03 憧れの色
約束の日。
貴族街の前で待っていたアンは、周りの風景に溶け込みながらも淡く輝いて見えた。長い紅色の髪と新緑の目、つばの広い白い帽子、腰の締まった白のワンピースに、硬そうな革製のブーツ。こちらを見つけると、ついとつばを上げて目を向けて見せる。
「やあ、ダイアナ嬢!こっちだよ!」
「アンさん、」
今日ダイアナが何度も何度も鏡とにらめっこして選んだのは、薄桃色のワンピースだった。瞳と合わせて、同じ色だ。裾にはフリル、胸元にはレースのスカーフをつけて。別に顔を隠す必要もないので、帽子はなし。銀色の髪にも薄桃色の宝石の花飾りを。
……ただ、かなりボロボロなので、裾のレースも少しほつれているし、色も褪せている。これを友達の前に着てくるのは少しだけ恥ずかしくて、でも、これしかないので、仕方ない。
そう思っていると、アンはぱっとダイアナの手を取った。
「ねえ、洋服屋さんに行かない?」
「え?」
「浮かない顔してる。そんなんじゃ今日が楽しくなくなっちゃうよ」
「え、え?でも、私お金は、そこまで……」
「大丈夫大丈夫、なんとかするから!」
不思議な魅力のある微笑みで、ダイアナはアンの手を取って歩いて行く。当たり前のように繋がれた温もりがなんだか愛おしくて、ダイアナは胸の奥を温めた。
「嬉しそうだね」
「……アンさんと遊べるのが、楽しくて。貴女と出会えて、良かったなって」
「…………」
「アンさん?」
「あ、ううん、なんでもないんだ」
ほんの微かに、彼女の表情によぎったものは何だろう。
人の感情にどちらかというと聡いダイアナの目からは、それは微かな罪悪感のように見えた。
*
彼女の言う『洋服屋さん』は、貴族街の端にあった。
知る人ぞ知るという雰囲気だが、からんとベルを鳴らして扉を開くと、数多くの美しいドレスがお目見えする。その横には貴族の令嬢のお出かけ用と見える軽装のワンピースが数多く並んでいて、紅や蒼、翠、桃色、白と並んだ華やかさはダイアナの目を魅了した。沢山のフリルやレース、小花模様、アンティークな柄、ストライプ、薔薇模様なんかもある。小さな店でありながら、品揃えは豊富で、何処を見ていても飽きない。
「おや、アン様、いらっしゃい」
店の主人に声を掛けられて、アンはにっこり微笑んでダイアナの手を引いた。ダイアナは身を竦ませる。男性は苦手だ。怖い。優しそうな白髭のおじいさんであっても、怖い。
だいじょうぶだよ、とアンが囁く。この人は、本当に王子様のようだ。こんなに綺麗なご令嬢なのに、出会ってから何度も、私を守ってくれようとする。
「今日は友達と一緒なんだ。この子の服も見繕ってくれないかな」
「ええ、喜んで」
白髭の店主はにこにことして言うと、ダイアナを眺める。その目がきらきらとして子供のようで、ダイアナは少しだけ警戒が解けるのを感じた。大丈夫、大丈夫。この人は悪い人じゃない。
「そうですねえ……銀色の御髪に薄桃の目ですか。薄紅色もいいですが、いっそ鮮烈な紅もよろしい。」
「紅色……ですか?私なんかがそんなものを着て大丈夫でしょうか……」
「ダイアナ嬢が着てみたい色がいいよ、何色が好き?」
何色が。
そう聞かれて、ダイアナは言葉に詰まった。元々ダイアナは自己主張が乏しい少女だった。何色が好きだとか、何が食べたいとか、尋ねられると困ってしまう。なのでダイアナは、最近感じた憧れに正直になることにした。つまり、アンへの憧れである。自分に持っていない強さを持つアン、割り込んできてくれた颯爽とした後ろ姿。
「……ええと。白……か、紅色がいいです」
「それがダイアナ嬢の趣味なんだね」
「あ、えっと、いえ……!……その、昨日の夜会で、素敵だなって思った色で。白は、アンさんの素敵なドレスが、その、綺麗で……とっても似合ってて、いいなって。」
あなたの綺麗な髪の色だから、という言葉はすんでのところで飲み込んだ。
「……。素直でいい子って言われたことあるでしょ」
「あ、あります」
「本当にいい子なんだから……困っちゃうよ、私」
その、ぽつりと呟くような言い方が何だか少し苦しそうで、ダイアナは慌てた。この綺麗な人を困らせてしまった。嫌われちゃうかもしれない、と少しだけ怖い予感が胸の奥を過る。嫌だ、折角わたしを友達だと言ってくれたのに。
「困らせてしまいましたか?ご、ごめんなさい……」
「ううん。さ、そんな顔しない!ワンピースを選んでお茶に行こうよ、ダイアナ嬢、甘いもの好き?私は大好きなんだけど」
「す、好きです。特にプリンが……」
「本当に?じゃあプリンパフェが美味しい店に行こうよ。貴族街の外だけど平気?」
「迷わないでしょうか……」
「あはは、心配するのそこ?大丈夫だよ、地形は頭にたたき込んであるから」
白いワンピースの裾をふわりと翻して、アンは一着の紅色の服の前に立った。
少しばかり深い紅のそれは、アンの髪の色によく似ている。胸元には小さな薔薇の飾りが幾つも咲き誇り、裾はパニエで広がりを持たせてふんわりと膨らんでいる。袖は腕の華奢さを強調するかのように細く、スカートは同色のレースとフリルで飾られていた。足下はつやつやとしたエナメルの赤い靴だ。
「これなんてどう?靴もセットで買っていこうよ」
「と、とても素敵ですけど……その」
……お金が。
小さくダイアナは呟く。血統だけの貧乏貴族の娘には、とても買えない金額である事は簡単に察しがついた。こんなに綺麗なドレスを見繕ってもらったのに、買うことができない。彼女の恩義を無碍にしてしまう事がなんだか悲しくて、俯いてしまう。
その間に、彼女は小さな紙をさらさらと書いて店主に渡していた。
「……あ、あの……」
「ああ、いいの。お金ならお城につけといたから」
「え、え?」
……お城?
「私、王族なんだよね」
さらりと言われて、ダイアナは盛大に動揺した。
つまり、お姫様だ。顔とお名前を知っているのは王子アンソニーのみで、彼の姉妹のお姫様方は夜会に滅多に出てこないので知らないのだけれど。
確か王子には、上に一人姉が、下に一人妹がいたはず。姉か、妹かどちらかは分からないけど、自分は本物の王族とずっと気安く話していたのだ。王子様みたい、なんてぽうっとしていたけれど、実はお姫様だったわけで。
「お、お、お姫様だったんですか!?王族なんですか、本物の……!?」
「本物ってどういうこと。そうだよ、王族なんだ」
「え、ええ……アンさん、なんて気安く呼んだらいけない方だったんですね……」
「それは私が呼んでって言ったんでしょ」
「だって……」
「ダイアナ嬢。あのね、私、今日すごく楽しいよ。最初は……その、ちょっと気軽に声かけちゃったんだけど、想像以上に楽しくて、びっくりしてる」
彼女はそう言いながら、ぐいと紅色のワンピースをダイアナに押しつけた。
「だからね、これはお礼。いいの、お城の父上につけとくから。……ほら、着替えておいで?」
「あ、あ、ありがとうございます、有り難き幸せ……」
「かしこまらなくていいから」
「は、はいっ」
薄紅色のぼろぼろの服を脱ぐ。
試着室で、どきどきしながらワンピースに着替えた。紅色だ。彼女の色だ。
一瞬でダイアナの憧れをかっさらっていった、彼女の色。素敵な色。
薔薇飾りで飾られた服に、ゆっくりと腕を通す。華奢なダイアナの腕にその紅はぴったりで、滑らかな絹の心地に包まれると、とても気持ちがいい。用意されたつやつやした靴も履いたら、ぴったりだ。
鏡の前で、くるくると自分を確認する。……こんなに素敵にしてもらって、いいんだろうか。なんだか、すごく幸せで。表情が幸せいっぱいになってしまう。
「あのっ、着替え、終わりました……!」
「あ、本当?じゃあ見せて」
カーテンが引き開けられる。
大きく、アンの新緑の瞳が見開かれた。それから、笑ってみせる。
「うん、すごく可愛い、思った通りだ」
「似合って、嬉しいです、……アンさんの色、憧れだったから」
つるっと口が滑った。
友達にこんな事を言って、気持ち悪がられないだろうか。でも、憧れなんだからいいよね、悪い事を思ったわけではないし。いいよね。
「私の、色?」
「はい。アンさんの綺麗な紅色、私、大好きなんです」
愛おしむように紅色のワンピースの裾をちょっとだけ片手で摘まんで。
アンは虚を突かれたような顔を暫くしていたが、やがてへにゃりと眉を下げて笑顔になった。それは、これまでの、どの綺麗な笑顔とも違っていた気がして、新しい表情を見られた事を、ダイアナは嬉しく新鮮に思った。