはそんなことはつゆ知らず、朗らかな笑みでパンケーキを頬張るのだった。
***
ダンスの授業。
校内のダンスホールにて、曲に合わせて、ひとりひとりがアドリブのダンスをするという趣旨だ。
そんな中、イリアナのダンスはやはり図抜けていた。
手足のさばき、振りつけ、リズム、全てが高水準で、皆が見とれるほどの圧倒的なダンスを披露する。
曲がフィナーレに近づく。ダンスは終わり方も非常に重要な要素だ。
その時だった。
「チェックアウトよ!」
華麗なステップを踏み、ダンスを終える。
ハイレベルなダンスだったにもかかわらず、最後の決め台詞のせいで微妙な空気になってしまう。
(やっぱりチェックアウトだ……)
(言ってあげた方がいいのかしら)
(ダンス自体は完璧だったし、水を差すのもねえ……)
やはりチェックアウトの指摘は不可能だった。
***
ある昼下がり、イリアナは校内活動の一環として、箒やモップで廊下を清掃していた。
その手つきはやはりテキパキしており、任された一角をピカピカに磨き上げていく。
クラスメイトたちは「さすがイリアナ」という眼差しになる。
そこへ、彼女とはクラスの違うノアス・ルファーソンという男子生徒が歩いてくる。
耳にかかる程度の銀髪で、青みを帯びた灰色の瞳を持ち、その表情は氷雪の如き凛々しさを宿す。男子用の群青のブレザーは、彼のためにデザインされたのではと思わせるほどだ。
心根も非常に冷徹なことで有名で、遊びや色恋に興味はなく、ディスカッションの授業では一切の妥協なく急所を突くような議論を展開し、相手を泣かせてしまったこともあるという。
こうした逸話から、彼はいつしか“氷の侯爵令息”という異名を冠せられていた。
掃除を終えたイリアナが、得意げに胸を張る。
「チェックアウトよ!」
すると、通りかかったノアスは淡々と言い放った。
「それ、チェックメイトの間違いだろ」
あまりにも容赦ない指摘。“氷の侯爵令息”の名を存分に発揮している。
近くにいたイリアナの友人たちは心の中で叫んだ。
(指摘しちゃった!!!)
イリアナはどんな反応を見せるのか。怒るのか、恥じるのか、ごまかすのか。
はらはらしながら見守る。
イリアナはノアスに向き直り、こう言った。
「あらやだ、私ったら今までずっと間違えて使っていたみたい……。きっと皆様、ずっと言わずにいてくれたのね。あなた、ご指摘感謝いたしますわ」
怒るでもなく、恥じるでもなく、ごまかすでもなく――
素直に間違いを認め、皆の気遣いを悟り、ノアスに笑顔でお礼を述べた。
このまばゆい笑顔を見たノアスは、一目でイリアナに心を射抜かれた。
この時のことを、彼は後にこう語っている。
「私の心はあの時まさに――“チェックメイト”されてしまった」
***
「――ということがあり、私とイリアナは付き合うようになり、君が生まれたってわけ」
自宅のリビングにて、銀髪の眉目秀麗な紳士になったノアスが笑う。
彼は今や“氷の侯爵”と呼ばれるが、これはあくまで容姿のことで、性格はずいぶん温和になった。
隣に座る妻の影響も大きいであろう。
「うふふっ、私のチェックメイト間違いで、キングとクイーンが結ばれたというわけね」
テーブルの上にはチェス盤がある。
気品漂う侯爵夫人となったイリアナが、チェス盤の上にあるキングとクイーンの駒を隣り合わせて、くっつけてみせた。
ラブラブな二つの駒を見て、ノアスは顔をほころばせる。
「君と出会ってから、私の心はチェックメイトされ続けだ。どうしてくれるんだい?」
「私こそ、あなたと出会ったから、令嬢という宿をチェックアウトして大人の女性になることができたのよ」
両親の話をずっと聞いていた十歳になる息子リアムは、頬杖をつき、冷めた眼差しでこう言った。
「こんなにチェス盤をひっくり返したくなったことは生まれて初めてだよ」
おわり
お読み下さいましてありがとうございました。




