恋人ごっこ①
私は魔王に土下座をしている。
「魔王様お願い! 一日だけだから」
「何故俺が美羽の恋人役をせねばならんのだ。俺はレイラが好きなんだ」
——私はよく分からない内に田中の彼女に仕立て上げられそうになっていた。
私は田中に向かって嘘を吐いた。
『田中、ごめん。私、付き合ってる人いるの』
『は? 付き合ってる人いないって言ってたよね。俺に嘘吐いたの?』
『ごめん……』
『どこの誰? クラスの奴?』
私は小夜の鞄からチラリと見えた一枚の写真を取り出して田中に見せた。
『この人、今も一緒に暮らしてる』
しかし、田中は私から写真を奪い取って怪訝な顔で聞いてきた。
『こんなやつ実在すんの? 芸能人とかじゃないの?』
写真には爽やかな笑顔でピースをしている魔王が写っている。容姿端麗な魔王の顔が裏目に出たようだ。全く信じてもらえなかった。
田中に信じてもらう為、私は意を決して魔王を田中に会わせることにした。彼氏として——。
そして今、必死に魔王を説得している。
「彼氏役してくれたら、魔王様の大好物の天ぷら沢山作ってあげるから。お願い!」
「海老も入れてくれるか?」
「入れる入れる。奮発しちゃう」
「良いだろう」
「やった、ありがとう。魔王様大好き!」
私は両手放しで喜んだ。だって、田中の彼女になんてなりたくない。私は田中とは真逆の陰キャ女子。どう足掻いたって釣り合わない。拓海の時のように虐められて孤立するのが目に見えている。そもそも田中は嫌いだ。
「魔王様、どうしたの? 顔が赤いよ」
「そうか? それよりレイラ、すまない。例え一日だとしても美羽の恋人になるなんて……」
魔王が切な気な表情でレイラに話しかけるが、レイラは淡々と言った。
「いえ、わたくしは何とも思っておりませんので、しっかりと美羽に恩返しして差し上げて下さいませ」
「レイラ、気丈に振る舞って……健気なやつだ」
レイラと魔王の会話を聞いていると、レイラから全く相手にされていない魔王が少しばかり可哀想に思えてくる。だからと言って、私は魔王の味方をするつもりはさらさら無いが。
そんなことより今は田中だ。田中に偽のカップルだとバレないようにしなければならない。
「魔王様、恋人の練習しとこう。ボロが出て田中にバレたら困る」
「そうだな。レイラ、少しばかりリビングに行っててくれるか? いくら偽といえど俺が美羽の恋人を演じているのを見るのは辛いだろう」
「分かりましたわ。辛くはないですが、わたくしはリビングで掃除機の特訓をしてまいりますので、魔王様と美羽は頑張って下さいませ」
掃除機の特訓とは果たしてどのようなものか、見たい気持ちを抑えつつ、私はリビングと自室を隔てている襖が閉まるのを眺めた。そして魔王の方に顔を向けた瞬間、体がふわっと宙に浮いた。
「え、魔王様? 何してんの?」
「恋人の練習をするんだろ?」
私は魔王に横抱きにされている。いわゆるお姫様抱っこだ。
「ちょ、重いから、魔王様早くおろして」
「そうか? 軽すぎて逆に心配になるぞ」
人がいないのが幸いだが、恥ずかしすぎる。抱っこなんてコタツでうっかり寝た時に兄に抱っこされた以来だ。しかも魔王の顔が近すぎる。
私が魔王の腕の中でジタバタしていると、魔王はゆっくりベッドの上に私をおろした。安堵したのも束の間、魔王が私のすぐ隣で肘を付いて横になっている。
「え、魔王様? ちょっ、恋人の練習するんだよね? 何してんの?」
「だから、恋人の練習だ。ああ、部屋を暗くした方が良いか? 少し待ってろ」
そう言って、魔王が何やら呪文のようなものを唱えるとカーテンがシャッと閉まり、部屋の灯りが消えた。
「え、なに? 魔王様? 暗くする必要ある?」
「俺は明るくても良いが、日本の女性はこういうことをする時は明るいと恥ずかしいらしいじゃないか」
「何の話をしてるの?」
「恋人役をやるのだろ? 俺は初めてだが、兄の動画でしっかり勉強してるから安心しろ。優しくしてやる」
「え、それって……」
私は瞬時に理解した。魔王が今から何をやろうとしているのか。そして、魔王の右手が私の胸に置かれようとしていることを。
その手から逃げるように、私は思い切りゴロンと横に転がった。
「いてて……」
ベッドはシングルなので、案の定私はベッドから転げ落ちた。その瞬間、部屋が明るくなった。魔王が灯りを付けてくれたようだ。
「美羽、大丈夫か?」
「もう、魔王様は何を田中に見せるつもりよ」
「日本人の恋人同士がすることと言えばこれだ! と兄に教わっていたからな」
「お兄ちゃん……」
危うく恋人ごっこで貞操を魔王に捧げるところだった。危ない危ない。
「では、美羽。恋人役とは何をやれば良いんだ?」
魔王に言われて気が付いた。恋人とは何をやるのだろうか。恋愛経験ゼロの私には到底答えに辿り着けない。
「こういう時はネットで調べてみよう」
こうして私と魔王はインターネットの情報を頼りに恋人の練習に励んだ。勉強もせずに。




