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ママ、数日放置したパンを美味しくしないで。~ふわふわパンをカチコチと言い張り公爵令嬢に出したい後妻~

作者: momoyama

お久しぶりです。連載にするか迷いましたが、ギャグはどうしても執筆カロリー高いのでひとまず短編で。

「マリー。数日間の様子見も終わったし、今日から貴方の地位を押し上げる計画を進めていくわ。手始めに公爵の実の娘、イレイナの扱いをこっそり悪くしてやるわよ。今日から彼女の主食は数日放置してカチコチに固まったパンよ!」

「ついにやるのね、ママ。私の地位を上げて良い暮らしをさせるんだ~って、庶民だった頃から言ってたもんね」

「そう、全ては貴方を素晴らしい公爵令嬢にするためなのよマリー!……と言うわけで、パンの固まり具合を確かめるために数日放置してカチコチになったパンを試食してほしいの。食べてちょうだい」

「……社会的地位を上げる宣言の直後なのに、あからさまに社会的地位が下がっちゃう要求が聞こえてきたんだけど。空耳かな?」


 オモダッタブタイ王国のカーネスゴイ公爵の邸宅。そこそこの広さの部屋でテーブルをはさんでソファに座りそんな悪だくみ……らしき会話を繰り広げているのは、つい最近カーネスゴイ公爵の後妻となった元庶民・ゲルダとその娘マリー。

 ゲルダは元々『そういう』仕事を生業にしたそこそこ魅力的な女性だが、彼女は昔からお忍びで庶民街にやってくるカーネスゴイ公爵を慰める関係にあった。


 カーネスゴイ公爵の前妻であるウェレナの死後しばらくして、カーネスゴイ公爵はゲルダを後妻として迎え入れたのだ。マリーがゲルダに聞いた話では『カーネスゴイ公爵様がすごいアプローチをしてくださったのよ』との事だが、マリーは詳しい経緯をよく知らない。


 そんな大出世を果たしたゲルダだったが、これに飽き足らず娘のマリーの地位を向上する新たな夢を持った。マリーの父親はカーネスゴイ公爵とは別の既に他界している男性であったが、上手い事ゲルダが願った結果ひとまずはマリーも公爵令嬢としての地位を手にしている。しかしそれだけで夢が終わるゲルダではない。彼女は更なるマリーの地位向上を夢見ている。

 

 そんな欲深い母の様子をよく知っていたマリー。庶民の頃からお転婆で、公爵家に来てからはわがまま放題のマリーだったが……流石の彼女も、母が今までと正反対の行動をし始めたので自身の耳を疑ってしまった。わがままでも彼女にも庶民レベルの常識はある。


「仕方ないじゃないマリー。数日放置してカチコチに固まったパンを公爵令嬢に食べさせて、体調でも崩されたら面倒でしょ。だから事前にある程度健康に問題ないかのチェックは必要よ」


 マリーの怪しむ表情を見て、ゲルダは困り顔で事情を打ちあけた。どうやらゲルダはイレイナにもしもの事が起きるのを警戒しているようだ。


 イレイナはカーネスゴイ公爵と前妻ウェレナの一人娘。公爵家の継承権を持つ娘である。

 マリーの地位を向上させるためには、彼女に媚びるか彼女の地位を貶めるかのどちらかを選択するのが最適解だろう。ゲルダはあからさまに地位を落とす方で行動する様子だ。


 ゲルダは少しずついじめを行うのだろうが、どうやら大きな事件に発展させないように保険はかけておきたいようだ。曲がりなりにもイレイナは真の公爵令嬢。意図的に病気にさせたとバレたら大変だ。


 とは言え、流石に数日置いた危ないパンなんかマリーも食べたくないので、きちんと反論した。


「いや、そんなの公爵令嬢になった私が食べなくても良いじゃん。金でも払って下働きに食べさせなさいよ」


 そうマリーが反論すると、ゲルダは更に困った顔となる。


「無理よ。公爵家の下働きや下級の使用人達は既に私に心酔しているから、もうお世辞しか言えないのよ。庶民時代の知り合いにわざわざ依頼するのも情報漏洩が危ないし、食べ物の本音レビューを頼めるのはこの家だと貴方だけなのよ」

「来て数日でお世辞しか言えないほど下働き達が心酔してるのは地味にすごくない? 普通後妻ってもうちょっと警戒されるもんじゃない?」

「何言ってるの。警戒なんかされてる状態で公爵家長女の主食を変えたりできないでしょう。今日のためにこの数日、料理人とか下働き周りのハートはもぎ取ってきたに決まってるわよ」

「早すぎる」


 ゲルダはあまりにも早く使用人等のハートをもぎ取ってしまったため、本音で「まずすぎるからやめといた方が良いよ」と言える人間が周囲からいなくなったのだろう。

 まだ公爵に近い上位の側近なら心酔していないかもしれないが、それはそれで数日置いたパンを食べさせるのはリスクが高い。

 お世辞を言わず本音が言えてかつリスクが低い信頼できるゲルダの近場の人物は、実の娘であるマリーしかいなかったのだ。


 現在、そんなゲルダの態度を見たマリーの心の中では「何をやったらそこまで信頼もぎ取れるんだ?」と言う気持ちと「娘だから信頼できるって言っても、そういうお願いするのはちょっと親子としてどうなんだ」と言う気持ちが渦巻いている。


 そんなさなか、コンコンコン、とノックの音がした。


「入りなさい」

「失礼します。頼まれたパンをお持ちいたしました、奥様。あとサインください」


 下級メイドの一人……名はアレッサだったか。彼女はゲルダの許可を貰うとワゴンを押して部屋へと入ってくる。そしてそのワゴンを静かにテーブルの横へと運んできた。ワゴンにはティーセットやパンをいくつも入れた籠が載せてある。


「そう、ありがと。普段はこの後お茶を入れてもらうんだけど……少しの間マリーと二人きりになりたいから、何もせず一旦部屋から出て頂戴。サインはこの布に書けばいい?」

「承知しました。外で待機いたします。サインは『アレッサちゃんへ。ファイトだお♪』でお願いします」


 ゲルダが布にさらさらと何かの文面を書くと、メイドのアレッサはワゴンを置いたまま深く礼をして丁寧な所作で部屋を出た。扉が閉まった瞬間、部屋の外から「ひゃっほうサインだぁ!」と言う声も聞こえた。


「アレッサは仕事はできるけど、私をあまり心酔してないから駄目ね。さっさと陥落させたいけど、やはり前妻との信頼の壁が厚いのかしらね」

「明らかに心酔してる気がするんだけど!? ママのサインをすっごい喜んでるじゃん!」

「でもまだ近くにいる間は笑顔も固いから我慢できているじゃないの。下位の使用人とか下働き達はもうちょっとデレデレとした表情で語尾も『さすがです奥様ぁ~』みたいなとろけた感じになってるでしょ?」

「……そういや下働きとか地位低めの使用人は、初日に来た時よりニコニコと優しくなってた気がする。あれ、ママのせいなんだ……」

 

 どうやらゲルダは本当に公爵家内を下から掌握し始めているらしい。マリーは下働きの数日間での変革を思い出し、ゲルダの恐ろしさに気付いた。


 が、ゲルダはそんな話題は逸れた話と思ったのか、パンの籠を手に取って話を変える。


「それよりもパンよ、パン。で、このパンが数日置いてカチコチになったパンよ。全部は食べなくていいけど、一口味見をしてほしいの」


 ゲルダはマリーの目の前にパンの籠を置いた。



 籠に大量に入っていたのは、丸型の柔らかそうなパンだった。

 上は茶色くしっかり焼けていて、ちょうど良い焼き加減であると見るだけで分かる。下の白い部分も口に入れたらきっと柔らかくて美味しいのだろうと想像できる最高の色合いだ。

 まるでつい先ほどまで窯に入れられたかのようにパンは湯気だってて、机に置かれただけなのに香ばしい匂いが既にマリーの鼻をくすぐっている。

 しかもその香りは濃厚でありながらも上品。おそらく最高級の材料をつい先ほど焼いたのだろうと、マリーは思った。


 間違いない、これは庶民時代では味わえないであろう、焼きたての高級パンだ。しかも公爵家でしか許されない、最高の環境で作られた焼きたてパン……。


 と、マリーは一瞬あまりにも美味しそうなパンによだれを増やしてしまったのだが、すぐさま「いやいやいや」とゲルダの発言とこのパンの矛盾を指摘する。

 

「……これ、焼きたてじゃない? とっても香ばしい香りがするんだけど。絶対数日置いた物じゃないよね?」


 マリーはパンを指さす。そのマリーの指先にはパンから発せられるほのかな温かさも感じていた。その感触によって、よりマリーは「これが数日置いた物のわけねーだろ」と言う感情は強まった。

 しかしゲルダはクスリと笑い、マリーの指摘を否定する。


「違うわよ。数日放置してこれよ。数日置いても温かさと香りと風味が消えないように工夫したの」

「そんな調理技術、聞いたことないんだけど!? なんか新技術使ってない!?」

「新技術を発明したのよ。数日放置しても焼きたてを保つ技術をこの数日で発明したわ。旦那様に頼んで、特許出願中よ」


 ゲルダはウキウキと申請中の特許関連の用紙をマリーに見せた。マリーが確認すると、難しい語句が多いとはいえ確かに正式な特許申請をしている様子だ。


「なにサラっと料理技術の開発してんのよママ! 公爵家に来て数日でなにを早々に世界を変えてんのよ!」

「仕方ないじゃないの。だってイレイナに数日置いたパンを出すのよ。せっかく数日置くのなら本気出して美味しいパンにしなくちゃいけないでしょう?」


 マリーがあまりにも早い技術開発に激しいツッコミを入れたが、ゲルダは気楽そうに美味しくするのは当然の事だろう、と言う態度を取るだけだった。

 ただそれだけの感情で新技術発明しちゃうのは流石に天才すぎやしないだろうか、とマリーは母の意外な才能に汗ばんだ。というか、母は最初の目的から完全にズレている事にマリーは気付いた。


「美味しくしちゃ意味ないわよね!? 地位を少しずつ悪くするのが目的なんだから、不味くするために数日置くんでしょ!?」

「あ」

「忘れてたな!? さては忘れて美味しくしようとしてたな!?」


 そもそもパンを数日置くのは『イレイナの地位を少しずつ悪くする』と言う計画の第一歩だったはずで、不味くするのが主題のはずだ。だがどうやら母はそれを早くも忘れて数日置くパンを美味しくしてしまったようだ。

 何というズレまくった天才なんだ、母は。こんなんで私の地位を上げれると本気で思ってたのか? とマリーは頭を抱える。


 が、ゲルダはそんな頭を抱えたマリーに優しく答えを返す。


「ふふふ。冗談よマリー。焼きたてっぽさは残っているけど地位を少しずつ変えるための必須要素はちゃんとパンに仕込んでいるわ」

「……本当に? 忘れて美味しい技術開発に時間費やしただけじゃ?」

「そんな事ないわ。見なさい、このパンを」


 疑いの眼で見つめるマリーに対し、ゲルダはちょっと悪そうなニヤリとした笑みを浮かべた。そしてパンを手に取ってそれを……ゆっくりと半分に割るようにちぎった。


 部屋に広がるのは、先ほど以上の芳醇な焼きたてパンの香り。


「外はモチっとしていて中はフワフワ。少しの力でちぎれるパンってわかるでしょう?」

「高級パンにしか見えないんだけど」

「そして割ると中から漂ってくる素材の香りは格段に増すの。こんな芳醇な香り、普通のパンではめったにないでしょう?」

「超高級パンにしか見えないんだけど」

「そして口に入れると……んん~、おいひい! ふわっとした食感が心地よくて、ぱぁっと口の中に風味が広がるとすぐに消えてなくなっちゃうわ!」

「誰がどう考えても、ただの超最高級パンじゃんかっ! 美味しさの追求しかしてないじゃんかっ! やっぱいじめする事を完全に忘れてたな!?」


 ゲルダは柔らかさをプレゼンし、香りの良さをプレゼンし、そしてパンを自身の口に投げ入れておいしさをプレゼンした。誰がどう見ても超最高級パンのプレゼンにしか聞こえないであろう。


 マリーはキレた。このパンでどんないじめ要素が入れているのだろうかと待っていた。なのに出てきた話題はいじめとは正反対の、最上級のおもてなしパンの説明だけだったのだ。一行目からの態度と全くつながってないだろうと、沸点が低めのマリーは積もったモヤモヤがここで爆発してしまったのだ。


 なのにゲルダはそんな怒りを面に出したマリーの態度をきょとんと不思議そうに見つめるだけだ。そしてこう言い放った。


「……? 落ち着きなさい、マリー。私がいついじめをするって言ったかしら?」

「は?」


 いじめをするって言っていない……? マリーはすぐさま混乱した。母の最初の態度は明らかにいじめ義母そのものだったじゃないか、と彼女は思った。

 そんな混乱を落ち着かせるように、ゲルダはマリーにゆっくりと説明する。


「私は扱いをこっそり悪くするって言ったの。でもいじめをして令嬢の地位を下げたらバレた時にこっちが痛い目を見るわ。物語でよくあるでしょう?」

「ま、まぁ、そうだけど……。庶民時代に家にあったベストセラー婚約破棄小説でもそういう展開は多かったわ」


 マリーは庶民時代に見た婚約破棄小説を思い出す。確かにそういういじめ義母は、いじめをして令嬢の地位を下げたしっぺ返しを食らうのが王道パターンだ。


「だからね。私はイレイナの扱いを『相対的』に悪くすることにしたの。若干彼女の生活水準は良くして、その代わり気づかれず尚且つ法に反しない程度に他の家族の水準を更にブチ上げるの!」

「そ、そうたいてき? ぶちあげ?」

「そう。マリーを一番かわいがるとはいえ、イレイナも私達がバッドエンドにならない程度に丁寧に扱うわ! だからカチコチパンのいじめも、これくらい美味しく作らなきゃ意味ないってわけよ!」


 ゲルダは自身の計画をちゃんと説明した。ゲルダはイレイナを上手く下げマリーを上手く上げたいと考えていた。しかしいじめをしたら、しっぺ返しを食らう。と言うわけで逆にイレイナの扱いを上げて、同時にマリーや自分など他の家族の扱いを良くする計画を思い付いた。これなら相対的にイレイナの方が若干悪くしつつも『扱いが最悪な家だったから反撃する』と言う危険性も減るとゲルダは考えたのだ。


「なんというか、全てがズレてるわよママ。いろいろ言いたいけど、そもそも数日放置する技術発明しないでもそこそこの水準のパン焼くだけで済むでしょそれ」


 どこをどうやってツッコむべきか一瞬悩んだが、とりあえずマリーはパンを数日放置する意味がない点が変だと思ったのでそこからツッコミを着手した。


***


「はぁ。で、ママ。このパンをイレイナに出すの? 正直な感想で言うと、最高級パンにしか見えないから私の主食にしたいくらいなんだけど?」


 母の馬鹿げた計画を聞いてドッと疲れたマリーは気だるそうにパンを指さす。指に伝わるパンのぬくもりはまだまだ健在だ。怪しい新技術で作られたパンではあるが、香りは確かに最高のモノなのでマリーも一回食べてみたいとは思った。


 そんなマリーの問いに、ゲルダはニヤリと笑う。


「マリーったらせっかちさんね。このパンは数日置いてカチコチになったパンよ。つまり……数日置かなければどういう状態なのか、想像できる?」

「……え。これが完成形じゃないの? もっと柔らかい状態があったっての?」

「ええ、もちろん。正真正銘の焼きたて状態での『これ』は、こんなもんじゃないわ。とってもふわふわよ」

「そんな。これ以上においしいパンが存在するって言うの?」

「さっき言ったでしょ。他の家族の水準も押し上げるって。あなたのために、イレイナに出す以上の状態のパンもちゃんと用意しているのよ」


 ゲルダのとんでもない発言に、マリーは目を丸くする。どうやらこの最高級と思われてたパンは数日放置してまずくしたパンで、本当はもっとおいしい状態があるらしい。

 マリーはたった今目の前にあるパンが人生で一番おいしそうなパンだと思っているので、これ以上のパンがいったいどんなものなのか全く想像できない。だがそんなに凄いなら食べたいと言う気持ちは抑えることはできなかった。


 その様子に気付いたのか、ゲルダはニヤリとした笑みを少し優しげに変えてマリーを誘う。


「ふふ。食べたい? 何ならキッチンで焼きたてができる頃だし、今から見に言って食べてみましょうか?」

「食べたいっちゃ食べたいけど……ママ、前世が至高のパン職人だったりした? なんでそんなすごいパン作る才能あるのよ」

「お世辞を言ってもカチコチじゃないパンしか出ないわよ」


 と言うわけで二人はキッチンに向かうこととなった。マリーは「言ったのはお世辞じゃなくてシンプルな疑問なんだけどな」と思ったが、先ほど以上のパンはどんなのだろうと廊下を歩く間は色々想像した。




 そしてキッチンにたどり着いた二人の目の前に現れたパンは……。


「ほら、これが焼きたてのふわふわパンよ」


 キッチンに入りゲルダが指さす先には、ふわりふわりと宙に浮く茶色い物体が沢山。

 羽がないにも関わらず子供の作ったシャボン玉の様に飛んでいる。


 マリーは一瞬思考が停止した。あまりにも不可思議な光景だったからだ。

 だがやがて、その空飛ぶ物体がパンなのでは? とマリーの思考回路が再び動きだし……。


「う、う、浮いてるぅ~~~~~~!?」


 彼女は大声で叫んだ。空飛ぶパンなんて見た事ない。いったい何をどうやって焼いたらこんな風になるのか、マリーは一ミリも理解ができなかった。母は一体何を作り出したと言うのか。

 そんな大混乱のマリーの横で、ゲルダは嬉しそうにニコニコしている。


「見ての通り、ふわふわパンよ」

「ふわふわってそういう意味じゃないでしょう! 食感の話でしょう!?」


 確かにふわふわしているが、マリーが考えてたのはこんな非現実的な宙浮く『ふわふわ』なんかじゃない。感触の方の『ふわふわ』だ。


「もちろん食感もふわふわよ。ほら、こういう風に手に取って……」


 ゲルダはそう言って空に浮かんでいるパンらしき物に近づき、『それ』を手でつかもうとする。



 スカッ。



 手はパンらしき『それ』からすり抜けて、宙を浮いたままだ。


「あらやだ。形がふわふわすぎて手でつかめないわ」

「形がふわふわしてるパンって何よ! 非現実でも焼いたの!?」

「非現実だなんて、これは正真正銘パンで……いや、スコーン? ケーキ? 定義的にはなんていうのかしら、これ」

「パンと言う存在である事実もふわふわさせんな! 確固たるパンを作りなさいっての!」


 どうやら宙を浮く『ふわふわ』だけでなく形状も『ふわふわ』しているようで普通に手を掴むことはできないようだ。更には存在としての定義も『ふわふわ』しているようで、これが本当にパンなのかすらゲルダは迷っている。作ったであろうゲルダが迷う物なのだから、マリーは更に大混乱している。


 確かにマリーから見ても、このパンらしき物体は若干透けてぼやけてて何かが不確定な存在にも思えてきた。だんだんケーキに見え……いや、ヒマワリにも見えるな。よくよく見たらネコにも見える。……ああまずい! これ見続けたらTRPGみたいな発狂判定入るに違いない、とマリーは思ったので目をそらすことにした。

(ちなみにTRPGはマリーとゲルダの庶民時代に家にあったので小説表現として何ら問題はない)


「でもね、このパンらしきものは香りも食感も味もふわふわしてて最高なのよ」


 目をそらすマリーの横から、ゲルダのヒョウヒョウとした声が聞こえてくる。マリーは目をそらしたままツッコミを入れる。


「ふわふわした味って言われると、芯の無いぼやけた味みたいで美味しくなさそうな表現にも聞こえるわよママ。……というかそんなもん、どうやって手に取るのよ! 掴めなきゃ食べられないでしょう!」

「本来なら数日置いたらカチコチになってさっきのような形になるんだけど……今日食べたいし、気合で掴みましょ」

「気合でどうにかなるものか!?」


 もう母は訳わからないからそろそろ止めなきゃいかんと、視線を母が立っている辺りに戻す。パンが浮いている方向なのでパンらしき危険物体が目に入ってしまうが……それ以上に母を止めたいと言う意思がマリーは強かった。


 再び目を向けた先には、両手がぼや~~~~っとぼやけた状態のゲルダが立っていた。手の先には……多分パンらしきもの。手もパンもぼやけているのでよくわからないが、多分ゲルダは先ほどまで宙に浮いていたパンを手にしている。


「ほら、こういう風に手の存在感をふわふわにしたら普通に掴めるわ」

「どういう理屈で手をふわふわにすると掴めるのよ! と言うかそもそもその手、どうやってんのよ!」

「とにかく、これで口に入れられるわね。まず私が一口味見……」

「人のツッコミちゃんと答えてよっ! 私、何もかもがわかんないよぉ!」


 突然の不条理に半分パニック状態のマリー。ゲルダはマリーににっこりと母親らしい笑顔を向けると、多分手にしていたパンを多分ちぎって、多分口の中に近づけた。手の辺りはぼやけているので、マリー視点ではだいぶあやふやだ。


「あ~ん……」


 ゲルダは口を開け、小さな茶色いぼやけた物体を入れた。おそらく彼女は存在が『ふわふわ』でぼやけているパンをちぎって食べたのだろう。

 そのままゆっくりと咀嚼するゲルダ。パニックになりつつもゲルダの状況を見守るマリー。


 少しの間、二人の間でわずかな静寂が訪れた。そして……。


「んん~……。美味しい……ふわ~~~~~~!!!」


 しゅばばばばばばーーーーーーーーーーーーーーん!!!


「マ、ママぁーーーーーー!?」



 ゲルダは恍惚の表情で美味しさを顔に出した。その次の瞬間、激しい音と共にゲルダは空を飛んだ。ゲルダは残像を残して、キッチンの高い天井をすり抜けて消えていく。

 更なる母の不条理状況に、マリーは空気がビリつきそうなほどの大声を出すしかない。



「あらごめんなさいマリー! 私の存在と重さがふわふわになって屋敷の天井をすり抜けちゃったの~。ちょっと晩御飯まで空飛んでくるから、大人しくお留守ば……ふわ~~~~~~!!!」

「ええ、え、ええええええええええっ!?」


 キッチンの天井の更に上の方から、ゲルダの大声が聞こえてきた。マリーは何もかもが理解できなかった。存在と重さがふわふわ? 天井をすり抜ける? 晩御飯まで空飛ぶ? 分からない。母のすべてが何もわからない! マリーは頭が破裂しそうだった。

 

***


「……」


 少し時間が立ち、マリーも何とか冷静になった。キッチンに残されたのは、数多の存在が『ふわふわ』として宙浮くパンらしき謎物体ばかり。


 ……そしてマリーは清々しい表情で決心する。


「……よし! 今日のイレイナと私の主食は、庶民時代に食べたパン屋さんのサクサクパンにするぞー!」


 使用人の誰かに庶民時代に使ってたパン屋さんにお使いを頼もうと決意し、マリーはその場から立ち去った。




 ちなみにこの日からしばらく、マリーは『パンはサクサク派』に転向したと言う。

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[一言] 一般的ななろうお嬢様の父親だと思われていたカーネスゴイ公爵 前妻の死後しばらくゲルダを後妻にしなかっただけでめちゃくちゃ自制心が強い可能性が浮上する
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