恋とはどんなものかしら
「体調を崩されたと伺ったので」
人形のように整った顔は真面目そのものだ。
なでつけられた銀髪も、かっちりと着込んだ軍服も、青年の過ぎるほど真っ直ぐな印象を裏切らない。
マーサは青年の生真面目な顔と渡された一抱えほどもある大きな花束を幾度か見比べ、あらまぁ、と呑気な声をあげた。
「お嬢様は薔薇が大層お好きなんですよ」
薄紙に包まれたそれらは花弁も肉厚で一つ一つがはっとするほど大きく美しい。
詳しくない者が見ても、相当な値打ちの物だということが分かった。
「そう、ですか」
サイラス・ノーマンと名乗った青年は、マーサの言葉に戸惑ったように視線を泳がせた。
(…ノーマン家の坊っちゃん。今まで浮いた話はなかったけど)
なんでも上層の覚えもめでたい軍部きっての出世頭だとか。さらにいえば、自分にも他人にも厳しい仕事中毒の熱血漢だとか。
実直そうな青年のまるで色恋には不慣れな様子に、どうやら噂は本当のようだと心中頷く。
「よろしかったらお茶をお淹れしましょうか」
「いえ、もう戻らなくては」
青年ははっとしたように背筋を伸ばした。
「突然お邪魔して申し訳ありませんでした。…サラ嬢によろしくお伝え下さい」
「ご丁寧にどうもありがとうございます。今度はぜひお茶を飲みにいらしてくださいな」
涼やかな美貌が揺らいだのは結局あの一瞬だけだ。
青年はやはり真面目な表情のまま、ぴしりと礼をした。そして拍子抜けするほどあっさりと帰っていったのであった。
ゴート家といえば、レビエンでも有数の名家だ。
その尊き血筋はもちろんのこと、彼の領地には大陸でも希少価値の極めて高い鉱物がとれる鉱山があり、レビエンの生命線とも呼ばれている。
槍のゴートと呼ばれ武の象徴でもあった先々代が儚くなって以降徐々に傾きつつあった家を見事に立て直したのが現当主のヨースタイン・ゴートだ。
ヨースタインは先の大戦で妻を亡くしてからというもの、評議員の位をさっさと返上すると娘と幾人かの使用人とともに静かに暮らしていた。
「サイラス・ノーマン?」
乳母のマーサから見事な花束を受け取り、少女は小さく首を傾げた。
少女の名はサラ・ゴート。ヨースタインの一人娘である。
「昨日の舞踏会、仮病でズル休みしたからじゃありませんか」
「…昨日はホントに体調悪かったの!」
「はいはい」
もう、と子供のようにむくれるサラだが、これは身内への甘えの現れだろう。
血筋によるものか家庭環境の為か、公の場では十四とは思えないほどの落ち着きを見せる。
時折見せるその聡明さ故、次代のゴートも安泰であるとの声も多い。そしてそんな彼女のパートナーでありたいと願う輩も多いようで、何かにつけ届く贈り物は年々数を増していた。
「わざわざ届けてくださったのね。どこかで知り合ったかしら」
「なかなか好感の持てる感じでしたよ」
昨今の若者には少し珍しいほどの折り目正しさと、ちらりと見せた照れたような表情を思い出す。
今までお嬢様に群がる男(年齢・職業問わず)を数多見てきたマーサの目にも、彼の人の清潔そうな雰囲気は好印象に映った。
「…綺麗な薔薇」
サラは花束に顔を埋めるようにしてぽつりと呟いた。
「珍しいお色ですよねぇ。淡いですけど深みのある薄桃で」
「…まるで、マディ様みたい」
愛しいものでも見るように、腕のなかの花束に微笑みかける。
大輪の薔薇はどこか骨董的な桃色で、漂う気品も大切な友人によく似ていた。
「マディ様、お元気かしら」
「…しばらくお顔を見てませんものねぇ」
気遣わしげなマーサにサラは困った顔で頷いた。
大人しそうな見た目とは裏腹に強情な友人の予想もつかない行動には、出会ってこの方驚かされてばかりである。
仮にも王族が戦場(それも最前線!)にいると知ったときには、二人で倒れそうになったものだ。
友人と称せる関係になって十年近くなるが、幼少の頃の拐し、その後の闇の眷属の騒ぎ、カルエタとの政略結婚の話と、こと彼女に関しては安心できる日々などなかった。
そして現在もレビエンの抑止力のひとつとして多忙な毎日を送っている。本人は修道院で静かな余生をだなんて思っているらしいが、まあ周囲がそれを許すはずもないことを彼女だけが知らないのだ。
友人の不当な評価に胸を痛めていたこともあったが、それでも年に数度垣間見る彼女の姿はやはりかつてよりも少し痩せ、疲れているように見えた。
「…でも、珍しいですわね」
マーサの言葉に薔薇を見つめて物思いに耽っていたサラは顔をあげた。
「お嬢様が薔薇お好きなことは有名な話ですけど、皆様大抵赤か橙あたりをお選びになりますのに」
「…確かに。今までいただいた薔薇って、みんな赤と橙色ね。なんでだろう」
屋敷の庭には色も形も大きさも様々な薔薇が咲き乱れている。しかし、贈られる花束はそのほとんどが見事に赤か橙であったのだ。
今更その事実に思い至り、不思議そうに首を傾げるサラにマーサは呆れたようにため息をついた。
「何言ってるんですか。赤い薔薇は数世紀も昔から情熱的な愛の象徴ですよ」
「じゃあ橙は?」
「琥珀、貴女の瞳の色でしょう」
「…ああ!」
「本当に今頃お気付きになったんですか。贈り主も報われませんねぇ」
だってそんなの言ってくれなきゃわからないわ、とサラは耳を赤く染めながら小さく息をついた。
「…でも、そうなのね。花束一つにも、意味を込めてくださっているのね」
「大抵はそうだと思いますけど…だとしたらノーマン家の坊っちゃんは何を考えてこの色を選ばれたんだか」
彼の青年のことだ。そこまで気が回っていない可能性は大いにある、と生真面目そうな表情を思い出してマーサは唸った。
「…サイラス様にお会いするにはどこに行けばいいんだろう」
女慣れした成金の息子など言語道断だが、こうも機微に疎いのもいかがなものか…と思った矢先のサラの言葉に、マーサはしばらく言葉を失った。
「まずはお手紙かな。突然会いに行ったらご迷惑よね。ねぇマーサ、どう思う?」
聞き間違いではないようだった。マーサは幼少の頃よりずっとお世話してきた、娘のように大切な少女の顔をまじまじと見つめた。
「…えぇ、そうですね、いえ…その。…お会いになりたいのですか、お嬢様」
「どうしたの、マーサ」
「どうした、は私の台詞ですお嬢様!初めてじゃあありませんか、貴女が殿方に会いたいだなんて仰るのは!」
「…そう、かな」
「えぇ、そうですよ!あらまぁ…旦那様にご報告しなくては」
いそいそと部屋を出ていこうとするマーサを、サラは慌てて、それはもう慌てて押し留めた。
パパに報告なんて、一体どんな大事だと思われちゃう!
ノーマン家に事実確認の手紙を送る父の姿が容易に想像でき、妙な汗をかく。
「大袈裟!大袈裟よ、マーサ!私はただお花のお礼がしたいだけ」
「そんなの今まで一度としてしたことないじゃありませんか」
長年見守ってくれていた乳母の一言は重い。さらりと返されて、咄嗟に返す言葉につまった。
そうだけど、と少し弱まった語調で、息とともに気持ちを吐露する。
「…深い、意味はないのよ、ただ…ちょっと嬉しかっただけなの」
そう、なんだかとても嬉しかったのだ。
貴族の娘にとって義務の一つであるはずの社交の場を、休みたいと思うほどには少し疲れていて。
何が、ということもないけれど、ふるりふるりと積もっていた何かに落ち込んでいて。
どうしよっかな、と出口が見えないままぼんやりしていたときに目に飛び込んだ、その色。
サラは凛と咲き誇る優しい桃色の花束に、照れたように微笑みを向けた。
「マディ様に会えたようで、元気が出たから」
「お嬢様」
「だからお礼が言いたかったの。…それだけ」
最後は少しだけ嘘だ。
贈る花の色に意味があることを知って、彼の人がなぜこの色を選んだのかその理由を聞いてみたいと、ふと思った。
どうして私にお花を贈ってくださったのですか。
貴方もこの薔薇にマディ様を想ったのですか。
貴方は…どんなかたなのですか。
それは、唐突に。
顔も知らない、ましてやその人となりも。
それでも迷路でさ迷っていた気持ちをふわりと照らしてくれた一束の薔薇は、サラに少しの興味と大きな勇気を与えたのだった。
サイラスは人生で初めて自分で花束を買いました。
花屋も店先で固まる軍人に大層困ったことでしょう。
そしてサラ嬢からの手紙が届いて再び固まるサイラス。
お返事に悩みに悩むといいよ。