オオムラサキ
修一郎、弥生、由利の3人は神柱公園に着いた。神柱宮は神柱公園の一部だ。
「今どきのそれなりの公園。」
修一郎は淡々と喋る。由利は昭和中期の神柱公園を知らない。修一郎得意の生々しい描写を密かに期待した。
「トンボ、いないね。」
そう言う弥生の表情はやっぱりと納得しているものの少し悲しそうな表情が混じっている。
「昭和の池を描写しなさい。」
弥生が命令調で修一郎の背中越しに言った。
「あの頃は橋も木造で岸側に貸ボート屋があった。水深は1メートルもなかった。転覆しても大丈夫なように。」
「転覆とかするの。」
弥生が驚いて尋ねる。これには由利もびっくりした。
「ギンヤンマの番が連結して産卵してたんだ。黄緑に近い明るい緑の二頭。オスの腹部付根の水色が綺麗だった。そこで女子高生が二人一緒片側に寄ってに手を伸ばしてドボン。立ち上がって岸まで歩いたけど腰あたりの深さだった。」
「女の子はどうなったの。」
弥生が尋ねた。由利も尋ねたかった事を弥生が尋ねたので修一郎の返事を待った。
「丁度、泉ヶ丘高校の男子生徒が部活に行く途中だったみたいで、体操着の上を渡した。〈洗濯したばかりですから、これ着てください。〉って。横の川、年見川なんだけど少し上流が泉ヶ丘。距離は五百メートル無いな。夏休みだからギンヤンマが産卵を始める頃。水も温かった。」
「鮮明に覚えてるのね。あと泉丘って宮崎にもあるんだ。」
会話を聞いていた由利は鮮明な記憶には納得したが泉ヶ丘には〈えっ、何なの。〉となった。
「東京では金沢泉丘の方が知名度あるね。金沢は泉と丘、こっちは間にヶが入る。」
修一郎は泉丘と泉ヶ丘の話をした。由利は金沢泉丘を初めて知った。
「相変わらず鮮明ね。別の光景が浮かぶんだけど。」
「全部鮮明に話したら絶対怒る。でも昭和中期だぜ。お腹が見えないようにシュミーズ着てた。」
弥生が口を尖らせ、
「あなたも池に落ちてみる。」
と言う。
由利は制服のまま夕立に打たれた時の自分を思い浮かべる。女子高生も濡れた制服が身体に貼り付いていたのだろう。
修一郎が再び話始めた。
「夏場は着いたら先ずトンボを探した。ギンヤンマ、ウチワヤンマ、コシアキトンボ、ショウジョウトンボ。時折、チョウトンボやトラフトンボ。確認は当時の昆虫図鑑の絵柄だからどこまで合っているか判んないな。」
修一郎は歩きながら喋り続ける。
「小島には柳。樹液にはコムラサキ、キタテハ、ゴマダラチョウ。ミスジチョウ、コミスジ、スミナガシまでいた。」
虫の名前が由利には呪文に聞こえる。名前から姿が浮かんでこない。一方、弥生の方はある程度判るようだ。
「オオムラサキはいないの。」
弥生が問いかける。
「オオムラサキは見たことない。宮崎市の南部では採れたと聞いた事はある。今は里山も農家の庭木も減ってしまった。食樹のエノキがないと幼虫が育たない。」
由利はやっと理解できる言葉を見つけた。
「南部も北部程では無いけど結構住宅が増えましたよね。残っている森もあまり手入れされてなくて綺麗な緑じゃ無いような気がします。」
実家が建設会社なのが幸いして、由利は修一郎に話し掛ける。
弥生が
「国蝶を残さなかったのかしら。」
とポツリと言った。