酒場で結ぶ悪戯な恋
近世ナーロッパ大陸では、群雄割拠の時代は終わったもののいまだ小競り合いが続き、戦の火種は各地で燻っていた。
伝統ある中堅王国グロシエールはその難しい舵取りの中、第二王女のリュスティックを覇権帝国アンピールの王太子の許へと嫁がせる事に決定した。
━━━━臣従、といっていい。
辺境の蛮族国家に由緒ある我が国が屈するのか、と国民たちは屈辱に打ち震えたが、今や権勢を誇る帝国に抗いようもない。悔し涙を流し、リュスティック王女を輿入れさせる要請を受け入れた。
国民から『リュード』の愛称で親しまれているこのグロシエール王国の王女は、ただのお姫様ではなかった。
才色兼備な麗人。淑女の中の淑女。社交界の綺羅星。
優れた知性と怜悧な容貌にしなやかな肢体を兼ね備え、その存在を讃えるのに白百合でも紅薔薇でもどちらでも相応しく、そしてそのどちらも、彼女を表現しきるには絶対的に足りない。
社交に優れた手腕を発揮し、睫毛嫋やかな切長の目に見つめられて言葉を囁かれれば、貴公子よりも諸外国のご夫人や令嬢たちが揃って黄色い歓声をあげ、色めき立つ。
その立ち居振る舞いの華やかさに魅了され、憧れる。
そんな王国の宝石が、王族の責務とはいえ政略結婚で、国を護る名目に帝国の手へと堕ちるのだ。国民の悔しさは、察するに余りある。
帝国と王国の成婚式が行われる前夜、帝都の賑わう雑踏内の酒場に、異邦人の男女三名が、看板をくぐって入ってきた。
「へー、ライツィハーって名前なんだ、あたしの旦那」
壁に貼られた明日の大イベントの告知ポスターを見て、長身の美女がケタケタ笑った。
「今さら何言ってんですか、リュード様。わりと何回もお教えしましたよね?!」
「いや〜なかなか、ね。顔知らないで名前の響きだけだと、覚えるの難しくってさ」
気心知れた専属侍女の苦言に、リュードと呼ばれたその女性はてへへっと照れ笑いする。
「もう!そんなので誤魔化されませんからね!」
言いながら、侍女の娘は美女の甘えに満更でもなさそうな態度だった。
「しかしここまで混んでる店で飲むのは危なくないですか?」と、町人の服装をしている護衛騎士の若者が、少し警戒気味に言った。なにせここは、あの帝国のど真ん中なのだ。
「活気があって良いじゃない!これくらいのお店、ウチの国でも飲みに行ってたんだからへーきへーき!」
悪くない店だ、と軽く笑い飛ばす美女。
そう、この町民に扮した侍女と騎士を連れた女性こそ、明日、この帝国の元に嫁ぐリュスティック・グロシエール王女その人なのだ。
怜悧なる麗人、令嬢たちの初恋と最高級の呼び名を誇りながら、その実、彼女の本性はガサツで器の大きい、姉御肌の女傑だった。
ドレスを着てお淑やかに演じるのは、完璧に出来る。しかし実際は、ガハハ笑いな残念美女。
そのギャップもまた、デビュタントの若い令嬢たちを狂わせた。
そんなリュスティック王女が、輿入れのために訪れたアンピールの帝都。
国の外交方針で仕方ないとは思いつつも、独身最後の憂さ晴らしにと、侍女と衛士を連れて酒場へ乗り込んできたのが今なのだ。
「なにせこの一カ月、儀礼儀礼で堅苦しくってさぁ。ウチの国の威厳を保つ為に仕方ないとはいえ、息抜きしなきゃもう耐えらんないわ」
そう言いつつ、豪快にエールたっぷりのジョッキをあおる。その美女の飲みっぷりに、店の他の客たちもやんやと喝采した。
どの男たちも気持ちのいい飲み方をしている。リュードを称賛しつつも下品さはほとんど無い。リュードも周りを煽り、歓声の中でもう一杯、ジョッキを一気に飲み干した。
この繁盛している酒場の客たちは、皆楽しく騒ぎながらも伝え聞いていたような帝国の野蛮さとは無縁だった。声は大きく騒がしい。しかし、叫び声や怒鳴り声ではない。店員たちとも、和気藹々と笑い合っている。
「いい店だな」
きっと人気店なのだろう。気持ち良く時間を過ごせる。
帝国には恐ろしさを感じていたが、どの国であろうとも人民は同じだな、と思う。
そんな騒がしい喧騒の中、長机で相席になっていた見た目大柄な男が、なんだかしょぼくれて落ち込んでいた。この店の雰囲気には似合わない。
どうした、どうした?と、リュードは持ち前の姉御肌でお節介をかけた。
男は大きな図体と厳つい容貌に似合わず、少し迷惑そうな気弱げな声で、「いや、何でもないから気にしないで放っておいてくれ」と、ますます背中を丸めてしまった。
(ありゃりゃ〜……)
と、侍女が頭を抱えた。その予感通り、その男の態度に好奇心旺盛な世話焼き気質のリュードは目をギラリと光らせ、ウザ絡みを始めた。
「なぁに、辛気臭く背中丸めて縮こまってんのさ!何かあったってんなら吐き出しちゃえよ、お姉さんが聞いてやるからさ!溜め込むと体に悪いぜ?」
酔っ払いの絡み酒ほど厄介なものはない。男は観念したように顔を上げ、ぽつぽつと話し始めた。
実は男は、近々家のために結婚が決まったのだという。が、自分の粗野な見た目や性格がネックになっていた。
「まだ顔も名前も知らないが、お相手のお嬢さんはかなり良家のご令嬢らしいんだ。噂で聞かされるのは可憐で繊細な深窓の君。それに比べて、俺はこの風体だ……」
言って、また頭を抱えて突っ伏す。こりゃ重症だね〜と、リュードは思った。
「相手のお嬢さんはあんたとの結婚を嫌がっているのかい?」
「それすらも分からない。親から結婚が決まったぞ、と言われただけだ。家同士の結婚なんてそういうもんだろ?」
(あぁ、どっこも一緒なんだな)
リュードは苦笑し、ゴクリと一口エールを飲んだ。
「初めて顔を合わせて俺のこの図体と顔を見て失望されたら、俺ぁ立ち直れねーよ…」
グズグズ言ってる。なんて繊細で小心な男だろう。相手の反応を気にして不安がっているのだ。粗野な見た目に全く似合わず。
リュードは面白くなってきてしまった。
「大帝国の男だろ?そのデッカい身体でドーンと構えて、偉そうにその嫁さんを迎えるもんじゃないのかい?」
「無茶を言うな!むしろ俺たち帝国の男たちは礼儀作法が苦手なんだ!良家のお嬢さまに嫌われないようにどうしたらいいか悩んでるとこに、そんな態度とれるものかよ!冷やかすだけなら放っといてくれ!」
と、男は声を荒らげた。周りの客たちがギョッと注目した。男はそれを全く意に介せず、ジョッキを手にしたままガンッと額を机に打ち付け、
「相手を幸せにしてやれる自信がないんだ…。けど、失敗するわけにもいかない。だから不安で酒に逃げてるところなのさ。このまま逃げさしておくれ……」
弱々しく、内心を吐露するのだ。
その見た目とのギャップ。ガサツで姉御肌なリュードは益々気に入り、揶揄いたくてしょうがなくなる。
「図体のわりに繊細な男だな!それだけ心砕いてくれるんなら、相手の娘さんは十分幸せになれるさ!」と、バンバン背中を叩いて励ましてやる。男も苦笑しつつ、あんたみたいなカッコいい女性の旦那だったら、きっと誇らしくも思えるだろうな、と笑うのだ。
話しているうちに、お互いに乗馬が好きだと知った。
「初めて馬に乗った時、大地と空が自分の身体を通して繋がった気がした。あれをまた感じたいと思い続けてるけど、なかなかねぇ」
リュードがあははっと笑う。可憐さではなく彼女の素の、周りを照らす太陽のような放埒さ。
それを目を細めて見つめ、男も続けた。
「分かる。俺も初めて馬に乗った時に、自分の世界が一気に広がったのを感じた。どこへだって行ける、地の果てだって。━━子供心に万能感に満たされたよ。あの感覚は、忘れ難い」
遠く昔の遊牧の記憶。懐かしく、そして……。
「いや、遠くまで行けるのは魅力だけど、帝国はちょっと遠くまで手を伸ばしすぎてるよ」
リュードがからかって笑う。
「はっ、それは確かに済まない」
と、男も苦笑し、頭を下げた。
「あっは、帝国人にそんな謝ってもらえるとは思わなかったよ。そんな事してると、怖〜い秘密警察に捕まっちゃわないか?」
「秘密警察は居るが、こんな事で捕まえたりしないさ」
サラッと返した男に、リュードは驚いた。帝国の噂話をネタにした冗談のつもりだったから。
「え、ホントに居るの?ウチの国では噂としてそういう話あったけど、帝国ってホントに怖い国なのね……。わたしたちもこんな話してたら捕まっちゃうかも?気をつけなきゃ……」
「秘密警察は居るけど、逮捕とかはしないよ。市民の声を聞いてるだけさ」
「?」
リュードもその従者ふたりも、男の断言に首をかしげた。
「王が民草の声を聴こうとしても、皆畏まって本当のことを話してくれないからね。こうして本音が出るとこで情報集めして、世論を知って政策に反映するのさ」
「へー、それ本当?帝国って怖い覇権国家だと思ってたけど、ずいぶんイメージ違うのね。確かに、この店の雰囲気なんかはとても良いしね」
「気に入ってくれたなら嬉しいよ、帝国へようこそ」
男が、嬉しそうに破顔した。
(あら、良い男)
ちょっと驚き、リュードはニコッと微笑んだ。
「お邪魔いたしますわ、帝国の紳士さん」
それからふたりは意気投合して、独身最後の夜は思いがけず楽しく更けていった━━━━。
翌日、純白の花嫁衣装をお仕着せられ、侍女から「お淑やかに!」と口を酸っぱく言われ、初顔合わせの成婚式。
(国のため、これからは全て制限されながらの暮らしになるのだな)
リュードはなんとはなしに、そう思った。いっそ平民であれば、昨日の男のような旦那と一緒になり、楽しく笑い合える家庭も築けたろう。
しかしそれは、思っても詮のない話だ。我が身を呪うほどではないが、これからはつまらない人生が待っている…。でもまぁ祖国と、昨日の男たちのような気のいい連中を守るために人生を捧げるのも、王族の責務か。今までわりと自由にさせてもらってきた。その恩返しとでも思おうか。
(……って言ったって、人質と変わらない輿入れだけどね)
帝国の皇子の嫁とはいえ、権限なんてどれほど与えられるものか。なにせ余所者の、臣従してきた中堅国の女にすぎないのだから。
半ば諦めの気持ちで儀式に則り絨毯の上をしずしずと進んでいくと、神前で待つ新郎が、何やら驚いたような反応を見せた。
?となって、リュードは上目遣いで見上げた。
「「!!!?」」
「貴方が、王子……っ?!」
「貴女が王女!!?」
天と地が繋がる感覚、どこへだって飛んで行けそうな高揚。
全身を、かつてない喜びが貫いた。
(あんただったのか、わたしがずっと追い求めていたのは……)
夢かと思う。それでも良い。
太陽の輝く満面の笑みでお互い強く強く抱きしめ合い、両国は長い長い蜜月関係を育むことになるのだった━━━━。
fin




