犬が喋った!
お越しいただきありがとうございます。
「やれやれ。」
あの後、わたくしことこんとはれ様は文治郎殿の居館を後にしました。
あの場で白の君と入れ替わることも出来なくはなかったのですが、一応まだ神無月の内であることと、はれ様がわたくしに御用があるとのことで、はれ様の御家に戻りました。
白の君は本来の姿のまま、長椅子に伸びておられます。
「お疲れ様でした、兄上。」
「ほんに、な。」
白の君は文治郎殿が差し出した盃の中身を空にすると、それをすぐに戻しました。
「ただでさえ疲れているのに。」
「元々は兄上の落ち度でしょう。」
ため息混じりの白の君に苦笑しながら文治郎殿が盃を盆の上に置きます。
「まあ、仲直りできて良かったのでは?ああ、でも。」
文治郎殿は人の悪い笑みを向けました。
「久しぶりにアタフタする兄上を見れて面白かったです。」
はれ様を宥めた事を完全に揶揄っておられるお顔です。
「慣れているから何という事ない。」
そんな文治郎殿に目も向けず、白の君は大きな欠伸を一つしました。
「はて、何に慣れておられるのか?」
面白がるような文治郎殿に白の君は穏やかな微笑みを向けました。
「よう泣く幼子がおったからな。泣き止ませることなど、何ということない。」
ご自分のことを言われていると気がついたのでしょう。文治郎殿は嫌そうな顔をしました。
「あれは子供の頃のことで!」
「わしからしたら、今でも童じゃ。」
白の君は揶揄う様に尻尾をぱたりぱたりと振っております。
その仕草に文治郎殿は文句を言おうとした口を閉じられ、ほんの少し微笑まれました。
人界より迷い込まれた文治郎殿は、泣いてばかりのお子様でした。
異界の地に迷い込まれ、白の君のお父上に保護され、お屋敷でお世話する事が決まったのですが部屋の隅で息を潜め、怯えているのが常でした。
無理もありません。人の世界から急に話す動物やら異形の姿をした者たちのところに来てしまったのですから。
白の君のお父上は保護したものの、元々風来の気質があり、面倒見る気など殆もなく屋敷のモノに世話を任せたのです。
『屋敷のモノ』と言いましたが、それはもちろん『人』ではありません。分かりやすく説明するとならば式神の様なものです。
己に使える式に依代を与え、使役するのです。
『式神』と言うとあまり力がない様に思われる方もいるかもしれませんが、神であることに変わりはありません。
その『神』が人の子の面倒を見るなど、納得しないものも沢山おります。
ただし、それでも主人の命です。そしてわたくし共は稲荷の家系の名家にお仕えする『式』なのです。
気に食わなくても虐める事などは決して致しません。
ただ命じられた世話をするだけ、それだけです。お勤めなのですから。
寂しい?泣いている?そんな事はわたくしたちには関係ない事です。世話はしているのですから。
ある日、珍しく部屋の隅から文治郎殿がこっそり出てきました。とても良い天気だったので、部屋から出たくなったのかもしれません。
廊下の隅からこっそり覗いた縁側に、白の君が横たわっておられました。
いわゆる、『日向ぼっこ』と言うものをしていた白の君でしたが、白いお姿に陽が当たるとこれまた美しく、見惚れてしまうくらいです。
文治郎殿もそう思ったのでしょうか。しばらく口をポカーンと開けてその姿を見ておられました。
そして、そおっと、少しずつ白の君に近づいて行ったのです。
あと、ほんの少しで手が届く、というところで白の君はゆっくり顔上げ、文治郎殿をご覧になりました。
「何じゃ。お前が預かり子か。」
「犬が喋った!」
本当に犬と思っていたのでしょう。文治郎殿はポロポロ涙を溢されました。ちなみに、屋敷のモノは文治郎殿が怯えぬ様にヒト型をとっておりましたし、白の君もここの所忙しく文治郎殿とはこれが初対面だったのです。
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