レイラの危機
女子会から帰宅すると、魔王が神妙な面持ちでリビングに一人座っていた。
「魔王様、どうかしたの?」
「ああ、二人共おかえり。レイラ、女子会とやらは楽しめたか?」
「ええ、とっても。小夜様の話を聞いていると、わたくしはまだまだ勉強不足だと痛感させられましたわ」
「はは、小夜ちゃんの話について行けるのはこの日本でも一部だけだけどね……」
それよりも魔王の顔が、やはりいつもとは違うような……はっ! これはもしや、魔界で異変が起きたのでは? 乙女ゲームの続編と同様のことが起きていても不思議ではない。
「魔王様? 魔界でなにかあったの?」
「ああ、それがな……」
「それが……?」
「落としてしまったんだ。あれが最後の一つだったのに」
はぁ、と溜め息を吐く魔王は何ともエモい。そんなに大切なものを落としたのかと、レイラと一緒に同情の眼差しで見つめていると魔王が言った。
「三秒ルールなるものを実践したのだがな、四秒経ってしまってな……残念極まりない」
「三秒ルール? 何の話?」
「三秒ルールを知らんのか。お前の兄が教えてくれたのだ」
「いや、それは知ってるけど」
三秒ルールとは、食べ物を床に落としてしまった際に、三秒以内であれば食べても良いという誰が作ったのかよく分からないルールのことだ。
一度落ちてしまった物は確実に汚いので食べない方が良いが、自分の中でこれくらいならイケる! と思った時に、誰にでもなく『これは三秒以内だから汚くない』と言い訳をする時に使うものだ。
「大事に大事に取っていた卵焼きがな、ポロッと箸からこぼれ落ちてしまってな。結局ペットの古竜にあげてしまった。残念無念」
「は? そんなしょうもないことで悩んでたの? 心配して損した。レイラ、早く手洗って……レイラ?」
レイラが突然魔王の元へしゃがみ込み、魔王の手を取って言った。
「魔王様……それは悲惨な目にあいましたわね。美羽の卵焼きは他の何物にも代え難い代物ですものね」
「分かってくれるか、レイラ」
「ええ、魔王様」
手を取り合った魔王とレイラの背景に薔薇の花が満開に咲き乱れている。良い雰囲気なのに内容がヘンテコすぎるのが残念だ。
魔王が名残惜しそうにレイラの手を離すと、私に言った。
「それでな、美羽。そのペットがお前の卵焼きを気に入ってもっと食べたいらしいんだ。ここに連れてきても良いか?」
「え、ペットって……」
魔王は先程、古竜をペットにしてるとかなんとか言っていたような……。聞き間違いかな。
「うちの古竜は行儀良くしつけてるから大丈夫だ」
聞き間違いではなかったようだ。聞き間違いであって欲しかった。
「いや、そうじゃなくてスケールが……家が壊れちゃうよ。そして日本が滅びるよ」
「では、どうすれば良い。お弁当の量だけでは足らんと、美羽に会わせろとうるさいんだ」
いや、知らんがな。ペットなら言い聞かせるなりなんなりして対処して欲しい。
「とりあえず晩御飯食べよう。シチュー作ってあるから、温めるだけで食べられるよ」
◇◇◇◇
兄はいないが、私とレイラと魔王はスプーンを手に食事を開始した。そして皆、口々に話し出した。
「シチューはわたくしの屋敷のシェフも作って下さるのですよ」
「そうなんだ。シチューは洋だもんね。シェフの作る料理は美味しそうだね」
「美味しいのですが、味が薄めですわね。わたくしは美羽の作った料理の方が好きですわ」
「俺もだ。なんでか分からんが魔界の料理はほぼ紫なんだ。不味くはないんだがな」
レイラの褒め言葉で気分が上々だったのに、魔王の一言で食欲が落ちてきた。
紫の食べ物が不味い訳ではないが、魔界の紫とは魔物の血ではないのか? そこには確実に適当に切られた魔物が入っているのではないのか?
想像しては駄目だ。何か他の話題を。紫ではない話題を……。そうだ、乙女ゲーム『胸キュンラバーⅡ』の話をしなければ。レイラの危機なのだ。
「魔王様、乙女ゲームの続編が出たらしくって————」
小夜に聞いた情報をそのまま伝えると、魔王が真剣な表現で固まっている。
「魔王様? でもレイラは、ここにいる限り安全だよね?」
「恐らく大丈夫だと思う。だがな……」
魔王は一呼吸置いてから、ゆっくり続きを話し出した。
「シャーロットは怪しい薬を使って周囲の人間を操っているのが分かったんだ。出所はまだ分からんが、レイラを俺の所に連れてきた魔導師がおるだろう。あやつもシャーロットの手に落ちてしまってな」
「それって……」
「そうだ。俺がレイラを連れ去ったのがバレた。さすがにまだ手を出しには来ていないがいずれ来るだろう」
そんな重要なこと、卵焼きの前に教えて欲しかった。聞いたところでどうしようも出来ないが、気持ちの持ちようが違う。
それよりシャーロットは怪しい薬で周囲を操っていたと言っていた。私はそんなもの知らない。ゲームには無かったはず。だけど……。
「もしかして、シャーロットの使ったのって課金アイテム?」
「なんですの、その課金アイテムとは?」
「私はお金がなくて課金アイテムなんて使わないけど、手っ取り早く攻略対象の好感度を上げるアイテムがあるの。いわゆる惚れ薬みたいな物よ」
「だから、サイラス殿下はシャーロットの言うことばかり聞いていたのですわね。納得致しましたわ」
レイラは元の世界のことを思い出して、やや怒っているようだ。レイラを見ていると、嫌な予感が脳裏をよぎった。
「魔王様に対してその薬を使われたら、レイラはここから無理矢理元の世界に連れ戻されちゃうんじゃない? ヤバいよ、緊急事態だよ!」
「そう簡単には俺の所には来れんだろうがな」
「駄目だよ。こういうのはしっかり対策練らないと。レイラを守るよ!」
こうして私たちは作戦会議を始めた。




