日本語は、少し国際的に見たら不便だなと思った点
図書館からの帰り際
「バイバイ」
どこから聞こえてくる声、
あまり、見回すのも申し訳ないし、
あっ君か~
って言って、間違ってたら、損するのは自分なので
リターンがないリスクを背負うのは嫌なので、
私はそのまま自動ドアを軍人のようなキビキビとした歩きで
通りすぎる。
そんな私を人は損得勘定で動く人だと思う人もいるかもしれないが、
そもそも、聞こえたかもしれないという空耳のような状況で、
動くことを選ぶ人は凄いと思うし、失敗からのリカバリーがある。
私にはそんな心の備えがないので、動くことには事欠く慎重的な人間であるため、第一印象は?最悪だと思う。
よそよそしく、人を疑うような目をして、近寄りがたし人間
、というのが日比谷進であり、中々、私は自分自身、氷の王であったのは気にしているが、もう、これが自分だと受け入れて、
気まずい思いはしてるがなんとか大学生活を送っている。
しかし、なんだろう、明らかに、何も主語で呼ばなくても通じる言語、日本語が、ドイツ語と英語等を中心に日々勉強してると、
はっきり言え!主語でもいいからと思ってしまうが、
私も私、日本語でしゃべる際は、中々、貴方とか、君とかは言いにくく、日本語の言語字体が英語などと比べ柔らかいタコのようものであるため、人の感情や主張に気づきにくい。
英語は最初の方に重要な意味を持ってくる、ドイツ語は後の方に大事な情報を持ってくると、まだまだ、初期の学習者だが、そんな感じであって、日本語の方は最後の方にも持っていけるし、最初の方にも持っていけるという、どっち付かずの、最後の方が重要的な感じ?かな
日本語は何が言いたいのか、よくわからないと嘆く外国人の気持ちもわかるような気がした。
大丈夫です、と言われるが、日本人なら、例えばコンビニで袋に入れる際、チキンを分けていれなくてもいいんだっていうことにとれるけど 、
外国の人からしたら、大丈夫ですってイコールいいですよ、っていう了解の意味になると考えてしまいかねないから、その場合はいらないですとか、はっきりした言い方を比較的すれば、
少しは英語はできずとも、日本に住む外国人に配慮することができるかもしれないと、バスのなかで、ふと思った。
日本語は分かりにくい、けれども、はっきり自分の考えは母国語でも、外国語でも、学びを通して伝えられるようになりたい。