第3話「欅の森公園」
四月中旬の土曜日。
自転車に乗って家から十分。欅の並木道を横に見ながら風を切っていく。
欅の森公園という場所に図書館があった。
駐輪場から青々とした広葉樹の公園の散歩道を歩く。ご老人が犬の散歩をしているところとすれ違い数分、図書館の前まで来た。
建物は白い木材で作られていた。屋根は三角の屋根で、扉も木製の引いて開く扉のようだ。
入り口前には手作り看板があり、チョークで書かれた小さな黒板に『欅の森図書館』と書かれていた。
周りにはプランターや花壇に色とりどりの花が並んでおり、綺麗だった。
「こんな感じだったっけ」
思ったより昔の記憶が薄れていたことに俺は驚いた。
十年も経てば、忘れていくものもあるんだ。
看板の横を通り過ぎ、扉の前まで進んだ。扉から見て左側にウッドデッキがあり、円形のテーブルが二つと椅子が並んでいた。外でも本が読めるようになっているのだろうか。ウッドデッキも小さいころの記憶にはなかった。
新しく増設したのかな。
父さんに連れられて中で本を読んでいた記憶はあるが、さすがに外装や公園の風景の記憶は曖昧だった。
扉の前に立って、ドアノブに触れた。
「あれっ」
開かない。
ドアノブの所に『引く』と書いてあって引いていたが、鍵がかかっていた。
「今日は休みだったっけ?」
学校が休みの日である土曜日に行こう。そう決めてきただけで、休館日を確認していなかった。
やってしまったなと思い、踵を返したところで後ろからガチャッと音がした。音に反応して俺は振り返った。
扉が開いていた。扉から一人の女の子がそっと覗いていた。
この子がいたずらで閉めていたのだろうか。
「すみません、まだ開館時間ではないので」
扉から出てきた少女は眉を下げてぺこりと軽く頭を下げた。
頭の後ろには青い大きなリボン。服は淡い青のワンピースで身長が一五十センチちょいの妹より低いから、妹より年下だろう。背中くらいまである黒髪は艶があり、小柄な少女の可愛さを引き立てている。
「そうだったのか。でももう十一時前だけど」
自分のスマホを見て時間を確認する。この時間でも開館時間でない図書館ってあるんだな。
いたずらだと思ってしまったのは心の中で謝ろう。
「欅の森図書館は正午からになっていますので!」
「……!」
顔を上げた少女の顔を見た瞬間、俺は何かを感じた。
懐かしいような、寂しいような。
何かを思い出しかけて、思い出せない。
気づいたら少女の顔をまじまじと見ていた。穢れのない綺麗な大きい瞳、柔らかそうな少し赤みがかった頬。細い眉がちらっと見えるくらいの長さの前髪。
俺はこの子とどこかで会ったことがある?
「あの、なにかご用でしょうか?」
いつの間にか困った顔をしていた少女は、小首をかしげていた。
「あっ、ごめん」
彼女の問いかけに我に返った。何か話さないと気まずい。
「なんで、開館前に君が図書館の中にいるのかなって」
「あ、それはですね。私のおばあちゃんがここの図書館の館長をやっているんです。それで、私はおばあちゃんのお手伝いをしにきています!」
「あ、そうなんだ」
「はい。お手数をおかけしますが、もう少し待っててくださいね。返本のみの場合は看板横の返本箱へ入れてください」
「ありがとう」
「それでは」
ぺこりとお辞儀をして、少女は扉を開けて戻っていった。よく見たら、扉に札があり、「閉館中」と書かれていた。まったく気が付かなかった。
「ハルよりいい子かもしれない」
今横に妹がいたら蹴り飛ばされていただろう。いや、反抗期前のハルは、あの子と同じくらいにいい子だった。多分。あまり人と比べるのはよくないか。
看板横にある返本箱と呼ばれていた箱を見た。
こちらも木製でできた箱で、ポストの様に返却本を入れるみたいだ。返却本を取り出すためか、箱の上の屋根は裏から開けられるようだ。今は鍵がかかっているけれど。
カバンから返却本である父の本を取り出した。
『飛鳥』という俺と同じ名前の本。結局、返しに来るまで一度も読まなかった本。
返却したら、二度と読まなかったかもしれない。あっても読まないかもしれないが。
でも、この本をここで返しただけで終わったら、何かが終わる予感がした。
さっきまではそんなこと思わなかったのに、あの女の子を見たら、そう思えてきた。
何が終わるのかもわからない。あの女の子から感じた懐かしさと関係がある気がすると俺はなんとなく思った。
それに、十年も前に借りた本をそのまま返却箱に入れるのも申し訳ないしな。
俺は公園を散策しながら、開館を待つことにした。